「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

イスラムとナチズム(p639~)

2013-01-13 21:50:10 | イスラム史批判
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 ムスリム同胞団は同時代、ファッショ体制の同路人でもあった。1937年ドイツのエドガー・アレクサンダーはスイスで『ヒトラー神話学』において、国家社会主義とイスラムの比較を行った。考察は外形的なものに止まったが、心理戦や先軍的火病性において、立脚点の違いはあっても多くの共通点が見出された。
 ファッショは共産主義よりは多神教寄りだ。フランスのマルクス系東方学者マクシム・ロビンソンは、イラン革命への支持を表明したミシェル・フーコーに論戦を仕掛けた。ロビンソンによれば、ホメイニなどのイスラム組織は「太古ファッショ」型だ。ウンベルト・エーコのファッショ理論を援用したイブン・ワラクは、エーコの理論がイスラム体制にも当て嵌まることを学習した。
 フランクフルト学派のテオドール・アドルノは、ルカーチ・ジョルジェの影響の下、米国で『権威主義的パーソナリティ』を著し、ドイツでの脱ナチス教育に大きく貢献した。アドルノは弟子のマックス・ホルクハイマーと共に、ナチズムを昂揚させた権威主義的人格を定義した訳だが、同人格の多くの要素が保守的なものとされた。ファッショ予備軍は欧州に多く存在するとされ、F(ファッショ)尺度という基準が制定された。
 彼らはマルクス主義者だったのに、ナチス思想に流れていた社会主義の影響力については華麗にスルーした。後期資本主義は大衆文化を通して社会主義社会の出現を抑えたと分析はしたが、ナチでは「保守的」で伝統的な側面にのみ分析したのだ。
 しかし、ナチは保守ではなかった。むしろ、人種主義と嫌ユダヤ流が混ざり合った社会主義の革命運動だったのだ。社会主義体制が大戦前後にとった粛清を考慮すると、ナチの破壊力は民族的要素でなく社会主義的要素によるものとも結論したくなる程だ。「自由のユダ」ハンナ・アレントは1951年発行の『全体主義の起源』で、ソ連とナチの類似性に言及している。
 しかし、世上はナチを「極右」の運動と看做している今、それを指摘するのは原罪結社たる当代サヨクにとって致命的なのだ。国際的にも高評判のスウェーデン社民党がファッショ寄りだったことを指摘するのは、不都合なのだ。そして今、社民党はナチ要素濃厚なイスラムに親和している。
 千夜一夜物語は多くがアッバース朝のハールーン・アッラシード大王の時代にイランやインドで語られていた昔話を収集したものだ。しかし、ナチがユダヤ人に課した悪名高き黄色の紋章を最初に考案したのもこのアッラシード大王だった。大王はジンミーのユダヤ人に黄色の、キリスト教徒に青色の帯鈎(ベルト)を付けるよう命じた。この慣習がイベリア経由で欧州に輸入されたのだ。
 アラブ連盟の創始者ムハンマド・アミン・アル・フサイニーは大戦時エルサレムの大ムフティとしてヒトラーと対面するほどの仲だった。無論、ムスリムに対してユダヤ人の虐殺を煽ってもいる。「凡庸の虐殺犯」アイヒマンの補佐官だったディーター・ヴィスリツェニーはニュルンベルク裁判で「ムフティはアイヒマン随一の盟友だった。最終解決の提速も訴えていた。アウシュビッツにも行ったと聞いた」と証言した。
 セルジュ・トリフコヴィッチの『預言者の劍』によると、ムフティはバルカン半島でもナチス親衛隊の手引きでボスニア人とアルバニア人を募兵した。戦後ユーゴはムフティを戦争犯罪で引き渡そうとしたが、ムフティはエジプトへ脱出し、ジハードを続けた。大戦中ムスリム軍は25万人以上のセルビア人、ユダヤ人、ロマ人を殺光した。ヒムラーはこれを観て感銘し、ゲッペルス謀宣相に「イスラムは兵士にとって実に魅惑的な宗教であります」と声明した。
 心理学者ユングも『象徴なる人生』で「ヒトラーは新イスラムの開祖にでもなる気なのか。預言者のつもりなのか。ドイツの好戦感情はイスラム的だ。野性の神に彼らは陶酔している」と述べた。チャーチルも『第二次世界大戦』で我が闘争を評して、「信仰と戦争の新コーラン」と呼んだ。
 中世欧州のポグロムも過酷だったが、それでも局所的だった。記念碑に残るようなジェノサイドを行うには、それを支える思想と全体主義的体制の官僚が必要だ。社会主義の方が全体的性向を示すことを考慮すると、より大きな虐殺を社会主義国家の方が犯す可能性の方が高いのだ。
 ホロコースト生存者でもあるハンガリーのノーベル文学賞作家ケルテース・イムレはこう語る。

