59歳「じージ」の癌治療日記

2005年11月、胃がんと診断された3人の孫を持つ59歳男性の治療記録

第6クルー開始

2006-05-30 10:28:12 | Weblog

5月29日(月曜日)
今日から又抗がん剤治療、第6クルーの始まりだ。
いつものように8時半に病院へ入り外来化学療養室のベッドに横たわる。
窓際のベッドを選んだら、風に揺れる木々と空がとても綺麗に見えた。
いつものように新米の医師が採血と点滴用の針を打ちに来る。
毎度のことながら練習台にされているようであまり気持ちは良くない。
今回もゴムバンドの締め付けがきつすぎて、針がなかなか入っていかなくて時間がかかるものだから手がしびれてきた。そばにいる看護師が見かねて「手が痛くないですか、しびれませんか?」と聞いてくれた。待ってましたと「しびれて痛いです!」
それでも前にも書いたようにこの作業は看護師には出来ないんだそうです。
資格と技術は比例していない、実感です。

血液検査の結果は良好で、いつものタキソテールとTS-1による治療を開始することとなった。
周りのベッドには幾人か同じように点滴を打っている患者さんが居る。
中には私と同じように薬が効いて副作用もあまりひどくない人も居るが、
看護師さんに問診されている話をそれとなく聞いていると、便が柔らかく日に5回くらい行く人も居る。点滴の最中に吐き気を催す人も居る。いろいろな人がいる中で私は本当にラッキー!!

点滴が終わり主治医との診察を待つ。お昼を回った頃やっと診察だ。
先生と今後の治療計画を話し合う。
今回が6回目になるのでこれが終わったらCT&,レントゲンで効果を確認する。
予定として以下の日程となった。
6月12日(月曜日)  午前中、血液検査&バリウム検査   午後、診察
6月15日(木曜日)  午後、 CT検査
6月19日(月曜日)  午後、  検査結果の説明  この日は
             「しばらく奥さんに説明していないので同席してもらってください」
             とのこと。私からは毎度経過を妻に報告している旨伝えたが
             やはり家族が何回かは同席しないといけないようだ。
6月29日(月曜日)  第7回の治療開始予定

雑談の中で朝日新聞に掲載中の「患者を生きる」の記事について話した。
前立腺がんを宣告され、手術以外に治療方法は無いと言われたが、前立腺の手術は難しく術後に悪影響が残ることが多いのでどうしても手術はいやで、他の方法が無いかを調べたところ、「小腺源療法」なる放射線治療が新しい治療法として一部の病院で研究されていることがわかった。その人は八王子市在住であるが、幸いに近くの北里大学病院がその治療を実施しているという。早速問い合わせたところ9ヵ月後に予約が取れたそうだ。
直径0.8mm、長さ4.5mm位の弱い放射能を出す円筒状のチップを癌組織の中にいくつも埋め込むのだそうで、とても技術と経験を要する治療法らしい。放射線を扱う治療法は設備も大掛かりとなり、何処の病院でもやってもらえるわけではなく、なかなか順番が取れないらしい。それでもその患者さんは小腺源療法で今は回復して再発有無の検査をするだけになっている。手術に比べ前立腺機能を損なうことが少なく回復後の生活レベルが高く保てるのが特徴だ。
この話をして、「北里も色々な新しいことに挑戦していますね」といったら
「この治療法を研究している**先生も良くやっています」と返事が返ってきた。
かなり親しい間柄のようだ。

先週、先生は学会発表でアメリカ出張だった。トンボ帰りで大変だったそうだが、ステーキが前に行った時よりも美味しかったそうで、今話題の米国産牛の輸入再開もきちんと検査体制を整えて早く実施すれば良いのになどど言っておられた。
前から私はハワイに行くことを先生に打診していたので
「荒井さんは何時からハワイに行くんでしたっけ?」と聞かれた。
「明日からです」  「そうですか、気をつけて行ってきてください。」
「私がハワイへ最初に行ったのは新婚旅行でしたが、とてもいい所です。片言の英語を使おうとしたら日本語で良いですヨと言われた」などエピソードなど聞かせてもらえた。
本当は抗がん剤を投与していない休みの期間に行きたかったが、旅行の予約を早めにしないといけないので、予約時に治療日程が分からず、こうなってしまった。
ハワイの夢も、いよいよ実現だ。
5月30日から6月4日の短い期間だが病人だからこのくらいの期間がちょうど良いだろう。
こうして考えると時間はあっという間に過ぎていくことを実感する。
最初は、ハワイなんて計画だけで実際にいけるかどうか・・・と半信半疑でいたのだから。

