嵐山公園から渡月橋を渡り保津川沿いに上流へと向かいました。 人力車乗り場、ボート、屋形船の乗船場。その先は亀山公園。久しぶりに屋形船でもと思ったのですが、船賃が二人で3500円也。前はもっと安かったのに~。 あきらめてふと見た道しるべ。この道は東海自然歩道なんだ。もうちょっと先へ行こうか。 その先に行ったところにあったのが「宝厳院の庭園紅葉見学」と書かれた看板。 庭園の紅葉を見るのも一興と、思いつくままに亀山公園の手前を右に折れて宝厳院(ほうごんいん)へ。 その時はこの宝厳院が天龍寺の塔頭(たっちゅう)寺院であることを知らなかった。京都の寺院で行ったことがあるのは清水寺と金閣寺とあとは三千院ぐらい。 宝厳院に入ってまず蓑垣(みのがき)、穂垣(ほがき)に見とれました。見事な穂垣は竹箒を逆さまにしたような垣根で暖かみのある趣き。 見学する人もけっこういました。写真を撮る人が圧倒的に多く(私もそのひとり)、でも中には入り口で貰ったパンフレットを片手に庭園を丁寧に見て廻る若い女性も。また見学者ではないけれど、落ち葉を掻き集め、それをまた丁寧に広げる寺の関係者らしき人も。美しい木々の根元の周辺に赤い落ち葉が見事に敷き詰められているのはこの作業があるからこそなんですね。 思った以上の紅葉の素晴らしさに見惚れました。でも足早に庭園をぐるーっと廻って見て歩るくとすぐに出口。茅葺きの門をくぐって参道を上に行くとそこは天龍寺塔頭。 塔頭にある他の寺院を見ながら歩いているといつの間にか天龍寺の山門へ。山門を出て振り返り、ようやく裏口から入ってきたんだと気づく私。 今、あんなに足早に見学したことを後悔しています。 記事にUPするために宝厳院のパンフレットをしっかりと読み返し、歩いた庭園は「獅子吼の庭」と名付けられていたんだと知りました。 宝厳院の庭は、仏教思想に基づいて造られていた日本庭園だったのです。そして日本でも有数の名庭園であったことも知りました。 情けないですね。私はただ紅葉を見るためにだけ行ったのですから。きれいだな、で終わらすにはもったいないほどの庭園だったのです。 今度、獅子吼の庭の配置をしっかり頭に入れてもう一度行ってみたい思いにかられました。その時はカメラで撮るだけではなく、この目でしっかりとそしてじっくりと見てみたい。 【追記】08.12.12 タイトルを「獅子吼の庭」としておきながら、その意味を書いていませんでした。 以下の文は宝厳院のパンフレットからの抜粋です。(カッコ内の読み仮名は私の追記) 「獅子吼(ししく)」とは、「仏が説法する」の意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴く事によって人生の真理、正道を肌で感じ心が大変癒される庭である。 庭園内には須弥山(しゅみせん)を現す築山、その前には人生を思わせる「苦海」(空池)が広がり対岸には「雲上三尊石」が有り海の中には、「此岸(しがん)」より「彼岸(ひがん)」に渡る舟石、仏の元に渡る獣石が配置されている。また策彦禅師が命名された「獅子岩」、「碧岩」や「響岩」といった巨岩を身近に観る事が出来る。回遊路の途中には「破岩の松」が天に向かって真っすぐ生えているのを見ると「願心」の大切さを痛感する。 また、この庭園は江戸時代、京都の名所名園を収録した「都林泉名勝図会」(秋里籬島著)にも掲載された名園中の名園である。 春は新緑、秋は紅葉と一年を通して目を楽しませてくれる。
12月3日の日曜日に京都の嵐山へ行ってきました。
嵐山は我が家から比較的に行きやすいところなのですが、去年の10月に行って以来となりました。(去年はトロッコ列車を中心に撮りました。去年の記事はこちら) 今年は紅葉が例年より遅れているということで、今日あたりが一番の見頃だろうとでかけましたが、この思いはみんな同じだったらしい。 紅葉を見に行ったのか、人を見に行ったのかわからないほどの人出にげんなり。 (京都新聞でこの秋一番の人出と一面で紹介されたほどだったとか) その上、午前中は良いお天気だったのに午後からは雲が広がり今にも泣き出しそうな空模様。写真の出来具合の悪さをお天気のせいにしてご紹介しますのでご覧ください。 ↑保津川下りの船を上流に運ぶトラック 去年、保津川下りの船は渡月橋に着いてからどうして元に戻すのかとの疑問に、地元出身の横浜のおーちゃんが、トラックで運ぶのだと仰っていました。今回、その現場を目撃。何とラッキーな始まり。 ↑嵐山公園に行く手前の中の島橋から見た嵐山。 ↑甲羅干しをするカワウと、ユリカモメたち 桂川の川辺はちょっと寒かったけど、水鳥が沢山出迎えてくれました。 カワウが甲羅干しをしているところを目撃。これもラッキー。 カワウは羽を前後にゆっくりと動かし、扇ぐようにして乾かすのですね。 川の向こう岸はすごい車の列です。嵐山には車で来ないほうが良いと思います。 ↑オナガガモとユリカモメ オナガと一緒に居るユリカモメ、ちょっとカモメの水兵さんみたいで可愛いと思いませんか?ユリカモメは羽をたたんでいると、鴨たちと同じような大きさですが、翼が長いので飛んでいる時は随分と大きく見えます。 水鳥は、他にアオサギやダイサギがユリカモメの群れの間に交じって立っていましたが、遠すぎて私のデジカメで写すのはムリでした。 ↑嵐山公園内から見た渡月橋 ↑人と車でいっぱいの渡月橋 ↑桂川(保津川)越しに見る嵐山。中腹辺りの白い点々はユリカモメの群れ。 ↑上の2枚は、野の宮神社辺りの竹林。 今回は天龍寺から廻って歩いてみました。この竹林の道が今回の最大の目的だったのです。でも・・・人の多さにそんな静かな雰囲気を味わうどころではありませんでした。 日中でさえ竹が両脇から鬱蒼と茂る薄暗い道。今の時期は日の暮れも早くおまけにこの日は曇り空。写真のほとんどは失敗でした。かろうじてこの2枚だけを恥ずかしながらUPしました。 嵐山周辺は、12月8日から18日までの間、夜間のライトアップがあります。きれいだと思います。慌てて来なくても良かったかなと、ちょっと後悔しています。 次回は天龍寺塔頭の宝厳院の庭の紅葉を紹介したいと思っています。 渡月橋を渡って先に宝厳院の庭に寄ってから竹林へと足を運んだのです。順路からいえば当たり前なんですけど、竹林を最後にしたのはミステークでした。
正確には「明石淡路フェリー」ですが、一般応募した愛称の「たこフェリー」が通り名です。 この会社はフェリー3艘で明石港~淡路島岩屋港を運行しています。1時間に2運行、時間によっては1運行の時もあり。24時間営業。 それぞれの船名は「あさしお丸」、「あさなぎ丸」、「あさかぜ丸」。 タコの絵が船体に描かれているのは「あさしお丸」で、イルカの絵が描かれているのは「あさなぎ丸」。「あさかぜ丸」は何の変哲もないフェリーです。 たこフェリーに乗るからには、タコペイントのフェリーに乗りたい。時間をずらしてあさしお丸を待ちました。 そうそう、フェリーと言っても車やバイクで行ったわけじゃありません。 JR明石駅から歩いて約7、8分でフェリー乗り場に着きます。 一般乗船で、おとな一人320円。子供半額。 乗船時間20~30分弱で向かいの淡路島岩屋に着きます。 この車無しで人のみ乗る一般乗船客がけっこういました。 乗船する目的のほとんどは明石大橋を海から見ることです。岩屋に着いたらタッチして明石へ引き返す。 明石大橋が出来てから、大阪港、甲子園、須磨から淡路島へ運行していたフェリーは全て廃止されて、現在あるフェリーは「たこフェリー」のみです。 廃止になった、須磨~大磯間はフェリー乗船時間が約45分で、これがツーリングに行くライダー達にとって良い休憩時間になるのでよく利用しました。ライダー達は今この「たこフェリー」を利用しているようです。 また明石大橋の高い通行料を嫌って、このフェリーを利用するトラックや、釣り目的で淡路島に行くドライバーもかなりいるようです。 淡路島の目的地によっては、明石大橋を通るより、たこフェリーを利用したほうが安上がりで早いかも・・・。 たこフェリーに乗り込んで、デッキから明石大橋を眺めました。ぐんぐん迫ってくる大橋は迫力満点。大橋の上を通過する車が見え、そして真下から見る。これは船上からでないと味わうことのできない醍醐味です。 行き交う大型客船やヨット。明石、神戸の街並みと六甲の山。反対を向けば淡路島の緑ゆたかな山々。淡路SA(岩屋)内にある観覧車も見えます。 20数分で淡路の岩屋に着き、周りを歩いてみましたが、ここは漁港で何にもないところ。