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The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
ときたまロックとクラシックも
 
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スイング ジャーナル

2010-07-25 20:07:10 | 変態ベース
スイング ジャーナル
                                                                                       By 変態ベース
今、目の前には二冊の「スイング ジャーナル」がある。一冊は1974年4月号。私が初めて買ったものである。他のバックナンバーはすべて処分してしまったが、最初の一冊だけは記念に保存してあったのだ。表紙を飾るのはMJQの面々。彼等のニューアルバム『Based on Bach & the Blues』は、タイミングよく4月の来日公演に合わせて発表された。表紙の写真はアルバムジャケットをそのまま借用している。この年のツアーを最後に、彼等はいったんグループを解散してしまった。(尤もそのあとすぐに再結成されたのだが)2月のチック コリア& RTF、3月のビル エヴァンス トリオ、それに4月のMJQ。私がジャズにハマり始めたのがこの頃だった。
もう一冊は2010年7月号。「スイング ジャーナル」の最終号である。創刊以来、63年の歴史に幕を下ろすことになった。突然の休刊をKJSの掲示板で知った時は、率直に驚きというよりショックに近い衝撃を受けた。数年前、ワルツ堂の閉店を聞かされた時もかなり凹んだが、今回もそれに近いものがある。
ジャズの広報誌、とりわけ新譜やコンサートの情報、またジャズ界の動向について、ことこまかく、いつもホットなニュースを得られるという点に関しては大変重宝していた。しかし、個人的な感想を申せば、特に最近の「スイング ジャーナル」には少なからず不満を感じていたのも事実である。特定の邦レーベルとの蜜月というよりは、癒着に近い構造は目に余るものがあった。ディスクレヴューを見るたびに、どこかトゲトゲしい気分にさせられたものだ。また、声の大きい論者の意見が幅をきかせて、雑誌としてニュートラルなスタンスが保持できていなかったようにも感じられた。それでも尚、新録、再発を含め、幅広く網羅した音楽情報は「スイング ジャーナル」の独壇場であったはずだ。近年はジャズ喫茶で頁をめくる程度で、自分で買い求めることはなかったが、いざ休刊といわれると困ったなというのが本音である。いやそれよりも私の気分を落ち込ませる原因は、「スイング ジャーナル」という、ジャズファンにとって象徴的な雑誌が休刊に追い込まれたという現実だ。何故ならば、それがジャズの未来を物語っているように感じるからだろう。
ここ数年ジャズという音楽は、かつてないほど広く浅く世の中に浸透してきた。街を歩いていても、或いは飲食店に入っても、我々はジャズを耳にする機会が増えたことを実感している。それだけジャズの間口やすそ野が広がったことは明白である。しかしそれはあくまでも広く浅くであって、熱烈なジャズファンが増えたかといえば、全く期待は裏切られている。「スイング ジャーナル」は、まさにその熱烈なジャズファンによって支えられてきた。同誌はジャズの深化と普及に努力してきたが、皮肉にもその設計が大きく外れたと言わざるを得ない。
ネット配信や複製の氾濫によって、ジャズのみならず音楽CDのマーケット全体も萎縮してしまった。元々流通量の少ないジャズ業界のことだから痛手も深刻である。新譜情報等を売りものにしてきた雑誌には、CDが売れないとその存在理由が危ぶまれる。またiPadなど携帯端末の登場も向い風である。それは雑誌業界全体に対する、大きな脅威であるはずだ。

Live from Montmartre

2010-06-23 23:41:10 | 変態ベース

Live from Montmartre
Stan Getz                          By 変態ベース
かつてコルトレーンは「私もスタン ゲッツのようにサックスが吹ければいいのに」と周囲に語ったと云う。社交辞令の多い欧米のことなので、その言葉がどれほど本音に近かったのか測りかねるところだ。しかし演奏家としてのゲッツの技術や表現力の豊かさが、他者を圧倒し羨望の的となっていたであろうことは容易に想像がつく。従って、それがおよそスタイルの異なったコルトレーンの談話だったとしても、まったく歯の浮くようなお世辞に過ぎなかったとは言い切れないはずだ。名人、名手という呼称が最も似つかわしいサックスマンこそ、スタン ゲッツその人なのだ。
スタン ゲッツが生まれたのは、1927年2月2日。マイルスやコルトレーンよりひとつ年下だ。ティーンエイジャーの頃から、ジャック ティーガーデン、スタン ケントン、ベニー グッドマン等の有力楽団を渡り歩いた。47~49年にかけては、ウディー ハーマンのオーケストラに加入し、チームメイトのズート シムスやアル コーンと共にフォー ブラザーズ等のヒットを飛ばした。それを契機に一躍スタープレイヤーへの道を辿ることになったのである。50年代のクールジャズ、60年代のサンバ、ボサノバブーム。70年代にはチック コリア、トニー ウィリアムス等、若手を従えての新たなる挑戦。飽きやすいのか、浮気性なのか。一カ所にどっしり腰を据えることないミュージシャンだった。

