Borderママの「国境らへんの」ぼやき日記

危険な南の国境生活
北の国境で村民生活
現在デトロイト郊外で母子家庭

初の外出は。。。

2009-10-29 06:51:49 | ぼやき生活
手術後50時間で退院したワタシと小僧の初外出

それは手術1週間後のワタシの抜糸 ホチキスやけど、、、

せぇーんろは続くよぉ~、どーこまでもぉ~

みたいな?ワタシの傷口

20数本のホチキスの芯のと芯の間にテーピング

子宮もだんだんしぼんで来て、やっと下のほうまで

見れるようになったと思ったら、、、

傷口、真っ直ぐ切ってないし。。。。


どーせ、ビキニなんて無縁やし見せる予定もないけど


先生、真っ直ぐ切ろうよ


痛いと思ってた抜糸もそれほどでもなく。。。


最後に先生が

「もう重いもの持つ以外は、

車も運転していいし、普通の生活でいいから」って

反射的に言いました

旦那の前で言わんといて



もう今日で4週間、全くもって普通の生活

でも、、、背中と腰がイタイ。。。

マッサージ機と温泉があったらなあ。。。




妊娠中に食事療法で最終的に7lb(3.2kg)減だったワタシ

最終的にどれだけ減ったと思う?


退院後の2,3日でさらに5lb(2.25kg)減り

妊娠発覚後からトータルで




22lb減(約10kg)

ワタクシ、妊娠すると、、、痩せる体質なのかな?

と言ってももともと「規格外」ですし、

アメリカに来た頃の体重に戻っただけやけど。。。


睡眠時間短くて疲れてるし、大変やけど

体重はもうちょっと落としたいな




国境の冬

2009-10-28 02:43:59 | ぼやき生活
みんな、へタレのワタシに暖かいコメントありがとう

ワタシがこの6年、日本へ逃げずに頑張って来れたのは

「旦那とその家族」のお陰ではなく

オハイオで知り合った友人と、母代わりのHおばさんのお陰

「いつでも帰っておいで」と言ってくれる人が何人もいて
NJにも行くとこできちゃったし

ワタシは幸せ者だね アリガト



今日はちょっと出産話はおいといて

ここんところ、全国的に涼しいアメリカ

国境も例外ではなく

朝学校に行く時の気温は 59°F(15度)

日中も20度くらいまでしか上がりません


そうれがどうした、って?

この気温は国境では「冬」 1月か2月の天候です

北国の方々にどやされそうですが、

12月でも泳げる国境でこの気温はかなりサムイのです


お迎えの家族もこんな格好

ダウン着てるし。。。 隠し撮りで見難い


いつもお店で手袋とニット帽のセットや

ダウンジャケットやセーターを売ってるのを見て

「いつ着るんかな?」と思ってましたが。。。

今日みたいな日に着るんですねぇ


国境に来て2年が過ぎましたが、

まだ「国境肌」にはなってません

七分の薄手Tシャツで気持ちいいくらいの天気

オハイオの冬装束はトランクにしまったまま。。。

今度北に引っ越すまで開けることはないと思います



もうひとつ国境名物


ヤシの木の剪定


右側に上ってるお兄さんが、下のほうから徐々に

とがった部分を取り除き、最後に一番上の枯葉?を

刈り取ります

これで、2階建ての高さ 一番低い高さです

アパートの正面ゲートには、3,4階建てくらいの高さの

ヤシの木が並んでます

これにも登ってたけど、術後すぐだったから写真なし


登っているお兄さんを見て、思い出した

飛騨のさるぼぼ ワタシだけ??















三行半。。。!?

2009-10-27 01:21:09 | ぼやき生活
何だか、、、みんなワタシの試練物語を楽しみにしてる?

「辛い・イタイ」なネタになってから

訪問数が増えてるんですけど。。。

言っとくけど、今日は「暗い」よ



さて、50時間あまりで病院を放り出され

最初の自宅での試練はアパートの階段

帰り道の車中も、車が少し揺れるたびお腹が痛かったけど。。。


手術前にさんざん心配した階段は、気の利かない若造の「介添え」なく

たった一人でゆっくり上りました
病院での引き回しのお陰で、楽だったワ


家に入ってみると、キッチン・洗濯物2日前のまま。。。 +α

「み、見ない、見ないフリ。。。」


ヨロヨロとベッドへ行き、ひとまず横になったものの、、、今度は

起き上がれない。。。 チョー時間かかる

術後なのに、産後なのに「飲み物いる?」とか「何か必要?」とか

いたわってくれる人はナシ


バカ造はすでにPCの前に座り、ゲーム???


最初の夜は彼の一つしかないレパートリーの

クリームチキン煮込みを頂きました結婚7年で3度目の料理


本とは「おかゆ」とか「うどん」とか食べたかったけど文句は言えません


夜は小僧と一緒にベッドに。。。。
ワタシと寝たがるシオラーノも一緒


でも、、、夜中に泣かれてもすぐに起き上がれないワタシ

隣の部屋でゲームをしてて、すぐに来ない若造


激痛に耐えながら、起き上がりオムツをかえました

結局普段のように、朝まで起きてゲームをしていた若造、

朝になるとシオラーノの部屋で寝ています


お腹がすいたワタシ、、、起こさないようキッチンで

冷凍してあった「おかゆ」を解凍して食べました

一体誰がお腹切ったんだか。。。と考えると悲しくなりました


「いつになったら洗濯するのかな?」

「いつになったら食器洗うのかな?」

「部屋の掃除、して欲しいな」などと考えて休めません


その上小僧は、すぐにミルクを吐くので

何回も服を替え、タオルを替え、、、気が休まりません

その夜は情けなくて悲しくて、泣きました


二日目(術後5日目)の夜

夜中に小僧がたくさん吐いて、ベッドまで汚れました

詰まらすといけないし、大変なので隣の部屋の若造を呼ぶと

今手が離せないから(ゲーム)、数分待って

って、言いやがったんです

彼のやるゲームはOnlineのRPGで、ネット上でいろんな人が

グループで戦争ゲームをやります


さすがにワタシ、色々考えました。ものすごく悲しかった


そして言ってやりました「出てけ

「今はワタシは動けないから、出て行けない。

 落ち着いたら出て行く。必要な時に力にならない人なんてもういらん

 まさか、退院してきてまでゲームするとは思ってなかった。

 そんなにゲームが大事なら、一人で住んで好きなだけやればいい。 

 アンタとはもうやっていけん」etc.....