釣りを見たりして1時間ほどぶらぶら過ごし、再びたこフェリーに乗って明石港へ。帰りは30分ほどかかりました。 いきなりたこフェリーに乗ろうと家を出たのが昼の2時。JR大阪駅から新快速で約30数分で明石駅へ、明石の「うおんたな(魚の棚)」そばの居酒屋で、これまた美味しいたこ飯とたこ料理と、新鮮なサヨリのお刺身等をお腹一杯食べて、明石港へ。 帰りはイルミネーションのきれいな明石大橋を眺めながら、フェリー乗り場そばの「たまご焼き」と看板のあがっている店で本場の明石焼きをたっぷり食べてきました。満足満足。 (写真はいっぱい撮ったのですが、たいしたものがなく恥ずかしい・・・) 熊子さんからいただいた裏技タグをアレンジしてマウスオンアルバムを作ってみました。ゴミがついているようですが、ま、見ないことにしよう。 熊やん、ありがとね。 これからもgooがロールオーバータグを許可しないのなら、この裏技を使う以外ないのですが、ちょっと面倒・・・。熊アンちゃん考案の3枚でいこうかな。 【追記】本文中で、オノコロランドの観覧車と書いていましたが、明石大橋を渡りきったところにある淡路SA内にある観覧車であることがわかりましたので、訂正しました。 左上から時計回りになぞると手動スライドになります。コマ送り速度はご自由に 鳥取砂丘を初めて見た時は、想像していたより 狭い ! でした。 日本一広い砂丘と言っても砂漠じゃないのですから、サハラ砂漠やタクラマカン砂漠と比べていた私のほうがどうかしている。と思ったのは2回目以降でした。 「馬の背」と呼ばれている海のそばにあるひときわ高い砂丘。上り下りする人々が点々にしかみえません。 随分距離があるように見え、これまで一度も行ったこと無し。馬の背越しに見える日本海の水平線を眺めたり、馬車に乗ったりしていただけでした。 誰かが「あそこへ登ろうな」と指さす。 「なに言うてんのん。遠すぎ。やめとこ」 「人、見てみぃ。あんなにちっちゃいねんで」 「汗だくになること間違いなし」 「見るだけやったらつまらんやん。行こ行こ」 結局押し切られ、みんなで馬の背を目指すことに。 下りきったところは「すりばち」と呼ばれ、草地があり水が湧き出ている。 水は塩水ではなく真水でした(味見したのは私)。 「オアシスや!」誰かが叫ぶ。 「えらい狭いオアシスやな」 「どこから流れてるん?」 「上の方からやで」 入り口近くの林方面から流れているようでした。 「ラクダのおしっこが混じってたりして」 「ゲッ!」 深い砂に足がのめり込み登りの辛かったこと。 でも30分弱(多分)で馬の背にたどり着く。 頂上からの日本海の眺めと爽やかな海風は、汗まみれの身体を充分に癒してくれました。疲れは感じなかった。来て良かった! と、そこからまた誰かが下の浜辺へ下り始める。ここから先はかなり急な斜面になっていて、下り始めると足がもつれそうなぐらいに早足になる。 ダダダダ~ 滑り落ちている。 たたんだ段ボールをお尻に敷いて滑り降りようとしている若者もいた。 途中で手から段ボールが離れ転がり落ちていく。下で砂まみれになっていた。笑っている。楽しそう。 私は馬上でお茶を飲んで、転がり落ちるように下りていく仲間を見ていただけ。 波打ち際まで下りた仲間は、海水に足を浸けて海に向かって何か叫んでいる。若いな。格好だけは。 こちらに帰ってくる時がまたたいへん。四つんばいになって這うように登ってくる姿はもう人間には見えなかった。 砂丘では馬車とラクダに乗れます。経営者は別々なので客の争奪戦がすごい。 ラクダは、人を乗せて砂丘の入り口近くの平坦な所をぐるぐる回るだけ。 馬車の方は砂丘の中でも砂地が固まっている林の中を往復するだけ。 両方とも「馬の背」には行きません。馬だってラクダだって深く急な砂丘を登り下りするのは無理というものです。 ラクダは眠っているように目を伏せていますが、これで目はあいているのです。この伏し目のままで人を乗せていました。観光客がなで回してもじっとしているおとなしいラクダたち。 馬車を曳く馬はサラブレッドやアラブに比べると随分と身体ががっしりとして逞しい足をしています。この馬はフランス原産の「ペルシュロン(Percheron)」で、明治時代に農耕馬として輸入されました。