59歳「じージ」の癌治療日記

2005年11月、胃がんと診断された3人の孫を持つ59歳男性の治療記録

化学療法

2006-09-29 14:14:22 | Weblog
9月29日(金曜日)

抗癌剤を変更してから3回目の投与予定日で、朝から病院へ出かけていった。
いつものように血液検査をして、ベッドに横になり、抗癌剤の投与を待っていると、
主治医が入ってきて、
「白血球の数値が下がっていて今日は抗癌剤投与ができない、延期しましょう」
とのこと。
今まで副作用で白血球が下がる事は余り無かったので予想外だった。
白血球の数は看護師に聞くと1900とのこと、私の場合今までは正常で8000くらい、下がっても4000から3000くらいだった。身体の状態により副作用の出方も変わるものだ。
いずれにしても今日は抗癌剤の投与はできないので妻に電話して迎えに来てもらうことにした。
次回の投与予定日は一週間強間を空けて10月10日(火曜日)という事になった。
この間に白血球も回復するだろう。

孫娘帰ってくる

2006-09-28 11:49:36 | Weblog

9月27日(水曜日)

         


午前中は雨が残ったが午後から少しずつ晴れてきて、孫が町田につく頃には爽やかな秋晴れになっていた。
病院から直接町田まで迎えに行った。
午後2時半頃到着。
長旅の疲れも見せず、元気なものだ。
車の後ろの席に孫と二人で座って、窓の周りの景色の話や飛行機の中の出来事などを話しながら帰って来た。
妻も可愛くて仕方ないらしく、運転しながら信号待ちのときなど後ろの席に手を伸ばし孫の手や足を触ろうとしている。
孫も嫌がりもせずちゃんと相手をしてくれるから可愛い。

2,3ヶ月滞在するそうで、しばらくは毎日退屈する事はなさそうだ。
こうして娘や孫を日本に返してくれた娘婿さんには本当に感謝している。
先日娘婿さんが中国へ行く際日本に立ち寄った時には
「お父さんの為になんか帰ってくることないよ」と娘に言っておいてくれ、
と強がりを言ったてまい、ちょっと気まずい。
でも、こうして孫の顔を見るとやっぱり嬉しい。

我家の子供達が生まれたときには妻の実家になかなか帰してやることができなかった。と言うより、こんなに親が孫と顔を合わすことが嬉しい事と理解できず、「嫁に出したものはもう自分の子供ではないのだから・・・」
などと古臭い事を言って、なかなか帰省させてやれなかった。
今考えると本当に悪い事をした、もっと頻繁に実家に帰してあげて妻の両親にも孫達と会える楽しさを味わってもらいたかったと反省している。

今回も孫は近所の幼稚園に行くそうだ。来週の土曜日には運動会があり、先生の計らいで孫も参加できるそうだ。体調がよければ是非見に行きたい。


退院後

2006-09-27 18:26:52 | Weblog

9月26日(月曜日)

退院してからはたいした変化もなく、自宅にて療養生活を続けている。
変化といえば、小学校の同級生に民主党の菅直人代表代行がいるが、彼の奥さんが見舞いに寄ってくれた。突然でびっくり。
住まいは武蔵野市の方で、このあたりは彼の選挙区ではないが、神奈川県から立候補する民主党の新人の応援に近所を回っているようだ。ついでとはいえ忙しいなか、わざわざ立ち寄って「いつも皆で心配しているんですよ、早くよくなって同窓会にも顔を出してくださいね」と言われるととても嬉しい。TVで拝見する印象と同じでとても気さくで感じの良い奥さんだ。お見舞い本当にありがとう!

