59歳「じージ」の癌治療日記

2005年11月、胃がんと診断された3人の孫を持つ59歳男性の治療記録

学友

2006-08-27 10:41:10 | Weblog

8月26日(土曜日)
今日は40年ぶりに高専時代の学友が大阪から尋ねてきてくれた。
仕事にかこつけてと言うか会社の同期会やゴルフ大会があり、そのついでと言っていたが、わざわざ橋本まで来てくれた。ありがたいことだ。
40年ぶりではあったが、お互いに顔を見たらすぐに分かった。
話し方、雰囲気は本当に変わらないものだ。
関西地区で開いた会合の写真や、先生の写真などを持参して見せてくれた。
同級生の近況や、お互いの今までの人生の歩み、出来事など話して1時間があっという間に過ぎた。
彼も以前にバセドウ病で大変な目にあい、全治するまで3ヶ月くらい掛かったそうだ。
つい最近は自分自身も腸のポリープを取る手術をしたし、兄さんも同じく大腸ポリープの手術で、こちらは人工肛門を付けることになったそうだ。
自身のポリープは今のところ悪性ではないが、毎年検診をしているそうで、曰く「爆弾を抱えて生きている」そうだ。
人生60年も生きていると色々なことがあるなと実感する。
同級生の中には4,5年前に脳卒中で倒れ、いまだに意識が回復していない人もいることを聞いてびっくりした。
私はこの後、新宿まで”気功”の治療に行く予定だったので名残惜しい思いをしながら再開を誓って分かれた。
「関西、中部地区の皆にお前の顔を見たのでちゃんと報告できる」
と言い残して彼は息子の住む横浜近くの町へ帰って行った。


癌研報告

2006-08-27 10:19:09 | Weblog
8月25日(金曜日)
癌研での話の報告と、入院日の相談に北里大学病院へ行った。

治療の方針や薬の選択など大まかには北里も癌研もあまり変わりがないこと。
通院の大変さや、万一の緊急入院時の手間などを考えると北里にて治療を継続することを勧められたこと。
骨転移に関しては股関節部分の痛みが転移から来ているらしいとの癌研の判断(レントゲン写真にそれらしき影が認識される)。
等等を伝えた。
治療方針に関して、特に抗がん剤使用の選択は私が受けている治療は癌研と北里とで共同して臨床試験を行っている薬なのでそんなに意見に差があるとは思っていなかったので予想通りではあった。
ただし、レントゲン写真の見方や判断、その後の放射線治療や手術、さらに進んで緩和ケアに関する治療等、総合的にはやはり癌研のほうが癌に特化しているだけきめ細かい対応が可能なような気がする。
個人的にはもう少し私の身体状況に変化が起これば、癌研にて治療を受けたい希望もあるが、今のところは通院のことや緊急時のことを考えて、北里にて治療を続けることとした。
取り合えづ入院して新しい抗がん剤治療を行う日を少しでも早くしてもらいたい旨、申し入れた。
9発1日の予定を8月30日に変更してもらった。

入院するとしばらくはブログもお休みせざるを得ない。
入院中の出来事は書きとめておいて、退院後にまとめて発信の予定。

癌研究所

2006-08-24 13:35:22 | Weblog

8月23日(水曜日)
22日、23日と有明の癌研に行ってきた。
脊椎に骨転移して背中や腰が痛かったり、放射線治療の後、最近身体がとてもだるかったりするので一度別の病院で見てもらうのもいいかなと思った。
免疫療法を取り入れている病院の先生に電話で話したところ、原発の胃がん部分を切除した後に免疫療法を考えたほうが良い、免疫療法だけで原発の大きな癌までは治せないとの話だった。北里ではいまさら手術の選択肢は無いと言われたこともあり、癌研で再度手術の可能性を含めて話を聞いてみることにした。
幸い、妻の親戚の人の高校での同級生が癌研におられて整形外科部長をされているとの事で紹介してもらった。その先生は癌研の院長補佐でもあり、癌に関する整形外科では日本でもトップクラスの先生との事、
22日はその整形外科の先生とお話ができた。
北里からは紹介状や治療資料を持参してきたのでそれに目を通されて、私の話を聞かれておもむろにコメントを頂いた。
今までの治療方法は特に問題なく、骨転移に対する痛み止めに放射線治療を行うことも一般的な処置方法との事。
手術に関してはいまさら(骨転移までしている状態で)手術をすることは患者の負担が大きく一般的には手術はしないそうだ。
抗がん剤治療の前に手術を選択していたら結果は違ったでしょうかとの質問にも、おそらく変わらないでしょう、手術をしていてもリンパ節まで転移が認められる状態であったなら、いずれ骨転移も起こったでしょう、とのこと。
骨転移に関する治療方法も外科手術の手もあるとのことであるが、手術のリスクや患者への負担の割りに効果があまり期待できないことから実際にはあまり手術をすることは無いようだ。これは私見だが、手術で転移した骨を人工骨に交換してもまた別の部分に転移するかもしれず、いたちごっこになることは十分考えられる。
私の現状に関して、抗がん剤が効かなくなっているなら、別の薬に変えてみるとか、骨転移により背中が痛いのであれば痛み止めの薬を使うとかして、痛みを和らげる処置をしてもらってください。とのことだった。
胃がんからの骨転移は珍しくないのか、など一般的な質問にも丁寧に答えてもらい、さすがに経験豊富な方だとの印象だった。

