介護について、話を聞いていただく機会があって、考えた。
高度経済成長期を経て、大家族から核家族に大きく変化した。そして、驚くような長寿社会となった。
改めて考えてみると、私たち訪問介護が伺うお宅は、①高齢者ひとり暮らし、②老老(夫婦ふたり暮らし)、③老親を娘さん、息子さん(シングルの場合も多い)がみているというパターン。
高齢者のひとり暮らしは、全般的に支援できるので、ヘルパーとしての仕事はしやすい。ただ、この先、そして、最後はどうされるんだろうは常に考えざるを得ない。親族さんが疎遠だったり、おられなかったり…。
老老は、2パターンあって、一方が重度で、お元気な方が、献身的に介護されている場合。介護している側の身体的な負担が大きい。精神的には、生き甲斐、やり甲斐感は、いっぱいな感じを受ける。
もう一つは、ご夫婦ともに微妙に低下していて、両方が介護保険を利用している。「同居家族がいる」扱いになって、家事の部分の支援はたいへん微妙になる。
娘、息子さんがシングルで見ている場合、息子、娘さんは仕事をしなければならず、介護サービスをフルに利用して、仕事もし、介護もし、介護サービス関係者との連絡調整もけっこうたいへんな様子。時間もお金もいっぱいいっぱいな感じ。
お邪魔してみての実感は、介護の知識や技術は誰も教えてくれないし、家事も達者なわけでなく…。でも、元気な同居家族がいるので、「身体介護」の部分の支援になるわけ。
もっと人数の多い家族だったらどうなのか?
おそらく、私たちヘルパーの利用が少ないのは、きっと「お嫁さん」(主婦)が担われているのでしょう。
それもどうかと思うしね。
家族がなくても、いろんなパターンの家族にも対応できる介護の社会的サービスってどんなものなんだろう??
話しながら、いろいろと考えさせられました。(また、いつの日かへ続く)
高度経済成長期を経て、大家族から核家族に大きく変化した。そして、驚くような長寿社会となった。
改めて考えてみると、私たち訪問介護が伺うお宅は、①高齢者ひとり暮らし、②老老(夫婦ふたり暮らし)、③老親を娘さん、息子さん(シングルの場合も多い)がみているというパターン。
高齢者のひとり暮らしは、全般的に支援できるので、ヘルパーとしての仕事はしやすい。ただ、この先、そして、最後はどうされるんだろうは常に考えざるを得ない。親族さんが疎遠だったり、おられなかったり…。
老老は、2パターンあって、一方が重度で、お元気な方が、献身的に介護されている場合。介護している側の身体的な負担が大きい。精神的には、生き甲斐、やり甲斐感は、いっぱいな感じを受ける。
もう一つは、ご夫婦ともに微妙に低下していて、両方が介護保険を利用している。「同居家族がいる」扱いになって、家事の部分の支援はたいへん微妙になる。
娘、息子さんがシングルで見ている場合、息子、娘さんは仕事をしなければならず、介護サービスをフルに利用して、仕事もし、介護もし、介護サービス関係者との連絡調整もけっこうたいへんな様子。時間もお金もいっぱいいっぱいな感じ。
お邪魔してみての実感は、介護の知識や技術は誰も教えてくれないし、家事も達者なわけでなく…。でも、元気な同居家族がいるので、「身体介護」の部分の支援になるわけ。
もっと人数の多い家族だったらどうなのか?
おそらく、私たちヘルパーの利用が少ないのは、きっと「お嫁さん」(主婦)が担われているのでしょう。
それもどうかと思うしね。
家族がなくても、いろんなパターンの家族にも対応できる介護の社会的サービスってどんなものなんだろう??
話しながら、いろいろと考えさせられました。(また、いつの日かへ続く)