12/10up分?
ーー説明定期ーー
ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。
思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日に上げていくかんじで
……と思っていたけど本当に自分語りでしかなくて、あまりにも需要がなさすぎるので2020年代はいっぺんにやっちゃいますね。
2020年
前年12月に始まった坂ツアー"G25"。
開幕がデビュー日、都内、なのに橋ツアーで使うようなキャパの会場。応募しても当然ながら当たらない。
それで、臍を曲げていた。
さらに、去年のことを引きずっていた。
そんなことが絡み合って、自分自身が不要な人間なのではとも思っていた。
それなのに、彼等の声は聴きたかった。
自分でもなんて身勝手なんだろうと思う。
2月に一度だけ赴くことができた。
そこで触れた歌声はやはりというか言うまでもないことだが素晴らしく、もっと沢山の人にこの歌声が届いてほしい、と思った。
このとき既に、ひたひたと近付いてきていたCOVID。
わたしは神様に祈った。
これまでも救ってくれた神様、お願い。
彼等を守って。
相手はよくわからないウイルスだけど、彼等からは遠ざけて。
彼等がこれからも、いつまでも元気で歌い続けられるように、お願い。
「今年はこれで会えるのは最後」なんて、いやだよ。
まだまだ会いに行きたいよ。
ゴスペラーズ
新大阪
https://www.shazam.com/track/40404719?referrer=share
しかし、その直後。
G25はその場で足踏みをして、やがて止まった。
目の前の世界から、色が失われていくようだった。
それでも彼等はその時その時でできる限りのことをしよう、と奮闘してくれた。
『おうちからハーモニーを』。
手洗いソング。
そして配信ライブ"#ライブハウスからハーモニーを"。
けれどわたしには、『おうちからハーモニーを』も配信ライブの記憶もない。
この時の記事を読み返すとメンバーは口々に「この日のことはずっと忘れない」と言っていたのだが、わたしは忘れてしまっていたのだった。
また別な記事を読み返すと、こういうことになってから割とすぐの段階でもう精神的に限界が来ていたのがわかる。
これまで何度か言及してきたが、わたしにとって、ゴスペラーズのライヴは「いちばん自分らしく居られる場所」だった。
申し訳ないけれど配信では繕いきれなかったらしい。
それだけ、何物にも代え難いものだった。
それが奪われて、音楽そのものが悪者扱いされて、周りのみんなは音楽なんてなくても平気で笑っているように見えて……
いつになったら「自分らしく居られる場所」を取り戻せるかわからない。
これが病まずにいられようか。
その期間が長すぎたから、わたしはある意味"元"には戻れなくなってしまった。
パンクしたまま無理矢理走り続けたらホイール、果ては本体まで修繕しようのないくらいにボロボロになってしまったタイヤのように、わたしの心も傷だらけだったらしい。
それがどれだけまずい状況なのか、骨折や出血のように見た目にわかればいいのに、一見変わらないので拗らせ、悪化し、手遅れになっていたらしい。
みんなが「おうち時間」などと言ってステイホームをどれだけ充実させるか楽しんでいたころ、わたしは自分の居場所を失って、何もかも見失って、闇の中を彷徨っていた。
"G25"の内容はほぼそのままに、厳重な感染対策をした上で一度だけ開催された"G25特別編"の模様が、まずWOWOWで放送された。
声を上げて泣いた。
5人と一緒に歌いたくて仕方なかった。
でも歌えない。
それがいつ叶うのか、来月なのか来年なのか、それとももっとずっと先なのか、或いは、一緒に歌うことはもう二度と叶わないのか……
こんな時、模範的なファンなら「5人で集まっていることが嬉しい」だとか「この歌を聴けるだけで幸せ」といった、もっと前向きなことを言えるはずだ。
そんな言葉が浮かばないわたしはやはりファンではなく、ただ彼等に執着している人間、なのだろう。
ただ、彼等が元通りにライヴができるようになるなら、わたしは自分の命を犠牲にしたっていい、とも思っていた。
彼等の歌が生で聴けないなら、わたしが生きている意味はないから。
2021年
NHKで「ゴスペラーズの響歌」というニッチな番組が放送された。
わたしでもニッチだと思う。
素敵な響き、独特な響きの場所(コンサートホールや教会などは基本的に音響を考えて作られていると思うので除外)に5人が足を運び、その場その場で異なる声の響きを楽しむという番組だ。
ニッチと連呼したものの、わたしは非常に喜んでいた。
ゴスペラーズのアカペラが大好きだから。
彼等の純粋な声の響きを、残響を堪能できる贅沢な番組だから。
2024年末現在では8Kでしか観られないプログラムがあるようだが、個人的にはせめて4Kで放送してほしいと思っている。
そして。
全国ツアーを開催する、というお達しが出たのは、いつの頃だっただろう。
ちょっとだけ怖くもあったけれど、リスクに晒されながらも日本の各地に来てくれる5人の方が怖いに決まっている。
相当な覚悟の上で、それでも各地にいる観客のもとへ行こうとしてくれる5人の気持ちに応えたい、と思ったから、わたしも最寄りの会場へ赴いた。
坂ツアー"a cappella #あなたの街にハーモニーを"。
当然マスクをして、並ぶときは距離を取って、アルコール消毒をして、一席ずつ空けて、会場の中では私語をやめて……といった感染対策。
それ自体は全く苦ではなかった。
むしろ、これさえ守れば、また彼等の歌声を生で聴けるんだ!という思いでいっぱいだった。
そして、その時は訪れた。
最初にメンバーを見たときはあまり実感が湧かなかったけれど、彼等が「ゴスペラーズです」と名乗った瞬間、なぜか泣きそうになった。
ステージの上にいるのは、いつもの、変わらない5人だ。
こうやってまた、彼等の声を聴けるんだ。
立ち上がれないし、手を叩くことでしか反応できないけれど、それでも伝わってくると彼等は言ってくれた。
ゴスペラーズ
離れていても ~Wherever you are~
https://www.shazam.com/track/559421915?referrer=share
5人の声が、5人の歌が、5人がわたしの目の前で歌ってくれることこそが、希望の光そのものなのだと思った。
ゴスペラーズ
北極星
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その日は本当に嬉しくて、嬉しいという気持ちがちゃんと彼等に伝わったような気がして、眠ったらその日の記憶がどこかに行ってしまいそうでちょっとだけ怖くて、ほとんど眠れなかったけれど、それでも平気だった。
これがドラマの最終回だったとしたら、紛れもなくハッピーエンドだと思うほどの気持ちに包まれていた。
でも、最終回ではなかった。
彼等を守りたい。
音もなく忍び寄る疫病の気配を感じて、あの時からずうっと思っていたことだった。
まず自分が罹らないこと、広めないこと、それが彼等を守ることに繋がる。彼等を守るためなら、わたしは何でもする。彼等の盾にだってなってみせる。
他のファンのみなさんも、きっと同じように思っているよね?
きっと、これからもずっと。
……そう思っていた。
しかし。
転職したら、ここでもえらい目に遭った。
毎日毎日何事においても自分が悪い、あらゆる事が自分に落ち度がある、全てが自分の所為だ、と反省させられ……
覿面に病んだ。
恐らくその前からCOVID のせいで病んでいたと思うが、それに輪をかけて。
だからなのか、街ハモの思い出も、そのあと行った高崎音楽祭のことも、ゴスペラーズと過ごしたそれまでの楽しかった記憶も、どこか遠くへ消え去ってしまっていた…………
2022年
ええとどう話そう。
諸事情により、ゴス界隈から離れそうになった。
5人のことを考えている余裕が完全になくなってしまった。
そうなると、彼等の身に何が起きてもあまり何も感じられなかった。
本来わたしは、熱し易く冷め易い人間なのだ。
そんなこともあって、一応チケットを取ってはいたものの、こんな自分が行ったところで楽しめるとは到底思えなかった。
それでも赴いた、坂ツアー"まだまだいくよ"。
ライヴが始まって聴こえてきたのは、G25ツアーが止まってしまう前に歌っていた、『一筋の軌跡』の客席からの声だった。
「♪ララララララ……」
苦しかった。
苦しくて悔しくて虚しくて、顔を顰めた。
どうしてこんな始まりにしたのか、理解できなかった。
自分が歌えないのに、この曲を、あらゆることから解放されて楽しんでいた頃の歌声を、耳にしなくてはならないこと。
堪えられなかった。
周りの人達は手拍子しているけれど、わたしは無理。
そう思って、心を閉ざした。
序盤は本当にぼんやりしていた。
こんな状態でライヴに来てしまったうえにこんな演出をされてしまうなんて。
もう自分の心は動かないかもしれない、と。
それなのに、凍っていたはずの心は5人の声で撃ち抜かれた。
具体的に何の曲だったかは、記憶があやふやのままだ。
けれど5人の声をまた聴きたくて、行く予定のなかった公演にも行ってしまうほどだった。
ゴスペラーズ
ラヴ・ノーツ
https://www.shazam.com/track/50934893?referrer=share
けれどその直後、思わぬところからダメージを与えられ、わたしの心はまた閉じるための小さなきっかけを得てしまった。
それでも向かった、Billboard Classics The Gospellers Symphonic Concert(わたしは勝手に「ビルクラ」と略している)。
素晴らしかった、の一言に尽きる。
高崎音楽祭でのGBBとのハーモニーも大好きだけれど、フルのオーケストラと5人のハーモニーは格別だった。
というよりもまず、5人の曲を奏でてくれるオーケストラに感激していた。
何より、田中祐子マエストロの存在自体が心強かった。
5人のことを尊重してくれたから。
ゴスペラーズ
宇宙へ 〜Reach for the sky〜
https://www.shazam.com/track/50254280?referrer=share
さまざまなことが許せば、もっと色々な会場で、それぞれのオーケストラと共演する彼等の歌を聴きたかった。
アニメ「アカペラ侍」が始まったのはこの年だったか。
"ハモれメロス"然り、童謡や昔の歌も、良いものは古今東西を問わず歌い繋いでいこうとする彼等の姿勢が本当に好きだ。
アレンジを考える方は大変だと思うが、彼等のレパートリーが増えることは純粋に嬉しい。
2023年
久しぶりにファンの集いに行けた。率直に言って楽しかった。
このとき、改めて「一筋の軌跡」を5人で歌った。
「5人で」と書いたのは、この曲を歌うなら当然客席も歌うものだったから。
でも、声を出すのは許されていない。
また苦しい思いをするのか、と思ったが、目の前で歌う5人を見ていたら、「心の中で歌えばいいんだ」という思いが浮かんできた。
そしてなぜかそれは5人に伝わっているような気がした。
声が出せなくてもいいんだよ、心の声は聴こえているよ、と言われているようで嬉しかった。
もうしばらくこんな感じでいくのだろう、わたしはそれで充分、5人がちゃんと守られていくのなら。
と思っていた。
ところが。
あるニュースがまたわたしを打ち砕く。
COVIDを、5月に5類にするという。
5はマジックナンバーだ、とはいえ、個人的にはあまり歓迎できない類の5だった。
それに伴って、感染症対策を一才合切やめます、とのお達しがあった。
信じたくなかった。
わたしには、重い病気を患う親族がいた。
COVIDに罹ったら重症化するリスクが大いにあった。そんなの絶対に嫌だ!と誰よりも感染対策を徹底していた。
わたしだって親族に移したくない。もしも万が一、があったとしたら、自分を責めても責めきれない。
そういう状況の人間が実在するのに、「もしもその状況が自分だったら」と想像してもくれないのか……と、ある意味やさぐれてさえいた。
声出しができるようになるのは嬉しいけれど、もっと段階的に緩めていって大丈夫そうなら解禁するよ、であればもっと安心できた。
でも、そうではなかった。
相手は、肉眼では見えないもの。
いつどこでどんな感染症を拾ってしまうかわからない。
自分がそれに耐えられる体質なのかどうかすら、その時になってみなければわからない。
もう罹っていて無症状だが、周りの誰かに移してしまってその人が重症化して……という可能性はゼロではない。
そんなギャンブルは嫌だ。
何より、自分自身が罹ることよりも、5人が罹って重症化して二度と歌えなくなってしまう可能性がほんの僅かでもあることを想像してくれないのか、と悲しくなった。
正直な話、2024年になった現在でもCOVIDに限らず感染症は怖い。
なによりも「終わったもの」「ないもの」として扱うことそのものが怖い。人間の目に見えないだけなのに。
だから、アラバキには行かなかった。
それを決めたのは自分自身なのに、とてつもなく悔しかった。
そこで「なりきり」が復活した、と聞いたから。
そんなようなものが組んず解れつになって、またわたしはメンタルがおかしくなった。
(いや、いまもおかしいままだが)
観客として最悪な状態のまま向かった橋ツアー。
ほかの観客に紛れるようにして、その場に佇んだ。
そんな状況で、その瞬間が訪れてしまった。
声出しが解禁になって初めて、5人から「歌って」と言わんばかりにマイクを向けられる。
それも、一筋の軌跡で、だった。
ゴスペラーズ
一筋の軌跡
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顔がぐしゃぐしゃになっていくのを感じて、わたしは思わず顔を覆った。
こんな顔、醜すぎて5人に向けられなかったから。
もっと醜かったのはわたしの心だったのだが。
彼等はEP「HERE & NOW」をリリースし、同名の坂ツアーを敢行する。
ゴスペラーズ
Mi Amorcito
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間に高崎音楽祭も挟んでいたのは流石に驚きだった。
そして、2024年。
黒沢氏がスタートさせたCS番組「Spicy Sessions」。音楽ができていく過程を観られるのが嬉しかった。
これは改めて記事にしたいと思っている。できるかどうかわからないが……
軽い気持ちで行ってしまった北山氏のソロライブ。北山氏のピアノ演奏が聴けるとは思わなかった。曲をくじ引きで決め、その気になればやり直しもあり。そのゆるさも楽しめた。
ファンの集い、思わぬ形でのソロコーナー、でもとても楽しかった。
待望のビルクラ第二弾。
なぜか、それまでにないほどに泣いた。
そしてまさかCENTURYをセットリストに入れてくるとは思わなかった。
ゴスペラーズ
CENTURY
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橋ツアー、最前列でもないのになぜか物凄く近くに5人を感じた。
思えば、これまでにさまざま行ったり観たりしてきたものだ。
しかし、わたしの心の傷口は完全に塞がっておらず、ほんの少しずつだが血を垂れ流していたらしい。そして些細なきっかけがある度に傷口が開いていた。
未だに目の前のことでこれでもかというほど一喜一憂…いや、一喜百憂くらい憂のほうが優勢になるほど病みがちな自分が自分で嫌になった。
こんな熱し易く冷め易い、身勝手ですぐメンタルやられる失礼な人間でもずっと好きでいられるゴスペラーズってすごいんだよ、と言ったところで説得力なんて何もないけれど、とにかくこんなに素敵なグループなのでもっと歌い続けていてもらいたい、、、と思うと同時に、その場に自分がいないと嫌だということがはっきりした。
心の底で、本当は彼等に必要としてもらいたかった自分の顔を見た。それが自分でも悍ましかった。
わたしは本当に薄情人間だった。それなのに彼等に執着していた。
思えば最初から身勝手なことしかしていなかった。
そしてこの5年ほどは、ずっと何かに圧し潰されるような感覚に堪えていたように思う。
「いやそんな自分1人が辛いみたいに言われてもwみんなしんどかったんだけどwww」
と思われるのかもしれない。
でも、他人を思い遣る余裕などなかった。
そんな自分が嫌で嫌で仕方なかった。
そもそもわたしは辛いときに他人を思い遣れるほど強くも優しくもない。
北山氏が療養していた時だって、4人を支えるつもりが全然だめだった。
このときから「わたしは5人の『ファン』ではない」と自覚していたが、改めて思う。
わたしは5人に、5人の歌に依存して、彼等に執着しているだけの人間だった。
5人の歌がなければ踏み出せるものも踏み出せないし、生きていけない。
生きていくために必要だから、聴くだけだ。
模範的なファンなら、彼等の純粋な素晴らしさを周りの人に広めようとするだろう。本人達に伝えようとするだろう。彼等が生きる支えなのだと。
しかし、わたしは広めていない。本人達にも伝えられない。
こんな人間が何か言ったところで、バズる兆しすら見えないどころか「お前みたいな奴が推してるの?どうなのそれw」と言われてしまいかねないから、黙っていた。
そもそもそんな事をしていいような人間ではないのだ。
こんな人間を「ファン」とは誰も呼ばないと思う。
「あなたのために」と歌う彼等のために、わたしは何ができたというのだろう。
きっと彼等は、彼等のリスナーには「模範的なファン」でいてもらえたら、などと期待しているはずだ。
ゴスペラーズ
Dear my girl
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でもわたしはそんな人間ではない、むしろ真逆だ。
5人のご期待に添えないファン未満で申し訳なさしかない。
こんな奴、叩かれこそすれ感謝なんてされるべき人間などではない。
こんな奴が、あんなに素敵な人達の奏でる素晴らしい音楽を聴ける席に座っていてはいけない。
彼等が感謝すべき対象の「ファン」は、もっと素敵な人であるべきだと思うから。
例えば「Asterism」の歌詞のような事を素直に言える人。
ゴスペラーズ
Asterism
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わたしはこんなこと、彼等に言えない。
つらいことをこっちに言っていいと思ったこともあるけれど、それを受け止める度量などないに等しかった。
彼等が、彼等の歌が素晴らしければ素晴らしいほど、わたしは【ファン】から遠ざかる。
なのでこれを最後に5人のことはもう書かないことにしよう、と思っていた。
思っていたのに。
過去の記事に遡って彼等の歌や彼等の言葉を思い出すと、たびたび胸がギュッとなった。
わたしにとって、こんなに尊敬できる、ストレスなく聴ける、好きになれるミュージシャンは5人の他にいない。
これはあくまでもわたしの勘違いだと思うが、その上で、彼等は、いや彼等の歌声は、そんなわたしのような人間にすら「ここに居ていいよ」と言ってくれているような気がする。
何もかも受け入れてくれている気がする。
などと、つい思い上がってしまう。
無理矢理まとめると、わたしは出禁にされても仕方ないと自分で自覚するほどの厄介な人間だ。
だけど、そんなわたしでも許してもらえるような気持ちにさせてくれるゴスペラーズの歌は本当に素晴らしいと思う。
彼等の音楽があったから出会えた人が沢山いる。
彼等に出会わなければ気付かなかったことが沢山ある。
だからゴスペラーズは、わたしにとって、最もかけがえのない存在なのだ………………
彼等にしてみれば、何千人といる客席の中の1人。
ただのモブ。
それ以外の何者でもない。
その中の1人がこんなことを考えていることなど想像すらしていないだろう。
しかしもしも、例えば何かの間違いで彼等にこの記事の存在が知られてしまったら、彼等にはどうかわたしのことを嗤ってほしいと思う。
こんなことをいつまでもごちゃごちゃと考えている人間のことなど、くだらないし時間の無駄だと笑い飛ばしてもらいたいと思う。
こんな人間が会場に紛れ込んでいると知られたら5人にもバンドメンバーにもスタッフの皆さんにも、他のまともなファンの皆さんにも失礼だから、一刻も早くわたしの寿命を五割り(5等分)にして5人に分けてあげてください。
それができないなら、わたしが生きている限り、あの5人がいつまでも元気に歌い続けられるようにしておいてください、神様。
今度こそ、お願いしますよ。
(了)
-------------------------
やっと終わった……
やはりというかなんというか、全然想定の日程通りにいかなかったですな。
そしてどうまとめたらいいかすらわからなくなっているこの為体。
彼等に一言だけ直接伝えていいよ、と言われたらそれは「ありがとう」或いは「大好き」なのだけれど、彼等に向かってそんなことを言える資格なんてわたしにはないと思うし、むしろ「ごめんなさい」しか言えないな……
ということの理由というか言い訳めいたものを延々と連ねていたわけでありまして。
でも編集途中で「あー違うな、言いたいことってこんなことじゃないな」と思う自分もいて……全部書き直したい(は?)
15日分で何か別なことを書こうかどうしようか迷い中、いや何も思いつかないけれど。
(Spicy Sessionsの感想とかアカペラ侍第5話第6話の感想とかを上げたいとか思っていながら上げられていないのだぞ筆者よ、いやSSは一挙放送があるっていうからそれ観てからかなどうしようかな)
ともかく。
もしこれを全部読んでくれた人がいるなら本当にごめんなさい。
ただ、自分の記録として書いておきたかったんで。
じゃないと、忘れてしまうから。
ーー説明定期ーー
ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。
思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日に上げていくかんじで
……と思っていたけど本当に自分語りでしかなくて、あまりにも需要がなさすぎるので2020年代はいっぺんにやっちゃいますね。
2020年
前年12月に始まった坂ツアー"G25"。
開幕がデビュー日、都内、なのに橋ツアーで使うようなキャパの会場。応募しても当然ながら当たらない。
それで、臍を曲げていた。
さらに、去年のことを引きずっていた。
そんなことが絡み合って、自分自身が不要な人間なのではとも思っていた。
それなのに、彼等の声は聴きたかった。
自分でもなんて身勝手なんだろうと思う。
2月に一度だけ赴くことができた。
そこで触れた歌声はやはりというか言うまでもないことだが素晴らしく、もっと沢山の人にこの歌声が届いてほしい、と思った。
このとき既に、ひたひたと近付いてきていたCOVID。
わたしは神様に祈った。
これまでも救ってくれた神様、お願い。
彼等を守って。
相手はよくわからないウイルスだけど、彼等からは遠ざけて。
彼等がこれからも、いつまでも元気で歌い続けられるように、お願い。
「今年はこれで会えるのは最後」なんて、いやだよ。
まだまだ会いに行きたいよ。
ゴスペラーズ
新大阪
https://www.shazam.com/track/40404719?referrer=share
しかし、その直後。
G25はその場で足踏みをして、やがて止まった。
目の前の世界から、色が失われていくようだった。
それでも彼等はその時その時でできる限りのことをしよう、と奮闘してくれた。
『おうちからハーモニーを』。
手洗いソング。
そして配信ライブ"#ライブハウスからハーモニーを"。
けれどわたしには、『おうちからハーモニーを』も配信ライブの記憶もない。
この時の記事を読み返すとメンバーは口々に「この日のことはずっと忘れない」と言っていたのだが、わたしは忘れてしまっていたのだった。
また別な記事を読み返すと、こういうことになってから割とすぐの段階でもう精神的に限界が来ていたのがわかる。
これまで何度か言及してきたが、わたしにとって、ゴスペラーズのライヴは「いちばん自分らしく居られる場所」だった。
申し訳ないけれど配信では繕いきれなかったらしい。
それだけ、何物にも代え難いものだった。
それが奪われて、音楽そのものが悪者扱いされて、周りのみんなは音楽なんてなくても平気で笑っているように見えて……
いつになったら「自分らしく居られる場所」を取り戻せるかわからない。
これが病まずにいられようか。
その期間が長すぎたから、わたしはある意味"元"には戻れなくなってしまった。
パンクしたまま無理矢理走り続けたらホイール、果ては本体まで修繕しようのないくらいにボロボロになってしまったタイヤのように、わたしの心も傷だらけだったらしい。
それがどれだけまずい状況なのか、骨折や出血のように見た目にわかればいいのに、一見変わらないので拗らせ、悪化し、手遅れになっていたらしい。
みんなが「おうち時間」などと言ってステイホームをどれだけ充実させるか楽しんでいたころ、わたしは自分の居場所を失って、何もかも見失って、闇の中を彷徨っていた。
"G25"の内容はほぼそのままに、厳重な感染対策をした上で一度だけ開催された"G25特別編"の模様が、まずWOWOWで放送された。
声を上げて泣いた。
5人と一緒に歌いたくて仕方なかった。
でも歌えない。
それがいつ叶うのか、来月なのか来年なのか、それとももっとずっと先なのか、或いは、一緒に歌うことはもう二度と叶わないのか……
こんな時、模範的なファンなら「5人で集まっていることが嬉しい」だとか「この歌を聴けるだけで幸せ」といった、もっと前向きなことを言えるはずだ。
そんな言葉が浮かばないわたしはやはりファンではなく、ただ彼等に執着している人間、なのだろう。
ただ、彼等が元通りにライヴができるようになるなら、わたしは自分の命を犠牲にしたっていい、とも思っていた。
彼等の歌が生で聴けないなら、わたしが生きている意味はないから。
2021年
NHKで「ゴスペラーズの響歌」というニッチな番組が放送された。
わたしでもニッチだと思う。
素敵な響き、独特な響きの場所(コンサートホールや教会などは基本的に音響を考えて作られていると思うので除外)に5人が足を運び、その場その場で異なる声の響きを楽しむという番組だ。
ニッチと連呼したものの、わたしは非常に喜んでいた。
ゴスペラーズのアカペラが大好きだから。
彼等の純粋な声の響きを、残響を堪能できる贅沢な番組だから。
2024年末現在では8Kでしか観られないプログラムがあるようだが、個人的にはせめて4Kで放送してほしいと思っている。
そして。
全国ツアーを開催する、というお達しが出たのは、いつの頃だっただろう。
ちょっとだけ怖くもあったけれど、リスクに晒されながらも日本の各地に来てくれる5人の方が怖いに決まっている。
相当な覚悟の上で、それでも各地にいる観客のもとへ行こうとしてくれる5人の気持ちに応えたい、と思ったから、わたしも最寄りの会場へ赴いた。
坂ツアー"a cappella #あなたの街にハーモニーを"。
当然マスクをして、並ぶときは距離を取って、アルコール消毒をして、一席ずつ空けて、会場の中では私語をやめて……といった感染対策。
それ自体は全く苦ではなかった。
むしろ、これさえ守れば、また彼等の歌声を生で聴けるんだ!という思いでいっぱいだった。
そして、その時は訪れた。
最初にメンバーを見たときはあまり実感が湧かなかったけれど、彼等が「ゴスペラーズです」と名乗った瞬間、なぜか泣きそうになった。
ステージの上にいるのは、いつもの、変わらない5人だ。
こうやってまた、彼等の声を聴けるんだ。
立ち上がれないし、手を叩くことでしか反応できないけれど、それでも伝わってくると彼等は言ってくれた。
ゴスペラーズ
離れていても ~Wherever you are~
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5人の声が、5人の歌が、5人がわたしの目の前で歌ってくれることこそが、希望の光そのものなのだと思った。
ゴスペラーズ
北極星
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その日は本当に嬉しくて、嬉しいという気持ちがちゃんと彼等に伝わったような気がして、眠ったらその日の記憶がどこかに行ってしまいそうでちょっとだけ怖くて、ほとんど眠れなかったけれど、それでも平気だった。
これがドラマの最終回だったとしたら、紛れもなくハッピーエンドだと思うほどの気持ちに包まれていた。
でも、最終回ではなかった。
彼等を守りたい。
音もなく忍び寄る疫病の気配を感じて、あの時からずうっと思っていたことだった。
まず自分が罹らないこと、広めないこと、それが彼等を守ることに繋がる。彼等を守るためなら、わたしは何でもする。彼等の盾にだってなってみせる。
他のファンのみなさんも、きっと同じように思っているよね?
きっと、これからもずっと。
……そう思っていた。
しかし。
転職したら、ここでもえらい目に遭った。
毎日毎日何事においても自分が悪い、あらゆる事が自分に落ち度がある、全てが自分の所為だ、と反省させられ……
覿面に病んだ。
恐らくその前からCOVID のせいで病んでいたと思うが、それに輪をかけて。
だからなのか、街ハモの思い出も、そのあと行った高崎音楽祭のことも、ゴスペラーズと過ごしたそれまでの楽しかった記憶も、どこか遠くへ消え去ってしまっていた…………
2022年
ええとどう話そう。
諸事情により、ゴス界隈から離れそうになった。
5人のことを考えている余裕が完全になくなってしまった。
そうなると、彼等の身に何が起きてもあまり何も感じられなかった。
本来わたしは、熱し易く冷め易い人間なのだ。
そんなこともあって、一応チケットを取ってはいたものの、こんな自分が行ったところで楽しめるとは到底思えなかった。
それでも赴いた、坂ツアー"まだまだいくよ"。
ライヴが始まって聴こえてきたのは、G25ツアーが止まってしまう前に歌っていた、『一筋の軌跡』の客席からの声だった。
「♪ララララララ……」
苦しかった。
苦しくて悔しくて虚しくて、顔を顰めた。
どうしてこんな始まりにしたのか、理解できなかった。
自分が歌えないのに、この曲を、あらゆることから解放されて楽しんでいた頃の歌声を、耳にしなくてはならないこと。
堪えられなかった。
周りの人達は手拍子しているけれど、わたしは無理。
そう思って、心を閉ざした。
序盤は本当にぼんやりしていた。
こんな状態でライヴに来てしまったうえにこんな演出をされてしまうなんて。
もう自分の心は動かないかもしれない、と。
それなのに、凍っていたはずの心は5人の声で撃ち抜かれた。
具体的に何の曲だったかは、記憶があやふやのままだ。
けれど5人の声をまた聴きたくて、行く予定のなかった公演にも行ってしまうほどだった。
ゴスペラーズ
ラヴ・ノーツ
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けれどその直後、思わぬところからダメージを与えられ、わたしの心はまた閉じるための小さなきっかけを得てしまった。
それでも向かった、Billboard Classics The Gospellers Symphonic Concert(わたしは勝手に「ビルクラ」と略している)。
素晴らしかった、の一言に尽きる。
高崎音楽祭でのGBBとのハーモニーも大好きだけれど、フルのオーケストラと5人のハーモニーは格別だった。
というよりもまず、5人の曲を奏でてくれるオーケストラに感激していた。
何より、田中祐子マエストロの存在自体が心強かった。
5人のことを尊重してくれたから。
ゴスペラーズ
宇宙へ 〜Reach for the sky〜
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さまざまなことが許せば、もっと色々な会場で、それぞれのオーケストラと共演する彼等の歌を聴きたかった。
アニメ「アカペラ侍」が始まったのはこの年だったか。
"ハモれメロス"然り、童謡や昔の歌も、良いものは古今東西を問わず歌い繋いでいこうとする彼等の姿勢が本当に好きだ。
アレンジを考える方は大変だと思うが、彼等のレパートリーが増えることは純粋に嬉しい。
2023年
久しぶりにファンの集いに行けた。率直に言って楽しかった。
このとき、改めて「一筋の軌跡」を5人で歌った。
「5人で」と書いたのは、この曲を歌うなら当然客席も歌うものだったから。
でも、声を出すのは許されていない。
また苦しい思いをするのか、と思ったが、目の前で歌う5人を見ていたら、「心の中で歌えばいいんだ」という思いが浮かんできた。
そしてなぜかそれは5人に伝わっているような気がした。
声が出せなくてもいいんだよ、心の声は聴こえているよ、と言われているようで嬉しかった。
もうしばらくこんな感じでいくのだろう、わたしはそれで充分、5人がちゃんと守られていくのなら。
と思っていた。
ところが。
あるニュースがまたわたしを打ち砕く。
COVIDを、5月に5類にするという。
5はマジックナンバーだ、とはいえ、個人的にはあまり歓迎できない類の5だった。
それに伴って、感染症対策を一才合切やめます、とのお達しがあった。
信じたくなかった。
わたしには、重い病気を患う親族がいた。
COVIDに罹ったら重症化するリスクが大いにあった。そんなの絶対に嫌だ!と誰よりも感染対策を徹底していた。
わたしだって親族に移したくない。もしも万が一、があったとしたら、自分を責めても責めきれない。
そういう状況の人間が実在するのに、「もしもその状況が自分だったら」と想像してもくれないのか……と、ある意味やさぐれてさえいた。
声出しができるようになるのは嬉しいけれど、もっと段階的に緩めていって大丈夫そうなら解禁するよ、であればもっと安心できた。
でも、そうではなかった。
相手は、肉眼では見えないもの。
いつどこでどんな感染症を拾ってしまうかわからない。
自分がそれに耐えられる体質なのかどうかすら、その時になってみなければわからない。
もう罹っていて無症状だが、周りの誰かに移してしまってその人が重症化して……という可能性はゼロではない。
そんなギャンブルは嫌だ。
