あまもりのなんやかんや

しがらみから離れてたまには身近な自然と親しみたい

赤川鉄橋

2013年11月05日 | 大阪の町

2006年05月26日に「記憶を記録」と題してMyblogで紹介した赤川鉄橋の赤川仮橋は10月31日をもって閉鎖しました。
赤川鉄橋は通称で正式名は「城東貨物線淀川橋梁」。
城東貨物線の鉄橋として、1929年(S4)に淀川に架けられたこの橋は最初から複線化を見込んで造られていたが、城東貨物線は単線。そこで線路の通っていない片側(上流側)に歩道をつくり、人や自転車が渡れるようにした。これが赤川仮橋。(当時の大阪市が国鉄(現JR)に交渉して歩道にしたという)
1929年当時、赤川鉄橋付近で淀川を渡るには下流の「長柄橋」か、上流にあった「平太の渡し」(現在の豊里大橋付近)から舟を利用する以外になかった。現在上流に架かっている「菅原城北(すがはら しろきた)大橋」も「豊里大橋」も「鳥飼大橋」もなかったので、赤川鉄橋の歩道は大変便利だったに違いない。
長く利用されてきたこの「赤川仮橋」は鉄橋の複線化のため閉鎖となり、対岸に渡るためには上流1キロ先にある「菅原城北大橋」を利用することになる。
この菅原城北大橋の東淀川区側の歩行者専用入り口は堤防の下の一般道にあるため、堤防の上から直接橋に入ることはできなかった。歩行者にとってとても不便な橋だったが、今夏、堤防の上から直接橋につながるアプローチが出来た。これでこの橋がとても利用しやすくなった。このアプローチの工事は赤川仮橋の閉鎖が発表された頃から始まったので前々から計画されていたものと思える。

閉鎖された赤川仮橋が果たした役割と、感謝と、素朴な風景の記憶を、今一度Myblogに記録しておこうと赤川鉄橋を再び取り上げてみました。


↑赤川鉄橋付近のMAP(赤川鉄橋の右側に架かる橋が菅原城北大橋)

 


↑赤川鉄橋(10/31)


↑赤川仮橋の閉鎖を告げる看板(10/31)


↑赤川鉄橋(東淀川区側)(10/31)

↑赤川鉄橋(東淀川区側)(10/31)
仮歩道の床が鉄板になっていた。7年前に「記憶を記録」を書いた当時はまだ所々に穴があいた木の板張りだった。鉄板にしたのは線路をひく下準備かもしれない。それにしても仮橋最終日の10月31日はすごい人だった。 

↑赤川仮橋(10/06)


↑運良く貨物が通った(10/06)


↑荷物は積んでいなかった


↑これは2007年10月29日撮影の画像(Myblog「淀川の秋」で使用したもの)
 (赤川仮橋の歩道から撮影)


↑2010-03-17撮影の画像(Myblog「三川巡り」で使用したもの)
 遠く霞んでいるのが赤川鉄橋(都島区方面から) 


↑赤川鉄橋を背にした北方面
 ここはまだ単線だが、300~400メートル先まで複線化工事が進んでいる


↑赤川鉄橋から上流約1キロ先にある菅原城北大橋(ちょっと見えづらい


↑菅原城北大橋方面へ向かう(10/06)


↑ソフトも一緒に見学しました(おまけ)(10/06)


↑堤防から左側に菅原城北大橋に続く入り口がある


↑入り口


↑以前は一度堤防下まで下りなければ橋に入れなかったので不便でした
 堤防から直接橋につながったのは便利だけど、アプローチがけっこう長い 


長い文章と相変わらずヘタな画像をズラズラ並べただけの記事になりました。
よくぞ我慢してここまで見てくださいました。ありがとうございました。
赤川仮橋がなくなっても「おおさか東線」全線開通まであと5~6年あります。
どんな様子なのか、また追って記事にしますので、飽きずにご覧くださいませ。 


※城東貨物線について(補足)
JR西日本は、大阪市内を南北に貫く城東貨物線を複線旅客線化する計画を発表し、路線の名称を大阪外環状線(おおさかそとかんじょうせん)(仮称)とした。(現在、正式名称は「おおさか東線」となっている)
2006年には「新大阪~久宝寺(八尾市)」間の開業を目指していたが、
予定は大幅に遅れ、

新大阪~放出(はなてん・城東区)間を2012年に、
放出~久宝寺間を2008年開業予定に変更した。
2008年3月に「放出~久宝寺」間は予定通りに開業できたが、
2012年予定だった「新大阪~放出」間の開業は変更され未定と発表された。
(赤川鉄橋はこの新大阪~放出区間にある)