いまでも思い出すと泣けてくるけど

ホントに若造は何もわかってない。。。

何を考えているのか分からない。。。

お腹を20針以上も切ったワタシに、一体何をして欲しいの


家のことを一切手伝わないのは、昔から。もうあきらめていた

でも、今回だけは頑張ると少し思ってた


彼は「手伝っている」つもり。。。少しはやるけど、ほんの少し

ワタシと彼の間の気温差は計り知れない

これからもこの問題が、私たちのネックとなって

立ちはだかるのかな、、、。

結局ワタシが我慢して、全てやりきるしかないのかな?

いつも同じことが原因で、別れを考えるワタシ

「日本に帰ればいい」ってずっと思って来たけど

実際にはもう帰る(頼る)場所なんてない

自分が苦しい時、泣きつける場所がないことが

ワタシをもっと辛くさせる。

そんな時、勝手に国際結婚して母国を去った自分が

アメリカでたった一人ぼっちのように思え、とてつもなく

悲しくなる。

思いやりのない旦那、義両親、義兄弟

頑張っても誰も褒めてくれない、いつまで頑張れるのかな



ワタシの
 
料理復帰 術後3日目 電子レンジやけど、あまりに空腹で

洗濯復帰 術後4日目 小僧の服とジーンズを一緒に洗ったから

スーパー復帰 術後7日目 姑が写真の催促をやいやい言うから

掃除機復帰 術後10日目 掃除機をかけることを知らないから

送り迎え復帰 術後12日目 産婦人科が1週間で普通の生活できるとかいらんことを言ったので


書き出したらきりがなーーーい!


みんな今日は暗くてごめんね

あと数年してワタシの性格が悪くなったと思ったら

あの時ムリしたから、更年期重いんや

って思っといて。。。



いつもは憎まれ口で面白おかしいUPを目指してるけど

本とは辛いことも一杯で、書くことが重くなってきて

ブログも止めようと思ったけど読んでくれる人がいるし、

もう少し頑張ってみるよ



地獄?の入院生活 終わり

2009-10-26 02:40:33 | 出産のこと
多分今回で終われるはず、、、


記事にしてみるとたった2泊3日のことなのに

色々あるわ~


無理やり歩かされてから、サルが人に進化する

姿をなぞるように歩くワタシ


そして3日目の朝7時を過ぎると

いつもはスローモーな看護婦も書類やら

何やら持って次々に病室に現れます


退院する時も「署名」の応酬

裁判大国アメリカらしいわ。。。


そしていつもならナーサリーに電話しないと

連れてこられない「小僧」も早々と部屋に到着

退院するからもう面倒見ませんってことか。。。


看護婦達は「早くサインして」オーラ出まくり

でも、若造がまだ来ないので

「サインは旦那が来てからします」って

引き伸ばしたったわ フン


生まれてから小僧の足首にはこんなものが装着されていました


盗難防止用商品タグ???

もう片方の足には両親と同じブレスレット(番号入り)


どこへ連れて行くと鳴るのかは知りませんが、、、

誘拐、、、多いのかなやっぱり



手術から約50時間後、、、、


病院に別れを告げ



更なる試練が待つ自宅へ

地獄?の入院生活 その7

2009-10-25 05:22:49 | 出産のこと
もうしつこい?

せっかくなので詳細にUPしとこうと思って。

ワタシのブログは日記みたいなもんやし、思い出に



初めてのミルクを飲ませてもらう「小僧」

起き上がれないワタシが

ベッドの手すりの隙間から撮影


アメリカの赤ちゃんは誕生後すぐに

注射されます

手術前の署名書類の中に「注射していいか?」

の有無があります

生後初めての試練。。。

その他にも「知恵遅れ」の血液検査やら

他にももっとナンカされてる。。。

だって、太ももの両側にバンドエイドが

貼ってあるし。。。かかとにも、、、

多分すごい泣いたんだろうけど、見てないとこで

やられてるからこっちもまだ平気と言うか。


そして生後二日目にして、彼にとっての

大きな試練

それは 割礼 オ○ン○ンの皮を切る


コレに関しては若造に決めさせました

日本ではやらないことだし、アメリカでは

やった方が良いようなので、、、カワイそうだったけど


2日目の昼過ぎに担当の産科の先生に執刀してもらい

終わった後に「ずいぶん泣きました?」

って聞いたら

「No,ポキート、ポキート」
少しだけの意(スペイン語)

先生! アンタ中国人やし
ワタシは日本人、、ここでスペイン語使う意味ないし



しばらくはオムツ替えの時に大変です
バンドエイドが巻いてあるしへその緒もあるからね


病院用語の笑い話

朝一のシフト交代後に看護婦が体の様態など聞きに来ます

「痛みは?食事は食べた?」など等

そして「No.2は来た?」

は?「No.2?はて誰やろ」

ウチでは家族に順位付けはしてませんが、、、
まだ誰も来てないし、、、

そしたら「No.2はウ○コのことよ」って

そんなん、知るかっ

秘密の言葉があるんなら、最初に説明しとけって