下重暁子著 『極上の孤独』
1 一人での夕食で、思索できるか?
「誰かがそばにいると、神経はそちらに行く。誰にも気を使わずのんびり風呂に入り、一人で食事をし、思索に耽る一刻。この愉しさを知らない人に是非味わってほしい」と。
(独身者が仕事を終えて、帰ってすることは、テレビを見ながらの夕食ではないだろうか。
僕は、プロ野球を見ながら食べたり、他に面白いニュースはないかと、チャンネルをいじくる。。何せ落ち着かない。そのうちに、満腹になり、眠くなり寝てしまう。
毎日その繰り返しではないか。
王は一本足打法でホームラン王になった。イチロウも足を上げて打つ。そこから、片脚立ちが集中力に効き目あると聞いたことがある。
帰宅したら、しばらく、片脚立ちをして、思索したらいかがなものか。)
2 孤独を可哀そうと思う日本人?
孤独から逃げた人は、孤独が嫌いになる。孤独な人を可哀そうだと憐れむ。自分より下だと見て安心すると。
(今の学校教育は、集団生活を重視する。クラブ活動を勧め、協調性も小学生の通信簿の欄に、あった。
孤独は悪いものと教えている感じが強い。孤独が可哀そうだというのは、学校教育にマインドコントロールされているからではないか。
日本人は、特に、集団を好む。集団になると、思っても見ない自分が出る。酒を飲んでゴマをすったり。相手がどう思っているかを気にする。)
3 品とは何か?
生き方も顔に滲め出る。ごますり男はどこかその媚びがそめついているし、反骨で生きた人は、それなりに潔い顔になっていると。
品とは、お金があっても買えないし、体力があっても作れない。精神的に鍛え上げた、その人にしかないもの。賑やかなものではなく、静かに感じられる落ち着き。
ろう長(た)ける、という言葉があった。もう死語になりつつある。意味は洗練されて美しくなる、優美で品がある。
ろう長けた、女性がかつていたが、とんと見かけない。自己主張の強い女性は増えているが、自分の考えや意見を何度も練って、研ぎ澄ましていく、そういう作業を経てこそ品はでる。
言葉を選ばずに、発言するだけでは空疎でうるさいだけだと。
(僕のかつての高校の倫理の先生は、ゆっくり言葉を選びながら教えてくれたた。これを読んで思い出した。
この前亡くなったが、小説家の石原慎太郎氏も、目をぱちぱちさせながら、言葉を選んでいた感じがする。
明治の偉人と言われる人の顔写真をみると、髭をはやしている人が多い。
威厳あってこその髭が際立つだろう。
死刑判決を受けて寸前で、恩赦になった、ドストエフスキーの顔もそれが感じられる)
人に好かれたいと媚び、相手におもねったものは美しくない。そういう芸術は下の下であり、絵の奥にその人自身が感じられるからこそ、その絵に惹きつけれられる。惹かれる理由は、、引いているからだと、洋画家の小杉小次郎氏は言う。
引いている、とは、品を出すことで、自分を全面に出し過ぎない、自分を確かめるということだろうと。
(今の日本はアメリカに見習い、僕も、僕もの世界に入ろうとしている。しかし、日本の昔の偉人の伝記や古典を読むことで、取り返せると思うが)
4 親は子供の心を知っているか、子供は親の心を知っているか?
作者は、家族という病、の本の中で、お互い最も知らないのが家族であり、知っていると錯覚しているだけだと。家族幻想が大きいほど、ちょとしたことで落胆も大きく、憎しみに変わる。殺人事件で最も多いのが家族間であることを見ても明らかと。
(殺人事件で家族間が多いとは、初めて知った。
親は子供の事を何でも知っている、と言う人がいる。子供にしては、とても迷惑だろう。言えない事が山とある思春期に言う親は反省した方がいい。何でもしる親というのは、神に近い。そんな事言われると腹がった仕方ない。)
5 遊んでいる時、時計を見る人、気になる?
夜遊びの最中に、腹立たしいのは時計を見ることだと。時計を見るぐらいなら、酒を飲むなと言いたいと。
酒は静かに飲むべかりけり
若山牧水の歌にあるように、夜遊びに出たからには存分に一人を楽しむべし。
時間を気にしていては野暮だと。
(僕は、時計をすぐ見る人は、一つの事に集中できないからではないか、と思う。僕自身がそうだから。
昔、流行った言葉に、何事も一生懸命。遊びも仕事も。
遊びで時間を忘れる人は、仕事もできると)
6 将来を考えるより、今を大事に?
良寛は、災難に遭う時はあうがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法なりと。
災害にあうのを考えて、びくびく暮らすより、開き直ってしまえば、落ち着けると。
(これは、地震だけでない。将来の生計不安や、病気になるのを恐れるよりも、今の感じることを重視した方がいい。その積み重ねがその人の品になるのではないか)
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