カフェ・モンマルトルは、デンマークの首都コペンハーゲンに店を構える。70年代より、スティープルチェイスがしきりに生演奏を録りつづけた。長年にわたり、ヨーロッパ大陸のジャズのメッカとして盛況を得た。スタン ゲッツがこのライヴハウスに出演したのは、1987年7月6日のことである。その模様はエマーシーレコードからふたつのアルバム、『Serenity』『Anniversary』に分散して発表された。晩年のパートナー、ケニー バロンが初めて加わったのも、この日の録音である。メンバーは、Stan Getz, Kenny Barron, Rufus Reid(b),Victor Lewis(ds)である。
ゲッツの演奏は、少し聴けば彼と分かるほど特徴がある。しかしそのサウンドには不可解でミステリアスな成分も含まれる。優男のように甘く切なく囁いているかと思えば、ごろつきのように凄みを利かせることもある。清らかに澄みきった音色を奏でながら、どこか淫靡でエロチックにも聴こえないか。『Anniversary』はそんな万華鏡のような魅力に溢れている。
El Cahonはジョニー マンデルが作ったソフトなナンバー。軽やかにスイングする小粋なビート。私はいつもこのような演奏に引き寄せられる。ゲッツ、バロンのソロはメロディックで、ひとつとしてクレームをつけるところが見当たらない。ルーファス リードも短いソロをとる。ロン カーターの影響が濃いベーシストだ。安定感のあるラインで演奏を支えている。以下、I Can’t Get Started, Stella by Starlight等、お馴染みのナンバーが続く。
ゲッツは基本的にスタンダード吹きだ。あまり作曲に関しては熱心ではない。また、凝ったアレンジで粉飾することも潔しとしない。(そのようなアルバムも過去にはあったかもしれないが)
お気に入りの楽曲を、気持ちの赴くままにブローする。いやしくも達人と呼ばれるプレイヤーには、下手な小細工などは不必要なのだ。フレーズが淀みなく溢れ出てくる瞬間こそが、まさに名人芸の極み。サックス片手に吹きまくるスタンスこそ、稀代の即興プレイヤーとしての真実を、より克明にしているように思われる。
最後のナンバーは、ビリー ストレイホーンのBlood Countだ。晩年のゲッツの愛奏曲である。エリントン特有の、どこか妖しくも美しい旋律を含む曲だが、いかにもゲッツ好みの佳曲である。

50年代の多くをヨーロッパ楽遊に費やしたゲッツは、80年代においてもヨーロッパ各地で地道に演奏をこなした。コンコードの作品『Yours and Mine』も、大変優れた内容だ。89年6月のグラスゴー ジャズフェスティバル(イギリス北部のスコットランドにある)における実況録音だ。メンバーはゲッツとバロンの他に、Ray Drummond(b)とBen Riley(ds)が随行している。このバックの三人は、これ以後もトリオを結成して活動していたようだ。1992年に、私がニューヨークに行った際も、このトリオを「ブラッドレーズ」で聴くことができた。
「ブラッドレーズ」はカウンターだけの細長いジャズクラブで、店の奥にピアノが置いてあった。客はほとんど立見状態。大きい人に立たれると全く前が見えない。それでもほぼ店内は満杯だった。このトリオの「ブラッドレーズ」でのライヴ盤も、やはりエマーシーから出ている。彼らはしばらくの期間、レギュラーのトリオとして活躍していたのだ。
バロンの人気は、日ごと高まっているようだ。自身のアルバムもさることながら、セッションマンとしても引く手あまたである。その器用さと安定感を見込まれ、現在もっとも多忙な日々を送るピアニストなのだ。出しゃばらず主役を上手に盛りたてるのは勿論のこと、自分らしさや存在感もしっかりと刻み込んでいる。トミー フラナガンの再来といえば、果たして本人は気分を害するだろうか。
ドラモンドは、小錦のような体形をしている。とてもベースプレイヤーの体つきとは思えない。それでも驚くほどまともな演奏ができる。当たり前のことだが、人は外見だけで判断を下してはいけない。ドラムスのベン ライリーはセロニアス モンクのカルテットで演奏していたベテランである。名前を聞いても、一瞬誰だったか思い出せないくらい地味な人だ。しかし的確で堅実な演奏家だ。少なくとも騒がしいだけのドラマーではない。
このアルバムもスタンダードを中心に熱い演奏が繰り広げられている。すでに体調も万全ではなかったかもしれないが、ゲッツのホットなプレイが快い。


Live from Billboard Osaka

2010-06-17 20:49:33 | 変態ベース

Live from Billboard Osaka
渡辺貞夫  
                          By 変態ベース

西梅田界隈も、ひと昔まえとは大きく変わったものだ。地下道が触手のように伸び、高層ビル群を接続している。地下鉄を降りるとコンコースで繋がっていて、わざわざ地上にあがる必要もない。雨風も関係なく大変便利である。しかし油断をしていると、どの方角を向いて歩いているのか分らなくなってしまう恐れがある。渡辺 貞夫のコンサートが行われた「ビルボード大阪」も、自分ではこの辺りだとカンを頼りに進んでいたら、結局あらぬ方向に行ってしまった。西梅田で道に迷うなんて、若い時分には考えられなかった。悲しいかな、歳と共に方向感覚も衰えてしまうってことなのだ。
このところろくに休みも取れないくらい忙しい。疲れもたまっていたので、この日のコンサートも無理を押していくべきか、早々にキャンセルすべきか思案していた。開演前にタカさんと話をしていると、彼も近頃体力の低下とストレスを感じているみたいで、同病相哀れむという感想を持った。仕事に入れ込みすぎると、疲労やストレスがたまる。だからと言って、思い切って休みを取ると、仕事のことが気にかかってよけいストレスを抱え込む。要領のいい人は、トラブルも深刻に受け止めず、適当にやり過ごすのが上手い。几帳面な人のほうが悪循環に陥りやすく、安全弁がうまく作用しない。それでも、少し物事(仕事)が進展したり、仕事以外のちょっとした息抜きで、気持ちがスーッと楽になるものだ。
コンサートに行くのは久しぶりだ。「ビルボード大阪」に入るのも初めてである。店の作りは、「サンケイホール」の向かいにあった「ブルーノート大阪」とよく似ている。タカさんには早くから予約を入れてもらったお陰で、ステージの間近、それもマイクスタンド真正面の席に案内してもらった。
席に落ち着いてから、開演時刻まで一時間ほどある。店としては、その間に出来るだけ飲み食いさせて、目一杯絞り取ってやろうという魂胆らしい。ご存知のように、メニューはそんなにお安いわけではない。それでもディナーをお摂りのカップルの姿も、ちらほら見受けられるし、皆様リッチな週末をお過ごしのことと感心する。勿論のこと、渋ちんな私は贅沢なオーダーは控えるとして(それでもお勧めのベルギービールを、2杯も頂いてしっまたのだが)、景気回復の為にも、他のお客様にはどんどん財布の紐を緩めて散財して貰いたいところだ。土曜日の夜ということで、客席にはけっこうカジュアルな服装が目立つ。気が引けたわけではないが、さすがに作業服は私だけだ。

