【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

小説・耶律大石=第一章_05節=

2015-03-18 15:58:28 | 歴史小説・躬行之譜

 漠々と荒涼な原野を 牛車に揺られながら 蕭徳妃皇后が、背後の耶律時から抱くように支えられて馬上にある秦王が進む。 精悍な眼光を四辺に向けつつ、耶律大石が無言で騎馬兵を引率して行く。 三十数名の騎馬武者集団である。  耶律大石の心は重い。  共に立った李処温は宋に寝返り、私欲に遼を売った。  また、遼の再興を期して擁立した天錫帝があっけなく崩御し、今 北の阿骨打に追われるようにゴビ砂漠の西方に逃避した天祚帝に会いに行こうとしているこの旅程・・・・・・ 

 ここ数日、大石は馬の鞍に悠然と身を構え 考えるも無く 天祚帝に会うべく心の準備、 “天祚帝が逃亡しなければ策はあった” に至った心証と親友・安禄明と交わした言葉の端々を考えている。  三年前の保大元年(1120年)、耶律大石は北面官 =蒙古高原の遊牧民統治機構= の大林牙院 =南面官の翰林院(皇帝直属の秘書室)に当たる= に進み上級の林牙(局長)に就いていた。 

 泰州(現在の黒竜江省泰来県)・祥州(現在の吉林省徳恵市)の二州の刺史を務め、遼帝国の領土が金の馬蹄に踏みにじられる様を苦慮していた。  時には 少数の兵を率いて侵略する金の軍兵を追走し領地を保全していた。 翌年 彼の任地は平州(河北省)にまでも拡大され、遼興軍節度使をも歴任するようにもなっていた。 遼帝国の領土東北部が金の馬蹄に踏みにじられれば、遊撃部隊を率いて天祚帝の本隊を援助しつつ金軍を撃退し、かつ 南方から宋の軍団が二十有余万の将兵で北上した折には 少数の兵で宋の軍勢を撃破して来た。 

 保大2年(1122年)3月7日、大石35歳の折、天祚帝は金の太祖・阿骨打と入来山で戦って大敗し、長春に逃れた。 女真人の金からの攻撃に迎撃し直接矛を交えた皇帝・天祚帝は、遼興軍節度使の耶律大石の遊撃軍を待つことなくこの攻撃を防ぐことができぬと独断し 中京から西の雲中の陰山に逃亡した。 この行為が、大石の胸に突き刺す棘であった。 

 皇帝の避難行を知った大石は、宰相の李処温とともに燕京において、3月17日 天祚帝の従父である南京留守・耶律涅里を擁立し、あまり乗り気ではない耶律涅里を天錫帝として戴冠させた。 天錫帝は大石を軍事統帥に任じ、国家防衛を一任した。  これに止まらず、新政権は勝手に天祚帝を「湘陰王」に格下げし 新王朝・「北遼」と称し、金と対抗した。  しかし、6月に天錫帝は崩御し、天祚帝の五男で太子の秦王・耶律定が擁立され、秦王は未だ幼く 天錫帝未亡人の蕭徳妃・蕭普賢女が摂政となった。 

 大石は北遼の国力をもって宋、金2国を相手取って戦うことは困難であると考え、宋との和平を望んだが、宋は“海上の盟”に則り燕雲十六州の攻撃準備を急いでいるとしった。 1122年夏、宋の童貫は15万の大兵力=禁軍遠征部隊=を率いて北遼侵攻を開始した。 童貫の字は道夫。 開封の人。 去勢され男性機能を失ったはずの宦官でありながら、多くの妻妾と養子を持ち筋骨隆々とした体躯で顎鬚までたくわえる怪人物である。 

 童貫は北遼の軍隊は宋に降伏する手筈だと喧伝していたが、燕京を守る耶律大石は親友安禄明の父・安禄衝が南方で展開する商いの組織を通じて 江南は梁山泊の豪傑・宋江以下36人の好漢達が背面で陽動行動を起こし戦いを優位に運ぶ作戦を画策していた。 また、大石はマニ教団に漢南の信徒数十万人が童貫の禁軍遠征部隊が行軍する進路を阻害するように依頼していた。 

 燕京を守る耶律大石率いる北遼軍の抵抗は頑強であり、初戦で楊可世が率いる前軍・辛興宗の西路軍・種師道の東路軍が国境線の白溝河まで敗走を余儀無くされ、更に追撃を受けた際に童貫が北遼軍を恐れて退路を遮断したため、東路軍は壊滅的打撃を被り西路軍も大きな被害を出した。 宋は童貫の監督下で15万の大軍を動員したいたが、大石は二万有余の将兵でこれを白溝河において大いに打ち破った。

 ・・・・・しかし、あの戦い以降 二年の歳月しか過ぎていないのに、 なぜであろうか・・・・・いま、 女真族の阿骨打に追われるように五原の天祚帝に会いに行こうとしている・・・・・ 阿骨打は、宋と手を組み、南北から遼を侵略して 抹殺するであろうが、勢いの在る金は宋すら飲み込むであろうか・・・・

 

