「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

桜尽くし

2005年04月10日 | 遊びと楽しみ
 初桜 桜鯛 桜餅 桜襲ね 桜衣 桜鹿の子 桜狩 桜海老 桜粥 桜結び 糸桜 桜月 桜湯 桜月夜 桜川 桜雀 樺桜 桜鯉 桜草 桜漬 桜貝

 思いつくままあげてゆくと際限もなくありそうです。植物でこれほど多くのものの名に用いられるのは、日本人に深くいとおしみ愛されてきた証でしょう。

 私の春は「桜川」を愛唱することで、桜との別れとなります。今日の花くだしの雨で散ってしまったことと思います。

「それ水流花落ちて春。とこしなへにあり。…岸花紅に水を照らし。塘樹翠に風を含む。山花開けて錦に似たり。」
「げにや年を経て。花の鏡となる水は。散りかかるをや。曇るといふらん。
まこと散りぬれば。後は芥となる花と。思い知る身もさていかに。われも夢なるを花のみと見るぞはかなき。」
 「あたら桜の。とがは散るぞ怨みなる。花も憂し風もつらし。散ればぞ誘ふ。誘えばぞ散る花かずら。かけてのみ眺めしは。なほ青柳の糸桜。霞の間には樺桜。雲と見しは三吉野の」と謡い納めて花との惜別とします。

花盛り

2005年04月09日 | 歌びとたち
 
 満開の桜の大樹には、なにか妖気すら漂うような想いを抱きます。外国人が「フジヤマ、サクラ」と日本を象徴するのも肯けます。この華やぎには、やはり清少納言同様、おおきなる瓶にいっぱいの桜を入れ、かたわらに美しき若きをのこを配してと、浮かれたくなることです。

 古歌には桜の妖艶を詠ったものが数多くありますが、桜は私には絵にすることは難しい花です。大観のものぐらいしか思い浮かべることができません。

 詠われるもののなかに存在感があります。中でも新古今的な「妖艶」が似つかわしいようです。今ではあまり顧みられない古歌の中から好きな歌を引いてみます。

 またや見む交野のみ野の桜狩花の雪ちる春のあけぼの   俊成

 風かよふ寝覚の袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢    俊成女

 宿りして春の山辺に寝たる夜は夢のうちにも花ぞ散りける  貫之

 久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ     友則


鬼貫の墓所

2005年04月08日 | 旅の足あと
先日のブログで紹介した桜の句をはじめとする上村鬼貫の句に、いつもコメントを下さるR,Hさんもいたく共感された由で、所用で神戸にいらっしゃる折、インターネットで検索し、わざわざ回り道をして、大阪の鳳林寺と荒村寺に、それぞれ鬼貫の墓所と句碑を訪ねたとMAILををいただきました.

 大阪空襲ですっかり様変わりしたらしいお寺に、昔日の繁栄の面影を偲びつつ、多数添付されていた写真の中からおすそ分けをします。

 思いもかけなかった有難いご配慮に感謝しています。



鳳林寺山門



      鬼貫墓碑




      荒村寺の鬼貫句碑


小倉城の桜

2005年04月05日 | 季節のうつろい
  
  HISに切符の手配に出かけたついでに小倉城に立ち寄りました。例年の花見のコースです。
 満開にはまだ2、3日かかりそうですが、それだけに様々な桜の風情を見せて咲き誇っていました。火曜日の平日とあっていつもの花見時の人出ではなく、比較的静かに春を鑑賞できました。

「花は盛りにのみ見るものかは」の情感は、理解はできますが、盛りの美はやはり満ち足りた想いで充足感があり、俗物の私には心ゆくものがあります。



倒れた万葉歌碑

2005年04月04日 | 旅の足あと
 人を案内して志賀島へいってきました。荒雄の碑をはじめ,島には1号碑から10号碑まで、私の知る限りでは、北部九州で一番多くの万葉歌碑がこの小さな島(周囲12キロ、6平方キロ弱)に集中して建てられています。
 
 今回の地震のため島には交通規制が敷かれていて、車では弘地区までしか入ることはできません。いつもは気持ちよく走れる海の中道も、いたるところ生じた段差の補修の跡が痛々しく行ける所までと思って志賀島橋を渡り、博多湾に向かって立つ9号碑を探しました。見つけ難いはずで無残に基礎のところから倒れていました。
 金印発掘の地と伝承される金印塚から蒙古塚まで徐行で進み、塚のすぐ前に海を背にして立つ6号碑をみて引き返しました。青いビニールシートに覆われた民家の中を暢気に歌碑めぐりでもないだろうと、意見が一致したので海の中道へと早々に引き上げたことです。
 ホテルも建物は白亜の美しい姿に変化はないものの、広い芝生には所々に立入り禁止のロープが張られ、陥没や小さな隆起が見られました。

  6号歌碑 「志賀のあまの塩やく煙風をいたみ
立ちは昇らず山にたなびく」

  9号歌碑 「沖つ鳥鴨とふ船は也良の崎
たみて漕ぎ来と聞こえしぬかも」

 いつもはあまり注視することのない萬葉かなで刻まれた側しか見ることができません。





桜襲ね

2005年04月02日 | みやびの世界
 開花予想に遅れはしましたが、やっと花便りが届きました。満開の花を待つ間に、平安朝の貴族たちの季節感の表現の一つに 襲(カサネ)の色目があったことを思います。

 その中で春を代表するものの一つが桜襲ね,と紅梅襲ね。前者は(表 白 裏 赤 赤紫説も)後者は(濃いピンクのグラデーション)です。今でも若い人たちの間で流行することがある重ね着ルックはこの伝統を反映しているのかもしれません。
  色は端的にその人の美意識を感じさせ、印象づけるものだし、季節の風物を大切なものとして、それに合わせた生活を重んじた人々は、特に色彩を大切なものとしていたようです。季節限定の色目でも百以上、四季通用のもので60主以上あるのがそれを証明しています。

 襲ねの色目は、重ね着のときの配色の色合いのことで、袷の表と裏の場合や、十二単で有名な重ね着のときの色の配合ですが、これらは四季折々の自然との調和が重んじられていて、枕草子の中でも、「三、四月の紅梅の衣」を「すさまじきもの」として挙げています。つまり、同じ春の襲ねの色目でも、その花の季節を過ぎ、更には夏にかかるまで用いるのを野暮と嫌ったものでしょう。 光源氏が桜の直衣を着た姿を想像するのも楽しいではありませんか。あなたの花ごろもは?
 私は寒さに敏感で、歳経た姥桜、桜襲ねとはまいりません。それでもせめて樺桜の色目といきたいものです。