サンデーたかひろ

絵描き・ながさわたかひろの制作実況 “from Machida, Tokyo”

ヤン・シュヴァンクマイエルに褒められたくて

2007年08月28日 | Jan Svankmajer
武蔵野美術大学にて「シュヴァンクマイエルの魔術的世界」と題された質疑応答形式での公開講座が行われました。
夏休み中にも拘らず凄い賑わいで、平日ということもあり平均年齢は二十歳そこそこ、見た感じ9割方は女子という、ご本人も驚かれていましたが、女の子に人気あるんだなぁ…と再認識しました。
で、その内容ですけれど、興味深かったのはやっぱりシュルレアリスムへの言及です。

『自身の作品をシュルレアリスムと言ってはいない』
と仰っていました。確かに長篇の劇映画では物語またはメッセージ性が優先されるわけで、シュルレアリスム的実験の場として適当ではないようにも思えます。映画館という受動的な場においてはイメージが連続して映し出されて行くわけですから、能動的なイメージの飛躍が起こり難いのは当然でしょう。
しかし「悦楽共犯者」における、自慰の場面とオーケストラの楽曲を重ねていることについては、
『それは本来なら全く不適切なものだが、グロテスクなイメージを与えるのに成功したと思う』
とも言ってて、これはエルンスト的なコラージュ(全く関係のないものを組み合わせることにより、そこに新たなイメージを導きだす方法)と同じ、シュルレアリスムの手段のひとつであるし、
『音楽を(オブジェと同様に)物として扱っています』
との発言に至っては「なるほど、あなたはシュルレアリストだわ」と感心してしました。

『我々の世界は無意識と繋がっている。創造することは自身の内にある無意識の声に耳を澄ますことである。故に制作において最も大切なのは、自分の無意識(潜在意識)を探る作業である』
『私は私の映画において「こういうことです」というような答えを用意したくはない。それは、その発言が絶対視される事を恐れるからです。あらゆる解釈は全て正しいと思っている』
『私は私の映画に(無意識からの必然を導きだすための)”爆弾”としての役割を与えたい』
などなど、その発言はどれもシュルレアリスムの概念に符合するものばかりでした。
共産主義に対する発言の熱の籠りようといい、これまで厳しい中を掻い潜って来られた故の、大袈裟に言えば「魂を解放する手段」としてのシュルレアリスムという場に対する真摯な想い、その態度が伝わってきましたです。

公演前に予めお願いしていた写真撮影を行わせていただいたのですが、その時のエピソードをひとつ。
資料として必要な写真を撮り終え、「…最後に笑顔を一枚撮らせて下さい」
前回取材したドゥシャン・カーライ氏が、カメラを向ける度に笑顔でポーズをとってくれる陽気さを持っていた(それはある種の優しさであったようにも思うのですが)そんなこともあって、何気なしに要求したのでした。
その時、氏はゆっくりと目を閉じ
『笑えと言われて笑う事は出来ないよ…』 と
ああ、なんという…
軽率。反省。日々是勉強。
前向きにまえむきに…


講演の話に戻りますが、好きな作家についての質問に対する答えです。
映像作家として、
ルイス・ブニュエル
デヴィッド・リンチ
クエイ・ブラザース(「…も良い映画を撮るようになりました」という言い方でしたが)
文学では、
ランポー?(よく聞き取れなかったのですが、アルチュール・ランボー?もしくは、エドガー・アラン・ポー)
画家としては、
マックス・エルンスト
ルネ・マグレット
ジュゼッペ・アルチンボルド

の名前を挙げていました。
当たり障りのないところで無難に答えた感もあり、全員揃いも揃ってシュルレアリスムの文脈で語られる人ばかりです。
質問そのものに半ば呆れていたのかもしれないな。
フーッ

講演の最後に、今回の企画を立てられたムサ美イメージライブラリーの下川さんから、
「今、イバラの道を歩み始めた学生諸君に対してのメッセージをお願いします」という一言がありました。
その答えは、
『反乱を起こしながら、自分のやりたいことを絶対に通して下さい』

パチパチパチ…
「オレ、やるよ!」  (すでに学生じゃないけど…)


僕が次に取り組む作品は、
「シュヴァンクマイエルに褒められたくて」です。



(今回の撮影にあたっては、下川さんから大変なご協力ご助力戴きました。深く御礼申し上げます)
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