早朝でも大阪の気温は30度。それが本州の背骨ともいうべき中国山脈を越えると(トンネルばかりだからくぐると表現したほうが正解かも)日中でも気温が27度、24度と日本海に近づく毎に下がっていく(道路標識にデジタル気温計がセットされていた)。車も空いていて快適な山陰の旅でした。
地図に赤字で示している地名は、これから3回に分けてご紹介するところです(あくまで予定)。

まずは、目的のひとつだった余部(あまるべ)鉄橋から。
◆サムネイルにマウスポインタを乗せると上に大きめの画像が出ます◆
山陰本線の「鎧(よろい)」駅と「余部(あまるべ)」駅の間にある鉄橋で、山と山を結んでいます。正式名称は「山陰本線 余部橋りょう」。地名は、余部、餘部、どちらでもよいそうです。
この鉄橋を初めて見たのは20数年以上も前になりますが、178号線の国道をまたぎ、地面から直接伸びる背高のっぽの赤い姿に圧倒された覚えがあります。
あれから何度か行きましたが、通過する列車を見たのは今回で2度です。そうです、今回も列車を見たのです。でもその時はデジカメがすぐに用意できず、この目に収めるだけでした。撮れたとしてもうまく撮れたかどうかは怪しい。
列車は1時間に2本ほど通過するそうです。シャッターチャンスは粘りと腕ということになります。
この鉄橋で悲しい事故もありました。鉄橋を通過しようとした回送車が海からの突風に煽られ、鉄橋そばにあった工場に落下するという悲惨な大事故があったのは、私が初めてこの鉄橋を見てから数年後のことでした。
今改めて鉄橋を見上げると、列車が走るレール上にはトラス(鉄門)がないのですね。両脇に鉄柵があるだけのようです。乗客を乗せていない軽い回送車と突風、偶然が重なったとはいえ、事故はあまりにも悲惨でした。今その場所には犠牲者を弔うための観音像が建てられています。ご冥福をお祈りします。
アルバム中の看板の説明にもありますが、1912年に余部鉄橋ができたということは、今年で94年も経つということですか。それにしては立派な鉄橋です。とてもそんな歳月を感じさせません。この味のある鉄橋の姿が今年限りとは惜しい気もします。来年からコンクリート化に向けて工事が始まるということです。
目の前の日本海のビーチでは、もう泳ぐ人もなく青く静かな海でした。海水浴期間は7月15日~8月15日と書かれた看板があるところを見ると、クラゲが出没する今頃、泳ぐ物好きはいないということですね。
地図に赤字で示している地名は、これから3回に分けてご紹介するところです(あくまで予定)。

まずは、目的のひとつだった余部(あまるべ)鉄橋から。
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この鉄橋を初めて見たのは20数年以上も前になりますが、178号線の国道をまたぎ、地面から直接伸びる背高のっぽの赤い姿に圧倒された覚えがあります。
あれから何度か行きましたが、通過する列車を見たのは今回で2度です。そうです、今回も列車を見たのです。でもその時はデジカメがすぐに用意できず、この目に収めるだけでした。撮れたとしてもうまく撮れたかどうかは怪しい。

列車は1時間に2本ほど通過するそうです。シャッターチャンスは粘りと腕ということになります。
この鉄橋で悲しい事故もありました。鉄橋を通過しようとした回送車が海からの突風に煽られ、鉄橋そばにあった工場に落下するという悲惨な大事故があったのは、私が初めてこの鉄橋を見てから数年後のことでした。
今改めて鉄橋を見上げると、列車が走るレール上にはトラス(鉄門)がないのですね。両脇に鉄柵があるだけのようです。乗客を乗せていない軽い回送車と突風、偶然が重なったとはいえ、事故はあまりにも悲惨でした。今その場所には犠牲者を弔うための観音像が建てられています。ご冥福をお祈りします。
アルバム中の看板の説明にもありますが、1912年に余部鉄橋ができたということは、今年で94年も経つということですか。それにしては立派な鉄橋です。とてもそんな歳月を感じさせません。この味のある鉄橋の姿が今年限りとは惜しい気もします。来年からコンクリート化に向けて工事が始まるということです。
目の前の日本海のビーチでは、もう泳ぐ人もなく青く静かな海でした。海水浴期間は7月15日~8月15日と書かれた看板があるところを見ると、クラゲが出没する今頃、泳ぐ物好きはいないということですね。