場内の照明が落ち、やっとミュージシャンの登場だ。ステージ右手より貞夫氏がアルトを吹きながら現れる。ライヴのスタートは『Basie’s at Night』でも演奏されていたAlalake~Lpin’ だ。最初から全開といった感じがする。メンバーは渡辺 貞夫(as),小野塚 晃(p) , 養父 貴 / Takashi Yofu(G)、コモブチ キイチロウ(B), 石川 雅春(ds) , ンジャセ・ニャンN’diasse Niang(per)。ベースとギター以外はCDのメンバーと同じである。
3曲目はチャールス ミンガスのアップテンポのブルースBoogie Stop Shuffleだった。渡辺にしては意外な感じの選曲だ。
2曲ほどスローバラードが続き、コンサートの中盤から終盤はボッサ~サンバ系のナンバーが演奏された。Manha de Carnaval、 Chega  de Saudadeなど白熱した演奏に、会場内にはやんやの喝采が湧き起った。特にパーカッションのンジャセ・ニャンはすごい迫力だった。CDも素晴らしい出来栄えだったが、あのパワフルな音圧は、ナマでなければ到底実感できないだろう。ライヴではどうしても、楽器のバランスが崩れて打楽器系がやかましく聴こえるものだが、私にはあの激しい空気の振動が痛快だった。日ごろの憂さやストレスも、一瞬にして吹っ飛んでしまった。たまにはこんな演奏に触れて鋭気を吹き込んでもらわなくては。
貞夫氏のバイタリティにも敬服する。とても70代後半とは思えない。孫ほど歳の離れたメンバーを引連れて、コンサートツアーを敢行する元気さには、只々感服するのみだ。ステージではいつもニコニコと朗らかである。無愛想なジャズマンは多いけれど、氏のような明るいキャラは貴重だ。
気にかかったのは、貞夫氏がマイクスタンドから少し離れた位置で吹いていたことだ。ややマイクがオフ気味な感じがしたけれど、意識してそうしていたのだろうか。我々の位置からはけっこうアルトの生音が聴こえた。果たして後ろの席にも届いたのだろうか。肺活量も健在。気力、体力ともに、まだまだ衰えを感じさせない。多分、西梅田で迷子になることもないだろう。
本ステージのラストは、やはり『Basie’s at Night』で演奏されていたOne for Youだ。メロディーが素敵で、ライヴでは恐らくよく取り上げられるのだろう。最後に知っている曲、それもお気に入りのナンバーを演ってもらえるなんてすごく得した気分になった。
メンバーは一旦楽屋に引き揚げたが、拍手は鳴りやまない。アンコールは、My Foolish HeartYou’d Be so Nice to Come Home toの2曲。作法通り、お馴染みのスタンダードで締めくくりと云ったところだ。終演時刻は、すでに10時半をまわっていた。お支払いはかるく一万円を超えたが、納得できる内容だった。
タカさんはサインをもらおうとねばっていたらしいが、流石に追い返されたらしい。いくら元気が売りの貞夫氏でも、まあ仕方ないか。


Live from Basie’s

2010-05-14 10:45:38 | 変態ベース

Live from Basie’s

渡辺貞夫                                By 変態ベース

5月の末に、渡辺 貞夫のコンサートに行く予定だ。久方振りのライヴハウスなので、今からわくわく楽しみにしている。この不景気の最中にも関わらず、私の勤務先は猫の手も借りたいくらい大変忙しい状況である。それ自体は誠に有難いことであって、もちろん不平を洩らす筋合いのことではない。しかしよりによって楽しみにしているコンサートにかぶるように仕事が舞い込む事態が、いまさら恨めしく思われて仕方がないのである。タカさんにコンサートの予約を押しつけたにも拘らず、間違いなく行けるものか心もとない。コンサートのスタート時間が遅いので、きっと大丈夫だと楽観的に考えたいところが、歯車の合わない時はおおむねこんなものだ。無事会場に辿り着けるよう、お祈りを捧げる今日この頃である。
 さてコンサートが間近に迫ったということで、誘惑されるように渡辺 貞夫のCDを買ってしまった。前々回の例会でも渡辺のレコードを取り上げたけれど、彼のアルバムを購入するのは本当に久しぶりだ。『Basie’s at Night』は07年4月14日の録音である。もちろんBasieは、全国に名を馳せる一ノ関のジャズ喫茶である。メンバーは渡辺 貞夫(as),小野塚 晃(p) , 納 浩一(b) , 石川 雅春(ds) , ンジャセ・ニャンN’diasse Niang(per)
 この2枚組のCDは内容豊富で、大変楽しいアルバムだ。気が早いのを承知で申し上げるけれど、本作を今年聴いたベストアルバムに推挙したいくらいである。コンサートを直前に控え、いいアルバムに巡り合えて大変ラッキーな気分である。ビルボードのライヴも、このCD同様に期待したいものだ。以下、アルバムの曲目をかいつまんで紹介したい。

