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人にとって大事なこと

2014-02-23 08:18:30 | 日記
幕末に女子の教育ががよくできていた。武士の妻、武士の娘という女子教育がなかったら、幕府の滅亡は百年早かっただろう。これは明治まで残っていた。亭主はだらしないが、奥さんはしっかりしているのが明治の特徴のひとつだ。


忙という文字は立心編に亡ぶと書いてある。人間は忙しくなると心が滅びる。何か亡くなる。よほど気をつけないと、人間馬鹿になる。
人は名士に憧れるが、名士は名士になるまでが名士であって、だんだん名士になるにつれて、迷士になってしまう。本当に有力になろうと思うなら、無名でなくてはならない。マスコミに出たがるようになると、追い回されたりして、文字通り忙殺され、無内容になる。地位や名誉が出来れば、「忙中閑あり」で、閑を持つことだ。閑というもじは門の中に木が植えてある。なんとなく景色がのどかである。閑という文字は「ひま」であると共に「静か」という文字だ。静かだからくだらぬことから防ぐことができる。
大脳医学が発達して、人間は頭を使えば使うほどいいという。難しい問題と取り組めば取り組むほど頭は良くなる。易しいことばかりに頭を使うとダメになる。体も同じで夏は冷房、冬は暖房で育ったら、体も悪くなる。うんと苦しめなければならない。
現在の退化はいくらかは飲食のせいだ。飲食に伴う人と人との会話を耳にするがよい。中傷や虚言、詭弁、口先上手、下品話のオンパレードだ。これらは酒乱に相当するほど精神的退化を催す。仕事を終えて、残してくれた自由時間をこれらに吸収されるのは愚かなことだ。また、自由時間に三晩も四晩もテレビや映画を見たり、無意味な雑談で過ごすのは、精神的自殺行為ではないか。
日本人も戦争に負けて無一物にあるときはしっかりしてた。しかし、物が豊かになると、すぐに堕落してしまう。幸運に耐える方がより大きな美徳を必要とする。
成功とは何か。偉い人や有名人に会って話してみると、案外つまらん人間が多い。偉くなるまでは確かにに偉かったが、偉くなるうちに従って馬鹿になる。
大体、美人は薄っぺらで、形だけの美人がほとんどだ。男もそうだ。美男子は気障な奴だったり、薄っぺらい奴だったりする。男性美が男性美でなくなって、不愉快になる。美が本当に頭の下がるような美になるには、形の美より、心の美を要する。ブルドッグがくしゃみをしたような顔の男が修養すると、品威が出てくる。男性美ば出る。
伊達政宗は独眼竜で片目というのは醜です。しかし、修養すると、片方の目が何とも言えない妙味が出てくる。昔から片目の人は非常に偉い人がある。風貌は焼き付いて離れない。おれは片目だという意識があるから、真剣に勉強する。しかし、俺は美男子だとか、美女だと思うと、自惚れがあるから、勉強しない。却って人の誘惑にもろかったり、たあいないことになる。人間のおもしろい所だ。

利欲を追求すると、おかしいほど人の智を昏くする。大抵はガサガサと利を追って利を失う。利を追求すると、どこかで悶着を起こす。繁栄すると、忙しくなる。人が群がる。だんだん自己を見失い、本当の友はできない。
徳川時代の京都、鎌倉の南禅寺や建長寺などの五山の禅僧の間で
「東坡・山谷・味噌・醤油」ともてはやされた。東坡は蘇東坡、山谷は黄山谷で、台所に味噌醤油がなければならないように、精神生活には蘇東坡と黄山谷がいかんければならないという。
黄山谷曰く、士大夫三日書を読まざれば即ち理義胸中交わらず。便ち覚ゆ、面目・憎むべく、語言・味なきをと。
三日勉強しないと、自分の顔を鏡に映してどうも人相が悪い。ちょっとしゃべっても言葉に味がないことがわかる。
人体の皮膚の中で一番敏感なのは面の皮だという。全身の神経系統の一番尖端の過敏点で埋まっているという。人間全身の皮膚の中で顔面皮膚が一番鋭敏だという。
王陽明の言葉に、「天下悉く信じて多しと為さず。一人これを信ずるのみにして少なしとなさず」という痛快な言葉がある。天下の誰も信じてくれない。たった一人だけ信じてくれるという場合もある。己れ自身の問題だから、己れ自身の信ずるところがあれば
他人は問題ではない。これを信念という。大勢でわいわいという、それが気になるようならば自信がない。信念がない。めそめそするのは意気地のない話だ。こういう心境になるのが陽明学の特徴だ。だから昔から陽明学をやった人は毅然とした人物が多い。西郷南洲、河井継之助などその代表だ。
志ある人物は身を修めるのに静を以ってする。中国には静学がある。「静を以って身を修める」濫費しないこと。内に蓄えること、これを倹という。「倹以って徳を養う」とは人間余りに欲望享楽をほしいままにすると、精神エネルギーが駄目になる。人間が修養するのは「静以って身を修め、倹以って徳を養う」ということが大事だ。
飲食でも濃厚なものはすぐ生理的に失敗する。精神的にも必ずすさんでくる。俗に腹の皮がはれば目の皮がたるむ。大飯くらって、トンカツだ、ビフテキだと食っておったらすぐに生理はダメになる。むしろ淡白な野菜、米なら玄米の方が生命力に富んでいる。茄子や大根もくたくたに煮ないで、湯通しぐらいですませる。野菜サラダがよい。淡白にすれば、志・精神活動は理想に向かって活動できる。
薩摩では刻み煙草が名産だ。一番いい薩摩煙草は古い葉だけではいけない。新しい葉だけでもいけない。必ず煙草の古葉と新葉を交互に重ね合わせるそうだ。人間も同じで、先輩、大人、長者、後輩が協力して初めて改革できる。

