轡田隆史著 『百歳まで読書』
1 読書すると、イケメンになる?
「三日、本を読まなければ、考えがまとまらなくなり、顔つきもみっともないものになる。言葉に味もなくなる、と、中国十一世紀の詩人・書家、黄庭堅(こうていけん)の言葉がある。
通俗的に解釈すると、男は、イケメンになるには、毎日、読書に励め、ということになると。
作家の石川淳も、面貌について、という章で、昔の中国の学者の間には、本を読むことは美容術の秘策、という考えがあった」と。
(これを信じると、本の内容によっても、顔貌は変わるのではないか。文学顔、社会科学顔、自然科学顔と分類できるかも。
電車の中で本を読んでいる人と、スマホでゲームをしている人の表情はたしかに違う。ああ、この人考えているな、と言える顔は美の一種ではないか。
寺の僧侶は普段からお経を読んでいるから、凛とした顔付きの人が多い。おおいに参考になる一文だった)
2 本好きになるには?
「丸谷才一氏によると、本屋で新書を買う時に、パッと開いて、面白くなかったり、文章が悪かったりしたら、ためらうことなく放り出せばいい。それが読書の第一歩だと。
丸谷才一氏は、毎日新聞の書評欄の刷新を頼まれ、新聞の書評欄に革命を起こした。
現代社会で大切な情報は新刊書にある。しかし、それらすべてを読む時間はない。
程度の高い案内者が要約してくれるのがイギリスの書評だと。
それを日本でもしたい。それで、精神が豊かになり、世界が広くなればいいと。
だから、書評を読むのは、立派な読書ですよ。日曜日の毎日新聞の、今週の本棚、は作者の必読のページだと。もしも、毎日を購読していないなら、日曜日だけ駅かコンビニへ行こう、と勧める」と。
(僕は、新聞の書評を読む事もあったが、毎日はほとんど読まなかった。丸谷氏が毎日の書評を作ったとも知らなかった。毎日の書評に読書人の間で定評があるという。
ちなみに、丸谷才一の『女ざかり』を読んだ人はわかると思うが、登場人物の新聞の論説委員の浦野は作者の轡田隆史氏がモデルだと)
3 皆さんの読書は、今までの趣味本ですか、それとも、未経験の本ですか。
「老齢に入ると、別れ道にぶつかる。
一つは、いまさら生き方を変えずに、これまでの踏襲でいこうと。
酒を飲んできたから、汁粉に変えたりしないで酒で通そうと。
今まで読んだ本をもう一度、じっくり読め返したり、自分の得意な分野の本を読み進もうと。
もう一つは、これからは違った道を歩こう。酒はやめて饅頭でいこうと。
読んだことのない世界の本を手にしよう」と。
(外山滋比古氏は、前者のタイプのようだ。新しい事より、今まで読んだことをアウトプットを勧めるが、作者の轡田氏は、新しい本をもっと読めと勧める。皆さんは?
僕は、この世界には余りも知らないことが多すぎるので、少しでも多く知りたい。ただ、あまりにも自分のレベルとかけ離れたことは諦める。少し、自分より上の内容に挑戦したいが。
轡田氏のこの酒と饅頭の比喩は何かに仕えると思う)
4 手を動かせれば考えられるのか?
「村上春樹は、文藝春秋で、
僕は手を動かして、実際に文章を書くことを通してっしかものを考えることのできないタイプだと。
考えをまとめるためのメモにも、言霊は働いているだろう。ことに漢字は象形文字ゆえに独特の喚起力を秘めている。
読書を文字をたどることで次から次へと、さまざまな場面を思い起こさせる。
それをメモすれば、考えは次第にカタチのあるものになり、まとまっていくと。
生きるとは、日々、さまざまな事物を自分なりに要約しながら暮らすこと。
読書して感想文を書くなら、感想は抜きにして、読んだ本の要約を書いてみる。
長さを400字とか、800字というようい字数を制限する。書く作業は、要約する作業だと。
本当の意味で、考える、とはどういうことか。
何事についてもなせ、であるかを問いつめることだ」と。
(確かに、読んだ本を要約していると、ふと自分なりの思いつきにぶつかる。作者が思ってもいないことを勘違いし、自分なりに解釈するのも面白いと思う)
1 読書すると、イケメンになる?
