サンデーたかひろ

絵描き・ながさわたかひろの制作実況 “from Machida, Tokyo”

大林監督、そして恭子さんにも褒められたい

2009年03月28日 | 大林宣彦

大林監督の事務所でもある映画製作会社PSCへ行ってきました。
アノ映画もコノ映画も始まりはココ、ここから送り出されたわけです。
プロデューサー兼社長さんでもある恭子夫人直々の応対に恐縮しつつ、スタッフルームにて待たせていただきました。
パネル張りされた、赤と緑のコントラストの印象的な「HOUSE ハウス」の3シートポスターが出迎えてくれます。
うわ~!…またまたいろんなことを思い出しちゃいました。

高校時分は観たい旧作があると隣町の品揃えの豊富なビデオレンタル店まで自転車で借りに行ってました。
田んぼの中の一本道。純朴な、ニキビづらの、お金のない高校生、走るの巻。もとい、漕ぐの巻。
当時は一週間レンタルなんてなかったから休日にごっそり借りてきては寝ずに見続け、翌日また自転車で返しに行く、そんな感じでした。
「HOUSE」は、“A MOVIE”から始まる大林映画の第1作目。ならばと借りてきたのが高1の時。
大林映画って特に感情移入しやすくて記憶が実生活とゴチャ混ぜになっちゃってます。
当時好きだった子が大場久美子似だったり。絶対違うんだけど…このビデオ借りてきた日に何かあったか?
記憶が混濁するほど境い目なくどっぷり浸かっていた大林映画です。
“A MOVIE”でスイッチが入って瞬間、気分は「尾美くん」です。
僕らは(転校生の)カズオであり(時かけの)ゴロちゃんであり(さびしんぼうの)ヒロキです。
傍らには瀬戸内の海、路地と坂道。嗚呼、我が古里、尾道!(…気分)


…大林監督、ベランダから登場。

あっ!ど、どぼじで…どうもだすぅさっ作ぃ品ん仕上がりぃましたのぢぇ、お持ちしました~ぅ

と、大人の挨拶ができません。我ながら情けないかぎりです。
でもそれは今に始まったことじゃなし、仕方ない。ゴソゴソと作品を引っぱり出します。

思いの丈は、この一枚が語ってくれる。


…喜んでいただけたと思いますけど、どうだったかな。
要らぬことをたくさん話しちゃった気もします。

 映画同様、とっても優しい眼差しのお二人。

帰り際、尾道の食べ物をたくさん頂きました。何しに行ったかってぐらいに。
「せっかく尾道を描いてくれたんだから」って恭子さんが持たせてくれて。ホロホロホロ…
ありがとうございますぅ…


(了)

 

 

 

追記)2014-1-11 「美術手帖 2013年5月号」より

 

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大林宣彦に褒められたくて

2009年03月09日 | 大林宣彦
仕上がりました。
大林監督と言えば、尾道。
尾道が舞台となった大林作品の登場人物を配してみました。
もちろん全て恭子さんのプロデュース作品です。

「転校生」(1982)
「時をかける少女」(1983) 
「麗猫伝説」(1983)
「さびしんぼう」(1985)
「彼のオートバイ、彼女の島」(1986)
「野ゆき山ゆき海べゆき」(1986)
「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるおしきひとびとの群」(1988)
「ふたり」(1991)
「あした」(1995)
「あの、夏の日/とんでろ じいちゃん」(1999)

の計10本。

好きな映画ばかりなので描いててとっても楽しい。
観たときのことが当時の出来事と一緒に思い出されたりします。
特に小学生の頃の記憶はとても鮮明。映画館やロビーの雰囲気までよく覚えてる。
映画を観に行くことが何よりの楽しみだった。
最近はパンフレットなぞも買わなくなったが当時は必ず買って帰り、しばらくの間、悦に浸っていた。

上京したての頃、銀座で初めて観た映画が「ふたり」。今は亡き「松竹セントラル」にて。
この映画って前年すでにNHKで放送されてて、そのとき僕は受験生だった。
実家でムサビ対策の石膏デッサンをしてて、それを休憩して見たんだ。
教わった先生がムサビの油絵科出身だった影響で、美大=ムサビしか知らなかった。
それまでムサビの油絵科と言えば石膏デッサンと決まっていたから、このころは石膏デッサンしか描かなかった。
で、いざ受験の日。「自画像」課題で、泣いた。
翌日の油絵。
これも4色限定静物課題(ライトレッド、コバルトブルー、イエローオーカー、ホワイトの)と決まってて、絵の具も支給される筈。対策はバッチリだ。
実際のところは「色自由、鏡に写る自分の顔を見て祖父母を描け」みたいなの。オ~
絵の具、持ってきてないし。どうしよう?…泣いた。結局、落ちた。
浪人が決まって上京した春、銀座で観た映画が「ふたり」。