来年からは工事が始まるのでこの姿はもう見られない。
秋の余部鉄橋もきれいやろね。
しかも汽車が走っているとこをね。
あまもりさん、今回も結構良い旅みたいで良かったですね。
いい冥土の土産が出来たみたいで(^_-)
秋には行って見ようかな? 紅葉の季節に合わせてね。
冬の余部の良いみたいだけど、雪が問題です。(チェーンがないから)
poloさんの律儀さに頭が下がります。ほんとおおきにです。
いえ、目的は遊びです
ついでに余部鉄橋と浜坂でした。帰りに寄った鳥取砂丘は、予定になかったついででした。
これからの二つはあまり期待しないでください。
ろくな写真がなくほんとどうしようかと思っています。
さて回線が細いので画像を全部見ることはできません。今回の貴女の旅はきちんとした目的があったようですね。まずは餘部鉄橋のご紹介。コンクリート化とはちょっと残念ですね。JRとしては、二度とあのような惨事を起こしたくないから、強固で安全なものに作り直すのでしょう。いつものことですが、今回も貴女のブログは非常に勉強になるものでした。
以前はこの山陰本線を利用して帰郷されていた経験者だったのですね。
やはり、鉄橋の上を走る時は恐い思いをされましたか。
鉄柵もなかった・・・この線路上の鉄柵は事故後に作られたものなんでしょうか。
過去に何度か、鉄橋を見上げていたのですが、鉄柵があることを今回写真で確認したぐらいで気づきませんでした。だから事故後どのように補強されたのかもわかりません。何年かにたまにしか見ない観光客のの記憶はあやふやです。
茂彦さんにとっての鉄橋は、故郷の懐かしさと戦争の記憶に結びつくのですね。
鉄橋を歩いて渡ったのは茂彦さんの子どもの頃の記憶ですね。
私は戦争を知らない世代です。でも戦争の悲惨さは語り継いでいきたいと思っています。幼い子供の目から見た戦争のお話もお伺いしたいです。
天国の駅・・・女死刑囚・・・知らない。
余部鉄橋とよく似た山間の鉄橋だったのね。
夢千代日記は、実は映画もテレビ放映も見ていない。だから筋も知らない。知っているのは題名と主役が吉永小百合だったことと、この但馬の湯村温泉が舞台だったことだけ。
ここから近い湯村温泉ならこの余部鉄橋が登場していても不思議はないと、勝手に思い込んでしまった。
子供の頃、日本海からやってくる雪雲は中国山脈にぶつかってこっち側には来ないと、まことしやかに教えられた。ほんとかな?
日本海に近づけば近づくほど、道路脇にあるデジタル気温計の数字が下がっていったのはほんと。帰りは逆だった。
余部鉄橋の最後の勇姿を見たくて行きました。来年はもうこの姿はありません。見納めです。
そう、浜坂はカニが美味しいところ。城崎辺りからこの浜坂辺りまで冬はカニで有名です。この冬に行きたい気持ちが今いっぱい。
次はその浜坂だけど、写真がね、あまりぱっとしない。我慢して見てね。
どこまでも青い但馬の海、素敵でしたよ。
私の旅行なんて近場で、それも年に一度ほどです。そんな旅の報告でも楽しみだと言ってくださるsakuraさんて大好き。
ほんと、もっと居たかったよ~、こんな過ごしにくい大阪によく住んでるよ~です。
ポージィさんはやはり観察力がありますね。
まさに山が海に突っ込んでいるというか、山沿いに海があるというか、実に平地の少ないところです。
蒸気機関車が煙りを吐きながら高い鉄橋の上を走る・・・のどかな風景。いいなぁ、絵になります。
今でもディーゼルが走る姿は絵になります。一度は乗ってみたくなる風景です。
後はあまり期待しないで。写真を整理しながらがっくりきているんです。ああ私ってどうしてこんなに撮り方がまずいのだろうと。この後も我慢してみてもらうことになりそう。
涼しい山陰から、大阪へ帰ってきて、ああやっぱり大阪は暑いと、もうだれています。
もう20年も経つのにみなさんよく覚えておられるのですね。
私は一度は列車に乗ってこの鉄橋を渡りたいと思っているんですよ。コンクリート製になる前に。
高いところが好きなんです(笑)
鳥取砂丘はこの後の浜坂の次になりますが、あまり期待しないでくださいね。
撮り方がへたで、どうまとめようか悩んでいます。
余部の鉄橋にさしかかると、窓を開けて下を見る、ゾーッとするような高さで、なにか足がすくみます。それでも、鉄橋の下の景色や海を見ると、また我が家へ戻ったんだと実感したものです。