放射線照射の治療があるので、毎日妻に車で病院まで送り迎えしてもらっている。

午後2時前に家を出て2時半過ぎには病院着、15分くらいの放射線照射が終って帰る。
帰りに買い物による事もあるし、そのまま帰ることもある。
病院で毎日ベッドの上にいた生活からすれば、すこし人並みな生活に戻ったともいえる。
病院では昼間も寝ることがしばしばあったが、家ではなるべく寝ないようにしている。
それでも抗癌剤のせいか、身体はだるく、何となく眠いので、昼寝をする事もある。
一旦寝ると、中々目が覚めずお昼ご飯を食べ忘れてしまうことがあった。
いくら昼寝が身体に良いと言っても、寝すぎは良くない。身体がよけいにだるくなる。

自宅療養でも、夜中にトイレに起きる時に腰が痛いのは入院時と同じで大変だ。
病院では点滴用の歩行スタンドやリハビリ用の歩行器を使っていたが、自宅では何もないので膝に手を当てて、中腰でトイレまでやっと歩いていく。これが夜中に3回くらいあるとさすがにたまらない。なるべく水分補給を欠かさないようにしている為、どうしてもトイレの回数が多くなる。昼間よりも夜間の方が回数が多いのはちょっと困る。
腰が痛いのは長い時間背筋を伸ばして寝ていた後に、起き上がるとしばらく痛い。時間がたって慣れてくるとだんだんと痛みは和らいでくる。昼間に椅子に座っているぶんには特に問題ない。
この、腰から背中にかけての痛みはこれから一生ついて回るのかも知れない。これもあるがままを受け入れて行くしかないのだろう。
痛み止めの薬も飲んではいるが、完全に痛みが取れるわけではない。薬の量を増やせば多少は痛みも軽減されるだろうが、副作用の吐き気を思うと、とても踏み切れない。
副作用と言えば、痛み止めの副作用として便秘もある。何種類かの下剤を飲んだが効き目がなく、入院時から座薬の薬を使っている。
浣腸とは違うが、これはよく効く。

明日はフランスから娘と孫が帰ってくる。夫婦して楽しみにしている。


入院中9.21

2006-09-21 18:15:12 | Weblog

9月21日(木曜日)
ただいま!
昨日退院しました。
今回の入院は痛み止め薬の副作用で、吐き気がひどく大変でした。
詳しくは入院中に記録しておいた内容を今回まとめてブログに更新します。
予定より入院が長引き、ブログも一度に読むには長すぎますが、少しずつ読んでください。
一度に載せられる文字数に制限があるようなので何回かに分けて更新します。

 

8月27日(日曜日)
久しぶりに妻と2人で四谷にある紀尾井ホールに「佐藤しのぶコンサート」を聴きに行った。
体調は完全ではないが以前から予約していたし、久しぶりの妻との外出だし、コンサートなので何とか行くことにした。
こじんまりとした素敵なホールで、周りには上智大学などもあり、時間が有ってもう少し体力があれば周りを散策するといいなと思えるところだ。
佐藤しのぶは日本を代表するソプラノ歌手だが、気取ったところも無く素敵な歌手だ。
何でも錦織賢とは国立音大時代の同級生らしい。
今度、何とか言う歌劇で競演するそうだ。
プログラムはごくポピュラーな歌劇からの曲などで構成されており、あまり詳しくない私でも楽しめた。やっぱり、生は良い。
聴衆はやはり同年代のご夫人が多く、中にはご主人と一緒と言う人も見られた。
久しぶりに心を洗い、免疫力アップになったかもしれない。


8月30日(水曜日)
今日からまた入院だ。
抗がん剤の種類を変えるのでしばらく副作用の確認のため入院となる。
今回は骨転移で腰が痛いせいや、身体のだるさもあり、以前の入院時に比べると自分でも元気が無いのが良く分かる。
入院手続きの後、心電図、レントゲンを撮り、病室へ。
病室で血液検査、設備の説明等を受ける。