「野ゆき山ゆき海べゆき」までは田舎で観た映画だから、パンフレット等資料になるようなものは全て向こうにある。
仕方ない、神保町まで資料探しに行ってきました。
あまり収穫はなかったけれど「時かけ」パンフを百円で購入。画面、真んなか上に尾道の石階段が加わりました。
大林作品は常連組が多いのですが、基本的に1人1作。但し、尾美くんのみ4人描きました。当然ですよね~

だれがどこにいるか、探してみて下さい。

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「転校生」とか

2009年02月14日 | 大林宣彦
大林作品との出会いは小学生のとき。
水曜ロードショーだったかで、テレビ放映された「転校生」でした。
僕んちは土曜日以外、夜9時以降テレビを見せてくれないというお茶の間。だから友達んちで、ビデオで。
デッキ上部でカセットの出し入れをする、ゴッツいやつね。
ビデオなんて、まだ電気屋にでも行かなきゃお目にかかれなかった時代だもん。
リモコンが有線で繋がってた。

そんなんだから、当時はテレビ番組を繰り返し見るって発想がない。全て一回きり。集中度が違うよ。
映画って、琴線に触れるというか胸が詰まるっていうか、堪らない気分になったりするでしょ?
そうすると見終わってから「おえかき帳」を広げて、お話の骨子が分かるように描いてたのね。
絵で、その「思い」を残そうとしてたんだ。

「転校生」では石段落ちの場面とか、家出中の二人が団体客に混じって旅館に宿泊するところ(布団を並べるくだりとか)、それからあのラストシーン。最後の最後に振り返った一美が日常へ戻っていく…まさに「キューウンといきそなジュブナイル感覚」!(これ、公開時のコピーね)そんなのを描いてた。
一夫にとっての8ミリが、僕にとっての「おえかき帳」だったわけです。

…そんなことを思い出しながらね、まずはこんな感じ
trial 1(銅版画)

これからポコポコ、余白が埋まっていきますよ~
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さぁ!大林宣彦「褒め」へ

2009年01月18日 | 大林宣彦
きのう、埼玉県深谷市に行ってきました。
文化庁の支援で行われる「芸術文化による創造のまち」事業といえば…
そう、僕も参加し、ここでもご報告しました「アートプロブラム青梅」です。
これは「アートで地域振興を図る」というものでした。

深谷市で進められいるのは「映画を中心とする地域の活性化」。
きのう深谷市民文化会館では「芸術文化による創造のまち」事業の活動報告と基調講演、パネルディスカッションなどが行われまして…
基調講演の講師は映画作家、大林宣彦。

…行かねば。
いや、行かなきゃ、です!

で、行ってきました。
内容充実の、と~っても濃いシンポジウムでしたよ。

初めて訪れた深谷の町。よく分かってない僕でも「いいな、この町」って思えたほど、熱い方々多し、です。
しかし客席の入りは、まばら…
おぉ~勿体ない!
やはり、一般的な市民レベルでの盛り上がりを得るまでには、時間がかかるということでしょう。
けれどこの町なら必ずなんとかなるだろうなぁ…と、そう確信するシンポジウムでした。
「熱」を持った人達が居て、みんなでじっくりと話し合う「場」が設けられ、継続的な「動き」が押し進められれば、結果は自ずとついてくる。
地域振興とは、その地に住まうアマチュアの力を信じて、他の誰でもない自分達の手から発信するという意識と行動力。
そうだ、行動力!
30年選手のオンボロ駆って関越の左車線、最高時速ようやっと80キロでブイブイ言わし、ブーブー言われつ訪れし深谷です。
(そんなに遠くないけどね)
どっかのヒューズが飛んだみたい。ライト点かなくなったぜ!そんな中…
大好きな大林監督のもとへ、GO!…行動力!

・・・

実行委員会の皆さま、いろいろとご面倒をお掛けしました。
部外者の私めを暖かく迎えていただき、打ち上げまで参加してしまいッ! ぉぉぉ…
ありがとうございました。

でも、
いい写真、撮れましたから。
全ては「描く」ことで返すしかありませんよね。やりまっす!

隣に居られるのは、プロデューサーでもある恭子夫人。
これまで、このお二人の創る映画にどれだけの力をいただいてきたか…

カラカラカラ…「A MOVIE」

ですよね~



ここんとこ取材報告ばかりですけど、
早々には「タケ褒め」が仕上がります。来週アップ予定です。
どうぞよろしく!

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