59歳「じージ」の癌治療日記

2005年11月、胃がんと診断された3人の孫を持つ59歳男性の治療記録

「ラジウム温泉」

2005-12-29 20:49:14 | Weblog
「ラジウム温泉」
12月15日~18日、12月29日~1月3日
検査結果が出揃うのを待つ間に癌に効果があるという「増富温泉」へ行った。
増富温泉は山梨県に有る温泉で武田信玄の隠し湯といわれている。中央道須玉インターから車で45分くらい、みずがき山のふもとにあり、放射能を含んだラジウム泉である。
源泉の温度は低く温泉お内風呂で33度Cくらい、山の中の岩風呂で19度Cです。ちょっと冷たくて側にある暖かいお風呂がなければとても長くは入っていられない。
それでも多くの湯治客はそれぞれが抱える難病を治したくてじっと我慢してはいる。

「不老閣」という湯治宿に泊まって治療したが、そこでは「ここに来て医者に見離された癌を実際に温泉で直した」といった体験談が沢山聞かれる。

ここでは色々ながん患者と話すことが出来た。医者からもう手術は出来ないからといわれた人や、手術後の治療に来ている人など皆それぞれ頑張っているな、そんな湯治客と話を交わすのも勇気づけられる。、よし自分も、との気持ちになってくる。

12月29日~1月3日

私は12月の中旬に引き続き年末年始にも行った。気のせいだけでなく本当に身体の具合が良くなる。
お正月にこの温泉の宿「不老閣」さんで知り合った浜松に住む島田さんはわざわざ私が正月明けに手術をすると聞いて近くの菩提寺に行ってお守り、筒花火(浜松では縁起の良いお飾りとされる)、掛け軸の観音様、お札を送ってきてくれた。ご本人は肝臓を患い治療に来られている。
「不老閣」は本当に湯治に徹したとてもいい宿です。ご主人、女将さんをはじめ仲居さんから番頭さんまでみな良い人ばかりです。
手術が成功したらまた術後の治療に来ることを約束して帰った。

「検査結果」

2005-12-21 21:13:46 | Weblog
「検査結果」
12月9日 日本での検査結果はすべて出揃ってはいないがアメリカでの検査資料がありある程度の治療方針を話すことは出来るでしょうとの小泉先生の計らいでこの日に無理やり外科の先生(二渡先生という30歳代前半の女医さん)との面談をさせてもらった。胃がんの種類や進行度合いでいくつかの治療方法があること、北里大学病院のレベルは国立癌センタに引けを取らないこと、胃がんの術後5年生存率は全国平均を上回っていることなどこの日は一般的な話であった。私が手術を望んでいることからまずは入院手続きをしてベッドを確保しましょうということでその日は終わった。

12月21日
いよいよ日本での検査結果がすべて出て先生と治療方針を話し合うことになった。
検査結果はやっぱり胃がん! しかもCT検査の写真を見ると胃の周りのリンパ節が腫れているとのこと。他の臓器への転移は見られない。
「先生、世間で言う進行度はステージいくらですか?」
「ステージ3のBですね」
すなわち癌は胃壁を打ち破り漿膜(しょうまく)まで達しておりしかもスキルス性の癌の恐れがあるとのこと。スキルス癌とは進行性の最もたちの悪い癌で粘膜の下をカビがはびこるように横に進行していくもので胃カメラなどで確認しにくい癌だそうです。
癌の場所は幽門(胃の出口)近くにあり5cmくらいの範囲にわたり胃が小さく萎縮している。食べ物が通りにくくなっている。確かに超音波内視鏡を胃の中に入れたときこの部分を通り抜けるのに苦労していた、それほど小さくなっている。

