「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.83 教会は問題の一部か解決策か?(p676~)

2013-01-19 21:42:29 | 現代欧州
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フョードマン同志


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 僕は敬虔な方ではないが、欧州のキリスト復古には賛成だ。しかし、大多数の教会領導者たちがイスラムとムスリム移民の問題で誤った姿勢を繰り返すのは批判する。畏敬するバット・イェオル女史もまた、教会がイスラム界でのキリスト教徒迫害を無視して、ムスリムと宗教遺産を共有しているという誤った観念からムスリム貧民の欧州盲流を「キリスト教徒の使命」として推進してきたと非難している。
 独ハノーバーのルター派教会はイスラムとの和諧のために、アーヘンのプロテスタント研究所の女学生を動員して「イスラムの顔」という展覧会を開催した。ボーフムのプロテスタント教会も2006年、トルコ系を招いてスーフィー音楽と共に預言者の誕生日と棕櫚の主日を同時に祝った。
 英国でも、教会指導者がカミカゼ隊の家族を犠牲者の追悼式典に招こうと提言した。ヨーク大司教のジョン・センタムは家族を朋とし、「愛の包摂円」に包めば、カミカゼ予備軍に対して強固な伝言を送れると提言する。センタム大司教らにとってムスリムは対世俗戦争の同志だ。サルマン・ラシュディ事件やデンマーク預言者戯画騒擾でムスリムと連帯する聖職者(含ラビ)もいる。
 しかし、インドネシアでは1998年からの5年間で1万のキリスト教徒と千の教会が討滅された。急進派はインドネシアをイスラム国家にし、シンガポールやタイ、フィリピン、豪州にジハードする妖夢をみている。アチェ州では既にシャリーアが施行され、ムスリムに復活ミサへの参加を呼び掛けたら、劍を構えた100人以上の暴衆が教会を炎上させた。
 これは夷教徒としての領分をジンミーが踏み越えたとムスリムに判断されたからだ。個人の侮教行為はジンミー小社全体への膺懲行為となって顕現するのだ。これは風聞でも発生する。つまり、夷教徒はディミテュードの伽藍の中で恒常恐怖の中に置かれているのである。
 エジプトでは、イスラムに幻滅した改宗ムスリムの動画が出回った時、5000人の暴衆がコプト教会に押し寄せ、3人を殺した。この程度の行為が侮教行為となるのだ。コプト教会は故・シェヌーダ3世自ら自教徒への更なる迫害を防ぐために、「コプト教徒はイスラムへの侮教行為を寛容しない。それは反コプトだ」と声明した。
 今やムスリムは全西洋世界にジンミーの規範を適用しようとしている。デンマーク預言者戯画騒擾ではデンマークがその標的となった。次はNATOだろうか。西洋マスゴミはこの原理を決して伝えない。グアンタナモ収容所でコーランを化粧室に捨てた米軍尋問官に対する暴動もまたライス国務長官を動かすほど激しいものだった。あるアフリカ人はその模様を「米国はジンミーなのか」と嘆いた。しかし、このニューズウィークの特報は証拠不十分だったので、取り消された。
 2002年のナイジェリアでは、世界美女選手権前の野外劇の記事で、「預言者ムハンマドもこの劇をみれば、参加者の中から俺の嫁を選んだことだろう」と書いたところ、ジハーディの暴動が起き、200名以上が死んだ。時のオバサンジョ大統領は新聞の方を非難し、「無責任な記者精神でイスラムを扱えば、こうしたことがまた起こる」と述べた。