オープニングのOne for Youは、如何にも渡辺らしいラグジュアリーなひと時を演出するナンバーだ。彼は本当に曲つくりがうまい。もし仮に演奏家として大成していなかったとしても、中村 八大のように作曲家としてやって行けたのではないか。そんな感想を抱かせるくらい、渡辺の作曲は秀でている。聴いた瞬間に好きになる。そんなことって誰でも一度や二度、経験があるだろう。この一曲で決まりといった感じの爽やかな演奏だ。
続くPlum Islandはかつての盟友チャーリー マリアーノの作品。渡辺の好みらしいセンチメンタルなメロディーが耳に残る。
3曲目のI’m Old Fashionedは、けっこう速いテンポで演奏される。渡辺のお気に入りスタンダードで、同タイトルのアルバムが過去にもあったと記憶している。 
Alalakeはアフロっぽいンジャセ・ニャンのパーカッションと歌で始まる。やがてマリアーノの作った8ビートナンバーLpin’にメドレー形式で引き継がれていく。体が自然にリズムに揺さぶられていく。音楽の快楽とはこのような瞬間だ。アルバムの白眉的トラックといえるだろう。
小野塚のピアノも快調。タレントの蛭子能収みたいな風貌だが、演奏家としての腕前はあなどれない。世間には上手いミュージシャンが、まだまだたくさん埋もれているものなんだと感心する。しかし現実には、そういう情報が明確に伝わってこないところに問題がある。私は雑誌やレコード会社に、常々不満を感じている。はっきり言って、紹介される情報がかなり恣意的に偏っているように思えるからだ。発信元には、もっと公平にしてもらいたい。
Tembeaは渡辺が得意とするラテンビート。前曲の楽しいムードがそのまま継続している。ベイシーの夜はきっと盛り上がったことだろう。
次のDeep in a Dreamはヴァン ヒューゼンのペンによるスローバラード。しみじみと渡辺のアルトが、夜のしじまに響き渡る。
Majiは、再び渡辺のオリジナル。ラテン~アフロ風のパーカッションの競演で幕が上がる。ちょっと長い演奏だが、リズムに身を委ねていると、時の立つのも忘れる。
2枚目も内容が充実している。
Bye Bye Babeは16ビートのヒップなナンバーだ。これまたマリアーノの小品だ。このアルバムは、亡くなったマリアーノに捧げる思惑があったのだろう。
タイトルナンバーのBasie’s at Nightも、前曲と同じくファンキーな演奏だ。
3曲目は、Life is All Like that for Snoopy & his Friendsという長ったらしいタイトルが付いている。憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれそうなハッピーな演奏だ。シャッフルビートに乗って、軽快な渡辺のアルトが心にくい。爽やかに晴れた日、ジョギングしているように気持ち好い。
See What Happensは、ルグランのWatch What Happensのもじりだろうか。Salt Peanutsを引用したアップナンバー。パーカー風のバップスタイルは渡辺のルーツである。
Call Meはボサノバタッチのメランコリックなメロディーが印象的だ。渡辺のトレードマークのような楽曲だ。
Manha de Carnavalは云わずと知れたルイス ボンファの有名な作品。コンサートにこのような有名曲は付き物だろう。
次のEpisodeは、6/8のモード調演奏だ。以前に聴いたような旋律だ。70年代にはやったタイプの楽曲だ。ちょっと思い出せないが、彼の旧作のいずれかに収録されていたのだろうか。
Karibuはヒットアルバム『Orange Express』からの再演。カリプソ風のリズムに乗った、フュージョンサウンドが懐かしい。かなり能天気な感じもするけれど、売れまくったアルバムだ。一時レコード売り場は、このようなアルバムで溢れかえっていた。
Harambeeは、ファンキーなゴスペル~スピリチュアル風の演奏だ。メンバー全員でコーラスを取る。これまたコンサートでは、よく見掛ける一幕だ。フィナーレも近い。
終曲Carinhosoは、ピアノとのデュオである。可憐なブラジリアンの小品だ。余韻を残しながら、コンサートが幕を下ろす。