 20世紀最大の発明品は全体主義国家とアウシュビッツだ。19世紀の嫌ユダヤ流に最終解決の力はなかった。アウシュビッツは古典的な嫌ユダヤ流の斜め上を行く事態だった。…アイヒマンはエルサレム裁判で「僕は嫌ユダヤ流じゃない」と言って法廷を爆笑させたが、彼は正直だった。大量討滅に熱狂的な嫌セム流はそれほど必要でない。差別なき全体主義体制は存在しないが、全体主義体制の差別は大量殺人となって顕現するのだ。
 [多文化社会のように]特定の価値を掲げぬ社会も衰滅と獄壌劫火への路を辿っている。そうした社会では人の掲げる価値観が社会を縛る価値観となりえぬため、規制なき権力や社会壊滅への原動力になる。

 冷戦崩壊後、共産主義の第五柱たちはマスゴミと学会の覇権を手放さず、今も奴隷の如く新たな御主人様を探している。既存秩序への嫌悪感はむしろ前より昂揚したのだ。確かに彼らの批判力は弱まったが、その熱意は未だ弱まっていない。教育体制や家族を破壊した彼らは蛮勇に秀でるムスリム移民を国内に盲流させ民族対立を煽ることで、長く待望していた暴力革命の霊夢をみているのかもしれない。
 スウェーデン社民党は20世紀ナチスと共産主義を宥和し、今は猖獗極めるイスラムの徒と協力している。つまり、1億5000万人以上を殺した人類史上最凶の思想を宥和し続けてきた訳だ。そんな政党が左翼インターナショナルの看板なのである。
 社民党の今の盟友はファッショに親和的だったムスリム同胞団だ。白人先住民が不逞ムスリムに討滅される中、社民党は寛容の名の下で、票のためにムスリムの植民地化を看過し、抵抗者にはファッショの烙刻を貼り付ける。
 なぜこうなったのか?社会主義者は今も自国民を背後から襲撃しつつ、善界の使者と自称する。旧ソ連のヴラジーミル・ブコフスキーはこういう。「西洋は冷戦に完全勝利できなかった。内部の力を取り戻さねばならない。新ニュルンベルグ裁判を開いて、ベトナムからバルト海までの討滅行為に社会主義の教条が関与していたことを明徴にせねば」

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2.68 西洋、冷戦に敗北せし(p635~)

2013-01-13 21:18:22 | 北欧
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 セカイは常に強者のモノ。今後もそう。自尊心ある男子のみが敬愛される。羊たる者は狼に喰われるのみ――ヴィルフレッド・パレート

 
フョードマン同志


 出典(2007年)