先生は専門が整形外科なので消化器の専門医を紹介してもらう事にした。
生憎その日は消化器の担当医が出ていないので次の日に予約を入れてもらった。

23日は当初12:15分の予約であったが、帰宅後16:00に変更してくださいとの電話があった。何処の病院も大変込み合っているようだ。
少し早めに着いて待合室で待っていたら、受付の女性が「診察が少し遅れています、もしよろしければ処置室にソファーベッドがあるのでそちらで横になられて待ちますか?」と言ってくれた。私が腰が痛そうにしていて、妻が背中をさすっていたのを見て、気を使ってくれたみたいだ。ひょっとして院長補佐の先生からの紹介と言ったことも多少関係有るかもしれないねと妻は言ってた。
いずれにしてもお言葉に甘えてソファーベッドに横にならせてもらった。とても座り心地というか寝心地と言うか、良かった。
結局、4時の予定が5時半から診察が始まった。
消化器の先生はとても物静かで優しい先生だった。
やはり北里からの資料や、整形外科部長からのコメントに目を通し、私の話を聞いてくれた。
癌研に行かれたことのある人はお分かりと思うが、最近有明に移って、建物も新しくなり、とても綺麗で感じの良い病院だ。先生やスタッフの対応も気持ちが良く、以前にNHKの番組で末期がん患者の緩和ケアに関する番組でも取り上げられたことがあり、個人的にはこちらで治療を受けたいなと思っていた。
そのことを先生に話すと、
「病院を選ぶのも、医師を選ぶのも患者さんの権利です。ですが、こちらで治療をするとなると通院が大変ですね。(抗がん剤治療はやはり通院治療になるそうだ。)それに、万一救急車で運ばれるような事態になったとき、救急車は県をまたいで来てくれません。ですから北里大学病院との繋がりは維持しておいてください。」とのこと。
やんわりと北里で治療を続けてくださいと言われた感じだった。
「治療方法や薬の選定も北里と癌研では同じです。」「北里東病院も綺麗な病院じゃないですか」「田辺先生や、小泉先生は私も存じ上げていますが信頼できる良い先生ですよ」「腰や股関節の痛みに関してはレントゲン写真を見ると骨転移している箇所がもう一箇所股関節にあるようなので、それらの処置や諸々をお手紙に書いてお渡しします。」
これらのお話があり、私も妻も北里で治療を続けることに同意した。
ただ、癌がもっと進行し放射線治療が必要になったり、緩和ケアまで進んだときには、また逆に骨転移やリンパ節の転移が消えて、手術が可能となったときには改めて癌研での治療も考えてみようと思う。やはり総合医療と言う点からすると癌研の方が進んでいるようだ。

抗がん剤が途中で効かなくなったことに関して、私が次に使う抗がん剤も身体に耐性ができ、効かなくなり、又次に使う抗がん剤も効かなくなって、抗がん剤が皆効かなくなったらどうするんですか?と質問すると、「そんなに悪く考えるのは今の時点ではよしましょう」とやんわりとかわされた。
とにかく2日間親戚の紹介で癌研で診察してもらうことが出来、とても有意義だった。
結果的には現状を継続することにはなるが、ある意味踏ん切りがついたといった感じだ。
今の予定では9月1から新しい抗がん剤で治療が再開されるため、また一時入院となる。今度は少し今までより副作用が強いかもしれませんと、癌研の先生には言われた。