一つずつ夢や計画を実現できるように、これからも治療に前向きに向き合って行こう。
次回、ハワイ紀行をお楽しみに。


懐かしい友人

2006-05-26 09:42:21 | Weblog

5月25日(木曜日)
今日は午後から以前同じ会社に居た後輩 I 君が訪ねてくる予定だ。
家庭の事情で25年前に親元の長崎に帰って行った。
彼とは職場も同じであったがテニス仲間、飲み仲間といったほうが適切かもしれない。
今回は関西地区への出張のついでに秋田の酒田市にある工場を見学し、東京、千葉の支店に寄った後我が家へわざわざ立ち寄ってくれた。
一緒に仕事したのは僅か3年の間であったがアフター5やテニスを通じてのつながりが深かったせいか、退社後もづーっと付き合いが続いている。
彼の九州男児的熱い性格で人とのつながりを大事にするところから交際が途切れないのかもしれない。上京するたびに顔を出してくれる。
今回も私のところに来た後、当時の上司のお宅に一緒に出かけた。その元上司も今は身体の具合が悪いが、我々が行ったらとても喜んでくれた。
しばらくして彼の同期の友達 Aちゃんもそこに合流し談笑した。私とその当時の上司が2人とも病気だということもあり話題は健康に関することに流れがちではあったが、当時のことを思い出しながら懐かしい話も出た。脳溢血を2度体験したにもかかわらず上司の記憶力のよさには我々はじめ奥さんもびっくりだ。
彼の同期の友人Aちゃんともメールのやり取りはあったが顔を合わすのは病気になって以来初めてだ。私の顔色がよくって、思っていたより元気そうで安心したと言ってくれた。

こうして古い友人、上司と話していると自然と話が弾む。精神的にリラックスでき、免疫力が増して身体にも良い効果があると思う。元上司は言語障害が残っているが、我々が久しぶりに訪れて必死で話そうとするのでどんどん言葉が出てくるようになったみたいで、奥さんも「こうして人とどんどん話しをすることが一番のリハビリになるね」と言っていた。
2人とも病気にはなったが幸いにも今のところ命を維持している。事故で突然命を絶たれる人も居ることを考えると人の命は本当に自分の力ではどうにも出来ないことをつくづく感じる。

時間もあっという間に過ぎて、病人は寝る時間になってしまった。入院時の就寝時間が早かったせいか、退院してからも何となくそのリズムを保っている。というか、寝る前にびわの葉温灸の施術を1時間近く行うのでその分BEDに入るのが早くなるといった事情もあるが・・・
とにかく I君とAちゃんを近くのホテルまで妻の運転する車で送ってから帰った。
2人はもう少し話して(飲んで)行くと言っていた。  おやすみ。
楽しいひと時をありがとう。


霊波の光参拝

2006-05-22 18:25:00 | Weblog

5月21日(日曜日)
今日は最高の行楽日和、しばらくお参りをしていなかったので妻と2人で野田まで参拝に出かけた。
日曜日は高速道路も比較的すいていて楽だ。
境内はご奉仕の信者さんたちが綺麗に清掃されていてとてもすがすがしい気分になれる。
妻も「ここに来ると心が洗われる気持ちがする」と言っている。

11時前に入門し礼拝堂にて講和を聞く。
12時から皆でお祈りをした。御守護人様に
「ここまで身体の具合がよくなりました」 「ありがとうございます」と
感謝の気持ちを祈りに込める。 
「もうしばらく御力を注ぎ続けてください!」

6月8日に先祖浄霊御祈願が有るとのことで申込書をもらって帰った。

帰り道、”ご飯屋”でお昼の食事をした。
いつも玄米などの食養生のメニューであるが、外に出た時に食べる普通の食事がとても懐かしく美味しかった。


定年

2006-05-20 10:54:52 | Weblog

       

       

     

5月19日(金曜日)
5月19日 私の60歳の誕生日、すなわち還暦、定年の日である。
今の会社は途中入社で、昭和47年12月から現在まで33年5ヶ月を勤めたことになる。
思い起こせば色々な出来事があったが、このように病気療養中の身で定年を迎えることになるとは夢にも思わなかった。

朝9時半頃から会社に出向き、人事課で退職の手続きを行い、古巣の職場を訪ねた。
大方の人が1年半ぶりの再会である。
私の病気を知っている人は一様に「思ったより顔色も良く元気そうだ」と言ってくれた。
リーダーの人たちとしばらく雑談の後一人ずつ挨拶して回った。
それぞれの人たちとやった仕事が思い出される。
昼は役員クラスの人たちと一緒の昼食会がセットしてあった。
病気のことや昔話などしながらひと時を過ごした。
病気療養中と知りながらも、私で無ければ出来ない仕事が待っているから早く仕事に復帰して欲しい、なんてことを言われると本当に幸せ者だと感じる。ありがたいことだ。

フロアのみんなに挨拶して回っていても皆、「早く元気になってもう一度職場に帰って来てください、待っています。」と言ってくれることがとても嬉しかった。
最近は定年後も再雇用制度で仕事を続けている人が多い。

会社や同僚から花束や記念品を一人では持ちきれないほど頂き、妻の待つ車まで運んでもらった。本当に感謝の気持ちで一杯だ。

帰り道、妻が「定年を迎えた今の気持ちは?」と聞くがいままで病気治療のため会社を休んでいたので、一般の人に比べると印象が薄いかもしれない。私にとっては病気で日本に帰った日が定年の日だったのかもしれない。
普通なら「明日から会社に行かなくて良いので朝はゆっくり寝ておれる」とか
「これからは自分の好きなことで第2の人生をスタートさせるゾ」 とか
区切りのある生活変化が待っているのかもしれないが、私の場合は引き続き癌と向き合って生活しなければならない。

会社の帰りに病院へ行き血液検査を受けた。
今回も各数値に問題は無いとのこと。主治医は明日(土曜日)からアメリカへ学会の論文発表のため出張だそうだが夕方になっても患者が待っていて、今日中に終われるか心配だと冗談で言われるほど忙しい。まだ荷物のパッキングもしていないそうだ。
発表が終わった2日後には日本へ帰り、金曜日には病院へ出ないと患者さんが待っているとの事。 我々の仕事も大変だったが、医者特に大学病院の医者も大変だなと思う。

病院からの帰り道、定年のお祝いに小奇麗なお蕎麦屋さんによって、ささやかなお祝いを夫婦2人でやってきた。ビールを小さいジョッキに一杯飲んだ。とても美味しかった。
お蕎麦も最高で妻も気に入ってくれた。

家に帰り妻からも誕生日プレゼントとねぎらいの言葉が記されたカードなどもらい、会社からの記念品や感謝状など紐といていると、やっぱり「あー 定年なんだな」
としみじみ感じた。
子供たちがこの瞬間に居合わせないことに一抹の寂しさを感じたが、皆独り立ちした以上は、いたし方の無いことで、逆に独立してしっかりと生活していることを喜ぼう。


増富温泉、不老閣

2006-05-17 20:34:15 | Weblog
5月13(土),14(日),15日〈月〉
娘もフランスへ帰り、一段楽し時間ができたので、
またまた不老閣さんへおじゃました。

増富温泉近辺は今、新緑の真っ盛り。
遅咲きの八重桜も所々に咲いていてとても美しい時期だ。
昨年の12月から通い始め早いもので半年が過ぎる。
最初に訪れた時には、1月に手術の予定だったので余り先のことは考えれず、まさか新緑をこんな元気な状態で見られるとは思ってもいなかった。
このまま治療が順調に進み秋の紅葉の時期にも元気に来る事ができればいいなと考える。ここの紅葉は奥入瀬以上との話だ。