詩 時代おくれ

2014-02-22 15:11:53 | 日記
車がない ワープロがない ビデオデッキがない ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない
そんなに情報集めてどうするの
そんなに急いで何をするの
頭はからっぽのまま

すぐに古びるがらくたは
我が山門に入るを許さず
(山門だって 木戸しかないのに)
はたから見れば嘲笑の時代おくれ
けれど進んで選びとった時代おくれ
もっともっと遅れたい

電話ひとつだって
おそるべき文明の利器で
ありがたがっているうちに
盗聴も自由とか
便利なものはたいてい不快な副作用をともなう
川のまんなかに小船を浮かべ
江戸時代のように密談しなければならない日がくるのかも

旧式の黒いダイアルを
ゆっくり回していると
相手は出ない
むなしく呼び出し音の鳴るあいだ
ふっと
行ったこともない
シッキムやブータンの子らの
襟足の匂いが風に乗って漂ってくる

どてらのような民族衣装
陽なたくさい枯草の匂い

何が起ころうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとうに生きているひとびとよ

脳に良いこと

2014-02-08 10:34:32 | 日記


ボケない実験の仮説として
1)予定を立てること
新しい計画を立てることで未来に目を向ける。

2)時間を意識する
何を優先して物事を処理するか考え一日過ごす

3)先入観を持たないで新しいことに挑戦する

4)プライドを信じて行動する
日本への思いやりや使命感を持つ
道徳心は抗加齢作用がある

5)運動と睡眠時間をきちんととる

6)健康な食生活をする


心臓は動けば動くほど疲弊するが、脳は動けば動くほど活発になる。歳をとると、思考系、知識系の脳番地が優位になる。
時間を区切って、毎日の通勤時間で電車の中で10分暗記時間を作ってみる。漢文や英文を暗記してみる。体を動かしながら暗記するのは効率的だ。満員電車の中で立ちながら暗記する。
記憶は人生を未来に送り届けるためにあるようだ。
脳が良くなる点で多くの人が誤解しているのは、人よりたくさん本を読めば頭が良くなるとか、ボキャブラリーを増やしたら頭が良くなると思い込んでいる。そうではなくて、自分の目標を決めて、それを遂行する知識が必要で、そういう脳作りをした方がいい。その方が脳が喜ぶ。無造作に新聞を読んだり、何となく勉強しても、脳はさほど発達しない。
あるテーマをもって、発表するとなると、生活のあらゆる場面において、それに関係ある情報がパッと目に付く。関心を起こす事が大事で、関心がなければ、ろくな情報が集まらない。
自然と接する機会を増やす。突然やってくる、予想外の現象をどう自分が認知できる能力を磨くために必要で、将来のひらめきを養うことになる。
コンピュータゲームは脳の自由度を弱める。限定的な脳番地を使うからです。
脳トレをするよりも昔の懐かしいイマジネーションを浮かべると、脳は働く。幼少期の心ときめく体験を思い出してみると、脳は活性化する。
若い頃の理想の人物をもう一度思い出してみる。自分の目指すべき理想の人物を見出すだけで脳の育ちにいい影響を与える。模倣する人物を探して、それに一歩でも近づく。尊敬すべき人物をお父さんではなく、もっとスケールの大きい人物に当ててみる。なりたい姿をイメージして、それに近づくように努力すると、ゾクゾクとしてきて、脳にとても良い。
知の巨人である渡部昇一氏によると、本を読んだら、赤線で引き、重要な箇所はその上に丸をつけ、そのページ数とトッピックスを本の裏に書いておく。この三段階で、ノートとるより何十倍も多く本を読めるという。これらを行うと、読み終えてからも結構覚えている。あれはあの本のどこに書いてあったかは自然と覚えられる。これは脳活性になる。
現代のサラリーマンは自分は一体何を言いたいのかわからなくなっている。その対処方法としては、自分の心に対して耳を傾ける。先生がこう言ったが最初に起こる。しかし、かすかなる声が自分の中にある。それに耳を傾ける。
自分が思ったことはすべて価値があると思うこと。
中世には奴隷制度を撤廃した。それから騎士道が生まれた。騎士道では騎士が決闘する時には、立会人は双方に言い分があるという立場をとった。どちらが正しいとは言えない。ルールさえ守れば勝ち負けをつけてよい。しかし、負けた方が悪いとは限らないというのが決闘のルールだった。それが国際法のルールになった。しかし、中世を経験しなかったアメリカは騎士道を理解できていない。アメリカは国際法の基準を踏みにじった。それが東京裁判になった。
昔はイギリス人が頭がよかったわけではない。スペイン戦争で勝ったあたりから、近代史で新発明がイギリスで続々出てきた。安全なイギリスという評価があったので、自由に頭が働く。ドイツもビスマルクの頃から、学問で世界に業績を多く残した。しかし、第二次大戦後は、これという研究成果がない。これはナチスに対する罪悪感のため、ドイツ人がプライドを失ったからだ。
プライドは思考全体に影響を及ぼす。プライドに関する脳番地があり、超前頭野の11番で、人間の感情は取り巻く時代の潮流に強く影響される。