 大量移民に反対する瑞典民主党青年部長の女チングが最近ストックホルム郊外の自宅で襲撃された。マルティン・キヌネンと同棲していた19歳の彼女が3人組に襲われ、ガムテープで塞がれたのだ。キヌネンは脅迫歴を語った後、瑞典民主党をグエムル化して止まないマスゴミを非難し、民主体制の不全を糾弾した。
 AFA(行動する反ファッショ団)は人種主義と戦うと称して、自分の電頁で襲撃行為を被害者の実名入りで公然と自賛する。裁判官の家を襲撃して1週間後には、衆道週間のプライド・ウィークでスウェーデン衆道警官組合と共に、AFAの黒服を着て行進した。AFAはその中で数人の嫌ホモ流を病院へ送ったことを自賛し、暴力闘争を認証する。これは社民党の一部でもある。「資本主義との闘いで同盟するなら、非寛容は許容できない。しかし、不寛容と戦うためには、資本主義とも戦わねばならない。反ファッショ、フェミ、嫌ホモ流と闘争するには、階級闘争しかない」というのだ。AFAは暴力の手引書まで作成している。
 現与党の[保守系]中央党もまた2006年の総選挙前には選挙事務所の襲撃を被った。犯人はAFAも加盟する「透明人間党」と自称している。しかし、1年後、中央党も含む[ラインフェルトの]中道右派政権は、彼らと一緒に行進した。
 社民党内のキリスト教徒が集まる兄胞団という組織はムスリム等の移民を党内に包容しようとしている。ペテル・ウェイデルード団長は「議会が全会一致で移民に門戸開放していることを歓迎する」と述べた。ムスリム同胞団のアブデルカデル・ハビーブはこの措置を、「社会の統合を進める歴史的一歩」と絶賛した。
 しかし、社会民主党は票のためにムスリム同胞団などの急進ムスリムに依存するようになった。その首領格にあたるマフムード・アルデベは2003年、スウェーデン内部でクルド人少女が名誉殺人された事件で仕立て人の伯父を擁護し、批判をイスラムへの侮教と呼んだ。兄胞団のオラ・ヨハンソンは社会福祉を解説するために、「原理主義の父」サイード・クトゥブの著作『世上の正義』に言及した。
 2006年、アルデベ率いる瑞典ムスリム協会は内政問題でのシャリーア適用、無利子金融による全土へのモスク建設、母国語による男女分離学校での教育などを文書で要求した。流石に時の社民党政府はこれを拒んだが、野党となった今では「フェミ政党」の筈の社民党がシャリーアを受容する公算は高い。
 社民党の現女性党首モーナ・サリーンは「瑞典民主党は嫌外人流で嫌女性流の危険政党だ。スウェーデンは無差別の寛容世上でないといけない」という。しかし、ムスリム同胞団はより嫌女性流だろう。この国で急増する強姦件数などスルーして、サリーンはF***勲章を授与された。スウェーデンの総人口はニューヨークと同程度だが、強姦件数は3倍もある。田園部でさえ、娘たちが「不信心のイアンフ」扱いされているのだ。そんな時にこんな賞を受け取っては、移民民心は何を思うだろう?
 ムスリム同胞団はサリーンの唱える性解放など決して認めない。衆道者の殺害を肯定する導師もいるのだ。スウェーデン教会は最近衆道者の婚約を認めたが、サリーンやAFAはモスクでの衆道者婚約を拒むムスリムを嫌ホモ流と攻撃するのだろうか?
 1995年、カンテラ・カルロマグノはルンド大学への博士論文で1932~46年社民党を代表して福祉体制「国民の家」を構築したアルビン・ハーンソンが、ムッソリーニの心の友で、ファッショの社会体制を称賛していたことを暴露した。すると、奨学金を打ち切られ、マスゴミからも完全スルーされた。「人種主義」、「ファッショ」、「ナチ」の烙刻により、理性ある議論が封絶されたのだ。
 これはヒトラーが「精神テロル」として採用した手法と根本的に同じだ。この技法は実の処、社民党や社会主義者が編み出したものだったのだ。
 2006年には、外務省公認の下、スウェーデン教会が1937年以降ドイツ式の人種法を採用していたことが判明した。ルンド大学のアンデルス・ジャルラート教授によると、ドイツ人と結婚する場合は、双方がユダの血筋でないことを強制宣誓させていたのだ。時の政権は社民党だったが、ナチの人種法を受容していたのだ。
 英国の歴史家ローランド・ハントフォードは『新全体主義者』において、社民党の閣僚にまで昇進した代表的理論家グンナー・ミュルダールと妻のアルヴァがナチの学問に同路していたことを暴露した。「ナチの時代、ミュルダールはナチを青年志士の未来ある運動と公言していた。ヒトラーの社会思想は進歩的で、スウェーデンの社民党とも通底し合うものがあった。ナチズムは同時代、寛容なる権威国家を目指す者にとって魅力ある思想だったのだ」ミュルダール夫妻は優生学に基づき、「弱勢遺伝子」の根絶を唱えた。この政策はナチより先に始まり、最近まで継続していた。
 ナチの自称は国家社会主義者だったが、事実その経済政策は社会主義的だった。財産権こそ民間に残したが、生産計画は国家が立案していた。ナチは経済面では左翼だった。ヒトラーも1927年、「我らは社会主義者だ。現今の資本主義体制に立ち向かう強固な敵だ。今の資本主義は弱者を搾取し、不義に賃金を払い、個人を不公正に評価している。この制度は何があっても根絶すべき」と述べた。
 