今回は往路は車で妻と一緒に行き、妻は一晩泊まって日曜日に帰った。
次の日に私一人もう一晩とまり、月曜日に電車で帰ってきた。
今回もまたお風呂仲間ができた。
一人で1週間自炊棟に泊まっている人で私と同じ歳くらいだ。
肝臓が悪く、前立腺肥大でこのままほおって置くと前立腺がんになる恐れもあると言われ、増富温泉に通っているそうだ。
肝臓が悪いくせに食事の用意をしながら焼酎のお湯割りをコップに半分くらい飲むそうだ。なかなか好きなものは辞められないものみたいだ。
自炊棟も料理ができれば結構楽しそうだ。
見た目にはとても病人とは思えない体つきと明るい雰囲気を持っている。
岩風呂で最初に会ったが、入るなり人懐こい笑顔で話しかけてきた。
やっぱり明るくしている事が病気を退治するには大事だと、ここ不老閣に来るたびに思う。宿のお上さんも長年治療に来る人を見ているが、明るく前向きで体力がある人が回復しているそうだ。
彼も1週間居るうちに毎日散歩は欠かさず、話をした日など1時間半もかけて近くの瑞がき山荘までたらの芽を探しながら散歩に出かけたり、暖かい時期にはゴルフ場に出かけたりしているという。
私ももう少し体力を付けてゴルフにも行って見たいと思う。

帰りは普通電車で2回も急行に抜かれながらのんびり本を読みながら帰ってきた。

娘の帰仏

2006-05-10 09:23:49 | Weblog

5月10日(水曜日)
今朝早く娘が孫娘と共に、フランスへ帰っていった。
高速バスで成田まで行くので早朝の5時過ぎに最寄の駅まで送った。
一緒に居る時はあまり意識もしないが、こうして居なくなると寂しい。
今度は何時会えるかな?

我々夫婦も生まれ故郷が山口県と宮崎県でどちらも首都圏からは遠く、
若い頃はボーナスをはたいて帰郷していた。
娘も遠くフランスから毎年帰ってくるが、時間もさることながら費用も大変だと思う。
今までは大変さが分かるので帰るたびにおこずかいを渡していたが、
今回はこちらの懐具合を見透かしてか遠慮してくれた。

父親にとって娘は一般的に可愛いものだが、3人兄弟の末っ子ということも有り、
また、ある程度私が歳を取ってから(と言っても上の2人に比べてで、世間一般的にはそんなに歳を取った時の子供とはいえない)の子供ということもあり特別に可愛がってきた。
娘も高校生になっても世間でよくある父親を男と見て毛嫌いするようなことは一切無かった。きっと、母親譲りだと思う。妻が同じように父親に可愛がられて大きくなった。
妻も娘を自分と同じように父親を慕う娘に育ててくれた。妻に感謝かな?

とは言え、一緒に居ると何かと小言も言いたくなるのが親であるが、
居なくなるとやっぱり寂しいものだ。
孫娘も自己主張が強くてなかなかきかんぼうではあるが、
パパに可愛がられて娘と同じように育っていくことだろう。

我が家も今日から普段のお落ち着いた日に戻った。


医療の地域格差と経済格差

2006-05-07 09:29:10 | Weblog

5月7日(日曜日)
今日で連休も終わり。といっても私は毎日が連休で代わり映えしないが・・・

最近、新聞や本の宣伝に癌と言う文字がやたらと目に付くようになった。
以前から同じ確率で世の中に出回ってはいたのだろうが、
自分が癌になると、とたんに目に付くようになる。
癌に限らず、今まで見過ごしてきた記事や情報が興味を持つと結構身の回りに沢山あることに気が付く。
人間の注意力はそんなものだ。