夜、主治医の先生からこれからの治療についてのっ説明を受ける。
腰や背中の痛みに関しては、一度整形外科の先生に見てもらうこととなった。
痛み止めの薬も今飲んでいるものより少し効き目が期待されるモルヒネ系の薬を飲んでみることにした。
抗がん剤はカンプトとシスプラチンという2種類を今度は使うそうだ。9月1日(金曜日)からの投与となる。2種類とも点滴投与らしい。
癌研ではシスプラチンとイリノテカンという薬を使われるでしょうと言っていたが、少し違った。
いずれにしても早くみぞおちの痞え(つかえ)と腰の痛みを取って欲しい。


8月31日(木曜日)
昨夜は初めて腰の痛みで何度も目が覚めた。
今までは起き上がる時に痛い程度で、寝ているときの痛さはそれほどではなかったが、昨夜は我慢できないほどであった。
早速、朝の回診に見えた先生と看護師にその旨伝えると早速今朝から痛み止めの薬を飲むことになった。
早く効いて欲しい。


9月1日(金曜日)
今日は大変な1日だった。
朝起きてお風呂を覗いたら空いていたので、入院して初めてシャワーを浴びることとした。
シャワー後に朝食を取ってしばらくしたら、吐き気を催した。
夕べから飲んでいる痛み止めの副作用だ。
しばらく我慢したがどうしようもなくてトイレに駆け込んだ。
朝食べたものを皆吐き出した感じだ。
吐き気止めは「オキシコンチン」と言う薬で、モルヒネとは違うが同様の効果がある薬だそうだ。副作用としては吐き気、嘔吐、便秘が飲み始めに出るそうだ。眠気も出るそうだがこちらは入院中で、眠い時に寝れば良い。
痛み止めのおかげで昨夜は良く眠れたが、吐き気には参った。

9時半過ぎから腰のレントゲンを撮り、その足で整形外科の診察を受けた。
整形外科の先生はまだ若く、知識の蓄えが無いせいか診断結果の話に説得力が無い。
結局何を言われたか記憶に残らなかった。
レントゲンを見る限りでは骨にひどい損傷は見られない、歩くのに辛ければコルセットを使うか?と言った程度の話だったような気がする。
コルセットは寝るのに邪魔だから使わないと言った。

10時からは抗がん剤の投与が始まり、午後の4時半まで6時間半続いた。
抗がん剤2種類(カンプトとシスプラチン)と副作用を防止する薬を一緒に点滴で投与した。

そんな訳で今日は忙しい(?)1日だった。

夜ぐっすり寝るには痛み止めは必要だし、吐き気はいやだし、困ったものだ。



9月2日(土曜日)
今日の朝は吐き気も少し無くなり、朝食のパンも食べられた。
ただ、昼食は3分の1くらいしか食べられなかった。やはり胸につかえたような吐き気がある。
夕食時に妻が来ていたが、吐き気がひどく食べられなかった。
そればかりか食事を見ているうちに気持ち悪くなり、我慢できずについに吐いてしまった。食事前に食べた桃がいけなかったのかな?
妻は心配してくれたがどうしようもない。夕食は食べないまま寝た。
吐いてしまったので脱水症状を起こすといけないので点滴で水分を補給した。
そのおかげでトイレの回数が増えた。
吐き気止めも飲み薬ではまた吐いてしまうので点滴で入れてもらった。
ゆっくり横になっていると吐き気も少ない。夜は9時には寝てしまった。


9月3日(日曜日)
午後2時頃豊橋に住む甥っ子と近くに居る長男夫婦と妻が一緒に見舞いに来てくれた。
妻が言うには「今日は昨日より顔色がいいね」とのこと。
長男は入院中は暇だろうからと今流行の脳年齢チェックのゲーム機を持ってきてくれた。
ちょっとやってみたが吐き気もあってとても集中できない。やはり病気だと自覚する。
しばらくロビーで談笑して3時半頃には皆帰って行った。
今日は吐くことも無く何とか食事も取れたが、それでも半分くらいが限度だった。


