パリ管弦楽団 JAPAN●2011
Orchestre de Paris au Japon 2011
2011年11月26日(土)18:00~ サントリーホール・大ホール A席 2階 LB3列 4番 22,000円
指 揮: パーヴォ・ヤルヴィ
ヴァイオリン: 諏訪内晶子*
管弦楽: パリ管弦楽団
【曲目】
ウェーバー: 歌劇『魔弾の射手』序曲
メンデルスゾーン: ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64*
《アンコール》
J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番より「ルイエ」*
ベルリオーズ: 幻想交響曲作品14
《アンコール》
ビゼー:『アルルの女』第2組曲より「ファランドール」
ビゼー: 小組曲『こどもの遊び』から「ギャロップ」
シベリウス:「悲しきワルツ」
富士電機スーパーコンサート/パリ管弦楽団の日本ツアー2011は、11月20日の横浜に始まり、福岡、京都、宮崎、東京×2回、5都市6公演だが、その前の19日にNHK音楽祭のコンサートあったので、合計7公演となる。NHK音楽祭を除いた本来のツアーでは、ビゼー、ドビュッシー、ベルリオーズ、メシアン、ラヴェルなどのフランス音楽を中心に、メンデルスゾーン、ウェーバー、ストラヴィンスキーなどを交えたプログラム構成であった。協奏曲のために同行したソリストは、ピアノのダヴィッド・フレイさんとヴァイオリンの諏訪内晶子さんである(NHK音楽祭ではダン・タイソンさんが共演)。フランス出身フレイさんはお決まりのラヴェルのピアノ協奏曲ト長調を弾き、今日の諏訪内さんはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲だ。
指揮はすっかりお馴染みのパーヴォ・ヤルヴィさん。昨年2010年はドイツ・カンマーフィルと来日、2009年はシンシナティ交響楽団と、2008年はフランクフルト放送交響楽団(現hr交響楽団)と来日している。毎年、それぞれ性格のかなり異なるオーケストラを率いて来日し、それぞれの特性を見事に活かしながら、ハギレの良いパーヴォ節を聴かせてくれる。毎年聴きに行っているので、いつの間にか彼の魅力に取り憑かれてしまったようだ。
今日は諏訪内さんの久しぶりのメンデルスゾーンをお目当てに、そしてパリ管ならではの音色で「幻想交響曲」を楽しみに出かけた。とはいえ今日もダブルヘッダーで、マチネーで「第一生命ホール10周年記念ガラ・コンサート」を聴いて来たところ。そういえば昨年のドイツ・カンマーフィルのコンサートもダブルヘッダーだった。パーヴォさんは、どうも忙しい時期にやって来るようだ。
1曲目は「魔弾の射手」序曲。この曲は、先月、マレク・ヤノフスキさんの指揮でベルリン放送交響楽団の演奏を聴いた(10月12日、NHK音楽祭)。本家ドイツのオーケストラに対して、フランス流ではどう違うのか、興味津々といったところだ。まず例のホルンの主題では、弱音から澄んだ音色を聴かせ、ドイツの森の狩人の角笛というよりは、アルペン・ホルンのような明快で伸びやか。この編は゛いかにもフランスっぽい。主部のドイツ的な主題の旋律になると、濁りの全くない弦楽のアンサンブルが見事で、ドイツ的な翳りもなく、かといって明るいフランス風というのでもなく、これば純音楽としての演奏能力の高さで迫ってくる感じだった。パーヴォさんの指揮は、リズミカルで躍動的な部分とゆるやかに歌う旋律の対比がメリハリとなって、キリリと引き締まっていながら抒情性も豊か、というロマン派らしさを見事に描いていた。
2曲目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。今年この曲を聴くのは実に7回目。いよいよ真打ち登場ということになる。
