幕末に女子の教育ががよくできていた。武士の妻、武士の娘という女子教育がなかったら、幕府の滅亡は百年早かっただろう。これは明治まで残っていた。亭主はだらしないが、奥さんはしっかりしているのが明治の特徴のひとつだ。
忙という文字は立心編に亡ぶと書いてある。人間は忙しくなると心が滅びる。何か亡くなる。よほど気をつけないと、人間馬鹿になる。
人は名士に憧れるが、名士は名士になるまでが名士であって、だんだん名士になるにつれて、迷士になってしまう。本当に有力になろうと思うなら、無名でなくてはならない。マスコミに出たがるようになると、追い回されたりして、文字通り忙殺され、無内容になる。地位や名誉が出来れば、「忙中閑あり」で、閑を持つことだ。閑というもじは門の中に木が植えてある。なんとなく景色がのどかである。閑という文字は「ひま」であると共に「静か」という文字だ。静かだからくだらぬことから防ぐことができる。
大脳医学が発達して、人間は頭を使えば使うほどいいという。難しい問題と取り組めば取り組むほど頭は良くなる。易しいことばかりに頭を使うとダメになる。体も同じで夏は冷房、冬は暖房で育ったら、体も悪くなる。うんと苦しめなければならない。
現在の退化はいくらかは飲食のせいだ。飲食に伴う人と人との会話を耳にするがよい。中傷や虚言、詭弁、口先上手、下品話のオンパレードだ。これらは酒乱に相当するほど精神的退化を催す。仕事を終えて、残してくれた自由時間をこれらに吸収されるのは愚かなことだ。また、自由時間に三晩も四晩もテレビや映画を見たり、無意味な雑談で過ごすのは、精神的自殺行為ではないか。
日本人も戦争に負けて無一物にあるときはしっかりしてた。しかし、物が豊かになると、すぐに堕落してしまう。幸運に耐える方がより大きな美徳を必要とする。
成功とは何か。偉い人や有名人に会って話してみると、案外つまらん人間が多い。偉くなるまでは確かにに偉かったが、偉くなるうちに従って馬鹿になる。
大体、美人は薄っぺらで、形だけの美人がほとんどだ。男もそうだ。美男子は気障な奴だったり、薄っぺらい奴だったりする。男性美が男性美でなくなって、不愉快になる。美が本当に頭の下がるような美になるには、形の美より、心の美を要する。ブルドッグがくしゃみをしたような顔の男が修養すると、品威が出てくる。男性美ば出る。
伊達政宗は独眼竜で片目というのは醜です。しかし、修養すると、片方の目が何とも言えない妙味が出てくる。昔から片目の人は非常に偉い人がある。風貌は焼き付いて離れない。おれは片目だという意識があるから、真剣に勉強する。しかし、俺は美男子だとか、美女だと思うと、自惚れがあるから、勉強しない。却って人の誘惑にもろかったり、たあいないことになる。人間のおもしろい所だ。
利欲を追求すると、おかしいほど人の智を昏くする。大抵はガサガサと利を追って利を失う。利を追求すると、どこかで悶着を起こす。繁栄すると、忙しくなる。人が群がる。だんだん自己を見失い、本当の友はできない。
徳川時代の京都、鎌倉の南禅寺や建長寺などの五山の禅僧の間で
「東坡・山谷・味噌・醤油」ともてはやされた。東坡は蘇東坡、山谷は黄山谷で、台所に味噌醤油がなければならないように、精神生活には蘇東坡と黄山谷がいかんければならないという。
黄山谷曰く、士大夫三日書を読まざれば即ち理義胸中交わらず。便ち覚ゆ、面目・憎むべく、語言・味なきをと。
三日勉強しないと、自分の顔を鏡に映してどうも人相が悪い。ちょっとしゃべっても言葉に味がないことがわかる。
人体の皮膚の中で一番敏感なのは面の皮だという。全身の神経系統の一番尖端の過敏点で埋まっているという。人間全身の皮膚の中で顔面皮膚が一番鋭敏だという。
王陽明の言葉に、「天下悉く信じて多しと為さず。一人これを信ずるのみにして少なしとなさず」という痛快な言葉がある。天下の誰も信じてくれない。たった一人だけ信じてくれるという場合もある。己れ自身の問題だから、己れ自身の信ずるところがあれば
他人は問題ではない。これを信念という。大勢でわいわいという、それが気になるようならば自信がない。信念がない。めそめそするのは意気地のない話だ。こういう心境になるのが陽明学の特徴だ。だから昔から陽明学をやった人は毅然とした人物が多い。西郷南洲、河井継之助などその代表だ。
志ある人物は身を修めるのに静を以ってする。中国には静学がある。「静を以って身を修める」濫費しないこと。内に蓄えること、これを倹という。「倹以って徳を養う」とは人間余りに欲望享楽をほしいままにすると、精神エネルギーが駄目になる。人間が修養するのは「静以って身を修め、倹以って徳を養う」ということが大事だ。
飲食でも濃厚なものはすぐ生理的に失敗する。精神的にも必ずすさんでくる。俗に腹の皮がはれば目の皮がたるむ。大飯くらって、トンカツだ、ビフテキだと食っておったらすぐに生理はダメになる。むしろ淡白な野菜、米なら玄米の方が生命力に富んでいる。茄子や大根もくたくたに煮ないで、湯通しぐらいですませる。野菜サラダがよい。淡白にすれば、志・精神活動は理想に向かって活動できる。