9月6日(水曜日)
今朝から痛み止めのオキシコンチンを10mgから20mgに増やした。
腰の痛さや胃のもたれ、みぞおちの不快感を和らげるためと思う。
薬を飲んでしばらくすると全身の気だるさと眠気が襲ってきた。
うとうととしているうちに午前中が過ぎ、お昼ご飯が運ばれてきた。
ご飯の匂いをかいだり、見ているうちにどんどん気持ちが悪くなった。
ついに我慢できずにトイレに・・・
結局昼食は何も食べられなかった。
一気に20mgに増やしたことと、吐き気止めの薬を併用しなかったせいと思う。
看護師さんに頼んで点滴の吐き気止めを投与してもらった。
確かにオキシコンチンを20mgに増やした時は腰の痛みやみぞおちの痞(つか)えは和らぐが、それ以上に吐き気が大変だ。夕方からの薬の量をへらしてもらうことにした。
みぞおちの不快感は痛み止めによって解消はされるが、あくまでも症状緩和であって癌そのものには効いていないと思われる。
それよりも抗がん剤の選定をきちんとしてもらって、癌そのものを小さくして欲しいものだ。今度主治医と話すチャンスがあれば頼んでみたい。
癌研ではイリノテカンとシスプラチンの組み合わせと言っていたが、北里で実際に投与されたのはカンプトとシスプラチンの組み合わせだった。
薬が変わった理由やそれぞれの組み合わせに夜治癒率の違いなども確認しておきたい。
私はまだまだ、痛みを取るだけの緩和ケアーでは満足しない。
癌そのものを縮小させる治療を受けたい。
昨日は薬のダブりがあったり一昨日は新しく追加した薬の変わりに今までの薬をやめなければいけないところをそのまま続けていたりと医者(のたまご、1年生)と看護師、薬剤師間の連絡ミスがあって何となく信頼が薄れてきた。
主治医が真剣に患者に取り組む時間が無く、新米の医者に任せざるを得ない状況に見受けられる。
癌研での治療を本格的に検討する必要がありそうだ。

今日は午後に千葉から親戚のおじさん夫婦が見舞いに来てくれた。
癌研の先生を紹介してくれた人だ。私のブログがしばらく更新されていないので気になって家に電話して入院中だと知ったらしい。わざわざ千葉から自家製のぶどうやなしなど持ってきてもらって本当に感謝感激だ。遠いところをありがとうございました。


入院中 9.9

2006-09-21 18:13:03 | Weblog

9月9日(土曜日)
昨日(金曜日)の夕方、やっと主治医と話しが出来た。
水曜日からオキシコンチン(痛み止め)の量を増やして、吐き気がひどくなり大変だった旨、訴えた。
気になっていた抗がん剤の名前を確認した。
イリノテカンとカンプトは同じ薬だそうだ。
癌研で聞いた薬と北里で投与している薬は同じだと確認できた。
ただ、あまり効いていないようだと言うと、まだ始めたばかりですから、もう少し様子を見ないとなんともいえませんとの回答、もっともだ。
妻は癌研に移ることには消極的みたいだ。いざと言う時に近い方が安心だと言っている。
薬も同じだと分かったことだし、看護師間の引継ぎに多少の不満は残るが、しばらくこのまま北里で様子を見ることとする。

