少々蒸しますが、そこそこ良い天気です。こんな日は、ロボの爽やかな歌声で、朝から気分よく動きたいものですね。
彼の本名は、 Ronald Kent Lavoie ですが、ロボ(LOBO)というアーティスト名でないと、殆ど通じません。
1971年に発表したデビュー曲「僕と君のブー」は、本国アメリカでも、日本でも大ヒットを記録し、ロボは一躍有名になりました。自作の曲ですが、クレジットが Kent Lavoie になっていた為、当時の日本盤シングルのライナーでは、ロボ自身の楽曲だという確信がもてなかったようで、B面曲も“ K.Lavoie が書いた曲”と紹介されています。
当時は、今のネット社会のように情報が瞬時に届くことはなく、また、やっと届いた情報も間違ったデータが記載されていたりと、日本の洋楽界の先導者であるはずのライターも、新しい音源が届くたびに、少ないデータに世間話なんぞを混ぜては、ようやく原稿用紙を埋めていた有様でした。
だから、今となっては、当時のライナーはあまり役にたたない代物ですが、当時の日本の洋楽界の、曖昧な、しかし新しい音はどんどん伝えていきたいという空気は濃厚に伝わってきます。
ロボは、72年に「片思いと僕」というメロディアスなポップ・チューンを再び大ヒットさせ、その後も、本国などでは幾つかのヒット曲を残していますが、やはり、「僕と君のブー」「片思いと僕」という2つの名曲の存在が、彼の名をポップ史上に永遠に刻みこんだと言っても過言ではないでしょう。
ロボは、愛妻スージーとともに、たくさんの犬や猫に囲まれて、ナッシュビルで暮らしている・・・という話が、私が一番最後に聞いた彼の近況です。
彼の本名は、 Ronald Kent Lavoie ですが、ロボ(LOBO)というアーティスト名でないと、殆ど通じません。
1971年に発表したデビュー曲「僕と君のブー」は、本国アメリカでも、日本でも大ヒットを記録し、ロボは一躍有名になりました。自作の曲ですが、クレジットが Kent Lavoie になっていた為、当時の日本盤シングルのライナーでは、ロボ自身の楽曲だという確信がもてなかったようで、B面曲も“ K.Lavoie が書いた曲”と紹介されています。
当時は、今のネット社会のように情報が瞬時に届くことはなく、また、やっと届いた情報も間違ったデータが記載されていたりと、日本の洋楽界の先導者であるはずのライターも、新しい音源が届くたびに、少ないデータに世間話なんぞを混ぜては、ようやく原稿用紙を埋めていた有様でした。
だから、今となっては、当時のライナーはあまり役にたたない代物ですが、当時の日本の洋楽界の、曖昧な、しかし新しい音はどんどん伝えていきたいという空気は濃厚に伝わってきます。
ロボは、72年に「片思いと僕」というメロディアスなポップ・チューンを再び大ヒットさせ、その後も、本国などでは幾つかのヒット曲を残していますが、やはり、「僕と君のブー」「片思いと僕」という2つの名曲の存在が、彼の名をポップ史上に永遠に刻みこんだと言っても過言ではないでしょう。
ロボは、愛妻スージーとともに、たくさんの犬や猫に囲まれて、ナッシュビルで暮らしている・・・という話が、私が一番最後に聞いた彼の近況です。