理由は、「おおさか東線」の新大阪駅から南下して梅田貨物線跡の梅田北ヤードに予定されている「北梅田駅(仮称)」に乗り入れる計画に変更したため。
「おおさか東線」の全線開通は2018年(もしくは2019年)に決定。
このため、赤川鉄橋は今年10月31日をもってついに閉鎖されたのでした。

「大阪外環状鉄道株式会社」のHPに
もう少し分かり易い(?)「おおさか東線」の略図が載っています。



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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (ポージィ)
2013-11-06 09:58:28
2006年の記事も拝見してきました。わぁ~私もコメントしてる。
すみません、すっかり忘れていました。ブログ上でのみとはいえ、いつの間にか
長くお付き合いいただいているんだなぁと、そっちも感慨深いです(^^)
列車の通る線路に沿って架けられた木製の味わい深い橋。
80年の時を経てついに閉鎖される赤川仮橋に集まった大勢の人の姿に、
愛着感じていた人たちが以下に多かったか分かります。
前の記事のときは板張りだったのが鉄板張りになって補強されていたのは
ちょっと趣を削いでしまってはいたけれど、それでもやっぱり…
あまもりさんはじめ、地元の方にとっては思いいれ深い橋ですね。
 
色んな方向から鉄橋を眺めたお写真は、川周辺の広々と開けた景色に
何とも気持ちが伸びやかになる思いでした。
たんぽぽ越しに鉄橋を望んだお写真大好き♪♪ コスモス越しのお写真も
腰を下ろして休憩中のご年配のお2人がいるお写真もいいわぁ♪

Unknown (ポージィ)
2013-11-06 10:00:49
しまった! 誤変換が~ 「いかに」
見直してから投稿するべし。すみません。
ポージィさんへ (あまもり)
2013-11-06 15:41:07
2005年に私がblogを始めて間もなくの頃、横浜のおーちゃんにご紹介いただいたのがきっかけでポージィさんとのお付き合いが始まりましたのでもうかれこれ8年になりますね。
blog上といえどこんなに長くお付き合いいただいて感謝しています。
SNSやblog、twitter等の付き合いはバーチャルでありウソもまかり通る世界、と言われています。確かに一方的にいきなり切ることができる世界でもあり、本当の自分以外になりすますこともできる世界です。でも顔が見えないインターネット上といえど人間性は出ますし性格も出ます。現実に生きている自分が出てしまう世界でもありますよね。
たまにしか顔を出さないあまもりですが、これからも長くお付き合いのほどよろしくお願いします。<(_ _)>

そう、仮橋の床が鉄板になっていたのは何とも情緒がなくてがっかりしました。仮橋を渡っていて穴があいた板の隙間から下の川の流れが見えたのもまた良しでした。でもこれも仕方がないのかなぁと。

いろいろと画像をじっくり見ていただいておおきにです。
おまけに誉めてもろている。
嬉しいっ!
フナッシーならぴょんぴょんと飛び跳ねている(笑)

誤変換は気にしないで~
私、しょっちゅうやってますから
赤川鉄橋 (花ぐるま)
2013-11-07 10:08:18
こんにちは~
大阪からのレポートは実に06年からのものも見せていただきました
あのころはまだ赤川鉄橋の遊歩道は木造で~
今ではそれにコンクリートが流されていてわたりやすくもなったのでしょう
私は大阪市出身でありながら赤川鉄橋があることすら知らないで育っていました

それよりも私は住吉区に住んでいて、その頃大阪市と堺市をまたいで渡る鉄橋(阪和線)にこんな橋があったことを思い出しました
何度かこの危うい橋を渡った記憶がありますが、電車が来ると怖いような~子供ですから。
渡る橋はやはり木造だったのでしょう
人が一人しか渡れないような橋だったと思います

今回赤川鉄橋が閉鎖されて大阪もどんどん変化していくようですね
2018年には大阪東線となって~このころには私は存在しているかな?分かりません…
淀川は川幅も大きいので立派な橋に生まれ変わることでしょう

ソフトちゃんも可愛い帽子を被って一緒に赤川鉄橋の最後を渡れてよかったですね~
コスモスと赤川大橋のコラボが素敵です
花ぐるまさんへ (あまもり)
2013-11-07 19:01:20
長い文章とべたべた貼り付けた写真を見てくださっておおきにです。
その上7年前の記事まで見てくだったとは、本当にありがとうございます。
大阪市と堺市をまたいでいる河は大和川ですね。
阪和線にも人が渡れる橋があったんですか。
川に橋を架けるのは大変なので、既設の橋が利用できれば行政にとっても住民にとっても助かったのでしょうね。
赤川鉄橋も自転車がすれ違うのがギリギリって感じでした。
木橋は所々に穴があいていたので落ちはしないかとドキドキして渡ったものでした。

何をおっしゃるうさぎさん、じゃなかった花ぐるまさん。
2018年のおおさか東線の全線開通どころか、2020年に東京オリンピックがあるんですよん。
オリンピック観るまで絶対存在しなければ(笑)

久々の遠出にソフトは喜んでいました。
コスモスがもう少しいっぱいあって、
お天気が良ければと、欲の皮を突っ張ってました。
赤川の鉄橋 (スイポテ)
2013-11-08 20:30:25
赤川の鉄橋を、人がわたれる最後の日、取材ありがとうございました。
2006年の記事も、リンク貼って頂き、懐かしく拝見しました。
あの記事を実感したくて、娘を誘って渡りに行った事、すごく懐かしいです。
板張りのゴトゴト橋が鉄板に替わっていたり、東淀川側の錆びだらけの橋りょうが、銀色に化粧されていたりと工事間近を感じさせられるのはちょっと寂しいものですが、最後を見届けよう、最後に渡っておこうと見物客でにぎわっているのは、大阪人らしい反応だなぁと思ったりしました。
コスモスのバックに赤川鉄橋、たくさんの惜しむ人をシルエットにいい記念写真になりましたね。
ポージィさんも仰っていますが、私もタンポポ越しの霞む鉄橋の絵は大好きです。
赤川鉄橋 (高花六無齋)
2013-11-08 20:58:35
あまもりさん こんばんは!
こちらは小春日和の歩いて居ても眠くなるほどの穏やかな日でした。
赤川鉄橋、初めて聞く名前でした。大阪に5年間住んでいたのに全然知らずにいたのでした。恥ずかしいですね。昭和38年から5年間でした。高槻に住んだこともあり、JRで通勤していたのに。

あまもりさんの2006年5月26日のブログを早速拝見しました。実に見事に赤川鉄橋のことを記述されていますね。このころあまもりさんのブログにアクセスできなかったことが悔やまれてなりません。
最後の日、10月31日は大勢の人がこの橋にお別れするために訪れたのですね。皆さん名残惜しそうにカメラに収めていますね。
ソフトちゃんも一緒に訪れたのですね。しゃれたお帽子を被っていますね。
大阪もどんどん大きなビルが建ち、私が住んでいた頃と変わりましたね。
これからも移りゆく様子をアップください。
ご無沙汰 (茂彦)
2013-11-09 15:46:18
2006-2-26 のブログもあわせて拝見しました。
鉄橋にも歴史があるのですね。
実に興味深い内容でした。鉄橋に限らず、古いものが
消え、新しいものが出現する、世の常とはいえ、複雑な
心境です。
充実した濃い内容に感心しています。
スイポテさんへ (あまもり)
2013-11-09 20:37:50
2006年の私の拙い記事で、スイポテさんが赤川の鉄橋に行ったと知った時、ほんと感動しました。
今は閉鎖されてしまった海の時空館や、大阪歴史博物館等も行ってくれたんでしたね。
いい加減な記事を書いたことはないと声を大にして言えますが、もっともっときちんと調べて自分の感想も嘘偽りなく伝えようと心新たに思ったものでした。ありがとうございました。

東淀川側の橋梁が綺麗になっていることに気づかれたのにも驚きました。
スイポテさんの鋭い目は見逃さなかったってことですね。すごいなぁ。
赤川鉄橋の仮橋の最後はテレビでも何度か紹介されていたので、人も集まったのかとも思いましたが、その中でも鉄道好きが目立ちました。「鉄っちゃん」達にとってここで間近に貨物列車を撮るのは楽しみの1つだったに違いないです。
タンポポはカンサイタンポポなんですよ。ガクが反り返っていない姿を這いつくばるようにして撮ったら偶然に背景に赤川の鉄橋が写っていたんです。ラッキーでした。この写真、私も好きなので嬉しいです。
高花六無斎さんへ (あまもり)
2013-11-09 20:38:14
今日は関東方面も冷えたとニュースで言っていましたが、この時期、朝晩の冷えこみは相当きついのでどうかお身体にはお気をつけください。
高槻に住んでいらしたことがあるのですか。茨木、高槻と言えばJRと阪急京都線が通る通勤の便に良い住宅街ですね。
赤川鉄橋を知らないのは当然だと思います。この鉄橋を通る城東貨物線は、貨物専用ですから、地元の人間しか知らないと思います。「鉄っちゃん」でない限り(笑)
以前の記事も見ていただいてありがとうございます。文章的に重複するものもあったのは、過去の記事を見なくても分かるようにしようと思ったからでした。

ソフトがかぶっている帽子は貰い物で、せっかくだからと被せました。でもブルブルっと首をふるとすぐに落ちてしますので今は家で飾り物になっています。
阿倍野も梅田も変わりました。最近あちこちが変わりすぎるので、見学に行く気も起こりません。地下街も迷子になってしまいそうですし。
でもそれじゃダメですよね。また気分を奮い起こして写真を撮りに出かけます。

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