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ヒップホップの妖夢(p831~)

2013-01-13 20:58:44 | 米国
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 ラップの副産物もまた暴力的歌詞とほぼ同質だ。ラッセル・シモンズは音調を嫌悪して言う。「メロディーにはメロディー、音楽には退嬰そのもののビートを流した」その結果、音楽秩序が皮肉に転覆した。70年代は白人がハードロックに熱狂し、黒人が優美なソウルに耽っていたものだ――執筆者はそれを誇りに思う――が、80年代になると、ロックが閑静になり、黒人音楽が路上で音響兵器のように耳を劈くようになった。MTVでもヒップホップが主流化し、ラップの偶像大師(トップアイドル)たちの宝石が好色美女と共に氾濫した。
 無論、全てのヒップホップが暴力的という訳ではないが、大売れして長持ちしたのはその魔都性を極めた曲ばかりだった。リル・ジョン等は「糞というな」と叫び、蕃城を身份として称賛する。育児責任を問うものなど傍流に過ぎない。中心は常に不良だったのだ。
 バッド・ボーイ・レコードCEOのショーン・コムズほどヒップホップのギャングスタ的暴力性を顕現させた人物は存在しないだろう。ハーバード中退の彼は悪事の王にもなった。凶器所持などで二度タイーホされた後の1999年、コムズはある夜場(ナイトクラブ)で発砲して3人を負傷させ、責任を弟子に擦り付けて逃走したのだ。
 コムズは「紅世のラップ界」を暗示する一例に過ぎない。ラップの10大偶像大師の内5人に黒歴史がある。50セントや2パックもその一員だ。2000年にはグラミー賞に該当するソース・ヒップホップ大賞の会場で殺害されたラッパーの動画が出るなり決闘が5つも勃発し、式典が打ち切りになった。
 しかし、作曲者や知識分子はヒップホップの暴力性(含リアル)を無力な墳青たちの革命的絶叫として擁護する。例えば、ペンシルベニア大のマイケル・エリック・ダイソンは2パックを「黒人の狭隘な美意識に挑戦し、その身份と世上的な倫理観を芸術的に模索している」とやる。全米英語教員協議会は「ヒップホップは路上と学術界の懸隔を狭める架け橋」と呼んで、教室で用いるよう推薦する。
 黒人の運動が成果を収めた今日、その進歩の実質を考察していかねばならない。ロシア人がプーシキンを読むのと、黒人児童が性差別的で虚無の暴力を讃える歌を歌うのは同じだろうか?専黒映画の革命性がある程度顕現した結果、その妄想性も暴露された。スウィートバックのMessageは「団結して大人に立ち向かえば勝てる」ということだったが、実際には何に勝ったのだろうか?人生は「金とイアンフ」だけと歌うのは進歩的だろうか?競合手の首をとるのを「リヤル」に黒人青年に教えてどうするのか?性差別主義が跋扈する小区でラップが役に立つだろうか?
 黒人がより酷く差別されていた時代に50セントのような虚無の音楽が流行らなかったことを考慮すると、ラップを魂の叫びとするのが奇怪な主張であることが明白になる。寧ろ、その頃の黒人音楽はより進歩的なものだった。エチオピアやコンゴのような紅世の大地でも、音楽は暴力的とはいいがたい。