 童貫の監督下で15万の大軍を動員した宋軍は、耶律大石統帥が指揮する二万有余の将兵によって白溝河で大敗を喫した。 万策尽きた童貫は自力での北遼攻撃は困難であると判断し、金に燕京攻撃を依頼した。 阿骨打は、先年の1115年に按出虎水で皇帝に即位し、国号を大金と定め、按出虎水にある会寧(上京会寧府)を都としていた。 同年 遼の天祚帝率いる大軍を破っていたのである。  

 北遼に苦しめられてきた北宋は阿骨打の威勢を聞いて遼を挟撃しようと図り、1120年 金と“海上の盟”といわれる同盟を結んでいた。 これにより阿骨打は遼との決戦に臨み、同年遼の都上京を占領し、さらに燕京(現在の北京)に迫った。  1121年に遼の天祚帝は再び阿骨打と対決して大敗、燕京を放棄して西走したのは昨年の出来事、遼の支配は殆ど壊滅したが 大石が支える北遼が奮闘していた。 阿骨打は童貫の依頼を渡りに船と快諾、これを受理し 北方より三路から燕京を再び攻撃する。  

 もともと、宋軍は“方臘の乱”(大石の計略で江南のマニ教徒が起こす)など国内の内乱鎮圧に振り向けられていたため到着が遅れ、阿骨打は北宋との盟約・海上の盟に従って燕京を攻め残していた。  その後、宋軍が到着して燕京に攻めかかるが、弱体化した宋軍は耶律大石らの率いる遼の残存勢力・北遼に連敗していたのである。 

 金軍が燕京の攻略に南進した。 金の将軍達は遼寧省承徳で長城を越える東路軍と内蒙古・張家口から長城越えの西路軍に“天下第一雄関”・居庸関を撃破して燕京(北京)に迫る中央路を進軍した。 阿骨打は中央路・居庸関を進軍していた。 10月、大石は居庸関で迎撃する。 燕京には幼い秦王・耶律定と摂政・蕭徳妃皇后が老将耶律尚将軍に守られていた。  しかし、大石が金軍に捕らえられた。 阿骨打は大石らを厚遇し、軍門に降りろと誘う。 遼宗室の耶律余睹が金に仕え、武将として仕え 対宋戦略の任に就いているとも秘密を明かしてもいる。 また、北遼の宰相・李処温の宋との内通している事実をも。 

 大石は子飼いの耶律時・耶律遥兄弟の知略で阿骨打の捕虜的束縛から脱出し、居庸関の闇に紛れての燕京に走った。 燕京は陥落直前であった。 開城迫る中、大石は耶律尚将軍に 蕭徳妃皇后の生計が成り行く資財を五原に運び込む事を指示、屈強の騎馬武者200騎を陽動として 山西雲中(大同市)から五原に向かわせる事 等の指示を与え、 また 耶律尚を親友安禄明宅に走らせた。  

 秦王と蕭徳妃皇后に状況を説明し 秦王などを奉じて天祚帝の元へ秦王を送り届けるは務め、遼帝国への最後の努めとして自分に強いていると説得した上で燕京を脱出した。  燕京は陥落した。 このとき金の群臣は阿骨打に、北宋が燕京攻略の役に立たなかった事実により、燕京の譲渡を拒否してはどうかと進言した。 しかし、阿骨打は盟約“海上の盟”の尊重を理由にその進言を退け、住民、財産の略奪を行った後、事実上の空城を明け渡し 燕京以下六州を北宋に割譲した。 更に 北宋に必要経費の数倍にあたる戦費=銅銭百万緡、兵糧二十万石=を請求するという実利重視の方針を取った。 遼帝国の皇族が領地であった燕京十六州は金と宋の勢力争いの地帯と化した。 この地帯は西方でオルドスに接し、オルドス地方は西夏王国の勢力が勝っていた。 

 「オルドスを征する者天下を征す」と古来より言われてきた豊潤な大草原の外周を黄河が流れる。 黄河が大きく 逆U字型にオルドスを迂回し流れる。 逆U字型の頭部・北側にはゴビ砂漠の西端、陰山山脈が砂漠の奥に遠望できる。 オルドス地方の南部を東西に万里の長城が二重三重に走っている。 

 南下を開始する逆U字型頭部の東端部あたりの黄河は ゆったりと流れ、河原は広く 本流はどれか判別できぬほど 自由気ままに広がり、蛇行している。 広大なオルドス地方は全体がおしなべて平坦な草原である。 西方に丘陵が横たわるが、東方はいつしか黄河の広い河原となり 黄河を離れて東行しれば山西雲中(大同市)に至る。  山西雲中は燕京十六州の中心城郭である。  

 ・・・・・続く・・・・・・

※;下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます=ウィキペディア=に移行。

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【壺公夢想;紀行随筆】   http://thubokou.wordpress.com

【浪漫孤鴻;時事心象】   http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【 疑心暗鬼;探検随筆】   http:// bogoda.jugem.jp/

【壺公慷慨;世相深層】   http://ameblo.jp/thunokou/

 
================================================

   

 

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

                          森のなかえ

================================================

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする