淀川の河口から約11.4キロメートル地点に、JR城東貨物線の鉄橋が架かっています。橋の名前は「赤川鉄橋」。
正式名は「JR城東貨物線淀川橋梁」で赤川鉄橋は通称です。
橋の完成は1929年(S.4)3月。
左岸は旭区赤川【※】。右岸は東淀川区菅原です。
(河口に向かって左岸・右岸)
貨物線は単線ですが、鉄橋は、最初から複線化を見込んで作られていました。
鉄橋の半分は線路、使っていない半分は「赤川仮橋」として人が渡られるようになっています。
当時の国鉄(現JR)もなかなか粋な計らいをしたものです。
この鉄橋のお陰で、両岸の住民は自由に淀川を往来でき、今でも歩行者だけが渡れる橋として重宝されています。
でも、残念なことに、間もなく人が渡れない赤川鉄橋となります。
1996年、JRは、単線の城東貨物線を電化複線化し、
旅客路線とする「大阪外環状鉄道」計画を発表。
新大阪~久宝寺(八尾市)間、20.3キロ。
新大阪から奈良方面に行くのに便利な路線として、城東貨物線の旅客線化計画は随分前からあったようです。
2006年(今年ですね)には開業するはずの予定が、
貨物線以外の土地買収等で当初の計画が延び延びになり、
新大阪~放出(はなてん・城東区)間を2012年に、
放出~久宝寺(八尾市)間を2008年開業予定に変更。
赤川鉄橋は新大阪~放出間に含まれます。
新大阪~放出間の工事は今年中に着工すると3月に発表されました。
複線化すれば、当然ながら鉄橋の歩行者専用の赤川仮橋は無くなります。
朝夕には多くの通勤・通学者が利用し、昼間は買い物や散歩で賑わう橋です。
この橋が渡れなくなるのは、不便に違いありません。
鉄橋の上から、すぐそばを通過する貨物列車が撮影できるとあって、鉄道ファンも多い鉄橋です。
この鉄橋の工事の着工は来年か。それとも再来年か。
歩行者用の仮橋のある赤川鉄橋の記憶を、MyBlogに記録しようと、デジカメを持って出かけました。
【※】
左岸の橋詰めを「旭区赤川」と書いていますが、実際は都島区大東町です。
左岸は、都島区と旭区の境界に鉄橋があります。
鉄橋の名前が赤川なので、橋が出来た昭和の初め頃は、赤川の区域内だったのかもしれません。詳細はわかりません。
以下、左岸の表記は旭区を省いて「赤川」のみにします。
【追加】
上記に出てくる地名「放出」は「はなてん」と読みます。
中古車センターの「ハナテン」はこの放出です。
と言っても「ハナテン中古車センター」は大阪の人間しか知らないかも(笑)
↑右岸から見た赤川鉄橋【裏画像は、門幅を示したものです】
周辺の人々は、赤川鉄橋を「赤川の鉄橋」と「の」を入れて呼んでいます。
全長674メートル。
以前は、十八門橋(ばし)とも呼ばれていました。
18の鉄門(トラス)で組まれた橋ということです。
門幅は裏画像に示していますが、単純計算で、ひとつの門は約37.5メートルでしょうか。
↑第1門【裏画像は最終の第18門】
門番号が記されていて、第1門は左岸の赤川から始まり、最後の第18門は、右岸の東淀川区菅原です。
2年前にも写真を撮ったのですが、その時と比べ、菅原方面の17門と18門はかなり錆び付いていました。車の排気ガスの影響かもしれません。
↑右岸の東淀川区菅原から【裏画像は踏切】
菅原方面から鉄橋を渡り始めました。ここの橋詰めには踏切があります。遮断機が上がりっぱなしの踏切。
貨物は日に10本とJR西日本のサイトに載っていましたから、遮断機は日に10回だけ下りるということになります。何とものどかな踏切。
↑赤川仮橋は木橋です
裏画像でもおわかりのように、橋は大阪のエスカレーターと同様、左側通行。
足下の木の板がつぎはぎに修復されている所も多く、ガタガタと音を立てながら自転車が通り過ぎていく。
↑橋の中程から見た下流の風景【裏画像は上流側】
表画像の下流風景の左側には梅田のビル群が見えます。裏画像の上流風景には1キロほど先の菅原城北大橋と遠く生駒が見えます。
↑左岸の赤川【裏画像はフェンスと杭で遮断された堤防】
10分ほどで対岸の赤川に着きました。
サッサと歩けば7、8分で渡れると思います。
対岸の東淀川区菅原には踏切がありますが、ここには無く、堤防上の道は線路によって遮断されていました。
城北(しろきた)方面、あるいは反対の毛馬(けま)方面から堤防上を歩いてきた人は、ここで一旦河川敷に下り、鉄橋の下をくぐって再び堤防上に戻らなければなりません。
フェンスに「線路内に入ってはいけません」の看板がぶら下がっているところを見ると、このフェンスを乗り越えて線路内に入り、堤防を横断するヤカラもいるということでしょう。
こちら側には、車道はありません。排気ガスで汚れることもないので鉄橋はきれいです。
↓以下は赤川鉄橋周辺の花と鳥です
↑ヒバリ(雌?)【裏画像は横向き】
ヒバリですよね? 違いますか?