検査結果

2006-08-20 21:14:33 | Weblog

8月18日<金曜日>
ここんところ体調が悪くてブログもなかなか書けない。
金曜日に診察があり、先週のレントゲンやCTの結果を聞き、これからの治療方針を相談した。
抗癌剤は余り効いていないらしく、次のクールから薬を変えるので入院の手続きをしましょうとの話、
がんの状態はそれほど進行してはいないとの説明だが、自覚症状としては入院前の状態に戻った感じだ。
骨転移の後、放射線治療を行った副作用なのか身体がだるくて食欲がない。背中の痛みもそんなに緩和されなくて、なんだか放射線を当てない方がよかった感じだ。
17日に放射線科の先生の診察もあり、その時放射線の効果は余りなく、副作用だけが残った感じです、と言うと、「まー患者さんによってはそんな場合もありますから・・・仕方ないですね」とそっけない返事。

入院の予定を決める前に、セカンドオピニオンを受けたいので、その日程のあとに入院の日程を入れたい旨申し入れた。
セカンドオピニオンに関しては快く聞き入れてもらい、早速月曜日には資料がそろう。
親戚の人にお願いして、有明の癌研究所で見てもらう予定だ。
とにかく現状を何とかしないと精神的にも肉体的にもちょっと参っている。


長野からの来客

2006-08-16 20:57:35 | Weblog

8月14日(月曜日)
今日は思いがけない人が遊びに来てくれた。
10年かあるいは7,8年か詳しくは覚えていないが、それくらい前にここ城山から長野に引っ越していった友達Iさんだ。
一緒の会社でもあり、テニスを一緒に楽しんだ仲間でもある。

久し振りに会った顔は、日焼けして元気そうだった。
田舎暮らしのゆったりとした雰囲気がなんとも言えず良い。

引っ越した理由がちょっと変わっている。変わっているというと本人には大変失礼であるが、当時、私は本当にそう思っていた。

2人の女の子のお子さんがひどいアトピーであった。
この病気をよくするには生活環境、特に水や空気や食物を変えるしか無いと判断し、長野に引っ越して自然食品の自家栽培を始めた。
特に奥さんは熱心だった。(と思う)
その当時私は聞いた。「長野での仕事は決まってるの?」
仕事は決まってないけど行けば何とかなる。そんな感じだったと記憶する。
仕事も決まっていなくって、身内も居ない知らない土地によく引っ越せるな、と当時は心配しながら見ていたものだ。
きっと自分にはできないだろうな、と思っていた。

でも、現在私はこうして癌を患い、色々と治療経験を重ねるうちに、当時の彼ら夫婦の決断が正しく、、また行動に移すことがどれだけ大変で、実際に行動した事がどんなに素晴らしい事かが分かってきた。
2人のお子さんずれでたずねて見えたが、2人とも真っ黒に日焼けして、アトピーのかけらも見られない。田舎暮らしの純真さと素直さが見え、そして何より生き生きと見えた。

今では時々は誘惑に負けて美味しいものも食べているそうだが、それでも基本的には自分達で野菜など栽培したものを食べているそうだ。
蕎麦を作る仲間に入り蕎麦作りにもチャレンジしているそうだ。
今度行ったら美味しい蕎麦を食べさせてもらう事を約束した。

人の行動にはその人なりの深い理由があり、周りの人には理解しがたい事も、本人にとってはとても重要であることを私は病気になって始めて思い知らされた。そして当時のIさん夫婦の決断力と、実行力に感心することしきりである。


気功師

2006-08-13 21:57:15 | Weblog

8月13日(日曜日)
昨日、一日寝ていたせいか今日は少し調子が良い。
朝起きて、犬の散歩にも行ってきた。散歩に行くと少し腰が痛い。
以前より坐骨神経痛があり、足の先までしびれていたが、同じような痛さで、骨転移のせいか坐骨神経痛のせいか、分からない。

お昼から気功にも行った。今日は日曜日なので電車も比較的空いていた。
気功で知り合った患者さんの話がとても興味深いので記述しておく。

58歳の男性で、何処が悪いのか本人も良く分からないが、とにかく身体全体が衰弱して内臓もどんどん小さくなり衰弱し医者からは「もう、手の施しようが無い」と言われたそうだ。
なんでも仕事はバイオ関係の薬だか何だかを扱っているらしく、自分で事業を興して今まで頑張ってきたと言う。
医学会の裏事情にも詳しいので、病気になった時点で自分に効く薬はないし、医者も自分のような難病患者に時間を割いてみてくれる医者はいないと思っていたとの事。
何とか西洋医学以外で治療するしかないと考えて、あちこちの気功師を訪ね歩いたそうだ。
ここの、郭良先生にめぐり合うまで8人の気功師に掛かったそうだ。
しかし、どの気功師も「自分には直せない」とか「あなたの寿命はあと2ヶ月です」とか言われがっかりして半ばあきらめかけていたそうだ。
自分が事業を始めた時に、この仕事は神から与えられた仕事だと思い、精一杯働いてきた。だから病気になったのかもしれないが、仕事で死ぬのなら仕方ないと感じていたらしい。
だけど周りの人が放っておかなかった。全国の気功師を探して良いといわれる気功師を3人選んでくれたそうだ。その中の一人がここ郭気功学院の先生だったそうだ。

