「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

ナオミ・クラインのサヨクな欺瞞(p703~)

2013-01-23 22:59:26 | 左翼思想批判
 前へ

 僕は最近左翼の「品牌無用」ナオミ・クラインの書いた『ショック・ドクトリン』を読もうとしたが、数章で断念した。清純な理想を掲げたソビエト共産体制の大罪と批判を紹介しながらも、こう論述していたからだ。

 こうした獄壌劫火が共産主義思想そのものによるものなのか、それともスターリンやチャウシェスク、毛沢東などの歪曲によるものなのかを巡って灼論があった。『共産主義黒書』のステファン・クートワらは「思想そのものは無罪なのか?」と問いかけたが、もちろん無罪だ。だが、教条的で権威的で嫌多元流の共産主義理論は確かにスターリンや毛沢東のような劫火を生み出した。権威共産主義は永劫に網下実験室で汚濁されることだろう。しかし、当代のセカイ市場解放十字軍はどうなのか?
 
 そして、クラインは全市場制度が先天的に暴力的でないことを説き、共産主義もそうだと説く。しかし、どこに非権威的な共産主義があったというのだろう?左翼団体のこうした自己批判は、資本主義が社会主義を打倒してから進展したものだ。
 「品牌無用」ナオミ・クラインは「新古典のネ申」ミルトン・フリードマンとハイエクを悪の王に仕立て上げる。彼女によれば、フリードマンは「危機のみが真の変革を生む。変革の基盤となるのは潜在なる思想だ。有事にのみ、“日常系暴君”を打倒するための風穴が僅かに開く」と述べたそうだ。
 しかし、僕ら西洋性命論者はフリードマン教授の示したこの助言にこそ学ぶべきだ。「寛容」の名の下で言論の自由を抑圧する欧州多文化主義の伽藍は決して「修正不能」であり、修正されるべきでもない。将来の倒壊はもはや不可避だ。僕らはその紅世の日に向け、思想を警備しなければならない。
 僕は何度も、冷戦で西洋が完全に大捷しなかったのではと説いてきた。紅世の奸者は再結集して、ベルリンの壁崩壊後時間を置かずにマスゴミと教育機関を掌握した。我らはマルクス主義の燐子に対して、ニュルンベルグのような戦犯法廷を開催しなかったのだが、これは間違いだった。EUと多文化主義が倒壊した時は、ユーラビアの愉快なマスゴミ仲間たちを邪世の徒として公開法廷にかけねばならない。
 政界の領導者たちは媚敵するばかりで、自国民の利益を無視するばかりだ、彼らはムスリムの反応を恐れるが、自国民の反応は恐れない。壮大な社会実験を進める彼らは我らが従順な羊や豚と思っているようだが、彼らEU人材が自国民の声をムスリムよりも恐れるようになれば、対応も変化するだろう。それ以外にカイゼン策はない。民族自決を望む者を悪魔化する自虐マスゴミと政府を討滅し、我らの偉大なる歴史と社会を光復せねばならない。
 人民は自己の写し絵を政府に求める。ならば、西欧政府が弱腰なのは人民の弱腰にその淵源があるのかもしれない。ムスリムは文化的に埋め込まれたイスラムの戒禁に目を向けず、母国の腐敗した領導者たちに矛先を向けるが、西欧人民はこれに倣ってはいけない。西欧人はワインを輸出し、ムスリムは「悲嘆」(whine)を輸出するのが正常な関係だ。
 ウィンストン・チャーチルによる1899年刊行の戦記『河畔の戦争』における預言者ムハンマドの記述を引こう。

 預言者の呪詛は何と恐ろしいものか!その火病性は恐水病の犬の如く、信徒に驚愕なる無気力を齎している。預言者の進むところ、慣習も農耕も商業も財産も荒光し、歓喜なる生は喪失する。シャリーアの定める「娘は俺の絶対附属物」論は、奴隷制廃止をイスラム最終討滅の日まで遅延させる。個人としては優秀なムスリムも宗教教義の前にその生気を奪われる。燎原の中央アフリカで顕現したように、イスラム程先軍的な改宗を行う宗教はない。キリスト教が科学の庇護の基に無かりせば、欧州文明は古代ローマと同じく崩壊していただろう。

