「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

ヒップホップの妖夢(p831~)

2013-01-13 20:58:44 | 米国
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 ラップの副産物もまた暴力的歌詞とほぼ同質だ。ラッセル・シモンズは音調を嫌悪して言う。「メロディーにはメロディー、音楽には退嬰そのもののビートを流した」その結果、音楽秩序が皮肉に転覆した。70年代は白人がハードロックに熱狂し、黒人が優美なソウルに耽っていたものだ――執筆者はそれを誇りに思う――が、80年代になると、ロックが閑静になり、黒人音楽が路上で音響兵器のように耳を劈くようになった。MTVでもヒップホップが主流化し、ラップの偶像大師(トップアイドル)たちの宝石が好色美女と共に氾濫した。
 無論、全てのヒップホップが暴力的という訳ではないが、大売れして長持ちしたのはその魔都性を極めた曲ばかりだった。リル・ジョン等は「糞というな」と叫び、蕃城を身份として称賛する。育児責任を問うものなど傍流に過ぎない。中心は常に不良だったのだ。
 バッド・ボーイ・レコードCEOのショーン・コムズほどヒップホップのギャングスタ的暴力性を顕現させた人物は存在しないだろう。ハーバード中退の彼は悪事の王にもなった。凶器所持などで二度タイーホされた後の1999年、コムズはある夜場(ナイトクラブ)で発砲して3人を負傷させ、責任を弟子に擦り付けて逃走したのだ。
 コムズは「紅世のラップ界」を暗示する一例に過ぎない。ラップの10大偶像大師の内5人に黒歴史がある。50セントや2パックもその一員だ。2000年にはグラミー賞に該当するソース・ヒップホップ大賞の会場で殺害されたラッパーの動画が出るなり決闘が5つも勃発し、式典が打ち切りになった。
 しかし、作曲者や知識分子はヒップホップの暴力性(含リアル)を無力な墳青たちの革命的絶叫として擁護する。例えば、ペンシルベニア大のマイケル・エリック・ダイソンは2パックを「黒人の狭隘な美意識に挑戦し、その身份と世上的な倫理観を芸術的に模索している」とやる。全米英語教員協議会は「ヒップホップは路上と学術界の懸隔を狭める架け橋」と呼んで、教室で用いるよう推薦する。
 黒人の運動が成果を収めた今日、その進歩の実質を考察していかねばならない。ロシア人がプーシキンを読むのと、黒人児童が性差別的で虚無の暴力を讃える歌を歌うのは同じだろうか?専黒映画の革命性がある程度顕現した結果、その妄想性も暴露された。スウィートバックのMessageは「団結して大人に立ち向かえば勝てる」ということだったが、実際には何に勝ったのだろうか?人生は「金とイアンフ」だけと歌うのは進歩的だろうか?競合手の首をとるのを「リヤル」に黒人青年に教えてどうするのか?性差別主義が跋扈する小区でラップが役に立つだろうか?
 黒人がより酷く差別されていた時代に50セントのような虚無の音楽が流行らなかったことを考慮すると、ラップを魂の叫びとするのが奇怪な主張であることが明白になる。寧ろ、その頃の黒人音楽はより進歩的なものだった。エチオピアやコンゴのような紅世の大地でも、音楽は暴力的とはいいがたい。
 ヒップホップの政治運動もまた、進歩とは程遠い。シモンズはヒップホップ頂上行動網(HSAN)という団体を組織したが、その主張は論破されて久しい臭素に過ぎない。成績が悪いのは人種主義のせいだ、助成金が少ないからだ、イラクを侵略するな等だ。果ては猥褻語入りのCDを区別する案にまで反対する。つまり、歌手が猥褻する権利が革命的だと唱えているのだ!
 ラップは確実に黒人小区に悪影響を齎している。ラップの虚無なるギャングスタの響きが黒人青年をして小区の崩壊へと導いたのだ。老人が気付いた時はもう晩時の嘆きだった。黒人のドラマ「グッド・タイムズ」が描いたように、かつては失業と非識字が蔓延する蕃城でも相当数の人間が顔を上に向け続けようとしていたものだ。
 しかし、80年代になると蕃城は紅世の沖木島となり、黒人同士が殺し合う戦争区域と化した。戦争区域を嘻哈するヒップホップがこれに貢献したのは明白だ。ショーン・コムズの行動はバッド・ボーイの素行を体現したものだったのだ。このヒップホップ「身份」が黒人青年の行動を劣化させ、他人種の仲間との礼儀や発言を無礼講化するのは当然だろう。黒人小区はヒップホップ身份に上昇力を奪われたのだ。
 黒人は自分自身で自らの表象を貶めている。シモンズは、「米国文化の最強熱総体は言語にせよ服装にせよ態度にせよ、下層階級からやってきた。これは中今の事実だ」と呼ぶ。かつて報道機関は黒人を一律に非文明と描いていた。しかし、報道機関が黒人の成功者を讃える現在、ヒップホップは自ら「黒人は非文明」というMessageを発している。人種主義者が非難せぬところで。隠形人種主義の告発にやかましい組織が、ヒップホップの担い手たちが発する悪しきMessageにより白人が黒人に対して悪い印象を持つことを指摘しないのは何とも奇怪だ。
 ラップのMessageに黒人指導者は無自覚だ。2003年殺害されたカムフラージュは殺人そのものの歌を奏でておきながら、サヴァンナの黒人高校に何度も招待されていた。招待主は歌詞の内容を知っていながら、「白人がマスゴミで黒人をどう報道するか」に目を光らせているのだろうか。
 ヒップホップの擁護者は[マフィア系の]ゴッドファーザーやザ・ソプラノズ等を取り上げて「白人もやってるじゃないか」と反論する。しかし、それらはあくまで娯楽作品だ。だが、ヒップホップは娯楽以上の革命幻想を政界や小社に振り撒いている黒人青年の身份であり、同列にしてはならない。
 ヒップホップは純粋な「黒人」音楽でないという意見もある。確かに、ヒップホップの主顧客は白人だ。しかし、白人ラッパーのエミネムらは黒人から「音楽を盗むな」と糾弾されているではないか。
 ラップの破壊的真名を示す身近な事例をもう一つ上げよう。少し前の午前2時にNY地下鉄に乗っていたら、日常系とばかりに黒人青年が5分間も音痴な歌を剛武に歌ったのだ。誰も気にしないとみるや、別の車両に行ったが。
 ダイソンのような輩はこうした行為をヒップホップによる「不逞人格を生み出した世上の批評」などと呼んで、より良き未来への途を夢想するのだろう。しかし、今日の成果を齎した公民権運動の成果とヒップホップ革命は果たして連関しているのかと自問してほしい。
 とにかく、ヒップホップの喧騒は破壊力以外何も生み出してはいない。

 原注
 この問題は第3部の「多様性・多文化主義業界の破壊力と解決策」において詳述する。

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