松沢顕治の家まち探しメモ

「よい日本の家」はどこにあるのだろうか。その姿をはやく現してくれ。

挑戦・・・・・佐渡宿根木(3)

2014年04月27日 20時28分36秒 | 日記
宿根木の家々は明治以前の美しい面影を今にのこしている。それはなぜなのだろうか。

もちろん家屋を大事にして手入れを怠らなかったからだ。しかし地域での生計が立ちゆかなくなれば、家をかまうことなどできない。住み慣れた地でさえ離れていかなければならない。

かつて西廻り航路の繁栄によって栄えた宿根木も、航路の廃止とともに衰退した。産業構造をそのまま放置しておけば、宿根木は完全な廃村になり、家々は廃屋になってしまったろう。しかしそうならなかった。いったい何があったのか。

たまたま石瀬佳弘さんの論文を読んだら、そのあたりの事情がわかった。

明治の終盤、宿根木は産業構造を大転換することを余儀なくされた。住民は農業を選んだ。廻船を待つ受身の三次産業からものをつくる攻めの一次産業へと舵を切ったのだ。大正5年のこと、吉が沢や称光寺川から水路を掘って水を引いた。米をつくろうと住民はみんな開田に熱をそそいだ。その中心にいたのが高津昇之助だった。

宿根木は縦井戸には適さなかったらしい。そこで昇之助らは断層に向かって横井戸を掘り、湧水を引こうとする大胆な計画をした。しかしハイリスクのため、なかなか資金が集まらない。たいへんな苦労をした。井戸掘り工事がすすみ、ようやく水が音を立てて流れでたときには、昇之助らはほっとしたにちがいない。ともあれ、宿根木はここに産業構造をがらりと変え、ふたたび成長のエンジンをまわしはじめた。

そうした挑戦が宿根木の古い家屋を今にのこしたのだった。

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