 この描写は今日にも適合する。しかし、イスラムが欧州の弱みに付け込む二次感染だ。武力闘争を通して得るべきものは何もないという虚無感が欧州の趨勢となっている。欧州への信頼感は第一次世界大戦の塹壕からロシア革命やナチ思想が生まれた時揺らぎ、アウシュビッツで喪失したのかもしれない。
 100年前、誰がパキスタン人やアルジェリア人に乗っ取られる欧州を想像できただろうか?勢力を増幅させるイスラムが未曽有の規模で虚無主義に喘ぐ欧州文明を討滅しようとしている。先祖様は1000年間、男女の境界線よりも険しくイスラムとキリスト教の境界線を引いてきたわけだが、この線が無くなれば、今の西欧文明は衰滅するだろう。
 ユーラビア主義のEU人材たちはいざ真正の危機が迫ったらユーラビア概念など露知らぬ人民を見捨てて真っ先に欧州を逃げ出し、ユーラビア構想への関与を否光するだろう。
 保守ネ申バークの着想によれば、社会契約は過去と将来に跨るものだ。西洋の過去は偉大だった。今こそ寂若観を増すこの概念を光復せねばならない。現今の課題は欧州文明を存続させることにある。

 次へ

2.90 未来への提言 (p698~)

2013-01-23 22:42:30 | 理想の西洋世界
 前へ

 
フョードマン同志


 出典

 寛容を非寛容の徒にまで適用すると、彼らの寛容討滅作戦に対する備えがない限り、我らの寛容は砕粉されてしまうだろう。故に、寛容の名の下でも、「不寛容を寛容せぬ権利」を主張せねばならない――カール・ポパー

 西洋文明への脅威に対し、どう対処すべきか?優先事項は二つ。一つ目は紅世化する西欧で一般市民が自衛できるようにすること。二つ目は、制度的に奪光された西欧文明への矜持を公教育の中で復古することだ。マスゴミも領導者たちもムスリム移民の結末について論述しようとしない。
 左翼も右翼も「宇宙人文化の移民盲流は経済にとって良いこと」とのたまっている。しかし、これはナチと同水準の「厖偽」だ。移民を受け入れれば、少しぐらいチョコや電子玩具が貰えるとしても駄目だ。人間は経済利益のみを考えるホモ・エコノミクスに過ぎないという思考法が破滅的に欧州文明の存在力を脅かしている。
 北欧の反ジハーディの中には、ムスリムが「人権」を守るのなら(無論有り得ぬ事態だが)、ムスリムが多数派になっても良いと言う者もいる。しかし、こうした議論には白人先住民の歴史身份という視点が欠如している。
 全球主義は討滅すべき思想だ。全球主義は技術全球化の間なる真名には触れず、民族文化の衰滅は天恵といって憚らない紅魔郷思想だ。これに異を唱えると、「差別」「人種主義」「民族主義」等の烙刻を押されてしまう。
 僕は当代西欧の弱みが文明内の亀裂によるものなのか、紅世な一部集団のものなのかを論じてきた訳だが、結論をいうと両者とも正しい。全球主義の思想が一部の特権集団によって強要されており、非選挙制のEUオリガルヒで特にその弊害が顕現しているのだ。
 今左翼と右翼よりも重要な論点は欧州文化の国家主権を守るのか否かだ。全球化の時代だからこそ、国境管理は今より強化されねばならない。EUだろうが国連だろうが人権団体だろうが、これを妨げる行為は許されない。社会契約の原理を忘れて、国境融解に奔るのなら、国税を支払う大義が薄れることを政治屋に思い知らせなければならない。
 全球主義者はサヨクにも右翼にもいる。左派は国連などの国際法を通して表現の自由を封絶しようとし、右派は人民の移動を自由化しようとする。オバマとマケインが争った2008年の米大統領選は全球主義者同士の対決に過ぎなかった。両者とも国家を実態なき意念(イデア)としか捉えていない点では共通だったからだ。
 そうして我らが思想内戦を展開している間にも、ジハーディは我らの衰退を正確に捉えて侵蝕してくる。ジハーディに勝利するのなら、まず西欧内部の内戦に勝利せねばならない。1683年、ソビエスキ穹楯王は母国、文化、宗教の存続をかけてトルコ人とヴィーンで戦い、大捷したものだった。
 我らは反イスラムだが、では何のために戦うのか?それは国家主権を護持し、我らの文化を次世代に受け継がせる権利を護るためだ。こうした権利を国連や無責任NGO、超国家進歩主義者といった自称真名の守護者に渡さぬために戦うのだ。
 21世紀、西洋はセカイの病人となった。我らは宿敵に輸送権と謀宣権、司法権、技術などを渡してしまった。そして、西洋の領導者たちが自国の植民地化を推し進め、人民の批判を非寛容、差別、人種主義と呼んで封絶する。どこで西洋は間違えたのか?米国の友人が語ってくれた。