農業が機械化されて数は減りましたが、北海道では「ばんえい競馬」、通称「ばんば」で活躍しています。1トン近くもあるそりを曳くペルシュロン系の障害レースは世界でも北海道にしかないそうです。 キティちゃんを乗せたこの逞しい鹿毛のペルシュロンは休憩のお散歩なんでしょうか。先に通り過ぎた芦毛は「ゆき」ちゃんでしたが、この鹿毛くんの名前は確認していません。 砂丘の紹介写真でよく登場するのが、汗だくで登った「馬の背」の風紋です。 この風紋がきれいに見られるのは、誰も足を踏み入れていない早朝でないと無理だということです。風と砂が作る芸術を見るには近くで一泊するか、夜通し走って早朝に到着する以外にないようです。 以前はここでよくパラグライダーやサンドボード(スノーボードの砂版)を見たのですが、今回は平日のためか見かけませんでした。
◆サムネイルにマウスポインタを乗せると大きめの画像が出ます。
◆上のサムネイルは浜坂ビーチ。下のサムネイルは但馬海岸遊覧船からです。 余部鉄橋から西へ車で40分ほどにある浜坂(はまさか)。 今まで何回か通過しながら、いつか泊まってゆっくり見てみたいと思ったほど私にとって魅力的な漁港でした。 どんなところが?と聞かれてもはっきりとは答えられない。なんとなくです。 今回余部鉄橋を目的地のひとつに選んだ時、浜坂に泊まることに決めました。それも海の見える部屋にです。 もういうことなしでした。窓から見える海に大満足。海から吹き込む風が涼しくこの宿に居る間一度もエアコンはいれませんでした。 青い海、広がる砂浜、夜になるとイカ釣り船の灯りが点々と連なる水平線にただただうっとり(写真に撮るのを忘れて眺めていました)。 舟盛り&磯焼き料理の美味しかったこと。鯛、アジ、甘エビ、イカ、アワビ、サザエ、フグ、ヒラメ。そして実に美味しかったハタハタの塩焼き。食べきれないほどの料理に満足満足です。(料理写真は苦手なんで撮っていません) 釣りも楽しみました。サビキですがもういれぐい状態。ただ釣果は小物ばかり。大物はやはり投げ釣りでないとだめなようですが、何時間も粘って狙う大物釣りはあきらめました。来年は挑戦してみたいですね。 画像ではたった3匹しか写っていませんが、キャッチ&リリースでこれはほんの一部です。この3匹も海に帰しました。残ったオキアミは迷惑をかけたお魚さんたちにあげました。 下のサムネイルマウスオーバーは、宿から近い観光遊覧船に乗って見た但馬御火浦(たじま みほのうら)海岸です。 この遊覧船は4コースあって、乗船人数によってコースが決まります。 但馬御火浦海岸を巡り、船に乗ったまま2つの洞門の中にも入る「最長1時間乗船コース」は、10人以上でないと乗れません。 私達はおとな4人、これでは最短30分コースで面白くありません。 暫く待っているとご夫婦連れがやってきてこれで6人。 もう暫く待っていると今度は5人連れの中年男性のワンボックスカーが止まりましたが、すぐに発車しようとしたので、車に近づいて強引に遊覧船に誘いました。最初どうしようかと迷っていた男性陣は、パンフレットを見せると面白そうだと誘いに乗ってくれました。これで11人!最長1時間コースOKです。 客が客を誘うという実に面白い観光遊覧船「いわつばめ」。この遊覧船の写真も撮ったはずなのに、ない!消してしまったらしい。 (最長コースは地図で示している濃い青い部分です。大人1人1900円) 御火浦(みほのうら)の名前は、神宮皇后の一行が波の激しい但馬海岸で遭難しかかった時に見えた火を頼りに浜坂の港にたどり着いたという逸話からきているようです。 但馬海岸は山が直接日本海に接している岩石海岸で、日本海の荒波が作り上げた断崖絶壁や数多くの洞門が見られる景観奇観の名所です。波が穴をあけた丸窓のような岩は私にとっては奇観中の奇観でした。 船が狭い洞門の中に入っていく時はこすらないかと心配しましたが、どうしてどうして船長さんは大ベテラン。大事な船に傷をつけることはありません。 帰路は、船を自動操縦に切り替え、乗客に舵を握らせてくれます。船長用の帽子を被り11人の乗客全員、船長気分を味わいました。子供に返ったようでした。 来年もまたここで泊まりたい、そう思った浜坂でした。 |