高山植物のある散歩道を歩いて少しばかりの花の写真を撮ってきましたので、non_nonさんのマウスオン・スライドショーのソースをお借りして掲載します。
なお、non_nonさんの2007年06月18日付けブログに「青いケシ」を紹介されています。
また、ran1005さんの6月17日のブログにも霧が峰の青いケシが紹介されています。
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15日午後日本画家の白鳥映雪画伯が亡くなられました。95歳でした。
短期間でしたが、直接教えを受けたものとして謹んでご冥福をお祈りいたします。
白鳥先生は日本芸術院会員で日展で終生活躍された軽井沢から近くの小諸出身の大画伯でした。
先生は若いとき家出同然に家を飛び出し、美人画で有名な伊東深水の画塾に入門され、新聞配達などで苦学して深水塾に通い、後には大田区大森の歯科医の助手として働く傍ら日本画を勉強された大変な苦労人でした。当時の寝室は患者の帰ったあとの診察室だったと聞いています。
昭和25年(1950年)に三越の屋上から芝浦の方を見た「立秋」を日展に出品、特選・白寿賞を受賞されたのをかわきりに、1986年には「寂照」で内閣総理大臣賞を、1993年には「菊慈童」で栄誉ある日本芸術院賞の受けられ、日本画壇最高峰の日本画家としての地位を不動のものにされました。
1995年設立の小諸市立高原美術館には200点近くの作品を寄贈されています。私はこの美術館の設立と同時期に開設された「日本画教室」で日本画を教わり、白鳥先生にも直接指導していただきました。
日展の日本画部 春季展に出品に際しても指導していただき、平成15年4月になんとか初入選することができ、素人なりに一つの区切りがついたと思っておりました。
残念なことに、その直後の平成15年の5月に脳梗塞で右半身の自由を失われ、歩行は勿論右手での絵画制作もままならなくなってしまわれました。
『絵はどこまでいっても無限である。
何か光りを見い出すように描いている。
再び取り戻した命、まだまだ画業道に精進する決意である。』
白鳥映雪
5月26日に別所温泉を訪れた時、北向観音にある「愛染かつら」の木の前で若い二人が「花も嵐も踏み越えて..」と口ずさみながら見物していました。今でも若い人たちに親しまれているのかとあらためて関心して見ていました。
この有名な主題歌「旅の夜風」の『愛染かつら』は、第一回直木賞を受賞した巨匠川口松太郎氏の小説を映画化したもので、美貌の看護婦・高石かつ枝と若い医師・津村浩三の恋を描いたメロドラマで、昭和13年に公開され、映画と主題歌が大ヒットしたものです。
旅から帰って、早速VTRにダビングしてある「愛染かつら」を見直しました。あらすじを興味のある読者の皆さんに披露しようと思います。
以下映画「愛染かつら」のあらすじです (前編)
(俳優さんの言葉は「・・・・・」にしています。)
上原謙、田中絹代主演で一世を風靡したヒット映画(松竹)です。
津村病院に勤務する美人の高石かつ枝は、よく働き仲間からも好かれ看護婦の仕事に励んでいました。
病院長の長男である若い医師・津村浩三は彼女の人柄と美しさに強くひかれていました。
かつ枝には若いころ死別した夫との間に6歳になる女の子供がいましたが、浩三にはもちろん仲間たちにも秘密にして、姉夫婦に預け自活の道を歩んでおりました。
休日のある日、公園で親子の姿を仲間の看護婦に見られ、子供があることがばれてしまいます。
(かつ枝は仲間の看護婦に子供があることがばれてしまう)
そのことが職場の仲間たちの噂になり、かつ枝は子持ち勤務のことでののしられ、その誤解を解くために看護婦仲間の前で自分の身の上を説明することになりました。
かつ枝の話す身の上話とは、「私は早くから親同士のゆるした許婚がありました。ちょうど私が18の時、父がある事業に失敗すると、それがもとで私たちの婚約もそのまま解消しなければならないことになったんです。
その時、夫は一家の反対を押し切って私を連れて東京へ出てきたんです。でもその結婚生活は決して幸せではありませんでした。
結婚して一年経った19の春、夫はその頃はやった悪い風邪におかされ、たった4,5日床についたきり、まるで夢のように亡くなってしまったのです。その時私は妊娠8ヶ月のからだでした。
夫の死後ある病院で女の子を産みました。薄暗い病院のベッドの上でその先々の長い将来を考えると、私はどうすれはよいのか途方にくれました。その子こそ、夫が私に残してくれたたった一つの形見です。
私は自分の身がどうなろうとも、石にかじりついてもその子を自分の手で育てなければなりません。
それでいろいろ考えあぐんだ末に、子供を姉夫婦に預けて看護婦募集に応募してみたのです。それが幸せにも合格して、現在こうして皆様のお仲間に入れていただけるようになりました。
