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なぜ、日本人は災害にあっても冷静なのか?

2022-07-12 19:24:23 | 読書
山折哲雄著『「始末」ということ』


1 なぜ、日本人は、大災害に遭っても落ち着いた表情をしているのか?

世界の大災害時に、著者はテレビで人々の表情を観察するという。

 スマトラ島地震、アメリカのカトリーナ、中国四川大地震など。

被災地の表情は、悲しみ、怒り、絶望感で一杯だと。

日本の阪神淡路大震災や東日本大震災では、みんな穏やかな表情をしていると。

深い悲しみは、世界も日本も変らないが、この違いは何なのか。

 日本人は集団であることに安心感があり、被災したのは自分だけでなく、みんな同じだと。

 さらに、自然のもたらした事だからどうしようもない諦めがあると。


(ここ数カ月、ウクライナで多数死者が出ており、家族の泣く姿が強烈に心に残っている。

日本人が、平静な表情をしているのは、大災害に遭っても、運よく命は助かったと思えるからじゃないか。

たとえ、家が壊れようと、助かれば、自分の意志で立て直せる。

 周りは多く死んでいる。不幸な他人と比較することで、幸福を感じているのではないか。
日本人は世界の人に比べて、周りとの比較、どう見ているか、に敏感なので)



 2 死を隠す社会になったが。




  東日本大震災の直後、テレビは津波のすさまじい映像や破壊的な町や村を何度も映した。

 しかし、瓦礫だらけの町や村を映さなくなった。遺体だらけだから。

(昔は、日本も土葬だった。人が死ぬと、近所の人が手伝って、死体を運んだり、墓をほったりしてくれた。
死人を間近に見た。

しかし、今の日本は、清潔さ、世界一と言われる。汚い者、醜い者など人目ににさらさない。

火葬を嫌う国もあるが、日本はすすんで火葬をする。ウジ虫に晒される死体を嫌うからだろうか。)



3 著者は断食して死にたいと言うが?





 本格的断食修行をするお坊さんは、まずは五穀断ち、十穀断ちの精進行をして体を慣らし、それから断食に。

 体の状態を鋭敏にして、と。何日で自分の体がどんな状態になるか把握しているという
西行も計算して、桜の花の下で断食して死んだと。

(ガンになって
、抗ガン剤や、手術、放射線で苦しむよりも、自然死に近い。
断食で計算して、桜の下で死ねるなんて、芸術的な死だろう。
しかし、普段、健康である日、ぽっくりと死ぬのが最善と思う)



 4 古典の一文を暗誦しようとすると、集中力を養える。



  親鸞は、念仏を唱えると、いつのまにか自分が仏のようになっている。自力も他力も越えたような世界に漂っていると。

(これは、念仏を自分の好かな文章やカラオケの文句に置きかえてもいいのではないか。それを何度も唱えると、不安も消え、いまここに、を実感できると思うが)

著者は、たまたまつけたテレビやラジオから、ひと筋の光明になりうる言葉、心に響く言葉や話を自分の裡にためていけばよいと。

(それには、やはり、普段からメモとペンを用意して、これは、今の自分の気持ちにピッタリだ、と心がけて観る必要があるようだ)



 5 もし、明日、死ぬとなったら、あなたは何を見たいか?



 親鸞は越後に流罪され、五年間流人生活を。そのとき、浄土をイメージするものは、海だっただろうと。

 海の彼方に沈む夕陽を親鸞は毎日、堪能しただろう。西方浄土は日本海の水平線の彼方に。



(僕も、それを考えると、テレビや映画など見たくない。自然の美しさを身近に堪能できるのは、青空や夕陽、花となるだろう)