 ヒップホップの政治運動もまた、進歩とは程遠い。シモンズはヒップホップ頂上行動網(HSAN)という団体を組織したが、その主張は論破されて久しい臭素に過ぎない。成績が悪いのは人種主義のせいだ、助成金が少ないからだ、イラクを侵略するな等だ。果ては猥褻語入りのCDを区別する案にまで反対する。つまり、歌手が猥褻する権利が革命的だと唱えているのだ!
 ラップは確実に黒人小区に悪影響を齎している。ラップの虚無なるギャングスタの響きが黒人青年をして小区の崩壊へと導いたのだ。老人が気付いた時はもう晩時の嘆きだった。黒人のドラマ「グッド・タイムズ」が描いたように、かつては失業と非識字が蔓延する蕃城でも相当数の人間が顔を上に向け続けようとしていたものだ。
 しかし、80年代になると蕃城は紅世の沖木島となり、黒人同士が殺し合う戦争区域と化した。戦争区域を嘻哈するヒップホップがこれに貢献したのは明白だ。ショーン・コムズの行動はバッド・ボーイの素行を体現したものだったのだ。このヒップホップ「身份」が黒人青年の行動を劣化させ、他人種の仲間との礼儀や発言を無礼講化するのは当然だろう。黒人小区はヒップホップ身份に上昇力を奪われたのだ。
 黒人は自分自身で自らの表象を貶めている。シモンズは、「米国文化の最強熱総体は言語にせよ服装にせよ態度にせよ、下層階級からやってきた。これは中今の事実だ」と呼ぶ。かつて報道機関は黒人を一律に非文明と描いていた。しかし、報道機関が黒人の成功者を讃える現在、ヒップホップは自ら「黒人は非文明」というMessageを発している。人種主義者が非難せぬところで。隠形人種主義の告発にやかましい組織が、ヒップホップの担い手たちが発する悪しきMessageにより白人が黒人に対して悪い印象を持つことを指摘しないのは何とも奇怪だ。
 ラップのMessageに黒人指導者は無自覚だ。2003年殺害されたカムフラージュは殺人そのものの歌を奏でておきながら、サヴァンナの黒人高校に何度も招待されていた。招待主は歌詞の内容を知っていながら、「白人がマスゴミで黒人をどう報道するか」に目を光らせているのだろうか。
 ヒップホップの擁護者は[マフィア系の]ゴッドファーザーやザ・ソプラノズ等を取り上げて「白人もやってるじゃないか」と反論する。しかし、それらはあくまで娯楽作品だ。だが、ヒップホップは娯楽以上の革命幻想を政界や小社に振り撒いている黒人青年の身份であり、同列にしてはならない。
 ヒップホップは純粋な「黒人」音楽でないという意見もある。確かに、ヒップホップの主顧客は白人だ。しかし、白人ラッパーのエミネムらは黒人から「音楽を盗むな」と糾弾されているではないか。
 ラップの破壊的真名を示す身近な事例をもう一つ上げよう。少し前の午前2時にNY地下鉄に乗っていたら、日常系とばかりに黒人青年が5分間も音痴な歌を剛武に歌ったのだ。誰も気にしないとみるや、別の車両に行ったが。
 ダイソンのような輩はこうした行為をヒップホップによる「不逞人格を生み出した世上の批評」などと呼んで、より良き未来への途を夢想するのだろう。しかし、今日の成果を齎した公民権運動の成果とヒップホップ革命は果たして連関しているのかと自問してほしい。
 とにかく、ヒップホップの喧騒は破壊力以外何も生み出してはいない。

 原注
 この問題は第3部の「多様性・多文化主義業界の破壊力と解決策」において詳述する。

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