「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.68 西洋、冷戦に敗北せし(p635~)

2013-01-13 21:18:22 | 北欧
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 セカイは常に強者のモノ。今後もそう。自尊心ある男子のみが敬愛される。羊たる者は狼に喰われるのみ――ヴィルフレッド・パレート

 
フョードマン同志


 出典(2007年)

 大量移民に反対する瑞典民主党青年部長の女チングが最近ストックホルム郊外の自宅で襲撃された。マルティン・キヌネンと同棲していた19歳の彼女が3人組に襲われ、ガムテープで塞がれたのだ。キヌネンは脅迫歴を語った後、瑞典民主党をグエムル化して止まないマスゴミを非難し、民主体制の不全を糾弾した。
 AFA(行動する反ファッショ団)は人種主義と戦うと称して、自分の電頁で襲撃行為を被害者の実名入りで公然と自賛する。裁判官の家を襲撃して1週間後には、衆道週間のプライド・ウィークでスウェーデン衆道警官組合と共に、AFAの黒服を着て行進した。AFAはその中で数人の嫌ホモ流を病院へ送ったことを自賛し、暴力闘争を認証する。これは社民党の一部でもある。「資本主義との闘いで同盟するなら、非寛容は許容できない。しかし、不寛容と戦うためには、資本主義とも戦わねばならない。反ファッショ、フェミ、嫌ホモ流と闘争するには、階級闘争しかない」というのだ。AFAは暴力の手引書まで作成している。
 現与党の[保守系]中央党もまた2006年の総選挙前には選挙事務所の襲撃を被った。犯人はAFAも加盟する「透明人間党」と自称している。しかし、1年後、中央党も含む[ラインフェルトの]中道右派政権は、彼らと一緒に行進した。
 社民党内のキリスト教徒が集まる兄胞団という組織はムスリム等の移民を党内に包容しようとしている。ペテル・ウェイデルード団長は「議会が全会一致で移民に門戸開放していることを歓迎する」と述べた。ムスリム同胞団のアブデルカデル・ハビーブはこの措置を、「社会の統合を進める歴史的一歩」と絶賛した。
 しかし、社会民主党は票のためにムスリム同胞団などの急進ムスリムに依存するようになった。その首領格にあたるマフムード・アルデベは2003年、スウェーデン内部でクルド人少女が名誉殺人された事件で仕立て人の伯父を擁護し、批判をイスラムへの侮教と呼んだ。兄胞団のオラ・ヨハンソンは社会福祉を解説するために、「原理主義の父」サイード・クトゥブの著作『世上の正義』に言及した。
 2006年、アルデベ率いる瑞典ムスリム協会は内政問題でのシャリーア適用、無利子金融による全土へのモスク建設、母国語による男女分離学校での教育などを文書で要求した。流石に時の社民党政府はこれを拒んだが、野党となった今では「フェミ政党」の筈の社民党がシャリーアを受容する公算は高い。
 社民党の現女性党首モーナ・サリーンは「瑞典民主党は嫌外人流で嫌女性流の危険政党だ。スウェーデンは無差別の寛容世上でないといけない」という。しかし、ムスリム同胞団はより嫌女性流だろう。この国で急増する強姦件数などスルーして、サリーンはF***勲章を授与された。スウェーデンの総人口はニューヨークと同程度だが、強姦件数は3倍もある。田園部でさえ、娘たちが「不信心のイアンフ」扱いされているのだ。そんな時にこんな賞を受け取っては、移民民心は何を思うだろう?
 ムスリム同胞団はサリーンの唱える性解放など決して認めない。衆道者の殺害を肯定する導師もいるのだ。スウェーデン教会は最近衆道者の婚約を認めたが、サリーンやAFAはモスクでの衆道者婚約を拒むムスリムを嫌ホモ流と攻撃するのだろうか?
 1995年、カンテラ・カルロマグノはルンド大学への博士論文で1932~46年社民党を代表して福祉体制「国民の家」を構築したアルビン・ハーンソンが、ムッソリーニの心の友で、ファッショの社会体制を称賛していたことを暴露した。すると、奨学金を打ち切られ、マスゴミからも完全スルーされた。「人種主義」、「ファッショ」、「ナチ」の烙刻により、理性ある議論が封絶されたのだ。
 これはヒトラーが「精神テロル」として採用した手法と根本的に同じだ。この技法は実の処、社民党や社会主義者が編み出したものだったのだ。
 2006年には、外務省公認の下、スウェーデン教会が1937年以降ドイツ式の人種法を採用していたことが判明した。ルンド大学のアンデルス・ジャルラート教授によると、ドイツ人と結婚する場合は、双方がユダの血筋でないことを強制宣誓させていたのだ。時の政権は社民党だったが、ナチの人種法を受容していたのだ。
 英国の歴史家ローランド・ハントフォードは『新全体主義者』において、社民党の閣僚にまで昇進した代表的理論家グンナー・ミュルダールと妻のアルヴァがナチの学問に同路していたことを暴露した。「ナチの時代、ミュルダールはナチを青年志士の未来ある運動と公言していた。ヒトラーの社会思想は進歩的で、スウェーデンの社民党とも通底し合うものがあった。ナチズムは同時代、寛容なる権威国家を目指す者にとって魅力ある思想だったのだ」ミュルダール夫妻は優生学に基づき、「弱勢遺伝子」の根絶を唱えた。この政策はナチより先に始まり、最近まで継続していた。
 ナチの自称は国家社会主義者だったが、事実その経済政策は社会主義的だった。財産権こそ民間に残したが、生産計画は国家が立案していた。ナチは経済面では左翼だった。ヒトラーも1927年、「我らは社会主義者だ。現今の資本主義体制に立ち向かう強固な敵だ。今の資本主義は弱者を搾取し、不義に賃金を払い、個人を不公正に評価している。この制度は何があっても根絶すべき」と述べた。
 
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