Borderママの「国境らへんの」ぼやき日記

危険な南の国境生活
北の国境で村民生活
現在デトロイト郊外で母子家庭

日本日記その9 ~8年越しのハグ~

2011-12-17 23:30:48 | ぼやき生活
120km先の買出しの街のモールで

化粧品やらのセールがあった

明日もカットの予約があって出かけるのに

今日、悩んだ末にセールに突撃・・・

元気があるんだかないんだか





急遽決めた、2週間の一人帰国もあっと言う間に帰る日を迎えた


兄が仕事を休んで空港まで送ってくれると言う

名古屋からの成田行きは2時半なので、ゆっくりの出発

昼頃に空港に着くつもりで出かけるので

「じゃあ、昼何食べる?」ってことになり





今回ワタシのハートを捉えた(値段的に?)

すき家の牛丼を持参


ネギ何とか丼には、生卵までついている

名古屋のセントレア空港には、地場産業がたくさん入っている

なので観光客や、小学生の社会見学などが多いので

大きな広場のテーブルで、お弁当を広げても

あんまり恥ずかしくない(はず)

丁度前にあった、スタバでコーヒーも買い

母と兄と3人で、最後の食事


ワタシがいつも感じるのは、楽しい時間は高速で過ぎていくということ

毎回日本に帰る「行き」の飛行機の中で

「ああ、すぐに帰りの飛行機に乗るんやろなあ」って思う

一番楽しくてウキウキするのは、日本への出発までの時間なのかも・・・


2003年の12月、関西空港から8ヶ月のシオラーノを

胸に抱き、10kgのバックパックとスーツケース2つで渡米したワタシ

母は、数日前に熱を出したシオラーノを心配して出発を遅らせるように言った

それに「若造が迎えに来てくれればいいのに」って何度も言った

でも、あの頃の私たちには迎えだけのために航空券を買う余裕なんてなかった


母たちもそうだろうと思うけど、出発ゲート前での別れが私は一番嫌い・・・

いつもいつも思うのは「コレが最後になるのかも」という覚悟

人間の明日なんて誰にも分からない

日本とアメリカは遠いし、お互いの生活もある

世界経済にも翻弄され、今は簡単に行き来するのも金銭的に難しくなった


8年前の関空の時から、別れの時はずっと母にハグしたかった

だけど、恥ずかしかったし泣いてしまいそうで出来なくて

毎回ヘラヘラ笑って別れをした

手を振る母たちを見て、機内で涙したことも多数


今回の日本帰国は、母のためとか言いながら

本当は心が壊れてしまいそうになっていた自分のためだった

今帰らないと、自分も家族も今の生活もダメになると思った

海外で暮らしてもう8年にもなるのに

子供が2人もいる「オカン」なのに、いつまでも強くなれなくて

どっぷり日本人なワタシ



今回は、勇気を出して母に(兄にも)ハグをした

「ありがとう」と、「ごめん」の8年分のハグ


前に母にハグしたのはいつかな?多分小学生とか?

日本人にとって、ハグは馴染みのないものだし簡単にはしないね

でも、大切な人にはした方が良いって思う

コトバに出来ないならなおさら、抱きしめた腕が代わりに

「大切だよ、愛してるよ」って言ってくれる

母も兄も慣れてなくて、ハグを返してはくれなかったけど

ワタシはそれで十分だった

「あんたが家にいるなんて嬉しいな、毎日楽しいな」って言う

母を見れて申し訳なかったけど嬉しかった


また少し強くなれたと思う

もうちょっと頑張れると思う

ワタシには待っていてくれる人がいる、日本にもアメリカにも

母にどうやって親孝行が出来るのかは、勝手に国際結婚をして

海外に出てしまったワタシには、永遠の宿題なんだけど

今は、母として妻として毎日を頑張ることも親孝行の一部だと思いたい


お母ちゃん、いつまでもいつまでも元気でいてね

偉大な母を超えられる日は、ワタシには来ないと思うから

いつまでもその優しさと寛容を、私たちに教え続けてね

大きくなったシオラーノと小僧にも会って

早くこちらでの私たちの生活を見に来て欲しい


そして、2週間一人で子供を見てくれた若造へ

ワタシを帰国させてくれてありがとう

金額なんか気にしなくて良いって言ってくれて楽になった

ワタシの一番の薬になった

良かったら来年も宜しく(ダメか)