今朝ほど体重測定があった。
55kgに落ちていた。入院して5kg減ったことになる。
健康な時からは13kgの減少だ。
今日から栄養剤の点滴を受けることにした。



「生きる意味」
9月9日(土曜日)
骨転移による腰の痛みや、痛みを抑えるための薬による副作用の吐き気に苦しめられていると、ついつい「神様は何で意地悪なんだろう」と邪心が芽生えてくる。
「僕はこんなに苦しんでいるのに、まだ苦しみが足りないのでしょうか?」
「あとどれくらい苦しんだら許してもらえますか?」
こんなに苦しいのになんで生きる意味があるのだろう。
以前に人間の生きる意味に関して考えた時に結論が出なかった。
私には人のため社会のために出来ることが無い、と悩んだ。
そのうちフランスにいる娘から3冊の本が送られてきた。
そのうちの一冊に「それでも人生にイエスと言う」 V.E フランクル著 という本があった。
第2次世界大戦中にナチスの強制収用所を経験したドイツ人の精神科医が終戦直後の1946年(昭和21年、私の生まれた年)に講演した内容を本にしたものだ。
その中に、「人間はどんなに苦しくても、生きていること事態に生きる意味がある」
その人が生きることにより影響を受けている人がいる限りは生きる意味がある。
といった内容で生きる意味に関して書かれている。
収容所にいると毎日が死とは背中合わせだ。
死にたいと思えばちょっと体力が無く、気力が無く、強制労働に耐えられない、すなわち収容所での必要な人で無くなったと見られたときには、次の日はガス室送りで、死ぬことが出来る。
それでも、皆必死に生きようとしている。いつ出られるか分からない毎日に耐えている。
と言うよりも 神が死ぬことすら許してくれないのだ。
この本を読んでから、何も世の中に尽くすことが無くても人には生きる意味があることが、おぼろげながら分かったような気がする。

この本はドイツ人精神科医がドイツ語で講演した内容を日本語に翻訳してあるので、言い回しが哲学的で分かりにくいところも有るが、言葉を一つずつ理解していけば言いたいことは分かってくる。興味のあるひとはamazonから検索して読んでみるといい。
終戦直後の混乱期にドイツ人によってナチスの実情をこんな形で世間に披露したことに、私はヨーロッパ社会の成熟度を感じる。


9月9日(土曜日)
妻が千葉の野田のある「霊波の光」まで御神酒を頂にお参りに行ってくれた。
このところしばらく御神酒を頂いていなかったし、いろいろと治療を続けてはいるが、なかなか効果が現れないことへの焦りもあった。
不思議なことに昨日まで骨転移から来る腰の痛みや、痛み止めによる吐き気に苦しめられていたのが、少し和らいだ気がする。
食欲も少し出てきた。と言うより、食べ物を見て吐き気を感じなくなった。
3時頃には頂いてきた語神酒を私に持参してくれた。
「誓訓」を唱えながら御神酒を頭のてっぺんや患部に手先で少しずつつけてもらった。
気持ちが落ち着き、身体も痛みが和らぎ、胃のつかえも少なくなった気がする。
御守護神さまと妻に感謝した。

夕方には次男夫婦が孫二人を連れて見舞いに来てくれた。
孫二人はとても私になついていて可愛い。下の子はまだまだ病院の中を理解できなくて大声で話すので、ロビー^に行って孫と話した。


9月10日(日曜日)
隣町(八王子小比企町)に住む学生時代からの友人T君が病院まで見舞いに来てくれた。
しばらくブログが更新されないのでどうしたかな? そろそろ予定では退院の頃だが、
と実家に電話したらしい。ちょうど妻が「まだ、入院しているんですよ、これから病院に行くところです」と言うと、
では「私も行きましょう」となったらしい。
いつも気に掛けてくれて本当にありがたい。
妻を交えて3人で1時間くらい談笑して帰っていった。

9月11日(月曜日)
栄養剤の点滴と、食事が少しずつ食べられるようになったおかげで、だんだんと体調も良くなってきた。
夜中にトイレに起きる時に腰が痛いのは仕方ない。オプソと言う、薬を飲むと少し痛みは和らぐ。
主治医が朝、回って来られたので、腰の痛みと、痛み止め薬、その副作用の吐き気、放射線治療の効果などについて話し合った。
オキシコンチン(痛み止め薬)の量が少ないと思うが、増やすと吐き気がまた出そうで心配だ。放射線による痛み止めは効果が無いか?やるとしたら入院中に受けたいが・・・と聞いてみた。
結論は、放射線を13日からやってみることにした。少しは痛みが取れることを期待して・・・