今日まで身の上を隠していたのは、子供のあるからだがなんとなく気まずくて、つい打ち明けてお話する勇気がなかったからです。今になって考えて申し訳ないと思います。でも、私としては身の上を隠しても親子二人が生きていく道を探していかなくてはならなかったのです」と。
以上のような詳しい身上話を聞き、みんなは今まで彼女をののしったことを後悔し、かえって同情をかうことになるのです。
津村病院院長の息子・津村浩三の博士号授与祝賀会のアトラクションの席上で、高石かつ枝は独唱することになりました。
(博士号授与祝賀会で挨拶する津村浩三)
(独唱のかつ枝を紹介する司会者)
かつ枝は無伴奏で歌う予定でしたが、突然浩三がピアノの伴奏を申し出たのです。
浩三は「かえってあなたの歌をぶちこわすかも知れませんが我慢してください」といってピアノの前に座った。
(あなたの歌をぶちこわすかも知れませんが)
(浩三のピアノ伴奏で「ドリゴのセレナーデ」を歌うかつ枝)
そして、かつ枝は浩三のピアノ伴奏で「ドリゴのセレナーデ」を独唱しました。 このときの美貌のかつ枝の面彰をそれ以来ずっと浩三は忘れることができなかったのです。
ある日、車での往診の帰りにかつ枝は浩三に誘われて外に出ました。月光の美しい夜でした。
(往診の帰りの車の中でかつ枝を誘う浩三)
(月光の美しい夜でした)
浩三から「谷中の墓地を抜ける途中にぼくのうちの菩提寺があるんです。ついでに墓参りしてきたいと思うんですがどうですか」といわれ、かつ枝は「私もお参りさせていただきますわ」と誘われるまま二人は菩提寺へむかった。
(名高いのは本尊よりもこの「木」なんですよ)
「あのお堂は愛染堂といって本尊は愛染明王なんだそうですが、ここじゃ、お寺よりもお堂の方が有名なんですよ。名高いのはむしろ本尊よりもこの「木」なんですよ。これは「カツラの木」なんですがね。
(高石さん、ウソだと思ってこの木にさわってくれませんかと浩三)
昔から「愛染カツラ」といわれて、この木につかまりながら恋人同志が誓いをたてると、一時は思い通りにならなくても将来は必ず結ばれるという言い伝えがあるんです。
ねえ、高石さん、ウソだと思ってこの木にさわってくれませんか」と浩三にうながされ、二人はこの愛染かつらの樹に手を添えて永遠の愛を誓うのです。
でも、しょせんは病院の後継者と看護婦、この時代のことですから二人はそう簡単に結ばれるわけはありません。
母から反対された浩三は、二人で新しい生活に踏み切るべく家を出て京都で結婚することを決意したのです。
京都には大学病院で勤務医をしている友達がいました。
「京都からは、いつでも来いといってきました。いっそ家に黙って京都へ行ってしまおうと思うんです。明日の晩どうです。
11時の汽車で新橋を発つんです。 ネ・・・・ダメですか?」と浩三に誘われ、かつ枝は「お宅のみなさま、わたしをどんなにお憎みになるでしょう」と。
浩三は「そんなことは一時ですよ、来てくれますね」と催促され、かつ枝は「ええ、参ります」と答えはしましたが・・・・・?
(明日の晩どうです。11時の汽車で新橋を発つんです。 ネ・・・・ダメですか?)
京都に向かおうとした丁度その夜、娘の敏子がハシカで高熱を出し新橋駅での待ち合わせ時間に遅れてしまうのです。
(時間を気にしながら娘の看病するかつ枝)
(待ち合わせの時間が)
新橋駅の階段を駆け上がる彼女の目の前を、浩三を乗せた列車は発ち去って行きました。
(階段を駆け上がり改札口を走るかつ枝)
(だが、駆けてきた彼女の目の前を浩三を乗せた列車は立ち去ってゆく)
「浩三さ~ん浩三さ~ん」・・・ここで霧島昇、ミス・コロンビアが歌う「旅の夜風」の前奏が始まり、哀しいすれ違いのうちに前編が終わります。
さて、二人の運命やいかに・・・・・・・
わたしは、このブログを載せるにあたり、ずっと二木紘三氏のWEBサイトのカラオケで、大好きなこの「旅の夜風」なんども何度も口ずさみながらこの原稿を書いています。
↓下のアドレスをクリックしてお試しください。歌詞を載せておきます。
http://www.duarbo.jp/versoj/v-senzenkayou/tabinoyokaze.htm
旅の夜風
――『愛染かつら』主題歌――
作詞:西條八十 作曲:万城目正
唄:霧島昇、ミス・コロンビア
1 花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる途(みち)
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡(ひえい)を 独(ひと)り行く
2 優しかの君 ただ独り
発(た)たせまつりし 旅の空
可愛い子供は 女の生命(いのち)
なぜに淋しい 子守唄
3 加茂の河原に 秋長(た)けて
肌に夜風が 沁みわたる
男柳が なに泣くものか
風に揺れるは 影ばかり
4 愛の山河(やまかわ) 雲幾重(くもいくえ)
心ごころを 隔てても
待てば来る来る 愛染かつら
やがて芽をふく 春が来る
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