ROCKIN' in RHYTHM

2010-04-18 11:03:00 | 変態ベース

ROCKIN' in RHYTHM

                                                                                       By 変態ベース

キングクリムゾンはブリティッシュ/プログレシブロックの世界では、特別な存在である。そのカリスマ性は、一体何処にあるのだろう。『クリムゾン キングの宮殿』は彼等のデビューアルバムだが、曰くビートルズの『アビーロード』をヒットチャートから蹴落とした ―― 実際はそんな現象は確認されていないようだが ―― など、神格化されたイメージに支配されていている。宮殿どころか、まるで難攻不落の要塞のように堅牢だ。私のような中途半端なプログレ好きが、不朽の名作とも崇められるアルバムを迂闊につつこうものなら、それこそぐうの音も出ないくらいコテンパンにやり込められてしまうだろう。今も『宮殿』は、熱烈なファンの垣根に守られているのだ。
キングクリムゾンの演奏は、確かにそこら辺のロックバンドが束になってかかっても、蹴散らされてしまうだろう。演奏技術の高さ、構成の緻密さ、独特な幻想的イメージ。技術と内面、あらゆる角度から眺めても、非の打ちどころがない金字塔が『クリムゾン キングの宮殿』なのである。
本アルバムは69年に発表された。今でこそメロトロンの音が、剥がれかけた壁紙のように色褪せて聴こえる。しかし当時は、オーケストラ的効果を安価に得る手段として、シンセサイザーやメロトロンのような電子楽器が重用されたのだ。結果的にB級ムービーのようなちゃちな音になってしまったが、その頃のテクノロジーではこれが限界だったのであろう。いやむしろ、この玩具のような電子音こそ、時代と共に新たな付加価値を取り戻し、ビンテージ品として輝きを取り戻すのかもしれないのだ。
『クリムゾン キングの宮殿』を例にとれば、彼らの特色は、21世紀の精神異常者に聴かれる神経質で禍々しいサウンドと、エピタフに代表される耽美的なスローバラードに集約される。
前者にはどこか不協音的な響きがあり、人を不安の淵に追いやる。即興性に富み、ノイズっぽい不健全な音質こそ、クリムゾンの基調といえるだろう。
それに対し、後者は静謐で幻想的だ。その美しい旋律は、挽歌のように感傷的な陰影を落としている。この背反二律が、クリムゾンミュージックの骨格として、74年の『Red』まで継承されたのである。
『宮殿』は、ジャケットの異様さや、アルバム全体を覆うミステリアスな雰囲気も加勢して、俗に言う歴史的名盤という賞賛まで勝ち得たようだ。その完成度と鮮烈さが、彼等の存在感を世にアピールしたと同時に、プログレシブロックというコンテンツを、メインステージまで押し上げた。常に雑誌や名鑑に紹介される所以である。
しかしその過剰ともいえる反応が、自らの足枷となったことは皮肉である。『ポセイドンの目覚め』『リザード』『アイランド』と続くアルバムもまた、優れたアルバムだったが、それらは『宮殿』なくして、ひとり立ちできるほどの傑作ではなかった。我々は常に『宮殿』の名声と庇護の元、まるで不出来な副産物であるかの如く、これらのアルバムを捉えてきた。『宮殿』の亡霊から開放されることは、鬼才フリップをしても、決して容易なことではなかったのだ。72年、『アイランド』収録後、フリップはその呪縛から逃れるように、グループを解散する。
結成以来、既に40年近く経つが、その間に何回かの解散と、数え切れないほどのメンバーチェンジを繰り返してきた。メンバーの入れ替わりの裏には、ワンマンにグループを取り仕切る、ロバート フリップの存在があったことは言うまでもない。論理的にして、冷徹。形式や構成を重んじつつ、実験と破壊を繰り返す分裂症。
意見の食い違うメンバーに対しては、有無を言わせない解雇劇もあった。キング クリムゾン=ロバート フリップの構図は、メンバーを粛清していく過程で、ますます強固なものとなっていった。
元々プログレ系のグループは、インテリが多い。クリムゾンもご多分に漏れず、お高くとまっている雰囲気がある。イエスやジェネシスのように、途中からポップスに走ったプログレ系グループもある中、クリムゾンに関しては、偏執なまでにストイックとでもいうか、全くそんな素振りすら見せなかった。
しかし未だ多くのファンを繋ぎ止めて放さないのは、ある種偏ったフリップの頑迷さに惹かれていることも事実だろう。私などは決してクリムゾンマニアではないが、その心境は何となく理解できる。
フリップという人物は謎めいている。完璧に近いギターテクニックと、厳格な音楽的実践。強迫観念とコンプレックスに押しつぶされた軋みが、クリムゾンという隠れ家なのだ。
再結成されたクリムゾンも、基本的には『宮殿』の延長線上にあるものと思われる。更に即興的な要素が拡大し、内向的な情緒性はやや後退した。メカニカルな特色がより鮮明になった分、音楽の温度も少し下がったように感じる。初期の3部作で重用された、悪評高い?メロトロンの音質が改善したことも、アルバムのクオリティを高める一助となった。
73~74年に制作された、『太陽と戦慄』『暗黒の世界』『Red』の3作品は、よく似た傾向を示す。この時期をクリムゾンの絶頂と推すファンも多い。それは、主要メンバーであるフリップ、ビル ブラフォード、ジョン ウェットンが固定され、音楽的なベクトルが安定したからだろう。特にイエスからブラフォードを引き抜いたことが大きい。構造的なクリムゾンミュージックの輪郭を、より鮮明に描けるようなったからだ。クリムゾンを語る上で、欠かすことのできないミュージシャンである。(おかげで私の大好きなイエスはガタガタになったが)
私も、この時期の演奏が最も秀でていると思う。(但し、『暗黒の世界』に限っては、その意図がよく分からない)「構築6割、即興4割」とフリップがコメントした『太陽と戦慄』は、緊迫感があってクリムゾンのアルバムの中でも傑出している。サウンド的にヘビメタ風に聴こえる部分もあるが、実は緻密なスコア―を元に演奏されている。静と動、騒と寂。その空間を、ノイジーなギターが埋めつくし、ドラムのビートが寸断する。
終曲太陽と戦慄 パート2の幾何学的な演奏は、クリムゾンミュージックの勝利とも言うべきものである。フリップ、デビッド クロス、ブラフォードのインタープレイは、えもいわれぬ感動と充足感をもたらす。
『Red』もまた傑作の誉れ高い。楽曲的に親しみやすく、プログレファン以外にも分かりやすい作品である。タイトル曲RedからFallen Angelに至るアルバムの前半が美しい。イアン マクドナルドやメル コリンズなど、結成当時のメンバーもゲストとして加わった。無機質なイメージは若干薄れたが、相変わらずダークな魅力に満ちている。『太陽と戦慄』と、甲乙つけ難い出来栄えである。クリムゾンファンの多くは『Red』迄で、ひとつの時代が終わったと受けとめている。私もおおむねその意見に賛成だ。
熱心な音楽ファンにとって、特定のミュージシャンの未発表音源は気になるものだ。そのファンが熱烈であればあれほど、マニアックな欲求は際限なく広がっていく。そしてその欲求は、往々にして海賊盤という形で満たされることがある。ミュージシャンにはしゃくの種である。
フリップは、クリムゾンの古いライブ音源を持ち出しては、それをしつこくCD化して切り売りしている。古い音源の商品化に関して、フリップ自身は海賊盤への腹いせだと説明している。しかしそれシリーズ化してまで発売するというのは度を越している。レア―な音源が発売される度に、目の色を変えるのがファンやコレクターである。そんなファン心理を手玉に取って、必要以上に射幸心を煽るのは、やり過ぎではないだろうか。
フリップは金儲けの話になると、なりふり構わない一面がある。CDの版権に対する、がめつさもさることながら、キング クリムゾン名義への固執も胡散臭い。結成当初からのメンバー交替を繰り返し、オリジナルクリムゾンは早々にフリップひとりを残すのみとなった。それでもキング クリムゾンの名前に執着するあたりは、せんさくをすれば、キング クリムゾンの看板さえあれば、アルバムが売れるという理由に辿り着く。一種の商標ブランドのようなものである。フリップほど商魂たくましいミュージシャンもいない。