事故は昭和61年でしたか?今の鉄橋はどのように補強されたのでしょうか?私が乗っていた当時は、列車の窓から見ると、線路の両脇には囲うものはなにもなかったように思うのですが・・・ ハッキリ覚えていません。でも、たしかに、この鉄橋の上を列車で走るときは正直怖かったです。
これほどの高さの鉄橋ではありませんが、私は、鉄橋の上を歩いて、対岸まで渡ったことがあります。列車が来たら、仕方ない、下の川へ飛び込もうと思いながら、必死で早歩きしました。戦争中の話です。
日本海側に出るとそんなに気温も違うものなんですね。この土・日は埼玉も28度ぐらいで涼しくなりました。
とても高い鉄橋ですね。歴史ある鉄橋もコンクリートへと架け替えられてしまうのですね。この姿は見納めなのかな。
浜坂ってカニの美味しいところですよね。
山陰へは行ったことがないので続きがとっても楽しみです♪
又お陰様でよい勉強をさせて頂きました。
鉄橋を渡ると日本海。
但馬の海が綺麗ですねぇ~。
始めて見る「山陰本線余部橋梁」
明治時代に造られた事には驚きですね。
写真を拝見して本当に鉄橋の雄姿だと思いました。
ナカナカ旅行も行けませんので見られない所を詳しい説明入りで見せて頂き本当に有り難く思っています。次回を楽しみに、、、
山口へ行く途中山陰道は通ったことがあっても山陽本線は未知の世界ですし、この辺りの日本海も全く見たことがありません。
この鉄橋をくぐるとすぐに日本海ですか。海のすぐ近くを通っているのですね。日本海の深い青がしっとりとして素適です。
これだけ海に近いのにも関わらず、山と山の間にかけられた鉄橋、ということにいかに海岸線近くまで山が迫っているかということも分かります。
そして、この鉄橋の高さと規模には目を見張りました。民家のはるか頭上高くを列車が走っていくのですね。開通当時、機関車が吐く煙と汽笛の音が脳裏に浮かびました。
列車の転落事故のことは、記憶にないのですよ…それだけの大事故なのに、なぜなのか。私事で身辺が騒がしかったのかもしれません。
最初に地図を載せてくださったので、地名を全く知らない私にも、どの辺りかとてもよく分かり嬉しかったです。旅紀行第2弾、第3弾も楽しみにしています(^^)
余部鉄橋は悲しい事故で、記憶にあります。
当時随分高い鉄橋だなと思いましたが、写真により新たに認識しました。
列車に乗るにも、ちょっと勇気が要りそうな情景ですね
暑い都会を離れて、心も体もさぞリフレッシュされた事でしょう
私はまだ、鳥取県には行った事はありません。
あまもりさんの写真を見て、行った気分に浸りましょう
豊岡から鳥取方面に繋がる国道も走っているので観光客も絶えない風光明媚なところです。
海がもう秋色をしているとは、ロマンチックなスイポテさんらしい表現。私はきれいな海だと思っただけでした。
博多湾の追突事故は余りにも悲惨ですね。3人の幼い命を一度に奪ってしまったとは。
今朝の新聞では、ガードレールは歩行者保護のために作ったもので、車がぶつかるのに耐えるものではなかったとか。
親御さんの気持ちを思うと涙がこぼれます。
大阪でも新淀川の開削や中之島の建造物、大川に架かる豪壮な橋は全て明治時代に造られたものです。
どん欲な技術の導入と工夫には圧倒されるばかりです。
あの事故からもう既に20年も経っているのかと、今回改めて思いました。
コンクリートは潮風にどうなんでしょうね。鉄骨より長持ちするのでしょうか。
この雄姿もこれで最後かとじっくり眺めてきました。
そうです、まず最初はこの余部鉄橋の最後の姿を目に焼き付けておきたくて但馬海岸を選んだんです。
次には以前から一度泊まってみたいと思っていた浜坂です。鳥取砂丘はついででした。
この写真の中にupplainさんのお知り合いのお家があるのですか。それは嬉しいですね。
夏はおとなしい日本海も冬になると荒々しい姿に変身するのですね。
雪深くなる冬はとてもこの辺りを車で走ることができませんから、冬の日本海はいまだ知りません。
地図で見てどうもそんな感じがしていたのですが、やはり余部駅は山上なんですか。
ほんと紺碧色のきれいな海でした。深いせいなのですね。
但馬銀行は今も但馬銀行だと思います。本店が豊岡なのですね。
ここで2年も過ごされたということを去年UPした城崎で伺いましたが、冬はたいへんな所なんでしょうね。