 それは無論マルクス主義のせいだよ。世界大戦の後、米国の御蔭で西洋は3世代近く貧困知らずの強盛を誇ってきた訳だけど、御蔭で生存本能が薄れて、基地外な思想が跋扈するようになった。「インドのヒンドゥー帝国はイスラム征服後、権勢維持でなく、善心たることに集中した」と何かの本で読んだけど、これこそ今の西洋さ。こっちだけが善意を示しても、向こうが権勢マンセーだったらどうするのさ。西洋人は今も「差別」の烙刻を恐れて、「多様性」計画を立てるが、それが数十億ドル規模の業界と化している。何という不況業種だろう。非西洋人は西洋の衰退を見抜いて、病人の西洋を侵蝕しているのさ。

 西洋は人口面で貧困国に押され、急激に衰退しつつある。白人先住民が思想見直しを迫られるほどに。我らは途上国の盲流を受容しきれるほど強盛ではない。生存のための精神的范式転換を欧州は迫られているのだ。
 ムスリムの移民は全て禁じるべきだ。西欧は第三世界の余剰人員のための廃棄場ではない。どうか西欧の伝統的身份を保守させてほしい。
 イスラム世界との関係を可能な限り薄めるべきだ。テロ活動に従事する市民のいる国からの移民を禁じれば、実質的にムスリムは移民してこなくなるだろう。シャリーアやジハード、不信者や女性への差別を容認するムスリムを市民権剥奪の上祖国へ送還できるようにすれば、帰化前のムスリムを全て放逐できるはずだ。
 非差別的方法でムスリムを世俗化させることも必要だ。「他宗教に迷惑」という理由でムアッジンを禁じ、地域社会の世俗的行動にすべての子供達を参加させ、公共の場でヒジャーブを厳禁し、企業もムスリム用の祈祷室を作らなくても良いようにする。また、家族呼び寄せの濫用を防ぐ法を策定し、報道機関や大学にムスリムが大規模投資を行うのも止めさせる。
 ワシントン・タイムズのダイアナ・ウェストが云うように、西欧は民主主義攻勢からシャリーア防衛へと重点を移すべきだ。標語は「反テロ戦争」ではなく、「文化奪還」(ボディセー伯爵)である。
 夷教徒たる欧州人民にイスラムの真名を教育するのも重要だ。イスラムの欺瞞計タキーヤやキットマンのことなどを知らしめるのである。ジハード監視隊のヒュー・フィッツジェラルドがいうように、欧州のムスリムにも、イスラムの説く欺瞞的教義こそイスラム国家が政治・経済・社会・倫理を破綻させた諸悪の根源であることを自覚させる必要がある。
 また、イスラム世界内の分断を利用するのも重要だ。平等の建前に内在するアラブ人の優越意識、宗派間の対立、資源で富む国と貧困国との分断を深めるのである。EUがエジプトやパキスタン、ヨルダンやパレスチナへの援助(真名はジズヤ)を打ち切っても、アラブの富裕国が援助に来るだろう。アラブの石油に頼らなくてもよいよう、代替資源を開拓するマンハッタン計画も必要だ。
 フィッツジェラルドは「第二次大戦時に全ドイツ国民が財産を没収された時の如く、アラブ人の資産を没収したらアラブ人はどう出るだろうか?」と問いかける。しかし、「独裁者狩りが独裁者になる」陥穽など気にしなくて良い。連合国軍がナチスと化しただろうか?戦わねば、我らの方が強圧的にイスラム化されているのだ。西欧は敵に僭視される「被抑圧者」なのだから。ジハーディは今のところ、不信心国のはずの中国を「名誉ある敵」として主敵としていない。つまり、マキャベリが『君主論』で論じたように、敵を畏敬させることが必要なのだ。