「三日、本を読まなければ、考えがまとまらなくなり、顔つきもみっともないものになる。言葉に味もなくなる、と、中国十一世紀の詩人・書家、黄庭堅(こうていけん)の言葉がある。
通俗的に解釈すると、男は、イケメンになるには、毎日、読書に励め、ということになると。
作家の石川淳も、面貌について、という章で、昔の中国の学者の間には、本を読むことは美容術の秘策、という考えがあった」と。
(これを信じると、本の内容によっても、顔貌は変わるのではないか。文学顔、社会科学顔、自然科学顔と分類できるかも。
電車の中で本を読んでいる人と、スマホでゲームをしている人の表情はたしかに違う。ああ、この人考えているな、と言える顔は美の一種ではないか。
寺の僧侶は普段からお経を読んでいるから、凛とした顔付きの人が多い。おおいに参考になる一文だった)
2 本好きになるには?
「丸谷才一氏によると、本屋で新書を買う時に、パッと開いて、面白くなかったり、文章が悪かったりしたら、ためらうことなく放り出せばいい。それが読書の第一歩だと。
丸谷才一氏は、毎日新聞の書評欄の刷新を頼まれ、新聞の書評欄に革命を起こした。
現代社会で大切な情報は新刊書にある。しかし、それらすべてを読む時間はない。
程度の高い案内者が要約してくれるのがイギリスの書評だと。
それを日本でもしたい。それで、精神が豊かになり、世界が広くなればいいと。
だから、書評を読むのは、立派な読書ですよ。日曜日の毎日新聞の、今週の本棚、は作者の必読のページだと。もしも、毎日を購読していないなら、日曜日だけ駅かコンビニへ行こう、と勧める」と。
(僕は、新聞の書評を読む事もあったが、毎日はほとんど読まなかった。丸谷氏が毎日の書評を作ったとも知らなかった。毎日の書評に読書人の間で定評があるという。
ちなみに、丸谷才一の『女ざかり』を読んだ人はわかると思うが、登場人物の新聞の論説委員の浦野は作者の轡田隆史氏がモデルだと)
3 皆さんの読書は、今までの趣味本ですか、それとも、未経験の本ですか。
「老齢に入ると、別れ道にぶつかる。
一つは、いまさら生き方を変えずに、これまでの踏襲でいこうと。
酒を飲んできたから、汁粉に変えたりしないで酒で通そうと。
今まで読んだ本をもう一度、じっくり読め返したり、自分の得意な分野の本を読み進もうと。
もう一つは、これからは違った道を歩こう。酒はやめて饅頭でいこうと。
読んだことのない世界の本を手にしよう」と。
(外山滋比古氏は、前者のタイプのようだ。新しい事より、今まで読んだことをアウトプットを勧めるが、作者の轡田氏は、新しい本をもっと読めと勧める。皆さんは?
僕は、この世界には余りも知らないことが多すぎるので、少しでも多く知りたい。ただ、あまりにも自分のレベルとかけ離れたことは諦める。少し、自分より上の内容に挑戦したいが。
轡田氏のこの酒と饅頭の比喩は何かに仕えると思う)
4 手を動かせれば考えられるのか?
「村上春樹は、文藝春秋で、
僕は手を動かして、実際に文章を書くことを通してっしかものを考えることのできないタイプだと。
考えをまとめるためのメモにも、言霊は働いているだろう。ことに漢字は象形文字ゆえに独特の喚起力を秘めている。
読書を文字をたどることで次から次へと、さまざまな場面を思い起こさせる。
それをメモすれば、考えは次第にカタチのあるものになり、まとまっていくと。
生きるとは、日々、さまざまな事物を自分なりに要約しながら暮らすこと。
読書して感想文を書くなら、感想は抜きにして、読んだ本の要約を書いてみる。
長さを400字とか、800字というようい字数を制限する。書く作業は、要約する作業だと。
本当の意味で、考える、とはどういうことか。
何事についてもなせ、であるかを問いつめることだ」と。
(確かに、読んだ本を要約していると、ふと自分なりの思いつきにぶつかる。作者が思ってもいないことを勘違いし、自分なりに解釈するのも面白いと思う)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます