数々の著名人が宿泊したキャピトル東急。43年間の営業に終止符を打ち、今日閉館される。
<キャピトル東急ホテル>30日閉館 ビートルズ宿泊
ビートルズの宿泊したホテルとして知られる「キャピトル東急ホテル」(東京都千代田区)が30日、閉館する。老朽化に伴い、周辺の再開発に合わせて、高層の複合ビルに建て替えるためだ。東京の真ん中で数々の「人間ドラマ」を見続けた43年間だった。【坂巻士朗】
「ビートルズの最初の希望は、うちじゃなかったんですよ」。元副総支配人の山口謙一郎氏(69)はこう打ち明ける。「ある老舗ホテルが『不良みたいなものは泊められない』と断ったので、当ホテルがお受けしたんです」
ビートルズ来日は1966年。キャピトル東急の前身、東京ヒルトンが日本初の外資系ホテルとして開業したのは63年だった。人気絶頂の4人組の会見シーンは、誕生したばかりの10階建てホテルを一躍有名にした。「ホテルを取り巻いた人の多さに人気を思い知らされました。あれほどの人は、後にも先にもありません」
ヒルトンから営業ノウハウを引き継いでキャピトル東急となったのは84年である。外資系ホテルでスタートしたことに加え、ビートルズが宿泊した知名度もあり、多くの外国人が宿泊。ピアニストの故ウラジミール・ホロビッツ氏、ロックギタリストのエリック・クラプトン氏、ジャズピアニストのハービー・ハンコック氏ら数々の有名人がサイン帳に名を連ねた。
ナイトマネージャー、丸山郁夫氏(61)は、3度宿泊したマイケル・ジャクソン氏が強く印象に残っている。「ホテル内でもサングラスを外さず、ハーイと甲高い声であいさつをしてくれました。紳士的な方でしたね」
1階のコーヒーハウス「オリガミ」の常連だったのは、プロレスラーの故ジャイアント馬場さん。牛肉100%の高級ハンバーガーを注文した。丸山マネージャーは「体の大きい方だったので、スープをサラダ用のボウルに入れてお出ししました。斜め上を見ながら、おいしそうに葉巻を吸う姿を覚えています」と懐かしむ。
国会議事堂から目と鼻の先、という立地だけに、政治とも縁が深い。地下3階の村儀理容室は小泉純一郎前首相と安倍晋三首相の行きつけ。顧みれば80年代、中曽根行革の司令塔だった瀬島龍三氏はこのホテルに個人事務所を構えていた。
92年の自民党竹下派分裂騒動で、派閥会長ポストをめぐり、故小渕恵三氏らに抗して、羽田孜氏(71)や小沢一郎氏(64)が情報収集の拠点としたのもここだった。
羽田氏が当時を振り返る。「政治改革を巡って考え方が分かれたんだけど、小渕ちゃんとも親友だったからね。本当はつらかった。その後の改革フォーラム21(羽田派)の旗揚げ会見もこのホテル。面会する人を特定されないように、駐車場から1階のタクシーに乗り換えたり、厨房(ちゅうぼう)の中を通してもらったり。よく使ったなあ」
キャピトル東急ホテルは、2010年に同じ場所に建つ29階建てビルに移って営業を再開する。現在のホテルの営業は30日正午、宿泊客がチェックアウトした時点で終了する。丸山マネージャーは「このホテルに育ててもらった一人として、心を込めて最後のお客様をお見送りしたいと思います」と話す。
アーティスト、アスリート、政治家・・・。様々な業種の著名人を宿泊させ、見守ってきたホテル。
役目を終えようとする今、一体何を思うのか・・・。
自分にとっても今のキャピトルの建物は感慨深い。
何せ、ポール・ギルバートが来日してここに泊まった時に突撃したことがあるし、仕事でここの会場に来たことも何度かある。
時代遅れかもしれないが、独特の落ち着いた内装、佇まいは、割と好きだった。
4年後に新しい建物となってお披露目されるということだが、やはり「建物」がなくなることに代わりは無い。
なんとも残念な気持ちである。
つーか、木造建築でさえ1000年以上守ってるってのに、何故コンクリがこんな簡単に建て替えられちゃうんだろう?