朝日新聞に「患者を生きる」というがん患者を対象とした特集記事がある。
いろんながん患者から取材した内容を記事にしたものだが、新しい情報に触れることも有り、興味深く読んでいる。
最近つくづく病気になってもその人の住んでいる場所(地域)や経済状態によって治療の効果や結果が随分と異なるのが現実だな、と思えるようになった。
2,3週間前の記事に九州は佐賀県の患者の話が載っていた。
食道がんを患った53歳くらいの男性患者の話だ。
その患者さんは当初は地元の病院で手術を受ける気持ちで居たが、周りの人や家族の勧めも有り、色々と調べたり悩んだ結果東京の国立がんセンターで手術を受けた。
東京まで出てきて治療を受けるのは時間的にも体力的にも大変である。一番大変なのは経済的な負担だ。患者本人の入院費用のほかに、付き添いの家族も病院近くにホテルを取って入院中は患者の世話をしたそうだ。幸いにその患者さんは奥さんをはじめ家族の理解があり退職金を使ってでも命には代えられないといってみんなで治療に協力してもらえた。
一般の人は「何もそこまでしなくても地方の病院で十分ではないか」と言われるかもしれない。しかしその記事にも書いてあったが現在の日本の医療現場では地方と大都市近辺では確かに格差がある。地方でも大学病院のある中核都市はそれなりの治療が受けられるが、そうでない所では手術例も少ないし専門医も居ないのが現状だ。
前述の食道がんの患者さんが、がんセンターに来た時の印象が新聞に載っていたが、病院に入った瞬間から全てが違ったと言っている。分かる気がする。

今日の新聞には肝臓がん患者の話が出ていた。
肝臓がんの治療方法はいくつか選択肢がある。
新聞記事の患者さんは今有る全ての治療を行ったが効果なく、 病院から見放された。
それでも色々と調べてインターフェロンと抗がん剤5FUとの併用の治療法があることを知った。しかしこの治療法は現在保険診療として承認されていない。つまり自己費用負担の治療となる。それでもなんとかこの治療を受けたいと病院に頼んだがその病院では厚労省で承認されていない治療方法だとの理由で出来ないとのことで大学病院を紹介された。
幸い紹介された大学病院で併用治療を受けることが出来、これが効果を発揮して癌が縮小、完治した。
インターフェロンそのものはC型肝炎などウイルス性慢性肝炎の薬として保険適用されているが、癌に使う場合は保険適用外となる。早く認可して欲しいと願う患者は沢山居るそうだ。
この記事で感じたことは自己リンパ球改造治療などの免疫療法と同じく、最新の治療方法があることが分かっていてもなかなかそれを受けることが難しいことと、治療を受けるにしてもお金がかかると言う事実だ。
病気になってもその人の置かれている環境と経済的な条件によって人の命は随分と左右されるものだ。

2つの例から私は恵まれた環境に居て幸せだと感じた。
まず、首都圏に近いところに住んでいて最新の医療技術を備えた病院にかかれる。
治療方法も納得のいく治療を受けることが出来、幸いにして今のところ治療効果が上がっている。
何よりも家族の理解があり病院の治療のみならず漢方薬、びわの葉温灸、食養生、温泉治療など経済的な負担をかけながらも受けることが出来る。


抗がん剤はやっぱり辛い

2006-05-05 06:47:13 | Weblog
5月4日((木曜日)
絶好の行楽日和だ。
昨日(3日)は次男家族が訪ねてきて、孫3人を連れて近所のアスレチック公園に行った。
道路は渋滞だったがローカルな抜け道を使った。
孫たちは自然の中で思い切り楽しんだ。大勢の中で遊ぶとそれぞれの性格が出てとても興味深い。
一晩泊まって孫三人、一緒に寝た。

私は1日(月曜日)からの抗がん剤のせいか、ここ2,3日からだが少しだるい。
朝もすっきり目覚めない。熱は37.8度で少し高めだが特に問題は無い。
鼻の根元が風邪を引いた時のようにちょっと痛い。
朝はのどの奥や鼻の奥から血痰のような薄汚れたものが出てくる。
歯を磨いても出血する。血小板の減少によるものと思う。
時々立ちくらみもする。
食欲もいつもより無くなり、胃の存在感を自覚する。
アスレチック公園から帰って来て少し横になった。

今日は子供たちと孫だけで近くの服部牧場へ行った。
私は家で休んでいた。
抗がん剤の副作用が今回特に今までよりひどいわけではないが、3週間ほど投与をしない時間が有っていつもより長かったので、抗がん剤の投与をしない時と投与したときの差がはっきりと自覚できるので、副作用を余計に意識することになったのだと思う。

それでもせっかく孫たちが来てくれたことだし、出来るだけ一緒に居て楽しんだ。
午後からは隣町の同級生T君が家族旅行のお土産を持ってきてくれた。
いつも気に掛けてくれてありがとう。