泊まった浜坂の旅館でも窓が二重になっていて、冬の厳しい寒さを想像しました。
でも松葉ガニの美味しい冬にも来てみたいです。その時は車じゃなく山陰本線ですね。浜坂まで足を伸ばしてこの鉄橋を汽車で渡ってみたいです。
今またその灼熱地獄の中に居るけど、山陰での3日間は暑さを感じなかったよん。
でも直射日光にあたりすぎてやけどのような日焼けに。とほほです。
事故現場には観音像が祀られています。犠牲者の多くはパートのお母さんだったからかもしれない。
海産物の工場だったと思うけど、カニだったかイカだったか覚えてない。
国道178号線に沿ったとこでした。
あの事故で恐い所とのイメージができましたが、実際には風光明媚でのどかな所です。
でも、人間の作り出した建造物は、自然の力には到底あがなえないという弱さも露呈した事故でしたね。
立山の画像を拝見しましたが、きれいでしたよ。せっかくきれいに撮った写真はきれいにUPできるのが一番ですものね。
撮った写真を整理したら、ほとんどモノにならないのが多くて。
これじゃ紹介にならんやんか!ばっかりなんです。
写真をどう撮れば良いのかそもそもわかっていないせいでしょうね。
つまらない写真になるかと思いますが、また見てくださいね。
山陰と言っても鳥取砂丘を除けば、この辺りは北近畿と呼ばれている観光地です。
列車転落事故は大きなニュースだったから、熊やんも覚えてたんやね。
山から出てきた汽車が鉄橋を走るのどかな風景が一変した前代未聞の事故でした。
海産物の工場で、犠牲になったのはパートで働く近所のお母さんが多かった記憶があります。
吉永小百合の映画・・・・夢千代日記だね!
そうそう、あの映画で有名になった湯村温泉はここから少し山間に入ったとこです。
湯村温泉には夢千代(吉永小百合の顔そのまま)の銅像が立っています。
料理はね、ほんと美味しかった。新鮮な刺身の活け作りやアワビ、サザエ、甘エビ、ハタハタ等々。
いま思いだしても美味しさがよみがえる。
でもね、料理の写真は撮らなかった。撮れなかったというべきか。
もう食べるのに一生懸命で。あっ、写真と気づいた時はもうほとんど食べ尽くしていた。
海が近く、下には町もあるのですね。
鉄橋の事故、20年前ですか。
鉄橋から汽車が落ちるなんて・・・
この事故は天災だけど、博多湾の追突転落事故はひどい人災。
便利さは危険と隣り合わせだなと思いました。
日本海、綺麗な海の色。
海は秋色ですね。
まだ行ったことがないのですが、写真などで見た記憶は山の間にかかる鉄橋でしたが、こんなに民家があるのですね。
悲しい事故は20年も前になりましたか。
コンクリート化で安心なのでしょうが、またひとつ歴史的なものが消えますね。
ここにはとても美味しい魚料理を食べさせてくれるお店があるのですが、・・・あったのですが。
鉄橋の下はあの事故後整理され綺麗になりました。実はあちらで知り合いになった家が写真の中に見えました。
夏は静かなこの湾も、冬になると日本海からの強風で波飛沫が道路まで飛んでくるほどのところです。
餘部駅がこの鉄橋の向こうにあるのですが、長い階段を登らなければならない。
この湾は夏海水浴場になるのですが、海岸からすぐ深みになるので海の中が綺麗です。
今は何銀行になったのか、但馬銀行バンクオンラインの仕事で2年ほど豊岡に駐在したことがあって四季の良さと苦しさを味わいました。
懐かしい風景をありがとうございました。
灼熱地獄の大阪を離れられて良かったね~
大阪はずっとずっと地獄でしたぜ!!
ここまで来ると海の色も綺麗ですね。最近は海水浴なぞとはまったく無縁だから、カニツア-以外は日本海まで行く機会はあまりありません。
この鉄橋でおきた悲惨事故は覚えております。まさか空から列車が落ちてくるとは思わんでしょう。
下の工場に落ちたのでしたね、下の工場は何の工場だったかな?そこは今どうなっていましたか?
山陰のたび、お天気も良さそうで良かったですね。余部鉄橋の事故はなんとなく記憶に残っています。随分高い鉄橋ですね。見ている分には綺麗ですが、その鉄橋を走る汽車に乗るのは怖いような気がします。
サムネールやっと出来ました。600ピクセルにすることを教えていただき有難うございました。
次を楽しみにしていますので、予定で終わらせないで下さいませ。