そりゃ、サービス業だから少しの危うさも見逃せないだろうけれど、もうちょっと長持ちする建物を造って欲しいもんだ。
<キャピトル東急ホテル>30日閉館 ビートルズ宿泊
ビートルズの宿泊したホテルとして知られる「キャピトル東急ホテル」(東京都千代田区)が30日、閉館する。老朽化に伴い、周辺の再開発に合わせて、高層の複合ビルに建て替えるためだ。東京の真ん中で数々の「人間ドラマ」を見続けた43年間だった。【坂巻士朗】
「ビートルズの最初の希望は、うちじゃなかったんですよ」。元副総支配人の山口謙一郎氏(69)はこう打ち明ける。「ある老舗ホテルが『不良みたいなものは泊められない』と断ったので、当ホテルがお受けしたんです」
ビートルズ来日は1966年。キャピトル東急の前身、東京ヒルトンが日本初の外資系ホテルとして開業したのは63年だった。人気絶頂の4人組の会見シーンは、誕生したばかりの10階建てホテルを一躍有名にした。「ホテルを取り巻いた人の多さに人気を思い知らされました。あれほどの人は、後にも先にもありません」
ヒルトンから営業ノウハウを引き継いでキャピトル東急となったのは84年である。外資系ホテルでスタートしたことに加え、ビートルズが宿泊した知名度もあり、多くの外国人が宿泊。ピアニストの故ウラジミール・ホロビッツ氏、ロックギタリストのエリック・クラプトン氏、ジャズピアニストのハービー・ハンコック氏ら数々の有名人がサイン帳に名を連ねた。
ナイトマネージャー、丸山郁夫氏(61)は、3度宿泊したマイケル・ジャクソン氏が強く印象に残っている。「ホテル内でもサングラスを外さず、ハーイと甲高い声であいさつをしてくれました。紳士的な方でしたね」
1階のコーヒーハウス「オリガミ」の常連だったのは、プロレスラーの故ジャイアント馬場さん。牛肉100%の高級ハンバーガーを注文した。丸山マネージャーは「体の大きい方だったので、スープをサラダ用のボウルに入れてお出ししました。斜め上を見ながら、おいしそうに葉巻を吸う姿を覚えています」と懐かしむ。
国会議事堂から目と鼻の先、という立地だけに、政治とも縁が深い。地下3階の村儀理容室は小泉純一郎前首相と安倍晋三首相の行きつけ。顧みれば80年代、中曽根行革の司令塔だった瀬島龍三氏はこのホテルに個人事務所を構えていた。
92年の自民党竹下派分裂騒動で、派閥会長ポストをめぐり、故小渕恵三氏らに抗して、羽田孜氏(71)や小沢一郎氏(64)が情報収集の拠点としたのもここだった。
羽田氏が当時を振り返る。「政治改革を巡って考え方が分かれたんだけど、小渕ちゃんとも親友だったからね。本当はつらかった。その後の改革フォーラム21(羽田派)の旗揚げ会見もこのホテル。面会する人を特定されないように、駐車場から1階のタクシーに乗り換えたり、厨房(ちゅうぼう)の中を通してもらったり。よく使ったなあ」
キャピトル東急ホテルは、2010年に同じ場所に建つ29階建てビルに移って営業を再開する。現在のホテルの営業は30日正午、宿泊客がチェックアウトした時点で終了する。丸山マネージャーは「このホテルに育ててもらった一人として、心を込めて最後のお客様をお見送りしたいと思います」と話す。
アーティスト、アスリート、政治家・・・。様々な業種の著名人を宿泊させ、見守ってきたホテル。
役目を終えようとする今、一体何を思うのか・・・。
自分にとっても今のキャピトルの建物は感慨深い。
何せ、ポール・ギルバートが来日してここに泊まった時に突撃したことがあるし、仕事でここの会場に来たことも何度かある。
時代遅れかもしれないが、独特の落ち着いた内装、佇まいは、割と好きだった。
4年後に新しい建物となってお披露目されるということだが、やはり「建物」がなくなることに代わりは無い。
なんとも残念な気持ちである。
つーか、木造建築でさえ1000年以上守ってるってのに、何故コンクリがこんな簡単に建て替えられちゃうんだろう?
そりゃ、サービス業だから少しの危うさも見逃せないだろうけれど、もうちょっと長持ちする建物を造って欲しいもんだ。
せめて100年、いや200年くらい大丈夫なものって出来ないんですかね。この前の耐震偽装ビルにしてもヘナチョコなビルでもまともなビルでも建設コストは耐震強度の差ほどは無いと思う。だから長持ちするビルを作るにもほんの1~2割のコスト増で出来るような気がするけどどうなんだろう。
まぁ何というかこういう建替えのたびにゴミが出るんだけどこのビルの残骸は何処に捨てられるんだろう。