些細なことを大事にしよう

2014-02-02 11:11:02 | 日記
世間ではお茶汲みやゴミ出し等は雑用だと言う。しかし、雑用という用はありません。私達が仕事を雑にするから雑用になる。例えば、食堂で皿を洗うにしても、一枚洗うごとに、食べた人が幸せになるように、と祈ると雑用どころろか人格づくりになる。あるいは、チラシ一枚折るごとに、あの障害児が健康になりますようにイメージしながら折ると、祈っている自分が変わる。
何か辛いことを人から言われると、ああこの辛いことを私が我慢すればこの人がちょっと楽になると思うのです。


『星の王子様』に「本当に大切なものは目に見えない、肝心なことは心の目で見なくては見えないよ」と言う。自分の本当に愛するぬいぐるみがある人は、次から次へとぬいぐるみを買う人より幸せなのだ。
これからの一生の間に、何かをなさっている時に「これをあの人のためにしよう」と思ってください。まな板に包丁を下ろす度に祈りながら、願いながらする。これは他の動物には出来ない人間の特権です。
朝は暗闇から始まるのはすばらしい。世間では闇は悪いと考えます。暗ければ電気をつける。あかりをつけるともったいない。暗闇には暗闇の価値がある。友達に裏切られ、みんなから捨てられた、その孤独を安易なもので紛らすのはもったいない。人は孤独の中で成長します。いやが上でも襲ってくる孤独感があれば、しっかり受け止めて、闇がもったいないという感覚で、、孤独を味わって、安易なものでこわされないようにしよう。仕事が終わると、孤独を恐れるためにテレビをつける。音楽を聞く。それは孤独から一時的に逃避しているので、その時逃れても容赦なく再び襲ってくる。それに打ち勝つには素直に今の心の状態を見つめる。そうすると人間が深くなります。孤独を知った人の優しさ、ほほえみ、強さ、そういうものが生まれます。
当たり前を輝かすことを知らないと、愛する力は育たない。輝くものばから追い求めると、生活は非常に貧しくなる。当たり前を輝かして生きていく。感動することを忘れないで生きていく。当たり前を当たり前ととらないで、ありがたいと取る。感動するものを、新しいもの、珍しいもの、お高いもの、誰もが感心するようなものに求めないで、みんなが見過ごしてしまうようなものに見出せる人になる。どういうことかというと、日常の何気ない一コマ例えば、幼児が道端で笑ったのを見ると、あの笑いは以前の姪の子供の笑に似ているなとか、木々の鳥の鳴き声は普段より元気あるなとかと思い感動することです。
小説家のメレデイスは、ユーモアは愛するものを笑って、しかも愛し続けることができる能力だという。「あなたのセーターやぶけてるわ」と言われると、「風通しがよくって、どうりで涼しいわ」と言えるユーモアです。
最近、腰痛に日記を書くと治るというデータがある。第三者になって自分を観察してみる。これは腰痛治療だけでなく、自分にユーモアを持たせるためにも実行してみたい。
飽食の時代に美味しいご馳走を食べて、毛皮のコートを身に包み、外車を乗り回している人の喜びの顔と、一人の行き倒れの人に水を与えて、「
ありがとう」と言って安らかに死んでいく顔を見ながら、喜ぶ顔は同じでない。自分の喜びは、どういう質の喜びかと考えるべきだ。
人の顔。これを見るだけでも日々感動が湧いてくる筈だ。同じものはただ一つとしてない。
海の中で溺れている人に宝石より板切れ一枚の方が価値がある。死というものが行く手を阻む時、死ぬまでに何をしなければならないかというプライオリティができる。制限を受けることは、私達に優先順位を選ばせます。何もかもあれば死ぬまでになに一つできないで終わってしまう可能性がある。