9月12日(火曜日)
人間の身体は食べることによって命が吹き込まれることを実感する。
食事が少しずつできるようになり、体力が少し回復してくると、気力も出てくる。

今朝は2週間に1度の院長回診が有った。
TVで若い医師を引き連れて各病室を回る あれだ。
院長は初めて会ったが、割と気さくな感じで、TVで見る重々しい回診のシーンとは随分と雰囲気は違った。
院長が患者を見ることが目的ではなく、若い医師の処置、患者への対応などを回診を通じてチェックすることが目的のようだ。

入院が予定より伸びているので気功の先生に電話をして、退院までもう少時間が掛かりそうだと伝えた。吐き気で食事が出来なかったことを話すと、先生は随分と心配してくれた。やはり体力が一番大事だという。


9月13日(水曜日)
天気予報で今朝の気温が16度で肌寒いほどと言っていた。
入院時には日中の気温が36度も有ったものがあっという間に秋になってしまった。
外に出ることが無いので気温を肌で感じることが無いのが寂しい。

今日は放射線治療開始日だ。
放射線治療が始まると毎日うけることになる。15日からは第10回目の抗がん剤投与が始まる。今まではこの日は通院で受ける予定になっていたが、昨夜主治医と話して少なくともこの日(15日)までは入院しておき、その後様子を見て通院できるようであれば、退院して放射線を続けることにした。
主治医も話している私の体調が良い事を感じ取り、とても喜んでくれた。
吐き気が無くなり、食事が取れるようになり随分とよくなった。

次男のお嫁さんのお母さんが「霊波の光」の皆さんと一緒にお祈りをしてくれているとの事、これも治療効果を良くしてくれていると思う。次の日曜日には妻が横浜支部まで出向いて皆さんと一緒にお参りしてくれるそうだ。
皆さんに良くしていただいて本当にありがたいと、感謝している。


入院中 9.15

2006-09-21 18:09:37 | Weblog

9月15日(金曜日) 晴れ
今日は久しぶりの秋晴れだ、今日から10回目の抗がん剤投与が始まる。
天気が良いと気分も良くなる。
このところ身体の調子も良いので、このままの調子で治療が進むと良いなと思う。
次の検査で癌が縮小傾向にあることが確認されれば言うことはない。

今、病院で娘が送ってくれた本を読んでいる。
ランス・アームストロングという自転車競技選手のがん体験記だ。
彼は自転車競技では世界的に有名な“ツールドフランス”で優勝し、睾丸癌になったが癌を克服し再度優勝したアメリカの選手だ。ちょうど私がアメリカ滞在中も何度かTVで取り上げられていた。
彼が癌にかかってから化学療法でがんを退治し再度競技に出るまで1年半かかった。
スポーツ選手だから人並みはずれた頑強な肉体と精神力をもっていたが、彼をしても1年間は自転車に乗ろうとも思わなかったそうだ。  
抗がん剤による副作用の辛さや、進行度合いや転移への心配、再発の心配などは読んでいて痛いほど気持ちがわかる。
実際に癌を克服して社会復帰した人の体験記はとても勇気付けられる。
少しぐらいの副作用でへばっていたのではとても癌は逃げていかないと実感する。
とにかく全てを受け入れ、自分や先生を信じて、“頑張らないけど諦めない、”精神で続けよう。


9月16日(土曜日)
今日は良い天気だ。
昨日、1日かけて抗がん剤を投与したが、抗がん剤はさすがだ。
夕食時にはすでに食欲がなくなってきた。朝は調子が良かったのに、夕食は半分も食べられなかった。吐き気が心配で夜を迎えたが、幸いなことに今回は吐くまでには行かなかった、やはりオキシコンチン(痛み止め)の方の副作用が吐き気は強いようだ。
副作用と同じくらいに癌にも薬が効いてくれることを願う。