大きさは雀より少し身長(?)があるかなぁぐらいです。
結構近づいても逃げなかった。それでもそんなに近づけないので(逃げられたら困るので)少し距離をおいて、デジタル6倍ズームでパチリ。ボケ気味。
↑ナガミヒナゲシ【裏画像はアップ】
線路の枕木そばに生えていました。
地中海から中欧原産の帰化植物。花弁にシワが多い。花の直径は3~5センチ。とWeb検索したら書いていました。
撮った花は約3、4センチほどです。
ナガミヒナゲシと思うのですが間違っていたらご指摘ください。
↑ニワゼキショウ(庭石菖)【裏画像は花のアップ】
参考にしたサイトによると、北アメリカ原産で、明治20年頃に入ってきた帰化植物でアヤメ科。紫と白がある。一日花。とありました。この花は白です。
東京の小石川植物園で栽培していたものが逃げ出し各地に広がった。とも載っていました。
逃げ出した?なんとも面白い表現です。
鳥や犬じゃあるまいしと笑ってしまいましたが、この「逃げ出した」の表現をいくつかのサイトで書いていました。通説になっているのでしょうか。
花に足が生えて逃げている姿を想像してください(笑)
相変わらず長い長い記事で申し訳ありません。読んで頂いた皆様方、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
正式名は「JR城東貨物線淀川橋梁」で赤川鉄橋は通称です。
橋の完成は1929年(S.4)3月。
左岸は旭区赤川【※】。右岸は東淀川区菅原です。
(河口に向かって左岸・右岸)
貨物線は単線ですが、鉄橋は、最初から複線化を見込んで作られていました。
鉄橋の半分は線路、使っていない半分は「赤川仮橋」として人が渡られるようになっています。
当時の国鉄(現JR)もなかなか粋な計らいをしたものです。
この鉄橋のお陰で、両岸の住民は自由に淀川を往来でき、今でも歩行者だけが渡れる橋として重宝されています。
でも、残念なことに、間もなく人が渡れない赤川鉄橋となります。
1996年、JRは、単線の城東貨物線を電化複線化し、
旅客路線とする「大阪外環状鉄道」計画を発表。
新大阪~久宝寺(八尾市)間、20.3キロ。
新大阪から奈良方面に行くのに便利な路線として、城東貨物線の旅客線化計画は随分前からあったようです。
2006年(今年ですね)には開業するはずの予定が、
貨物線以外の土地買収等で当初の計画が延び延びになり、
新大阪~放出(はなてん・城東区)間を2012年に、
放出~久宝寺(八尾市)間を2008年開業予定に変更。
赤川鉄橋は新大阪~放出間に含まれます。
新大阪~放出間の工事は今年中に着工すると3月に発表されました。
複線化すれば、当然ながら鉄橋の歩行者専用の赤川仮橋は無くなります。
朝夕には多くの通勤・通学者が利用し、昼間は買い物や散歩で賑わう橋です。
この橋が渡れなくなるのは、不便に違いありません。
鉄橋の上から、すぐそばを通過する貨物列車が撮影できるとあって、鉄道ファンも多い鉄橋です。
この鉄橋の工事の着工は来年か。それとも再来年か。
歩行者用の仮橋のある赤川鉄橋の記憶を、MyBlogに記録しようと、デジカメを持って出かけました。
【※】
左岸の橋詰めを「旭区赤川」と書いていますが、実際は都島区大東町です。
左岸は、都島区と旭区の境界に鉄橋があります。
鉄橋の名前が赤川なので、橋が出来た昭和の初め頃は、赤川の区域内だったのかもしれません。詳細はわかりません。
以下、左岸の表記は旭区を省いて「赤川」のみにします。
【追加】
上記に出てくる地名「放出」は「はなてん」と読みます。
中古車センターの「ハナテン」はこの放出です。
と言っても「ハナテン中古車センター」は大阪の人間しか知らないかも(笑)
↑右岸から見た赤川鉄橋【裏画像は、門幅を示したものです】
全長674メートル。
以前は、十八門橋(ばし)とも呼ばれていました。
18の鉄門(トラス)で組まれた橋ということです。
門幅は裏画像に示していますが、単純計算で、ひとつの門は約37.5メートルでしょうか。
↑第1門【裏画像は最終の第18門】
2年前にも写真を撮ったのですが、その時と比べ、菅原方面の17門と18門はかなり錆び付いていました。車の排気ガスの影響かもしれません。
↑右岸の東淀川区菅原から【裏画像は踏切】
貨物は日に10本とJR西日本のサイトに載っていましたから、遮断機は日に10回だけ下りるということになります。何とものどかな踏切。
↑赤川仮橋は木橋です
足下の木の板がつぎはぎに修復されている所も多く、ガタガタと音を立てながら自転車が通り過ぎていく。
↑橋の中程から見た下流の風景【裏画像は上流側】
↑左岸の赤川【裏画像はフェンスと杭で遮断された堤防】
サッサと歩けば7、8分で渡れると思います。
対岸の東淀川区菅原には踏切がありますが、ここには無く、堤防上の道は線路によって遮断されていました。
