あまもりのなんやかんや

しがらみから離れてたまには身近な自然と親しみたい

第50回有馬記念

2005年12月25日 | 競馬
今日12月25日今年最後のG1レース有馬記念が開催されました。
1番人気は無敗の3冠馬ディープインパクト。史上初の無敗のグランプリ制覇が達成する夢を望む競馬ファンで、クリスマスのこの日大いに盛り上がりました。鞍上は天才武豊。役者は揃いました。
武豊騎手には勝たねばならないレースとして、かなりのプレッシャーがあったはず。
でも私は思うのです。菊花賞で3冠を達成した時の方がよりプレッシャーはあったはずと。3歳馬が初めて古馬とまみえるレース。勝つのが当たり前ではないはずとも。でも競馬関係者もスポーツ紙もディープインパクト一色に染まりました。
レースは予想通り9番タップダンスシチーが引っ張り緩みのないレース運び。武豊の6番ディープインパクトは後に下げる。これはいつものこと。驚いたのはディープと同じ末脚勝負の10番ハーツクライが3番手当たりにいたことです。ルメールは何を考えているのかと思ってしまった。あんなに早く前に行けば自慢の末脚が使えないのじゃないかと。
しかし、ゴール前の直線に向いて、前に行っていた9番のタップや17番のビッグゴールド、16番のオースミハルカが馬群に捉えられ下がる中、ハーツクライがぐんぐん前に行く。そこへようやく後からゴボウ抜きで飛んできたディープインパクトが並びかけようとするも、ハーツの脚色は衰えない。ついに迫るディープの半馬身先でゴールを駆け抜けた。
1着/10番ハーツクライ。2着/6番ディープインパクト。3着/14番リンカーン。
無敗の3冠馬は初めて負けて、シルバーコレクターと呼ばれたハーツクライが有馬を制しグランプリに輝く。
後で知ったことですが、ハーツクライの鞍上、フランス人のルメール騎手は前走のジャパンカップで3センチ差の2着に敗れたことから今回は前で勝負しようと決めていたということです。負けた時こそ次の勝ちが来るチャンスなんですね。
それに引き替え、武豊騎手にはかなりのプレッシャーがあったことは間違いありません。1番人気馬に乗ることが当たり前の天才武豊にプレッシャーで乗り方を誤ることはないはずですが、ルメールのように自由には乗れなかったはず。その上、勝負する馬を間違えたのではないかとも思いました。前に行ってなお下がらないハーツクライに気づいた時はもう既に遅し。
今回の有馬記念はいろんな意味で勉強をさせてもらったレースです。おそらく忘れられないレースとなることでしょう。
◆静止画は、有馬記念優勝馬ハーツクライ。
マウスポインタオンでレースのスライドが始まります。
(あまりきれいではありません。いえむしろ汚い
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名馬の血

2005年06月26日 | 競馬
今日は仁川の阪神競馬場で第46回宝塚記念が行われました。
勝ち馬は4歳牝馬のスイープトウショウ。
牝馬の優勝は1966年(昭和41年)の第7回のエイトクラウン以来2頭目。39年ぶりです。
スイープトウショウらしい目を見張る追い込みで並みいる牡馬を蹴散らしての優勝。
正直いって、つい最近までスイープトウショウには注目していませんでした。
気性難、ゲート難、おまけに展開に左右されやすい追い込み馬。
それが前走の安田記念で見せた鬼脚。
あの東京府中の長い坂を駆け上がってきた末脚はとても牝馬には見えませんでした。
すごい馬だ。
ん?ブルードメサイアー(母の父)にダンシングブレーヴだって?
あのダンシングブレーヴ・・・・
1980年代の欧州で最強馬といわれたダンシングブレーヴ。
そうだったのか、スイープの脚はダンシングブレーヴの血を受け継いでいたんだ。
名馬ダンシングブレーヴは種牡馬になってから間もなく病気にかかり、種牡馬としての生命も危うくなる。
その名馬を日本中央競馬会が格安といわれた8億円台で入手。ヨーロッパを駆け抜けた名馬は競馬後進国の極東の地へと旅立った。
しかし残してきた仔供達がその後活躍しだし、欧州の人々は地団駄を踏んだという。
欧州の顔ともいうべき名馬をどうして日本なんかに売ったんだと。
日本ではキョウエイマーチ、キングヘイロー、エリモシック、テイエムオーシャンといったG1馬を出していますが、その中でダンシングブレーヴの持ち味である矢のような追い込みを見せたのは牝馬のエリモシックだったでしょうか。
ダンシングブレーヴは1999年に16年の生涯を閉じました。
この名馬の行く末に欧州も日本も注目していた割には寂しい最後に私は感じました。
しかしです。その血は今日の勝ち馬、孫のスイープトウショウにきっちり受け継がれていたのです。
スイープの姿にブレーヴを見ました。
私は今日、久々に競馬で涙しました。これからも名馬ダンシングブレーヴの血は残っていくに違いないと。
最後にダンシングブレーヴは、孫のスイープとは違っておとなしい人なつこい馬だったと亡くなった当時の新聞に載っていました。ダンシングブレーヴを日本語訳すれば「勇者の舞い」でしょうか。
コメント (8)
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ヤマニンゼファー

2005年06月05日 | 競馬
今日は第55回目の安田記念でした。
安田記念は、日本ダービー創設に力を尽くされた日本中央競馬会初代理事長の安田伊左衛門氏の名前からつけられたG1競走です。

このレースで一番の思い出のある馬といえば「ヤマニンゼファー」しかいません。ヤマニンゼファーが安田記念を制したのはもう13年も前になりますが、いまだに安田記念といえばヤマニンゼファーなんです。
4歳(現3歳)のデビュー当初から足元が弱くずーっとダートばかりを走っていたのです。成績もたいしたことはありませんでした。
その馬が安田記念の前走戦ともいうべき京王杯SC(スプリングカップ)に出走しました。初めての芝で3着でした。4着にダイタクヘリオス、5着にダイイチルビー。何と当時の名マイラーと呼ばれたこの2頭を押さえての3着だったのです。
だのに本番の安田記念では18頭中11番人気。芝での実績がなかったからほとんどのファンから見向きもされなかったのです。
結果はゼファーが並み居るマイラーを押さえて1着。単勝は3,520円もつきました。2着に春の天皇賞3200mでも2着したカミノクレッセが入り、馬連は1万6,210円の万馬券。
わたし?会社の連中と名前を挙げてワイワイ言ってたのにゼファーを外した馬券を買っていたのでした
このゼファーの走りに感動し、追っかけ始めました。ゼファーは裏切ることはありませんでした。
翌年の安田記念も連覇し、無理だといわれた秋の天皇賞2000mも制した時の感動はいまだに忘れられません。
安田記念で前走戦の京王杯SCの活躍馬をピックアップするクセはこのゼファーに教えてもらったのです。

カテゴリに「競馬」を入れながら記事をひとつも書いていなかったのでこれを入れてみました。
コメント (2)
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