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今年の冬にしたいことは?

2021-02-03 19:40:00 | 競争

ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか (祥伝社新書)
 加瀬英明著  『ジョンレノンはなぜ神道に惹かれたのか』

 1 物質が豊かになるにつれて、落ち着きがなくなる?

「今の人々は、なぜなのか、能率ばかり重んじて、急いでいる。

 急ぐほど、心が傷つくものだと。

今日の日本では、人々が自分しか顧みず、つまらない欲得によって、休みなく駆り立てられているために、苛立ちやすい。

 欲しいものが、何でも手に入るようになったのに、希望だけがなくなってしまった。

不満を解消するのに、怪しげな新製品やサービスを次々と求めても、すぐに飽きてしまう。また新しい物が欲しくなる。結局、自分を使い捨てにしている。

 スーパーやレストランが立派になるにつれて、家庭の食事が貧しくなったと。

2 幸福とは?

「ヒマラヤの人口68万のブータンで、GDPに代わって国民総幸福度のGNHが、導入された。しかし、人々が幸福を求めるようになったために、かえって自殺者や、鬱病患者が増えたと。

 このことは、現状に感謝することなく、意識して幸福を追求すると、不満が増えて、不幸になる。幸せという言葉を軽々しく使ってはならない。かえって不幸になる」と。
 

3 カタカナ語を使うと、軽い人間になる?

「カタカナの外来語が、偽りの生活を助長する。クレジットは借金のことで怖ろしいっことだが、恥ずかしくなくなる。ご飯をライスにすると、食べ残して捨ててよい感じが強くなる。

 性は重いが、セックスは軽い。

 カタカナ語は責任がなくなる。親はパパ、ママ、祖母はババ、と、まるで、ポチのようなペット犬の名に代わった。

日本では。私の、を使おうとすると、嫌がられる。マイホームとか、マイホビー、のように逃避型になることが多い。だからこそ、カタカナ英語で、マイカーとか、マイルームとか言わなければならない」と。

4 博物館の仏像を見世物にしていいのか?

「博物館では、仏像を人々の好奇の目に晒して、見世物にしている。ケースの仏像の前に立っても、線香も、灯明もあげないことに、違和感を覚えない。刹那にしか、関心がないのだ」と。

5 何故、日本人は人が集まる所へ行きたがるのか?

 「人は集まって、人々と一体になることで、安堵する。原始時代から。天性として群に属したいという強い欲求がある。
 新年の初詣や、人混みの中に身を置いたり、満員の野球場やサッカーのスタジアムで熱狂するのも群集の一部となった興奮を分かち合うと、心が落ち着く」と。

1人で黙々と何かをするオタクは以前、かなり嫌われた。特に、会社は和を大事にする。今も名残が残っている。
しかし、徐々に、ひとつの事にくわしいオタクはこれから重要視されるのではないかと思うが。

6 日本では神社で柏手をしたり、一本締めの時、何も考えてはならない?

「柏手について、日本では人々が集まると、全員で一緒に、一回か三回、両手を合わせてパンパンと打ち鳴らす。その間は、心を合わせて、何も考えてはなりません。心を空にして、何も考えません。ヒンズー教の瞑想と同じですね。

 神道の様式の礼拝は二礼二拍手一拝である。
 三本締めとか、一本締めがあるが、社民党や労組の会合でも、行われている」と。

7 美とは何か

「美という漢字は、羊と大を組み合わせている。大きな羊がまるまると肥えて、唾液腺を刺激して、見るからにおいしそうだから、美しいのだ」と。

 古代の人は、食べ物を見て外見からおいしそうな物を美しいと考えたのか。

8 中国人は残酷か

「中国の記録によると、儒教の始祖の孔子は、毎日、醤(ひしお)に即けた人肉を楽しんでいた。醤は、今日の味噌、醤油の原形となった発酵調味料と。

 以前、中国の紅衛兵が人民文化大革命の時に、多くの派に分かれて、全国にわたって、互いに殺してその肉を食べ合ったという本が、出版された。日本ではあまりにも酷いので、売れなかった」と。

かつて、ヨーロッパや中国では奴隷制があり、中国では宦官や纏足もあった。日本は中国からいい所どりをしたようだ。

 こういう話を聞くと、日本に生まれて良かったと思う。残酷さのけたが違う。

 9 今のコロナが日本に被害が少ないのは、やはり清潔心か?

「キリスト教徒は、身体的に。清潔でなかった。入浴する習慣がなかった。19世紀にパスツールが再起を発見するまでは、めったに体を洗うことがなかった」と。

かつて、フランスでは小便を家の二階の窓から落としたそうだ。伝統が今の日本をコロナからかなり救ってくれている。

10 日本では感性が理性より上に?

「感性より理知を上に置くのは、私たち日本人にはなじまない。日本語では、自分と相手が置かれた地位の関係で、わたし、わたくし、小生、など相手によって変わる。

しかし、ヨーロッパ諸語は、相手によって変わらない。日本では、相手に合わせて、一体になることをはかる文化であると。

  自分を周囲の人々に、預けている部分が大きいから、日本は優しいと。

  日本では、子供を育てる際に、みんなと仲良くしなさい、と教える。韓国では、一番になりなさい、負けるなと。中国では、他人に騙されるなと。

感性の方が、理性よりも心に近い」と。



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