城北(しろきた)方面、あるいは反対の毛馬(けま)方面から堤防上を歩いてきた人は、ここで一旦河川敷に下り、鉄橋の下をくぐって再び堤防上に戻らなければなりません。
フェンスに「線路内に入ってはいけません」の看板がぶら下がっているところを見ると、このフェンスを乗り越えて線路内に入り、堤防を横断するヤカラもいるということでしょう。
こちら側には、車道はありません。排気ガスで汚れることもないので鉄橋はきれいです。
↑ヒバリ(雌?)【裏画像は横向き】
大きさは雀より少し身長(?)があるかなぁぐらいです。
結構近づいても逃げなかった。それでもそんなに近づけないので(逃げられたら困るので)少し距離をおいて、デジタル6倍ズームでパチリ。ボケ気味。
↑ナガミヒナゲシ【裏画像はアップ】
地中海から中欧原産の帰化植物。花弁にシワが多い。花の直径は3~5センチ。とWeb検索したら書いていました。
撮った花は約3、4センチほどです。
ナガミヒナゲシと思うのですが間違っていたらご指摘ください。
↑ニワゼキショウ(庭石菖)【裏画像は花のアップ】
東京の小石川植物園で栽培していたものが逃げ出し各地に広がった。とも載っていました。
逃げ出した?なんとも面白い表現です。
鳥や犬じゃあるまいしと笑ってしまいましたが、この「逃げ出した」の表現をいくつかのサイトで書いていました。通説になっているのでしょうか。
花に足が生えて逃げている姿を想像してください(笑)
相変わらず長い長い記事で申し訳ありません。読んで頂いた皆様方、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
貨物列車が通るとカメラマンが待ち受けるのも分かります。
一度は渡ってみたい気もしますが、今年着工だとチャンスなさそうです。
通れないと、歩行者や自転車の方は相当不便になりますね。
やっとブログを拝見。
相変わらず面白い記事ですね。
何だか大阪とは思えないような のどかな写真です。
赤川鉄橋周辺の鳥と花が又とても良いです。
大勢の方が利用している橋がなくなるのはまことに残念ですね。
地元民と鉄道ファンしかこの橋は知らないと思います。
住民の足も考えて、工事は一番最後にしてくれると嬉しいですね。
そうなればあと3年ほどは残るかもしれません。
淀川に架かる橋は多いですが、ほとんどの橋に勾配があり、自転車や歩行者は上り下りに大変です。
それに比べて、狭いといえどこの鉄橋には勾配がないので楽なようです。
近くにある菅原城北大橋は、まだ新しい橋ですが、人には優しくありません。特に城北公園側の何段もぐるぐる回っているスロープを見るとぞっとします。
大阪市がそばに歩行者専用の橋を造るというウワサもありますが、これはあまりアテになりません。ほんとに造ったなら、大阪市に拍手しますが。
お忙しかったのですね。
大阪の橋と思えないほど、のどかな橋でしょ。今頃見あたらない木の橋ですしね。
記事が長くなると思いながら、鳥や花も入れました。
誉めていただいてホッとしました。おおきに。
またお邪魔しますね。
木の橋でのどかなところなのに残念です。
ところでセイヨウカラシナの写真を撮ろうと思ったら、このところ関東地方は集中豪雨のような雨が続き、普段ほとんど水の無い川が増水して川の中に埋まってしまいました。
今は水がひいたのだけどセイヨウカラシナと思われるのが倒れてしまってよく見えず・・
天気になれば起き上がるかな~
良くここまで書けたとく感心しました。
半世紀以上も人々の往来として使われ、親しまれてきたのに、今更旅客路線も無いじゃないかとも思われますが‥‥。
違うのかしらね
日本人は余り古いものを大切にしませんよね。
ヨーロッパなど旅すると古い古いもの接します。大事に使われてます。
進歩した新しいものも魅力でしょうが「狭い日本なんでそんなに急ぐのか」なんて気もします。
とてもよい写真一杯見せて頂き、楽しむ事が出来ました。
こう言う記事もあって良いと思いますよ。
明日、日本ダービーの予想をする予定です。
淀川にかかる鉄橋は、郷愁を誘われる光景に感じました。
隣の木の仮橋も、木の枕木も…味わいがあっていいです。
こういうのを見ると、普段気付かないだけで、
人は実は自然のものをすごく求めているのではないかと
思います
へぇ、なんや大阪の街と違う風景ですやん。
何とものどかで平和。
線路に咲く花とか・・・
板張りの橋とか、単線の線路。
鳥さんまでのどかぁに・・・
ヒバリさんかぁ。初めまして。
ヒバリの鳴くのも最近とんと聞いてないし。
ナイスキャッチやね。
無くなる前の記録って大事やと思います。
この外環状鉄道が出来て便利さが増すんやろか。
ちょっとぐらい新大阪に早く行ける事がそないだいじなことやろか。
なんて思いながら読みました。