次男家族は早めの夕食をみんなと一緒に食べて、帰った。
楽しい時間を過ごせてよかった。
が、小さな子供が3人集まると確かに賑やかで、正直ちょっとくたびれた。
騒がしい時はくたびれるが、それでもやっぱり孫は可愛い。
表情やしぐさは作られたものでないだけに、ほほえましい。
子供たちが忙しい中、私たち夫婦のために孫を連れてきてくれることを、ありがたいことだと感謝してる。

第5クルー開始

2006-05-02 13:30:32 | Weblog
5月1日(月曜日)
夏に本格的に入ったかなと思わせるほどの陽気だった。
半そでポロシャツでも暑いくらいだった。

今日からまた抗がん剤の投与が始まる。
朝一番から病院へ行き、化学療養室に入りベッドに横たわる。
血液検査や点滴用に注射針を打たれる。
血液検査だけのときは看護師さんが針を打つが、点滴の時は針が太いことと薬が強いこと(抗がん剤、特殊)からか看護師さんでは出来ないそうで医者の卵(失礼)さんが毎回入れ替わりで来て注射針を打つ。これがなんともぎこちない。いちいち看護師さんからの指示を待っているし手元もおぼつかない。なんといっても態度が自信無さげでこちらまで心配になる。看護師さんも時々心配で手助けすることもある。
前回の時、看護師さんに聞いてみた。「毎回若い医者が入れ替わりで点滴用の針を打ちに来ますが、練習台になっているみたいで正直言って心配です、看護師さんにやってもらったほうが安心ですが、決まりがあるんですか?」
答えが前に書いた理由です。
これも日本の医療の将来を支えるためにしょうがないことだと納得してやってもらうことにした。
最近は医療事故に関する訴訟などが多く新聞などで取り上げられているが、北里大学病院はその点とても気を使って念入りなチェックをやっているなと感じる。
必ず患者の氏名と診察カードの確認を毎回行い、薬の種類も口に出して読んで確認している。先生や看護師さんたちの患者に接する態度もとても親切丁寧、患者の気持ちを考慮しているなと感じる。いい病院を選んだと思っている。

今回もたいした副作用も無く、そして癌が退治できることを祈る。

還暦祝い

2006-05-02 12:59:19 | Weblog

4月30日(日曜日)
私の誕生日は5月19日、この日が定年で還暦の日ですが、
フランスから娘が帰ってきており5月10日には帰るのでみんなが集まれる本日、ちょっと早めの還暦祝賀会を開いてもらった。
場所は五日市の近くにある黒茶屋、ちょっとしゃれた田舎の隠れ家といった感じのお店だ。
妻をはじめ長男夫婦、次男夫婦と2人の孫たち、末っ子の娘と孫娘が出席した。
残念ながら娘のだんなさんはフランスでお仕事と言うことで出席できなかった。
こうして家族が一堂に会することは最近はあまり無い。まして、私がアメリカに滞在していればこのような会も催すことは出来なかったかもしれない。
これも癌になったおかげと感謝している。
感謝と言えば真っ先にここまで私を支えてくれた、いやこれからも療養生活に協力してもらう妻に感謝しなくてはいけない。
「本当にありがとう」

子供たちは皆独立し、それぞれ家庭を持ち、それなりに暮らしている。
次男に2人、長女に1人、計3人の孫たちにも囲まれとても幸せなことだと感じている。
高望みをすればきりは無いが、こうしてそれぞれが家庭を持って生活できるまでに成長してくれて本当に良かった。我々夫婦にとっては自慢の子供たちだ。
定年を迎えた時点で子供たちへの心配が無いことは本当に恵まれていると思う。

子供たちからはプレゼントをもらい、お店からもお祝いだからとサービスで冷酒を頂いた。
病気になって以来お酒類は飲んでいなかったが、今日は身体の調子も良いしお祝いだからと勝手な理由をつけて、食前酒の梅酒と冷酒を一口頂いた。とても美味しかった。
お酒を飲みたいと思うこと事態、具合が悪かった頃からは想像も出来ないことだ。
目に見えてというか、体に感じて良くなっていることを実感した。

今日は本当に充実した良い1日だった。やっぱり家族は大事だと改めて思った。