幸い、今日の朝ごはんは八割くらい食べられた。
今日は体調がよければ午後にでもシャワーを浴びよう。


9月17日(日曜日)
16日(土)は妻が御神酒をもらい千葉県の野田まで行ってくれた。
信者の人たちの話を聞いて随分ためになったと言っていた。
我が家と同じようにご主人が癌で1年半通っている人とも話したそうだ。
自分のためにお願いするのではなく他人、周りの人たちの幸せと平和を願うことが大事だと言われたそうだ。

今日(日)は次男の嫁さんのお母さんの班の人達と横浜支部に行ってくれた。
行くとやはり同じように癌や大病のご主人や家族を抱えた人たちと話が出来る。
色々と体験記を聞いているうちに、だんだんと希望を持てるようになるみたいだ。

その班の人達が皆で私の回復を願ってお祈りをしてくれるそうだ。
本当にありがたいことだと思う。



「食と命」

今回の入院はひどい吐き気に苦しめられた。一時は入院当初から5kgも体重が落ちた。
やせることよりも、毎回の食事時に、食事の匂いで吐き気が来ることの苦しみと、美味しく食べられない悔しさがもっと辛かった。
世の中には痩せたいと思っている人が沢山いると思うが、人間が生きていくうえで食欲ほど大事なものは無いというのが今回入院して一番感じたことだ。
美味しいものを美味しく食べられる幸せを、決して捨ててはいけない。
私は今でもみぞおちに不快感が少し残っており、本当に美味しいと感じて食事を取ることが出来ないが、それでも一時の吐き気がひどかった時から比べれば、食事が出来ることがこんなに身体と心を充実させて、立ちなおさせる力があるものだったかと、思い知らされる。食事が取れるようになると、当然のことながら体力もついてくるし、それにつれて気力も出てくる。こんなに違うものかと自分でもびっくりするほどだ。
私は小さいときから、食に関しての貪欲さにかけていた。皆でバーベキューなどしても、肉がきちんと焼けるまでは箸を出すことは無かった。周りの友達が半生の状態でどんどん肉をつついていて、無くなりかけても・・・・
今から思うと、食に関する貪欲さは、人間が生きていくことの力に通じるものが有る気がする。食欲に貪欲であることが生きることへの執念にも通じるものが有るような気がする。私ももう少し食に関して貪欲であればもっと体力もついただろうし、こんな病気にもならなかったかも知れないと思う。
人間が生きていくうえで食事が大事なことはもちろんだが、人生の楽しみの一つとしても、美味しいものを美味しいと感じて食べられることの幸せをもう一度取り戻したい。
頭の中では美味しそうな食べ物がめぐってくるが、いざ目の前にすると食べられない辛さ、
味わってみないと分からない辛さだと思う。


9月19日(火曜日)
昨日、娘婿のご両親が横浜からお見舞いに来てくださった。
お父さんは結構、健康そうに見えるが、話を聞くと心筋梗塞や、腎臓疾患など一つ間違えば一命を落としかねない病気を今まで経験されているそうで、人は見かけによらないものだとつくづく思う。
自分の経験から、「病気になってもかならず良くなりますよ。私が今までそうだったから」
と元気付けてもらった。
しばらくお互いの孫の話をして、帰って行かれた。

27日には娘が孫を連れて帰ってくる予定だ。
楽しみが一つ増えた。

今日は午前中にシャワーを浴びた。
裸で椅子に坐って見る自分の太ももの細さに愕然とする。
私は健康な時にはテニスやスキーなどスポーツが好きで身体を動かしていた。
特別、身体を鍛える気は無くとも、毎週運動していると、自然と筋力はつくもので、太ももなどは身体全体から見ると意外とがっしりしていた。
それが、いまは当時の3分の2くらいの太さしかない。
筋肉いや筋と筋の間に窪みが見える。
自分の足とは思いたくない。
人間の身体はあっという間に衰えるものだ。

最近は汗もかかなくなった、新陳代謝が衰えているせいだろう。
暑い時に汗びっしょりになり、冷たく冷えたビールをキュート飲み干すあの快感をもう一度味わいたい。

退院の日が決まった。
9月20日(水曜日)だ。