母の入院する病院の裏手には、かつては暴れ川として、大雨の折には災厄を齎すことで知られた川が流れています。今はすっかり改修され、高い護岸工事が施され、安全と引き換えに殺風景な流れに変貌を遂げてしまいました。
その殺風景も、地域の人々によって植樹された桜の並木が大きく育ち、根元に植えられるチューリップや、コスモスが季節を彩って、ウォーキングや散策する人の目を楽しませています。
この季節は、冬鳥たちが悠然と流れに浮かんでいます。水鳥に押されてもりあがる水のきらめきに目を放っているうち、自然に今は亡き柴田白葉女さんの句が浮かびました。そういえば水鳥は、冬の季語でした。
水鳥のしづかに己が身を流す
冬の水面をしずかに進む水鳥の悠揚迫らざる姿に、自らを重ねて眺める作者自身の姿ともみえてきます。
冬の寂寥と自愛の情を漂わせた秀句と思います。今日は孤独なアオサギのお洒落な立ち姿もみられました。
その殺風景も、地域の人々によって植樹された桜の並木が大きく育ち、根元に植えられるチューリップや、コスモスが季節を彩って、ウォーキングや散策する人の目を楽しませています。
この季節は、冬鳥たちが悠然と流れに浮かんでいます。水鳥に押されてもりあがる水のきらめきに目を放っているうち、自然に今は亡き柴田白葉女さんの句が浮かびました。そういえば水鳥は、冬の季語でした。
水鳥のしづかに己が身を流す
冬の水面をしずかに進む水鳥の悠揚迫らざる姿に、自らを重ねて眺める作者自身の姿ともみえてきます。
冬の寂寥と自愛の情を漂わせた秀句と思います。今日は孤独なアオサギのお洒落な立ち姿もみられました。
句のリズム同様、水鳥たちは悠然として漂うかのようでしたが、頭の中は??。
見るほうの勝手な想像とは異なるものでしょうか。鴉なら勝手でしょうが。
うっかりしていました。
マガモたちは、餌をもらい慣れているのか、人影に賑やかによってきますが、餌をなにも持っていないと判断すると、後も見ずにサーと離れて行きます。それは見事なもので、なにか人間社会の反映があるのでしょうか。美しい別所沼の水鳥たちもどうやら同じようですね。
漢字に敏感なことは、日本人としての「品格」に関わる大切なことだと思います。
浅学ですが、「泳ぐ」は訓読みはオヨグ、
もぐる、水くぐる、水中を潜行すること。
「游ぐ」は、オヨグ、アソブの訓を持っています。本義は旗が風になびくで、浮く、うかぶ、の「およぐ」です。游子、游雲など。
「泅ぐ」は変換には出ていますが、使われることがないようです、水上に浮かぶ、の意です。大字典で確認しました。
これからも啓発のきっかけをお与えください。ご一緒に勉強してゆきたいものです。
”客と白鷺は立ったが見事”って諺もあるようですが、アオサギの立ち姿も優雅なのでしょうね。
ご隠居さんも背筋をピンと伸ばしたいものですね。
バックシャンを目指して頑張りましょうか?
蛙もたのしく調べました。ともに水中で泳ぐ意ですが水面を浮くようにして泳ぐと游になり、水中を潜行しながら泳ぐのが泳でした。雲白く游子かなしむ の詩が浮かびました。
スミマセ~ん。いよいよ勝手な方向にお酔いでしまいました。まだ正月気分から抜け出せません。