松沢顕治の家まち探しメモ

「よい日本の家」はどこにあるのだろうか。その姿をはやく現してくれ。

震災の後に

2014年03月10日 21時11分37秒 | 日記
震災後しばらく間をおいてから仙台湾の沿岸部を中心に何度か歩いた。北は南三陸から南は亘理町までだ。

仙台空港の東に真新しい寺があった。もしやと思い、墓地に立ち入ると、「平成二十三年三月十一日没」と刻まれた墓誌が多い。こんなに多くの人が亡くなったのか。

なかに七名の戒名を記した墓誌があった。年齢と名前からみると、祖父母、父母、子供三人らしい。全滅だったにちがいない。津波にさらわれた七人は辛かったろう。だが、それよりも生き残って、七人の供養をした身内の方はもっと辛かったのではないだろうか。

この寺の周りやもっと海よりのほうは、家の基礎がたくさん残っている。相当大きな集落だったようだ。しかし今は何もない。根こそぎ津波に持っていかれたのだ。一家全滅もあれば、子を失くした親もあるだろう。老人だけ、あるいは父親のみ残された家もあっただろう。

残された者はこれから耐えながらまだ長い日常を生きていかなければならない。そうした人たちのことを私は思う。

私はある必要から近代日本思想史に長く取り組んできた。そうした視角からは、震災は戦争と似通った側面があるような気がする。生死を分けたのは何か。それを単なる偶然ととらえ、生者は死者の志を受け継ぎ、平和的手段である経済活動に邁進したのが戦後日本だった。その結果が今日の繁栄だ。

震災後に生きる私たちもまた、戦後の先人たちと同様に、亡くなった二万有余の方々の志を引き継いでいくべきではないのだろうか。そうした思いにとらわれている。



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