Chet ~ 名盤になりそこねた一枚

2010-04-11 21:16:04 | 変態ベース

Chet
~ 名盤になりそこねた一枚
                                          By 変態ベース

 私はチェット ベイカーのことをよく知らない。それでもここ数年、藤田さんの薫陶よろしく、まめに聴くようになった。赤いジャケットの、『Chet Beker Russ Freeman Quartet』なんかは、かなりの快作だと思うし、CTIの『枯葉』も楽しいアルバムだ。作家の辺見 庸は、エッセイの中で日課のようにベイカーの演奏を聴くと語っていた。人を虜にして離さない魔性のような気配が、彼の周辺には立ち込めているのだ。
一般的に、ベイカーのユニークさを象徴する作品として知れ渡っているのは、『Chet Baker Sings』ではないだろう。私がツタヤで借りたそのCDには、ジョー パスのギターがオーバーダビングされていたが、一体何のために追加されたのか理解に苦しむ。
ヴォーカリストとしてのベイカーの評価に関しては、賛否両論分かれるところだが、KJS諸氏の感想は如何なものだろう。私なんかは彼の声にそれほど苦痛こそ感じないが、さりとて積極的に棚から取り出して聴きたいという気分にはならない。テクニック的に稚拙な部分も感じられるし、ピンのヴォーカリストとして扱うには、どこか無理があるように思ってしまうのである。まあ、毒にも薬にもならないってところが正直な実感だけど、なにぶんチェット ベイカー初心者のたわ言だから、数年後には正反対のことを臆面もなくほざいているかも知れない。きよ毀誉ほうへん褒貶は世の常なのだ。

『Chet』に対する世間の評判はどのようなものなのだろう。1958年、リバーサイドに吹き込まれたこのアルバムは、魅惑的なスローバラード集だ。ヴォーカルの余興抜きで取り組んだ本作に、私はかなり好感を持っている。ただ、どうしてバリトンサックス(ペッパー アダムス)やフルート(ハービー マン)が入っているのか解せない。アダムスはサド~メル オーケストラのメインソロイストとして活躍した名手だ。しかし本当にこのアルバムに必要だったのか。ハーモニーを添えるだけならまだしも、のこのことテーマまで吹いたりしては、演奏の流れを台無しにしてしまったと言われても抗弁しがたい。ベイカーのトランペットにエヴァンスのピアノトリオ。彼の演奏を浮き彫りにするには、それもバラード集ならばなおさら、シンプルにワンホーンカルテットで良かったと思う。『Chet』は、ベイカーの名声を更に高めるアルバムになるはずだったのだ。
名プロデューサーと呼ばれたオリン キープニュースにしては、いささかピンボケの采配と云わざるを得ない。演奏に厚みを持たせようと知恵を絞ったのだろうが、かえって陳腐になってしまった。名盤に成りそこなった一枚。この場に居合わせたら、ちょっととっちめてやりたいところだが。