 コソボのセルビア人大司教アルテミジェはコソボ独立を認める危険性を訴える。「9・11以降、米国はセカイ人民を脅かすジハード・テロルとの全球闘争に乗り出したはずだが、米国はコソボ独立を認証することで、テロリストに欧州で大捷を認める気なのだろうか?」
 グアンタナモの件でもう一件挙げよう。2002年ファタハ系アル・アクサ殉教師団のジハーディがベツレヘムの聖誕教会に押し入り、聖書を厠紙にした。聖職者たちはイスラエルとの交戦を避けるために5週間教会内に籠った。しかし、このジハーディ集団はガザに帰還すると義士となり、西洋マスゴミはこれをスルーした。アラファト議長はオスロ工程の最中にもベツレヘムに人口攻勢をかけていたのだ。この時には10代の修道娘が「親イスラエルの慰安婦」呼ばわりされ、強姦殺人された。犯人の一部はその後イスラエル軍に射殺されたが、中には聖誕教会に難民申請して欧州へ逃れたトンデモも存在する。何という事態だろう。
 この性迫(セクハラ)ジハードは西洋にも広がっている。
 エルサレム公共問題中心のワイナー教授はこう論じる。「オスロ工程が開始して以降もキリスト教徒への迫害は止まず、その人口比は1.7%を切った。海外への棄民が相次ぎ、残りはパレスチナ政府のシャリーアに従属し、キリスト教の指導部も彼らに擦り寄るのみ。タイバからのキリスト教徒がムスリム娘と逢瀬しようとして、暴動が起きた事件もある。シャリーアによれば、ムスリムは夷教徒娘を俺の嫁にできても、夷教徒男はムスリム娘を嫁にできないからだ。そのムスリム娘は家族により賜死され、キリスト教の小社は集団でディミテュードの掟を破ったと膺懲された。
 ロバート・スペンサーとの会談の席で、ソ連亡命組のナタン・シャランスキーは何度もキリスト教徒の命運を護ってきたのはイスラエルだったと述べた。正鵠を射た指摘だ。西洋のキリスト教組織は、より連帯すべきユダヤ人やシーク教徒、仏教徒、無神論者ではなくムスリムと「対話」し、イスラエルの方を悪魔化している。フィンランドのユッシー・ハラー=アホは僕と同じく、「イスラム・サヨク同盟」の概念を発見した。サヨク団体は怠惰なムスリム移民を票のために盲流させ、勤勉な白人先住民を融解させようとしている。次の選挙のためのこうした戦略が20~100年単位で民主体制の瓦解を齎すというのに。ハラー=アホは「西洋人は彼らも人道なる善人と思っているのだろうか?非道怪奇の前で西洋人の価値は無力化することだろう」と提起する。
 西洋の倫理道徳は猶督思考を基盤とし、開放性を誇ってきた訳だが、その「片頬をぶたれたら、もう片頬を差し出せ」という倫理は、ムスリムにとっては弱みの行動でしかない。司祭たちがムスリム移民を情熱的に推進する中、我らはどう対策すれば良いのだろうか?キリスト教が衰退したからイスラムが入ってきたという声もあるが、世俗国家だって非武装だった訳ではない。イスラム侵略軍に対峙する中国の姿勢はキリスト教国家より遥かに徹底的だ(無論中国は権力へのあらゆる脅威に無慈悲な訳だが)。
 幸運なことに、イスラムに媚敵しない聖職者もいる。その中でも一級の味方はPC主義の浸透力が弱いオーストラリアのジョン・ハワード首相[当時]だ。9・11で覚醒したシドニー大司教のジョージ・カーディナル・ぺルの発言を聞こう。

