こんな女将の独り言(神戸福原ぼっかけ「あーちゃん」お店blog)

神戸は福原で細々と営んでいる「ぼっかけうどん」のお店「あーちゃん」の女将がうだうだと日々のあれこれを語ります(笑)

語り継ぐこと。。

2021年08月15日 | Weblog
今日は、戦争を知らない人達には

なんのこと??って感じなのでしょうが。。

戦火を目の当たりにした人にとっては

一生忘れられない

8月15日の終戦記念日。。

幼い頃、

母から色んな話を聞かされて育った私。。

お盆が近くなると

決まって話してくれるのは戦争の事。。

終戦を迎えた時、母は八歳だったそうで

近所の人達が集まっている中に正座させられ、

聞こえにくいラヂオから流れる、

天皇陛下の

耐ヘガタキヲ耐へ、、忍ビ難キヲ忍ビ、、

の、終戦を伝える声を聞き

回りの大人達からは

嗚咽が漏れてきたとかで。。

だけど、

幼い母にはそれが何かわからなくて、

隣の祖母(私の曾祖母)の着物の裾を引っ張って

ばあちゃん、なんのこと言うとるの?

と、尋ねたら、

シーッ🤫戦争が終わったのや、

日本は負けたのや❗

と、小声で教えられたとか。。

それを聞いた母は、祖母に

そしたら、
もう夜に逃げんでもええのやな?!
起きんでもええのやな?!
わーーい\(^o^)/

と、思わず大きな声で叫びかけて、

祖母に頭を押さえられて叱られたとのこと💧

でも、子供心に

ゆっくり眠れる夜、

もう逃げなくていい。。ということが

嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだそう。

生まれて物心ついた時から

ゆっくり眠れた夜と言うのを知らなかったし

明かりを灯すことも許されない夜もあったし

眠っていると突然起こされて、

洞穴みたいな防空壕に連れていかれて

声も出せなかったこと、、

暗い夜の空に無数の戦闘機が飛んできて

上からパラパラと沢山の焼夷弾を落とす、

その落ちた爆弾が夜空に光って

花火みたいだった。。

見知らぬ田舎に疎開したこともあったり、

そんな話もきかされたけれど、

母はまだ幼かったのと、

比較的ひもじい苦労が少なく済んだことは

本当に幸いだったと言っていた。。

反対に、

大将のお母さんは

年頃の娘の時代に幼い弟と妹を連れて

戦禍の中を逃げ惑い、

目の前で真っ黒焦げになって

亡くなった死体を目の当たりにして

腰を抜かしそうになったこと💦とか、

うちの母とは違う目線の話しを聞かされ

同じ戦争の体験でも

年齢や住んでいた場所で

感じ方は色々なのだと。。

今の日本は戦争こそ無いものの、

各地では今回の大雨や、その前の台風や

地震で家が、橋が、山が、道路が壊され、

沢山の被害が出ていて胸が痛みます😣

戦争も震災も天災も、、

自分の身に降りかかったことがないと

他人事でかたずけられそうで😣


今の世の中はコロナ一色で

自由が無いと、

ストレスを感じている人が殆どだけど


自分達が

いかに平和に慣れてしまっているか💧

私も大将も戦争を知らずに育ったけれど

毎年訪れる終戦の日を迎える度に思うことは

自分達の惨事を決して繰り返すでないぞ!

という、

昔の人の教訓なのだと捉えて

娘や孫たちに平和な生活ができるように、

そんな時代が続きますように。。と

亡きご先祖さまに

供養と共に願うのであります。。🙏


いつまでもこの平和な寝顔が見れますように










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