先生からは「あなたにはもっと生きて神様のためにやらなければならない仕事が残っているでしょう、今死ぬわけにはいかないですよ。」と言われ涙が出るほど嬉しかったそうだ。
それから8ヶ月、2ヶ月の命と言われた人は、いまこうして気功の施術を受けながら仕事を続けている。
ここに通い始めた頃は電車を待っている間もホームにしゃがみこまなければ居れないし、エスカレータにも身体が引きずられてうまく乗れないほど体力が無かったそうだが、今は2時間立ちっ放しの施術を受けている。素晴らしい回復力だと感心する。

周りの人からは「気功はどんなですか? 気功は効きますか?」と聞かれるそうだが、
「効くとか効かないの次元ではない。私は気功に命を預けたのだ。」と答えているそうだ。結果は神のみぞ知ると言わんばかりだ。
医者やいくつもの気功師に見放され、もはや他に選択肢の無い状態で施術を受けている人の、本音に聞こえた。
私の場合、気功に限らず抗がん剤治療、代替療法、食養生、温泉治療、信仰など色々とやってはいるが、正直言ってこれに命を預けたと言えるほどどれも真剣ではない。だから、治療効果も良い方向に向かないのかもしれない。
気功の先生と施術を信じて任せきっているその人を少しうらやましく思えた。


風邪

2006-08-12 18:22:08 | Weblog

8月12日(土曜日)
今日も朝の目覚めが悪い。何となく身体がだるくすっきりしない。
いつもなら5時半には目が覚めているのに、今日はだらだらと7時半まで寝ていた。
体温を測ったけど熱は無い。時々咳が出るのでやはり風邪かもしれない。
犬の散歩も妻に頼んだ。
だけど、今日はお盆の入りなので墓に参ってきた。
昼食を済ませてから気功に行くつもりでいたが、身体から力が抜けた感じでとても行ける元気が出ない。電話して今日も休むことにした。

午後、ベッドに横になりながらTVで高校野球を見ていたら、フランスにいる娘から電話が来た。今日から4連休だそうだ。
「本を贈ったけど届いた?」
「さっき届いたところだよ」
それから孫娘に変わって少し話した。
「じージ、おなかいたいの?」
「だいじょーぶだよ」
娘が私の病気のことを話して聞かせているのだろう。
そのほかたわいの無いことをしばらく話した。
やっぱり孫は可愛い。
「じゃーね、バイバイ」と言ってキロロ軍曹のビデオを見に行ってしまった。
少し元気になった気がした。


検査8.11.06

2006-08-12 18:02:48 | Weblog
8月11日(金曜日)
今日はCTとバリウム検査の日だ。
朝、8時半に病院へ行き、まずはCT検査を受ける。そのままバリウム レントゲン検査を受けた。
結果は18日の診察時に主治医から説明される予定だ。

熱も下がったのでその足で気功に行こうかとも思ったが、時間的に早いので一旦家に帰ることとした。橋本まで着いたところで、家まで帰るには時間とバス代の無駄だと思い、橋本図書館によって時間をつぶすことにした。

橋本でお蕎麦を食べてから新宿まで気功を受けに行った。

気功休む

2006-08-12 17:54:07 | Weblog
8月9日(水曜日)
今日は朝から身体がだるい。
放射線治療が終わり、先生の診察の日であったが、電話をして日にちを変えてもらった。
気功も休むことにした。
風邪をひいたみたいだ。37度の微熱がある。
とにかく身体がだるいので一日寝ていた。