薩摩では刻み煙草が名産だ。一番いい薩摩煙草は古い葉だけではいけない。新しい葉だけでもいけない。必ず煙草の古葉と新葉を交互に重ね合わせるそうだ。人間も同じで、先輩、大人、長者、後輩が協力して初めて改革できる。
忙という文字は立心編に亡ぶと書いてある。人間は忙しくなると心が滅びる。何か亡くなる。よほど気をつけないと、人間馬鹿になる。
人は名士に憧れるが、名士は名士になるまでが名士であって、だんだん名士になるにつれて、迷士になってしまう。本当に有力になろうと思うなら、無名でなくてはならない。マスコミに出たがるようになると、追い回されたりして、文字通り忙殺され、無内容になる。地位や名誉が出来れば、「忙中閑あり」で、閑を持つことだ。閑というもじは門の中に木が植えてある。なんとなく景色がのどかである。閑という文字は「ひま」であると共に「静か」という文字だ。静かだからくだらぬことから防ぐことができる。
大脳医学が発達して、人間は頭を使えば使うほどいいという。難しい問題と取り組めば取り組むほど頭は良くなる。易しいことばかりに頭を使うとダメになる。体も同じで夏は冷房、冬は暖房で育ったら、体も悪くなる。うんと苦しめなければならない。
現在の退化はいくらかは飲食のせいだ。飲食に伴う人と人との会話を耳にするがよい。中傷や虚言、詭弁、口先上手、下品話のオンパレードだ。これらは酒乱に相当するほど精神的退化を催す。仕事を終えて、残してくれた自由時間をこれらに吸収されるのは愚かなことだ。また、自由時間に三晩も四晩もテレビや映画を見たり、無意味な雑談で過ごすのは、精神的自殺行為ではないか。
日本人も戦争に負けて無一物にあるときはしっかりしてた。しかし、物が豊かになると、すぐに堕落してしまう。幸運に耐える方がより大きな美徳を必要とする。
成功とは何か。偉い人や有名人に会って話してみると、案外つまらん人間が多い。偉くなるまでは確かにに偉かったが、偉くなるうちに従って馬鹿になる。
大体、美人は薄っぺらで、形だけの美人がほとんどだ。男もそうだ。美男子は気障な奴だったり、薄っぺらい奴だったりする。男性美が男性美でなくなって、不愉快になる。美が本当に頭の下がるような美になるには、形の美より、心の美を要する。ブルドッグがくしゃみをしたような顔の男が修養すると、品威が出てくる。男性美ば出る。
伊達政宗は独眼竜で片目というのは醜です。しかし、修養すると、片方の目が何とも言えない妙味が出てくる。昔から片目の人は非常に偉い人がある。風貌は焼き付いて離れない。おれは片目だという意識があるから、真剣に勉強する。しかし、俺は美男子だとか、美女だと思うと、自惚れがあるから、勉強しない。却って人の誘惑にもろかったり、たあいないことになる。人間のおもしろい所だ。
利欲を追求すると、おかしいほど人の智を昏くする。大抵はガサガサと利を追って利を失う。利を追求すると、どこかで悶着を起こす。繁栄すると、忙しくなる。人が群がる。だんだん自己を見失い、本当の友はできない。
徳川時代の京都、鎌倉の南禅寺や建長寺などの五山の禅僧の間で
「東坡・山谷・味噌・醤油」ともてはやされた。東坡は蘇東坡、山谷は黄山谷で、台所に味噌醤油がなければならないように、精神生活には蘇東坡と黄山谷がいかんければならないという。
黄山谷曰く、士大夫三日書を読まざれば即ち理義胸中交わらず。便ち覚ゆ、面目・憎むべく、語言・味なきをと。
三日勉強しないと、自分の顔を鏡に映してどうも人相が悪い。ちょっとしゃべっても言葉に味がないことがわかる。
人体の皮膚の中で一番敏感なのは面の皮だという。全身の神経系統の一番尖端の過敏点で埋まっているという。人間全身の皮膚の中で顔面皮膚が一番鋭敏だという。
王陽明の言葉に、「天下悉く信じて多しと為さず。一人これを信ずるのみにして少なしとなさず」という痛快な言葉がある。天下の誰も信じてくれない。たった一人だけ信じてくれるという場合もある。己れ自身の問題だから、己れ自身の信ずるところがあれば
他人は問題ではない。これを信念という。大勢でわいわいという、それが気になるようならば自信がない。信念がない。めそめそするのは意気地のない話だ。こういう心境になるのが陽明学の特徴だ。だから昔から陽明学をやった人は毅然とした人物が多い。西郷南洲、河井継之助などその代表だ。
志ある人物は身を修めるのに静を以ってする。中国には静学がある。「静を以って身を修める」濫費しないこと。内に蓄えること、これを倹という。「倹以って徳を養う」とは人間余りに欲望享楽をほしいままにすると、精神エネルギーが駄目になる。人間が修養するのは「静以って身を修め、倹以って徳を養う」ということが大事だ。
飲食でも濃厚なものはすぐ生理的に失敗する。精神的にも必ずすさんでくる。俗に腹の皮がはれば目の皮がたるむ。大飯くらって、トンカツだ、ビフテキだと食っておったらすぐに生理はダメになる。むしろ淡白な野菜、米なら玄米の方が生命力に富んでいる。茄子や大根もくたくたに煮ないで、湯通しぐらいですませる。野菜サラダがよい。淡白にすれば、志・精神活動は理想に向かって活動できる。
薩摩では刻み煙草が名産だ。一番いい薩摩煙草は古い葉だけではいけない。新しい葉だけでもいけない。必ず煙草の古葉と新葉を交互に重ね合わせるそうだ。人間も同じで、先輩、大人、長者、後輩が協力して初めて改革できる。