諏訪内さんの演奏は、昨年2010年3月にサカリ・オラモ指揮+ロイヤル・ストックホルム・フィルとの共演でブルッフのヴァイオリン協奏曲を、5月にユーリー・バシュメット指揮+ノーヴァヤ・ロシア交響楽団との共演でショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番を、12月にワレリー・ゲルギエフ指揮+ロンドン交響楽団との共演でシベリウスのヴァイオリン協奏曲を2度聴いた。今年には、6月にクシシュトフ・ウルバンスキ指揮+東京交響楽団との共演でシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第2番を聴いている。要するに最近ほとんとすべて聴いているのだが、メンデルスゾーンは最近の記憶に残っていないから、だいぶ久しぶりなのだろう。
パーヴォさんのやや速めの軽快なテンポに乗って、諏訪内さんのヴァイオリンの音は相変わらず絹のような肌触りの美しさだ。艶やかで潤いがあり、官能的ですらある。もちろん、ただ美しい音色で演奏しているだけではない、楽曲の解釈にこそ目新しさは感じられなかったが、スタンダードにこそ王道がある、といわんばかりの堂々たる演奏だ。繊細で華麗でありながら、心の奥底に鬼火のような青い火が燃えるような、熱いパッションが根底にあり、それを大人の理性で抑制して、精神の均衡を保っているようなイメージの演奏である。強くは主張しない。しかし音楽は決して弱くはないのである。今年この曲を聴いたヴァイオリニストの中では最年長(失礼)ということもあり、まさに大人の女性の官能美であった。細かなことを述べる必要もない、すばらしい演奏であった。
ただし今日はいつものように、ソリストの正面の席ではなく、2階のLBブロック。ステージの左側の真横から見る位置だったために、音響的には残念な結果になってしまった。諏訪内さんの演奏スタイルは、指揮者の方向から正面客席の方向までのおよそ90度の範囲に身体を回転させながらである。私の席の方からでは、背中から横顔までになる。この位置関係だと、とくに指揮者の方を向いている時(背中が見える)にはヴァイオリンの音が身体に遮られるカタチになり、音が来なくなるのが非常にもどかしかった。もともと諏訪内さんのヴァイオリンは音量がかなり豊かで、遠くの席まで十分に届く。だから音量的には問題なく聞こえているのに、くもった音になってしまうのがとても残念だった。予算を少々ケチったのが原因で、やはりいつものように1階の正面を取るべきだったと悔やまれてならない。演奏が素晴らしかっただけに、なおさらであった。
アンコールはJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番より「ルイエ」。この曲でのアンコールは初めて聴いた。しっとりと美しく、これも官能的な無伴奏であった。
後半はパーヴォさんとパリ管弦楽団の本領発揮で「幻想交響曲」。今日は席の位置が2階のLBブロックであったため、比較的至近距離にもかかわらず、オーケストラのほとんどのパートが直接見える。そのため各楽器の音がダイレクトに伝わってきた。弦楽、とくにヴァイオリンのアンサンブルの美しさが見事で、透明度が高く澄み切っている。アルプスの天然の湧き水のイメージだろうか。また木管群の角のない優しげな響きは自然描写的な音で、草原のそよ風のようでもあり、小鳥のさえずりのようでもあった。それに対して金管群の晴れやかで瞬発力のある音は人工的であり文明・文化の香りがする。これらが適度にブレンドされ、独特の絵画的なフランス風の音色になるのだろう。
パーヴォさんは、これまで異なるタイプのオーケストラから、それぞれの特長を活かした音楽を生み出している。フランクフルト包装響からはドイツの伝統的な音と音楽を、シンシナティ響からはアメリカン・ビッグ・サウンドを、ドイツ・カンマーフィルからは古楽器による現代的な演奏を、それぞれ聴かせてくれた。パリ管弦楽団からは、豊かな色彩感を駆使して、引き締まったリズム感で躍動感溢れる推進力と自然の空気感に満ちた優しさをほどよくミックスした、あくまで現代的で、極めてクオリティの高い音楽を創り出していた。音楽はパーヴォ流、サウンドはパリ風というところだ。