あきらめない

2006-08-05 08:40:50 | Weblog

8月4日(金曜日)
今日も暑い。
病院へ行くバスの中で本を読んでいて、涙か止まらず困った。
鼻水をすすりながら読んでいたので周りの人は不思議がっただろう。
諏訪中央病院元院長の鎌田實先生が書いた「あきらめない」という本だ。
諏訪中央病院は末期がんやそのほかの病気で緩和ケアが必要な患者さんを主に引き受けて治療しているようだが、治療方針が患者の立場に立った患者本位の医療を心がけている病院だ。
「がんばらない」という本を基にしたテレビドラマも西田敏行主演で放映されたらしいので見た人も居るかもしれない。残念な事に私は見ていない。
私の読んだ「あきらめない」は末期のがんやそのほかの病気でなくなっていった何人かの患者さんのなくなるまでの闘病生活をつづったものだ。
それぞれの患者が真剣に生きようとし、それを病院スタッフが本気で手助けする姿が描かれている。

最後の章に書かれている40代女性の胃がんの患者さんの話は親子の情愛がにじみ出ていてついつい涙してしまった。
悪性度の高いスキルス胃がんだった。既にがん性腹膜炎で腹水がたまっていた。「余命3ヶ月、もう手の施しようのない胃がん」と病院から家族は説明を受けていた。すでに腸閉塞になりかかっていた。腹部に大きな塊があり、お腹が張って吐き気の為食事が取れなくなってきていた。胃の出口の幽門近くの胃壁が、がん細胞の増殖で狭窄を起こしていた。腹腔内にがん細胞が播種されて横行結腸とS状結腸の癒着がおきており、腸の内腔も狭くなっていた。尿管の周りにもがんが広がって、右側の腎臓では水腎症もおきかかっていた。
諏訪中央病院で痛みが緩和されると、「私、生きたい」と言う。
「辛い時はそんな事は思わなかったけど、痛みが取れたら、もう少し生きたいと思うようになった」 と。
彼女にいは子供が2人いて、上の子が男の子で高校3年生、下の子が女の子で高校2年生だった。
「子供の卒業式まで生きたい」
彼女の最初の希望だった。なんと彼女は抗癌剤治療を続けながら長男の卒業式に出席した。
「家族のために生きたい」という彼女の思いが身体の奥に内在する、治ろうとする免疫系の細胞を活性化して、ナチュラルキラー細胞やマクロファージやがん抑制遺伝子ががん細胞の暴走に抑止的に働いたのだろう、と書かれている。
彼女は一つの希望が達成されると、新しい希望を次々と持っていた。
「末っ子の推薦入学が決まる秋まで生きていたい」
だが、その時の状態ではとてもそこまで生きられるとは誰も予想できなかった。しかしすごい事が起きた。
彼女には手術もできず、抗癌剤も効かなくなっていたがいつも明るく不思議なパワーを持っていた。主治医は家で過ごす最後のチャンスを考えていた。 そして彼女は一時退院した。
身体の調子の良いときに台所にたった。常識的には彼女にはもう、お勝手の仕事をする体力は残っていないと思われた。
娘のお弁当を作った。
娘は学校で久し振りにお母さんの作ってくれたお弁当を明けた。
なつかしさがこみあげてきた。うれしくて、せつなくて、せつなくて涙がポロポロと落ちてきた。
40日間の一時退院の後、彼女はまた緩和ケア病棟に帰って来た。
そして3月の娘の卒業式を迎えられた。式には出席できなかったが余命3ヶ月と言われた命は1年8ヶ月生きた。
病気の全てを受容した上で「子供のために生きたい」命があった、「あきらめない」、「生きたい」という思いが想像を超えた結果を作り出した。
医学や科学では分からない事が人間の身体の中にはある。

鎌田先生の言葉に
「がんばらない、でも、あきらめない」というのがある。
病気になって、ともすれば早く良くなりたいがゆえに、ついつい本人も頑張ろうと思うし回りも「がんばって」と声をかけたくなる。
だけど、頑張るという事は目標を定め、わき目も振らず、寄り道もせずに一目散に目標に向けてひた走るイメージが強く、患者にとってはストレスになる。それよりも道はいくつもあり、どの方法を選ぶかは自由で、途中の道草もあって良いじゃないか、間違ってたら別の道に変わればいい。
だからそんなに頑張らなくて良いんだよ。
だけど、生きる事をあきらめてはいけない、命に関しては真剣に取り組まなければいけない。現実を受け入れながら、あきらめずに、丁寧に生きる事が可能なのだろうか、と鎌田先生は問いかけている。
その答えが前述の胃がんの女性の生き方に形として示された。

健康な状態でこの本を読んでいたら、
「世の中にはいろいろ大変な人も居るんだな」
程度の感想だっただろう。
自分も癌を患い治療中の身であればこそ、これだけ感激したのかも知れない。