初の世界では、”光明の父=偉大なる父/ズルワーン” と呼ばれる存在が「光の王国」に所在し、
“闇の王子/アフリマン” と称される存在が「闇の王国」に存し、共存していた。
「光の王国」は光、風、火、水、エーテルをその実体とし、
また、
”偉大なる父/ズルワーン”は理性、心、知識、思考、理解とでも翻訳される5つの精神作用をもっており、
それを手足とし、また住まいとしていた。 しかし、
“闇の王子/アフリマン”はそれを手に入れたいと考え、
闇が光を侵したため、闇に囚われた光を回復する戦いが開始された。
ズルワーンは ”光明の母” を呼び出した。
1123年の秋、陰山山脈の天空には大きな月が輝いていた。
言う中秋の名月 その明るさが陰山山脈の肌を黒々と浮き出し、一木一草なき地肌に陰影を刻んでいる。
茫々たる荒れ地が地平まで続き、その地平に黒い帯が覗える。 そのあたりは 黄河が東に流れ行く地帯であろう。 陰山山脈はゴビ砂漠を南北に切り分けるように東西に延びている。 この山脈は高い山々の連なりではない。 禿山の連なり。
黄河は河西回廊が東の入口と言われる当たりから 西夏王国沿いに北上している。 北に流れた大河は陰山山脈の手前で向きを変え東に流れを変える。 やがて南下し西安(長安)・洛陽に至り渤海湾に達している。 この黄河が大きく取り囲む地域はオルドス地方と後年に呼ばれ、緑あふれる草原地帯である。 オルドスを制する者 中華を制すると言われてきた地勢上の重要な地帯でもり歴史の舞台である。
逆U字型にオルドスを囲み 流れる黄河。 そのオルドス地方の北域 黄河の水が、ゴビ砂漠西端に大きな湿地帯を形成している。 あたかも、人体の盲腸の様に突起のような、湖をも造っている。 この湖畔一帯は葦原で被われ、葦は身の丈以上に育ち、野鳥や小動物が生息し 狼もいる。 この地は五原と呼ばれ、広範な面積である。
東に蛇行して流れる黄河の北域を伺えば 一条の緑の帯の足元からは 砂礫の荒野、荒野はいつしか 黄色土の沙砂が砂漠と化し ゴビ砂漠と呼ばれる荒れた地を形成する。 また、砂漠化が進展していない東部は遊牧民が回遊する牧草地である草原がゴビ砂漠を回り込むように、北域の蒙古高原に連なって行くが・・・・
オルドスの北、蛇行し東に流れる黄河の北には湿地帯が広がり、葦原と化している五原を陰山山脈方向に北上すれば、いつしか ゴビ砂漠に取り込まれてしまう。 更に 北進すれば陰山山脈であり、陰山山脈はゴビ砂漠と蒙古高原を切り離している。 無論 陰山南麓は 水は少なく、川は希である。 河川はすべて砂漠に消える尻なし川である。
陰山山脈は農耕定着民族と騎馬遊牧民族を東西に隔離する自然の壁であり、 ゴビ砂漠をも北と南に別けている。 南方を俯瞰すれば、ゴビ砂漠の南辺が緑草帯に変わり、更に その南域が山稜を形成する地域に 万里の長城がある。 南部の農耕民族の中華王朝は、歴代 止むことなく 万里の長城と呼ばれる城壁を築いて、北の遊牧騎馬民族の侵略を防いできたのだ・・・・・・・・。
オルドスの北、五原を目指す貴人が居た・・・・・・見るともなく、漠漠の地平に目をやる耶律大石は 熟睡する幼い秦王殿下の将来について、 考える事さえできなかった。 あの北遼皇帝・天錫帝の死を考えていた。 いや、逃亡としか言えぬ遼皇帝・天祚帝の帝都・南京(北京市・大都・燕京とも言いい、時代により北京)の脱出を 無理に考えないようにしていたのかも知れない。
大石の傍には耶律時が控えていた。 二人の影は 青白い月光で くっきりと足下にあり、動かなかった。
「安禄明さまは・・・」 「居庸関の迎撃戦、出陣の折以降 会ってはおらぬが・・・・」
「居庸関では如何様に 」 「阿骨打殿には礼を尽くす厚遇を受け、しかも 多くを教わったが・・・・」
「李処温殿と李奭様を誅殺されたのは それゆえですか・・・」 「皇太子秦王様の為には 致し方あるまい。また、天錫帝の遺恨に報いる為でもあった 」
「天祚帝陛下には 既に御存知でありましょうなぁー・・・」 「気を揉むではない、陛下には 責めは全て私に在る と申し上げよう。 あの日より ひととせ、全て ご存知であろうが・・・・・北遼として・・・・天祚皇帝は存在せず、湘陰王として所存を申し上げよう、心配するではない・・・・・・それに、我らが奉ずるは あの幼い耶律定皇太子・秦王殿下のみであろう 亡き天錫帝閣下の皇后が摂政として よく勤めておられる、我らは摂政皇后を擁すろことぞ 」
二人の会話は 途切れ途切れであった。 いつしか 薄い雲が月光を弱めていた。 大石は沈黙の中、今 耶律時が口にした 友を思っている。
すぐる5年前 1118年のこと 契丹人として、また進士として翰林院で執務中 良友から安禄明を紹介された。 院の庭で会った大石は この人は周りにやすらぎを与える人物なのだと深い印象を抱いている。 安禄明は 文人であった。 書をよくし、明るさが体内から漂い、発する声に落ち着いた響きがある。 貴人の雰囲気を漂わせていた。彼は 私はソグド人であると言った。 また、ソグドと漢族の混血であるとも言った。 大石は 眼が黒く、光を宿しているのは母親のそれであろう と思った。 父親が安禄衝であることは良友から聞いていた。 安禄衝は朝議には出る資格はないが 大人と呼ばれる人物である。 政商であった。 代々 安禄山の末裔として華中に大きな勢力を有している。 安禄山は突厥とソグド・ソグディアナの混血であった。 安禄家は代々ソグドの血が濃く、安禄明の風貌は やはり母親のそれか と大石は考えている。
遼王朝の皇子である耶律大石は安禄明に魅せられていった。 調べるまでも無く 安禄衝は遼王朝の経済左右する、大人として盤石と権勢を保ち、宋・金・西夏等の近隣諸国にも交易上の勢力網を張っていた。 長子・安禄明の他 長女・安禄孝貞顕が居た。 庶子も多くいたであろう。 マニ教徒であった。 安禄明の妹は遼の皇后を出したウイグル族の王族出身である契丹貴族蕭氏が末裔・石抹胡呂に嫁いでいた。 後年 モンゴルのチンギス・ハーンが金王朝を滅亡に追いやる魁となる石抹明安は石抹胡呂の孫に当たるのだが・・・・・・
耶律大石と石抹胡呂の交流は お互いが異なる社会に魅せられ、日増しに深まって行った。 大石は安禄明と親交を深める中で、ソグド人が信奉するアフラ・マズダーを礼拝するゾロアスター教に傾倒するように成って行った。 何時しか、大石と禄明の交友は義兄弟がごとくの信頼で結ばれるように 成っていた。 また、大石は遼王朝の皇子である立場が教会内での地位を帝国領内の最高位に いつしか 押し上げていた。
・・・・・続く・・・・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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