Live from Montreux  ~渡辺貞夫

2010-04-04 09:52:08 | 変態ベース

Live from Montreux
~渡辺貞夫                               By 変態ベース

今、壮年期を迎えるジャズファンなら、「マイ ディア ライフ」というFM番組が記憶に残っているはずだ。毎週土曜の深夜は、チューナーに電源が入る。油井 正一の「アスペクト イン ジャズ」(たしかジェリー マリガンのNight Lightsがテーマミュージックだった)と共に、ジャズ好きにとって貴重なひと時だった。あの頃は、お小遣いも少なかったし、レコードなんてそう簡単に買えるものではなかった。そんな中、只で聴けるFM放送に、巷のジャズファンは耳を傾けたのである。
1933年2月1日、渡辺貞夫は宇都宮に生を受けた。当年77歳を迎え、アルバムも70作に達する。さすがに以前ほど精力的ではないが、相変わらずコンサートやレコーディングに活躍している。新作も若手を従えるなど、老いてますます盛ん。若い頃はぎたぎた脂ぎった印象があった。見るからに不潔で近寄っただけで臭いのしそうな風体だったが、近年は品よく枯れて、柔和さを増してこられた。写真のお顔を見てもこちらの心が和む。持ち前の明るいキャラで、周囲に元気を与えていることは、誠に悦ばしい限りだ。
渡辺貞夫の歩みは、日本のモダンジャズの歴史である。50年代より、守安 祥太郎や穐吉 敏子とセッションを重ね、60年代初頭にはバークリー音大へ留学をした。帰国後はジャズ以外にボサノバやアフリカ音楽にも傾倒し、70年代後半にはリー リトナー、デイブ グルーシンなど、フュージョン系のミュージシャンとも共演を果たした。実年齢と反比例するように、音楽の質がどんどん若返っていくバイタリティには脱帽だ。ジャズにこだわらず、外へ大きく踏み出していく、タフネス、無鉄砲さは、まさに好奇心の塊というか、我々常人には想像はできても到底まねができない。この時代の渡辺の活躍ぶりは八面六臂。打ち出の小づちを振るように、音楽を量産したのであった。
そんな渡辺の名前を世界に知らしめたのは、やはり1970年のモントルー ジャズ フェスティバルへの出演ではなかったか。人々の目には、当時の渡辺が日本ジャズ界をけん引する、リーダー的存在のように映ったはずだ。しかし考えてみれば彼も、ジャズマンとしてはまだまだ若手(37歳だった)。自分のグループを率いて、スイスくんだりまで乗り込んでいった胸中はどのようなものだったのだろう。緊張と昂ぶりで、足が地に着かない状況だったのか。それとも、意外なくらい落ち着き払っていたのか。渡辺貞夫 (as,fl,sn) , 増尾好秋 (g), 鈴木良雄 (b) , 角田ヒロ (ds) 。他のメンバーも若い。みんな恐れを知らぬ20代だったのだ。
この模様を捉えたのが、『Sadao  Watanabe at Montreux Jazz Festival』である。ジャケットに写る建物のシルエットは、ビル エヴァンスのアルバムでもお馴染みの、レマン湖畔のお城である。アルバムは司会のMCで幕を開ける。「次は、日本からやって来たアルトプレーヤーを紹介しよう。・・・サデオ ・・・・ワナタベ」罠田部 乍出男? そんな人いたっけ。
オープニングチューンは、Round Trip 。LPの片面を占めるこの曲は、20分を超える長―い演奏だ。超アップテンポの前半と、ミディアム8ビートの後半の二部構成。何事も、あっという間に終わってしまう私には、この長さがかなり苦痛である。CDプレーヤーだったら、即早送りだ。
さてこの曲で使用されたのが、噂のソプラニーノである。ソプラノサックスもそうだが、高音域の楽器はどうも長く聴くと疲れてしまう。バイオリンなどの高音域の音楽が、脳に心地よい刺激を与えると云うが本当なのかな。テナーなんかと比べると、音がやせてぎすぎすしているように思うのだが。そんな特性が私の好みにそぐわないみたいだ。Round Tripは、コリア、ヴィトウス、ディジョネットを迎え、スタジオでも録音された。こちらはもっともっと速いスピードで演奏されている。
B面はJJジョンソンのLamentで始まる。数あるジャズマンのオリジナルの中でも、特筆に値する美しいバラードだ。渡辺が頻繁に取り上げるナンバーだ。しだいにテンポをあげ、熱気を帯びてくる辺りが山場だ。次のTokyo  SuitePastoral は渡辺のオリジナル。Pastoralは、マイルスのIn a Silent Wayとよく似た牧歌的な味わいがある。
1975年、渡辺は再度モントルーのステージに立った。メンバーは、渡辺貞夫 (as,fl,sn) , 本田竹曠(p) , 河上修 (b) , 守新治 (ds)である。この録音には、『Swiss Air』というタイトルが与えられた。ジャケットの趣味は最悪だが、演奏内容は素晴らしい。私が最もよく聴いたアルバムのひとつだ。
「ウェルカムバック サダオ ワタナベ」ようやく名前も、正確に覚えられたようだ。A面の2曲は、前作の『Mubali Africa』からの再演である。躍動的なビートに乗ったこれらの演奏は、グループの方向性をよく顕したものだ。Masai Steppeは6/8の少し速いナンバー。元々アフロビートで演奏されていたが、本作はもっとリズムがタイトになった。アルトの切り込みも鋭い。次のTanzania Eはシンプルな8ビートでスタートする。中盤からリズムがスインギーにシャッフルし始め、演奏はピークに達する。渡辺のソプラニーノも軽快!?本田以下のメンバーもフロントを盛り上げるべく、前へ前へビートを繰り出すが、残念なことにドラムスが走り気味になってしまった。それでも演奏全体のダイナミズムは見事だ。どうだ、ジャポンジャズの神髄を見たか。
ピアノの本田竹曠は、2006年に惜しくも亡くなったが、公私共に渡辺を支える存在だった。グループを離れてからはネイティブ サンで活動したものの、90年代に入って体調を崩し、その後も長い闘病生活を強いられた。絶大な人気を誇ったピアニストであっただけに、晩年の苦節は本人にもファンにも心残りであったに違いない。Swayは渡辺が書いたスローバラードだ。リリカルな本田のプレイが眩しい。
次のWayは、一転して急速でモーダルな感じの演奏。グループ全体がエネルギッシュに全力疾走する。
終曲Pagamoyoはアフロビートの小品。渡辺のフルートが愛らしい旋律を紡いでいく。渡辺は稀にみるメロディストだ。収録時間の都合でフェイドアウトするのが残念だ。