 コーランは暴力天翼の文句で充満しているので、70頁程度で読み進められなくなった。コーランの真名は先軍思想だ。イスラムは決して寛容の宗教ではない。イスラムはキリスト教より遥かに好戦的だ。夷教セカイとの関係は平時からよく言っても緊張状態にあるのだ。

 「洛威掌教皇」ベネディクト16世は確かにイスラム諸国内のキリスト教徒の人権も擁護しているが、一方ではムスリム移民の推進者でもある。教皇はビザンツ皇帝のイスラム敵視発言を引用して騒擾を起こし、後に火病したムスリムの行為に対して「深い遺憾」を表明して謝罪しなかった訳だが、僕はもっと強く反イスラムの立場を打ち出すべきだったと思う。それでも、コーランに接吻したヨハネ・パウロ2世よりは前進した。
 西洋内の思想内戦は世俗主義者と敬虔者だけでなく、教会内部の問題でもある。イスラム世界との間の平和は決して存在しない。教会は宗派を超えてイスラエル奇襲と国境開放を止め、ムスリムの侵蝕を止めねばならない。キリスト教は情熱だけでなく、邪と闘争することも教えた。末劫の日、教会は文明防衛問題の一部だったのか、それとも解決者だったのかを問われることだろう。

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2.82 キリスト教の功罪(p674~)

2013-01-19 21:26:00 | 現代欧州
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フョードマン同志


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 電評師「衰滅美国人」は、キリスト教が西洋文明でどんな機能を果たしてきたかを論じる。ジハード監視隊のロバート・スペンサー隊長の言う通り、キリスト教放棄が西洋の衰退に直結しているのだろうか?それとも、ジョン・ダービシャーが言うように、キリスト教こそが全球主義の理想を通して西洋を自壊させる永劫奴隷の根源なのだろうか?
 異教徒との分断線は当代西洋最大の問題だ。キリスト教批判の多くには妥当性がある。多文化主義とPC主義をプロテスタント文化の所産とするカトリックもいる。「信仰のみによる救済」という理念が起源だというのだ。しかし、ディミテュードの戒禁と国境放棄の思想においては、カトリックの罪も同等に重い。
 1960年代の第二バチカン評議会は、カトリック以外の宗派との和解に大きく寄与したが、同時にイスラムを「アブラハムの同朋一神教」として受容してしまった。その結果、イスラムが西洋に盲流してしまった。世俗無神軍に対抗して、ムスリムと「信仰連帯」する者まで現れた。ただ、一神教でないからか、ヒンドゥー教と連帯する者は少ないようだ。
 韓国でキリスト教が急激に普及している。非西洋にも宣布できるキリスト教は西洋の国境を融解させる触媒にも成り得るのだ。しかし、僕の知る限り韓国でそうした国境融解の事態は起きていない。西洋でも70年代まで融解の動きはなかった。つまり、キリスト教は融解の根源ではないのではないかもしれない。
 衰滅美国人はこう述べる。

 ドーキンスや「反有神左翼」クリストファー・ヒッチンスのような無神論者はキリスト教をイスラムと同級の先軍灼血宗教と非難する。一方、世俗右翼は、キリスト教をアホプな乳飲み反戦主義の根源と非難する。どちらがより正しいのだろうか?
 恐らく答えは中庸にあるのだろう。…キリスト教が反戦と国境融解を命じていると父祖たちは決して考えなかった。ならば、我らは今、聖書やキリスト教を最もゴーマンに解釈しているのかもしれない。神の意思を最も歪曲しているのは恐らく我らだろう。父祖の頭脳はPC主義の戒禁になど囚われていなかった。故に、父祖の数世紀の共盟をこそ信頼すべきだ。

 衰滅美国人への電声を引こう。

 俺は敬虔なキリスト教徒だったが、当代のキリスト教に有効なものなどない。チングだって「脳味噌を家に置いていかずに教会に入れるかっ」って言ってるよ。

 こうした点では福音派もサヨク系と同じだ。例えば、近くのペンタコステ教会に第三世界の貧困の根源を聞きに行った時も、「ポケットに手を深く入れよ、さすれば万事は解決する」というばかりだった。
 しかし、我ら西洋人にセカイの貧困問題を移民で解決するだけの余力はない。そうすれば西洋が自滅するだけだ。
 ジョン・ダービシャーはある意味正しい。確かに中世キリスト教徒は抵抗者に容赦しなかったが、一方では異端の風習を受けて自堕落でもあった。キリスト教は今日、マルクス主義と同級の異端思想の影響を受け、我ら西洋人を自壊させようとしている。これはあまりに冷酷だが、真実なのだ。

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