デジカメ ぶらり旅

カメラを片手に 美しい自然が与えてくれる絶景を求めて旅に出ようと思います。

恩師 白鳥映雪画伯の死を悼む

2007年06月17日 19時00分25秒 | 信州の山旅

15日午後日本画家の白鳥映雪画伯が亡くなられました。95歳でした。

短期間でしたが、直接教えを受けたものとして謹んでご冥福をお祈りいたします。

白鳥先生は日本芸術院会員で日展で終生活躍された軽井沢から近くの小諸出身の大画伯でした。

先生は若いとき家出同然に家を飛び出し、美人画で有名な伊東深水の画塾に入門され、新聞配達などで苦学して深水塾に通い、後には大田区大森の歯科医の助手として働く傍ら日本画を勉強された大変な苦労人でした。当時の寝室は患者の帰ったあとの診察室だったと聞いています。

昭和25年(1950年)に三越の屋上から芝浦の方を見た「立秋」を日展に出品、特選・白寿賞を受賞されたのをかわきりに、1986年には「寂照」で内閣総理大臣賞を、1993年には「菊慈童」で栄誉ある日本芸術院賞の受けられ、日本画壇最高峰の日本画家としての地位を不動のものにされました。

1995年設立の小諸市立高原美術館には200点近くの作品を寄贈されています。私はこの美術館の設立と同時期に開設された「日本画教室」で日本画を教わり、白鳥先生にも直接指導していただきました。

日展の日本画部 春季展に出品に際しても指導していただき、平成15年4月になんとか初入選することができ、素人なりに一つの区切りがついたと思っておりました。

残念なことに、その直後の平成15年の5月に脳梗塞で右半身の自由を失われ、歩行は勿論右手での絵画制作もままならなくなってしまわれました。

『絵はどこまでいっても無限である。

何か光りを見い出すように描いている。

再び取り戻した命、まだまだ画業道に精進する決意である。』

                          白鳥映雪