「幻想交響曲」には、各楽章を通じて愛しい女性のモチーフが「イデー・フィクス(固定観念)」という形で現れる。後のワーグナーの「ライト・モチーフ」に通ずるものだが、ベルリオーズのイデー・フィクスの方がより写実的である。今日の演奏では、この随所に現れるイデー・フィクスが、各楽器を通して、優しく美しく聞こえ、より一層の映像的な音楽になっていたのは、さすがにパリ管だと思った。
第1楽章「夢、情熱」では、麻薬患者の幻想を描くおどろおどろしい曲想のイヤらしさが見事で、ムンクの「叫び」のような情景が浮かんでくる。
第2楽章「舞踏会」は、美しい旋律のワルツが、あくまで優雅で気品が感じられた。パリ社交界の舞踏会のイメージが映像のように描かれていく。イデー・フィクスとなって現れると、集い踊る貴人たちの間に、愛する女性が垣間見える情景が描かれていく。
第3楽章「野の風景」は、まさにそよ風のようなコールアングレの音色が出色。ステージの左奥にソリストが立って演奏した。掛け合うオーボエはステージ裏、右側の扉を開けていたので、その奥からの演奏だったのだろう。邦楽の分からないオーボエが夢幻的な雰囲気を誘う。
第4楽章「断頭台への行進」では、華やかな金管楽器が眩しく響く音量もすさまじい。パーヴォさんの早めで躍動的なリズム感で、圧倒的な迫力を生み出していた。
第5楽章「サバトの夜の夢」では、チューバの重低音で「怒りの日」の旋律がズシンと来る。様々な楽器(とくに打楽器系)を駆使した全合奏の迫力と、不気味な不協和音をも音を濁らせずに演奏するパリ管は素晴らしい。
結局、音楽作りそのものはパーヴォ流に終始していたと思うが、サウンドの豊かさがさらに一層の輝きをもたらしていたと思う。とても素晴らしい、Bravo!!な演奏であった。
アンコールは3曲も。ビゼーの小品2曲はフランスのオーケストラだからというサービス精神の現れか。シベリウスの「悲しきワルツ」は毎度お馴染みである。
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Orchestre de Paris au Japon 2011
2011年11月26日(土)18:00~ サントリーホール・大ホール A席 2階 LB3列 4番 22,000円
指 揮: パーヴォ・ヤルヴィ
ヴァイオリン: 諏訪内晶子*
管弦楽: パリ管弦楽団
【曲目】
ウェーバー: 歌劇『魔弾の射手』序曲
メンデルスゾーン: ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64*
《アンコール》
J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番より「ルイエ」*
ベルリオーズ: 幻想交響曲作品14
《アンコール》
ビゼー:『アルルの女』第2組曲より「ファランドール」
ビゼー: 小組曲『こどもの遊び』から「ギャロップ」
シベリウス:「悲しきワルツ」
富士電機スーパーコンサート/パリ管弦楽団の日本ツアー2011は、11月20日の横浜に始まり、福岡、京都、宮崎、東京×2回、5都市6公演だが、その前の19日にNHK音楽祭のコンサートあったので、合計7公演となる。NHK音楽祭を除いた本来のツアーでは、ビゼー、ドビュッシー、ベルリオーズ、メシアン、ラヴェルなどのフランス音楽を中心に、メンデルスゾーン、ウェーバー、ストラヴィンスキーなどを交えたプログラム構成であった。協奏曲のために同行したソリストは、ピアノのダヴィッド・フレイさんとヴァイオリンの諏訪内晶子さんである(NHK音楽祭ではダン・タイソンさんが共演)。フランス出身フレイさんはお決まりのラヴェルのピアノ協奏曲ト長調を弾き、今日の諏訪内さんはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲だ。
指揮はすっかりお馴染みのパーヴォ・ヤルヴィさん。昨年2010年はドイツ・カンマーフィルと来日、2009年はシンシナティ交響楽団と、2008年はフランクフルト放送交響楽団(現hr交響楽団)と来日している。毎年、それぞれ性格のかなり異なるオーケストラを率いて来日し、それぞれの特性を見事に活かしながら、ハギレの良いパーヴォ節を聴かせてくれる。毎年聴きに行っているので、いつの間にか彼の魅力に取り憑かれてしまったようだ。
今日は諏訪内さんの久しぶりのメンデルスゾーンをお目当てに、そしてパリ管ならではの音色で「幻想交響曲」を楽しみに出かけた。とはいえ今日もダブルヘッダーで、マチネーで「第一生命ホール10周年記念ガラ・コンサート」を聴いて来たところ。そういえば昨年のドイツ・カンマーフィルのコンサートもダブルヘッダーだった。パーヴォさんは、どうも忙しい時期にやって来るようだ。
1曲目は「魔弾の射手」序曲。この曲は、先月、マレク・ヤノフスキさんの指揮でベルリン放送交響楽団の演奏を聴いた(10月12日、NHK音楽祭)。本家ドイツのオーケストラに対して、フランス流ではどう違うのか、興味津々といったところだ。まず例のホルンの主題では、弱音から澄んだ音色を聴かせ、ドイツの森の狩人の角笛というよりは、アルペン・ホルンのような明快で伸びやか。この編は゛いかにもフランスっぽい。主部のドイツ的な主題の旋律になると、濁りの全くない弦楽のアンサンブルが見事で、ドイツ的な翳りもなく、かといって明るいフランス風というのでもなく、これば純音楽としての演奏能力の高さで迫ってくる感じだった。パーヴォさんの指揮は、リズミカルで躍動的な部分とゆるやかに歌う旋律の対比がメリハリとなって、キリリと引き締まっていながら抒情性も豊か、というロマン派らしさを見事に描いていた。
2曲目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。今年この曲を聴くのは実に7回目。いよいよ真打ち登場ということになる。
諏訪内さんの演奏は、昨年2010年3月にサカリ・オラモ指揮+ロイヤル・ストックホルム・フィルとの共演でブルッフのヴァイオリン協奏曲を、5月にユーリー・バシュメット指揮+ノーヴァヤ・ロシア交響楽団との共演でショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番を、12月にワレリー・ゲルギエフ指揮+ロンドン交響楽団との共演でシベリウスのヴァイオリン協奏曲を2度聴いた。今年には、6月にクシシュトフ・ウルバンスキ指揮+東京交響楽団との共演でシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第2番を聴いている。要するに最近ほとんとすべて聴いているのだが、メンデルスゾーンは最近の記憶に残っていないから、だいぶ久しぶりなのだろう。
パーヴォさんのやや速めの軽快なテンポに乗って、諏訪内さんのヴァイオリンの音は相変わらず絹のような肌触りの美しさだ。艶やかで潤いがあり、官能的ですらある。もちろん、ただ美しい音色で演奏しているだけではない、楽曲の解釈にこそ目新しさは感じられなかったが、スタンダードにこそ王道がある、といわんばかりの堂々たる演奏だ。繊細で華麗でありながら、心の奥底に鬼火のような青い火が燃えるような、熱いパッションが根底にあり、それを大人の理性で抑制して、精神の均衡を保っているようなイメージの演奏である。強くは主張しない。しかし音楽は決して弱くはないのである。今年この曲を聴いたヴァイオリニストの中では最年長(失礼)ということもあり、まさに大人の女性の官能美であった。細かなことを述べる必要もない、すばらしい演奏であった。
ただし今日はいつものように、ソリストの正面の席ではなく、2階のLBブロック。ステージの左側の真横から見る位置だったために、音響的には残念な結果になってしまった。諏訪内さんの演奏スタイルは、指揮者の方向から正面客席の方向までのおよそ90度の範囲に身体を回転させながらである。私の席の方からでは、背中から横顔までになる。この位置関係だと、とくに指揮者の方を向いている時(背中が見える)にはヴァイオリンの音が身体に遮られるカタチになり、音が来なくなるのが非常にもどかしかった。もともと諏訪内さんのヴァイオリンは音量がかなり豊かで、遠くの席まで十分に届く。だから音量的には問題なく聞こえているのに、くもった音になってしまうのがとても残念だった。予算を少々ケチったのが原因で、やはりいつものように1階の正面を取るべきだったと悔やまれてならない。演奏が素晴らしかっただけに、なおさらであった。
アンコールはJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番より「ルイエ」。この曲でのアンコールは初めて聴いた。しっとりと美しく、これも官能的な無伴奏であった。
後半はパーヴォさんとパリ管弦楽団の本領発揮で「幻想交響曲」。今日は席の位置が2階のLBブロックであったため、比較的至近距離にもかかわらず、オーケストラのほとんどのパートが直接見える。そのため各楽器の音がダイレクトに伝わってきた。弦楽、とくにヴァイオリンのアンサンブルの美しさが見事で、透明度が高く澄み切っている。アルプスの天然の湧き水のイメージだろうか。また木管群の角のない優しげな響きは自然描写的な音で、草原のそよ風のようでもあり、小鳥のさえずりのようでもあった。それに対して金管群の晴れやかで瞬発力のある音は人工的であり文明・文化の香りがする。これらが適度にブレンドされ、独特の絵画的なフランス風の音色になるのだろう。
パーヴォさんは、これまで異なるタイプのオーケストラから、それぞれの特長を活かした音楽を生み出している。フランクフルト包装響からはドイツの伝統的な音と音楽を、シンシナティ響からはアメリカン・ビッグ・サウンドを、ドイツ・カンマーフィルからは古楽器による現代的な演奏を、それぞれ聴かせてくれた。パリ管弦楽団からは、豊かな色彩感を駆使して、引き締まったリズム感で躍動感溢れる推進力と自然の空気感に満ちた優しさをほどよくミックスした、あくまで現代的で、極めてクオリティの高い音楽を創り出していた。音楽はパーヴォ流、サウンドはパリ風というところだ。
「幻想交響曲」には、各楽章を通じて愛しい女性のモチーフが「イデー・フィクス(固定観念)」という形で現れる。後のワーグナーの「ライト・モチーフ」に通ずるものだが、ベルリオーズのイデー・フィクスの方がより写実的である。今日の演奏では、この随所に現れるイデー・フィクスが、各楽器を通して、優しく美しく聞こえ、より一層の映像的な音楽になっていたのは、さすがにパリ管だと思った。
第1楽章「夢、情熱」では、麻薬患者の幻想を描くおどろおどろしい曲想のイヤらしさが見事で、ムンクの「叫び」のような情景が浮かんでくる。
第2楽章「舞踏会」は、美しい旋律のワルツが、あくまで優雅で気品が感じられた。パリ社交界の舞踏会のイメージが映像のように描かれていく。イデー・フィクスとなって現れると、集い踊る貴人たちの間に、愛する女性が垣間見える情景が描かれていく。
第3楽章「野の風景」は、まさにそよ風のようなコールアングレの音色が出色。ステージの左奥にソリストが立って演奏した。掛け合うオーボエはステージ裏、右側の扉を開けていたので、その奥からの演奏だったのだろう。邦楽の分からないオーボエが夢幻的な雰囲気を誘う。
第4楽章「断頭台への行進」では、華やかな金管楽器が眩しく響く音量もすさまじい。パーヴォさんの早めで躍動的なリズム感で、圧倒的な迫力を生み出していた。
第5楽章「サバトの夜の夢」では、チューバの重低音で「怒りの日」の旋律がズシンと来る。様々な楽器(とくに打楽器系)を駆使した全合奏の迫力と、不気味な不協和音をも音を濁らせずに演奏するパリ管は素晴らしい。
結局、音楽作りそのものはパーヴォ流に終始していたと思うが、サウンドの豊かさがさらに一層の輝きをもたらしていたと思う。とても素晴らしい、Bravo!!な演奏であった。
アンコールは3曲も。ビゼーの小品2曲はフランスのオーケストラだからというサービス精神の現れか。シベリウスの「悲しきワルツ」は毎度お馴染みである。
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