この時点では外科手術を行うことで1月7日入院、12日手術の予定であった。

「日本での治療開始」

2005-12-08 21:12:57 | Weblog
59歳「じぃジ」の闘病日記
「日本での治療開始」
12月8日 日本へ帰ってきた次の日(8日に)北里大学病院へ行った。
日本での病院を何処にするかは随分迷った。癌といえばまず思い浮かぶのは「国立がんセンター」であるが、紹介状が無いとなかなか初診で行ってもすぐには見てもらえず何ヶ月か待つようだとの噂もあり第三候補にした。新宿の「国際医療センター」に妻が通院しておりこちらは初診でもすぐに見てもらえるし、癌の治療に関する評価も高い病院なので、帰国前はここに行くつもりで居た。帰国すると会社から妻のところに北里大学病院なら産業医の先生の紹介状がもらえてすぐにでも入院できるとの話があり、妻とも相談して結局北里大学病院に掛かることにした。新宿では妻が見舞いに来るのに遠いのが難点であった。
北里大学東病院 消化器内科にまずは行き、アメリカでの検査結果資料を渡し、今までの経過を説明した。診察に当たった先生は小泉先生といって、あとで聞いた話では消化器内科特に癌に関しては評価の高い先生とのこと。まずはもう一度日本で精密検査をしましょうとのことで、検査日程をチェックしてもらったが大変込み合っていてなかなか検査すらすぐには出来ないのが現実です。どうしても内視鏡の検査が込んでいて予定が入らないとのことであったが、アメリカから飛んで帰ってきて、すぐにでも検査して欲しくって今朝は朝食も取らないで来た事を訴えたら、「よし! 私がやろう」と先生自ら検査してもらえることになりその日の内に内視鏡の検査だけは終わった。ありがとうございました。
この時点では私は一刻も早く検査をすませ手術をして欲しいと思っていた。
手術をするには検査結果を確認の上外科の先生に見てもらう必要があるとのこと、ここでまた外科の先生の予約を取らなければ先に進めない。ここでも無理を言って何とか次の週に外科の予約を取っていただいた。とにかく急がないことには年末年始の休みがある。10日間の空きは患者にとって生きた心地がしない心配の長期空白期間です。(後になっていろいろな情報、知識が入ってくると10日ぐらいはどうということはなく、結局私も1月25日まで入院しなかったがこの時点では一刻も早く手術をして癌を取ってやらないと体中に広がるのではないかと心配した)
結局諸々の検査日程は次のようになった。
12月12日 バリウム検査
12月19日 CT検査
12月20日 超音波検査(エコーによる胆肝膵脾腎検査)と超音波内視鏡(胃カメラの先に超音波センサ取り付け)

帰国準備

2005-12-03 15:01:41 | Weblog
12月3日(Fri) この週は日本から菅原専務がアメリカに来社されていて4日の日曜日から一緒にシカゴへ出張の予定であった。
私の気持ちの中ではここまで我慢できたのだから来週の末にでも日本へ帰国することにしようかと思っていたが、Drewが即刻帰国するよう勧めてくれTroy社長はじめHollyなど関係者へ私の状態を説明してくれすぐにでも帰るようにお膳立てしてくれていたので、私もすぐに帰ることに決めエアーチケットの準備に入った。
2日の病院での検査結果を聞いての帰り道、駐車場での別れ際にDrewは週末から出かけるけど何かあったら携帯に電話してくれ、なんでもするからと妙に深刻に、真剣に言っていたのを思い出す。彼は私の症状を医者からある程度詳しく聞いていたのであろう。
本当は医者に連れて行ってくれた日はDrewは午後からVacationの予定だった。
自分の予定を変更してまで私を医者に連れて行ってくれたことに本当に感謝してる。「ありがとう」

アメリカでの検査結果

2005-12-02 14:41:28 | Weblog
12月2日、胃の薬を薬局で購入できるように交渉をお願いしていたDrewさんが「あらいさん 先日の検査結果が分かったから教えてくれるそうです、聞きに行きましょう」と言ってきた。検査結果を聞きに行く日は12月7日の予定であったが身体の具合も悪く、早く結果を聞きたいので「じゃー お願い」といって病院へ連れて行ってもらった。この時点でDrewはすでに私が胃がんだと聞いていたと思う。無性に早く結果を聞きに行くことを私に勧めた。
通訳の怜子さんと共に3人でZenia(?)ジーニアの病院まで行った。

医者は親しげに挨拶を交わした後おもむろに話を始めた。
「潰瘍部分の組織をしらげた結果は悪性の腫瘍すなわち癌が見つかった」
「CTなどの精密検査でさらに詳しく調べる必要があるが、希望するなら専門の病院を紹介する」
私はじっと医者の目を見た。とっさに「胃がん」?、これは手術が必要だ。だったら日本へ帰ろう・・・と思った。
医者は続けた。
「胃がんは日本での症例が多く日本の技術が進んでいる、アメリカ人と日本人では癌のできる部位や症状が異なったりするので日本で治療をしたほうが良いかもしれない」と私の気持ちを見透かしたようにインド人の医者は言った。
インド人の医者は「私もベジタリアンなので良く分かるが日本食とアメリカ食では随分と違う、食事の違いも癌の一因かもしれない」と言った。
私はその場で日本に帰って治療する気持ちを伝えた。