※この文章は2010年3月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた変態ベースさんの記事のリニューアルです。


Black Hawk / Miles Davis ~ 名盤になりそこねた一枚

2010-04-02 21:45:04 | 変態ベース

Black Hawk / Miles Davis
~ 名盤になりそこねた一枚                       By 変態ベース

マイルス デイビスの性格の悪さは、ジャズ界の常識だ。メンバーをいびったり、時には暴力をふるったり、醜聞が絶えない。ハンク モブレーもきっとその被害をこうむったひとりだったと思う。いわれのない露骨な嫌がらせを受ける事もしばし。ロリンズ、コルトレーンの影で、ひとクラス格下のプレイヤーと見くびられていた気配がある。天才は傲慢で、我が儘なものだ。しかし、暴君にお仕えする身は堪ったものではない。悲しいかな、そのプレイヤーの性格のいびつさと、作品の低劣さは、必ずしも比例するとは限らないのである。
マイルスのアルバムは、どれも高い評価を得ている。シーンにベクトルを与え、数年後を占う先進的なコンセプトを持っていたからだ。でもまれには話題性に欠く作品もあった。『Miles at the Blackhawk』は、誉れ高き諸作品に比べると、ほんの少し地味な感じがする。それは多分、メンバー的にも過渡期というか、谷間のような時期に差し掛かっていたからだろう。コルトレーンやガーランドいた最初のクインテット。ショーターやハンコックを擁したニュークインテットのはざ間では、どんなメンバーをかき集めてもB級扱いされてしまうのが運命だ。
ミドル級のチャンピオンと揶揄されたモブレーや、エヴァンスの代役みたいな評価を受けたケリーを加えたブラックホーク クインテットは、本当にB級品だったのか?しかし見識あるジャズファンには、よく思い出してもらいたい。ギル エヴァンスのオーケストラと共演したあのカーネギーホールの熱演も、実にこのクインテットが主体になっていたのだ。あらさがしや先入観に捉われると、ことの本質を見あやまる。モブレーのソロなどは、自身のリーダー作では味わえないほどガッツとテンションに満ちているし、ケリーやコブがスインギーにグループを盛り上げる様は名人級である。誰にもB級だなんて言わせない。そんな有りもしない噂をうのみにしていたら、本当に素晴らしい演奏を聴き逃してしまうことだろう。『Miles at the Blackhawk』が名盤になりそこねたという噂が定説だとすれば、それは我々がまともに判断する耳を持たなかったからだ。
例会でもこのアルバムを紹介したことがあった。ご記憶の方もおられるだろう。その時、『ブラックホークのマイルス』にまつわるエピソードをお話したと思う。話の内容は、おおむね以下のとおりだった。数年前このブラックホークの完全盤が、ボックスセットになって発売された。その演奏を聴いて唖然としたことがあったのだ。それはAll of Youに於いて、ハンク モブレーのソロが丸ごと切り取られていたことだ。オリジナル盤では、マイルスとケリーがソロを取り、テナーのモブレーには出番がない。マイルスからケリーへのバトンの瞬間が、何分の一拍か微妙にずれたような不自然さはあったものの、それはマスターテープに疵でもついているのかなくらいに思っていたのだ。以前から、どことなく変な録音だなあという印象もあったが、それほど気にも留めなかった。モブリーがソロを取らせてもらえないのは、きっとマイルスから虐められていたからだ。まさかテープにハサミを入れるなんてことは、想像すらしなかったのだ。
しかし真実はそうではなかった。コンプリート盤では、マイルスとケリーの間にモブレーのテナーソロがしっかりと収録されていたのである。それはもう開いた口が塞がらないくらい仰天した。ソロを取らせてもらえなかったなんて事実はなかったのだ。いとも無造作にモブレーのソロは録音から抹殺された。それがことの真相だったのだ。長年オリジナル演奏に慣れ親しんだ耳は、このコンプリート音源を聴く時、いつもぎくしゃくとしている。
CBSコロンビアのプロデューサーは、テオ マセロ。後に『In a Silent Way』のマスターテープを、外科手術のように切ったり貼ったりした男だ。モブレーのソロをちょん切ったことにも呵責はなかったに違いない。それを黙認したマイルスにも幇助罪が問われる。確かにLPは収録時間に制限があった。長尺の演奏はとても全収録できない。ある程度ハサミが入ることは容認しなければならないとしても、こんなに露骨にバッサリ切られるなんて、やるせないくらいモブレーって男は見下されていたのだ。あのLPを聴かされたモブレーの思いたるやいかばかりか。悲運なモブレーをかろうじて繋ぎとめていたのは、ギャラとグループの名声か。仮にブラックホークのマイルスが名盤になりえなかったとして、それをモブレーのせいにしたのでは全く的外れというものだ。

※この文章は2010年3月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた変態ベースさんの記事のリニューアルです。