 倫理で勝利するだけではイスラムを封絶できない。中央アジアの仏教徒はムスリムより道義面で勝利していたが、畢竟徹底的に討滅された。アラブ世界の笑裡蔵刀戦術を封絶するためには、時として軍事行動も必要なのだ。
 ここまで書いた構想を実行不可能とか不十分とかいう者もいるだろう。確かに現状では不可能だろうが、今の政治状況は遠からぬ内に変転する。ムスリム移民による騒擾事件が英仏などで続発すれば、ムスリム移民を封絶、同化しようとする動きが間違いなく顕現するだろう。
 イスラムを人工的な「マジノ線」の後方に封絶するのは不可能という反論もある。中世でもモンゴルが万里の長城を越えていったように、21世紀の通信技術の前に人民を封絶するのは不可能という意見だ。しかし、最低限でも封絶策を打ち出してみなくてどうするのだ。少なくとも核技術だけはムスリムから奪光せねばならない。ジハードへの対抗策を多方面で打ち出すのだ。
 「我らに何ができる?」というゲーツ・オブ・ヴィーンの記事において、米国人ローレンス・オースターの投稿が再掲載された。オースターは隔離主義によるムスリム武力検疫構想だけではイスラム体制そのものをセカイより砕粉しきれないので、イスラム討滅作戦を提唱する。僕は隔離主義と封絶の両立を提唱する。イスラムは改革不能の無共生宗教と捉えるのが何より肝要だ。
 「保守なる瑞典」という電評では、「欧州でムスリムだけでなく全移民の受け入れ停止を論じるのは容易だ。しかし、人民はイスラムの真名を現時点では殆ど知らないので、まず教育を行う必要がある。ジハーディを記号水準で打倒するのだ」と説かれる。僕は非ムスリムの移民まで止めては西欧が孤立化するという非難も受けた。だが、これは現実主義に基づく政策だ。欧州には史上最大規模の移民が既に流入してきており、これ以上移民を受け入れる余地がないことをどうか洞燭してほしい。
 これは決して西洋孤立化策ではなく、イスラム孤立化策だ。非ムスリムの移民が自由に渡欧できなくなっても、彼らを敵に回してはいけない。ムスリムは西洋以外の夷世界にもジハードを行っている。非ムスリムの「眞心」こそ掴まねばならない。国連はイスラム組織に蝕光されてしまった。今の国連の代わりに民主国家だけの新組織を作らねばならない。イスラムを最優先で封絶するために。
 ユーラビア思想によって治癒不能な程イスラム化したEUは即刻砕粉されねばならない。そして、国民国家の境界で完全に線引きされた欧州を蘇生させ、パレスチナでなく文化盟友たるイスラエルを支援していこう。
 欧州は国境管理を強化し、自衛精神を取り戻さねばならない。米国憲法修正第1条のような法律を制定して言論と武装の自由を確立し、検閲を強める無能な欧州当局に対抗せねばならない。福祉国家を全否定するのには多少気が引けるが、それでもこの体制を維持していては「低価十億」の安物資本主義と競争できない。福祉国家の「共喰い世界」では安保感覚が麻痺する。
 
 次へ