何より、自分自身が罹ることよりも、5人が罹って重症化して二度と歌えなくなってしまう可能性がほんの僅かでもあることを想像してくれないのか、と悲しくなった。
正直な話、2024年になった現在でもCOVIDに限らず感染症は怖い。
なによりも「終わったもの」「ないもの」として扱うことそのものが怖い。人間の目に見えないだけなのに。
だから、アラバキには行かなかった。
それを決めたのは自分自身なのに、とてつもなく悔しかった。
そこで「なりきり」が復活した、と聞いたから。
そんなようなものが組んず解れつになって、またわたしはメンタルがおかしくなった。
(いや、いまもおかしいままだが)
観客として最悪な状態のまま向かった橋ツアー。
ほかの観客に紛れるようにして、その場に佇んだ。
そんな状況で、その瞬間が訪れてしまった。
声出しが解禁になって初めて、5人から「歌って」と言わんばかりにマイクを向けられる。
それも、一筋の軌跡で、だった。
ゴスペラーズ
一筋の軌跡
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顔がぐしゃぐしゃになっていくのを感じて、わたしは思わず顔を覆った。
こんな顔、醜すぎて5人に向けられなかったから。
もっと醜かったのはわたしの心だったのだが。
彼等はEP「HERE & NOW」をリリースし、同名の坂ツアーを敢行する。
ゴスペラーズ
Mi Amorcito
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間に高崎音楽祭も挟んでいたのは流石に驚きだった。
そして、2024年。
黒沢氏がスタートさせたCS番組「Spicy Sessions」。音楽ができていく過程を観られるのが嬉しかった。
これは改めて記事にしたいと思っている。できるかどうかわからないが……
軽い気持ちで行ってしまった北山氏のソロライブ。北山氏のピアノ演奏が聴けるとは思わなかった。曲をくじ引きで決め、その気になればやり直しもあり。そのゆるさも楽しめた。
ファンの集い、思わぬ形でのソロコーナー、でもとても楽しかった。
待望のビルクラ第二弾。
なぜか、それまでにないほどに泣いた。
そしてまさかCENTURYをセットリストに入れてくるとは思わなかった。
ゴスペラーズ
CENTURY
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橋ツアー、最前列でもないのになぜか物凄く近くに5人を感じた。
思えば、これまでにさまざま行ったり観たりしてきたものだ。
しかし、わたしの心の傷口は完全に塞がっておらず、ほんの少しずつだが血を垂れ流していたらしい。そして些細なきっかけがある度に傷口が開いていた。
未だに目の前のことでこれでもかというほど一喜一憂…いや、一喜百憂くらい憂のほうが優勢になるほど病みがちな自分が自分で嫌になった。
こんな熱し易く冷め易い、身勝手ですぐメンタルやられる失礼な人間でもずっと好きでいられるゴスペラーズってすごいんだよ、と言ったところで説得力なんて何もないけれど、とにかくこんなに素敵なグループなのでもっと歌い続けていてもらいたい、、、と思うと同時に、その場に自分がいないと嫌だということがはっきりした。
心の底で、本当は彼等に必要としてもらいたかった自分の顔を見た。それが自分でも悍ましかった。
わたしは本当に薄情人間だった。それなのに彼等に執着していた。
思えば最初から身勝手なことしかしていなかった。
そしてこの5年ほどは、ずっと何かに圧し潰されるような感覚に堪えていたように思う。
「いやそんな自分1人が辛いみたいに言われてもwみんなしんどかったんだけどwww」
と思われるのかもしれない。
でも、他人を思い遣る余裕などなかった。
そんな自分が嫌で嫌で仕方なかった。
そもそもわたしは辛いときに他人を思い遣れるほど強くも優しくもない。
北山氏が療養していた時だって、4人を支えるつもりが全然だめだった。
このときから「わたしは5人の『ファン』ではない」と自覚していたが、改めて思う。
わたしは5人に、5人の歌に依存して、彼等に執着しているだけの人間だった。
5人の歌がなければ踏み出せるものも踏み出せないし、生きていけない。
生きていくために必要だから、聴くだけだ。
模範的なファンなら、彼等の純粋な素晴らしさを周りの人に広めようとするだろう。本人達に伝えようとするだろう。彼等が生きる支えなのだと。
しかし、わたしは広めていない。本人達にも伝えられない。
こんな人間が何か言ったところで、バズる兆しすら見えないどころか「お前みたいな奴が推してるの?どうなのそれw」と言われてしまいかねないから、黙っていた。
そもそもそんな事をしていいような人間ではないのだ。
こんな人間を「ファン」とは誰も呼ばないと思う。
「あなたのために」と歌う彼等のために、わたしは何ができたというのだろう。
きっと彼等は、彼等のリスナーには「模範的なファン」でいてもらえたら、などと期待しているはずだ。
ゴスペラーズ
Dear my girl
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でもわたしはそんな人間ではない、むしろ真逆だ。
5人のご期待に添えないファン未満で申し訳なさしかない。
こんな奴、叩かれこそすれ感謝なんてされるべき人間などではない。
こんな奴が、あんなに素敵な人達の奏でる素晴らしい音楽を聴ける席に座っていてはいけない。
彼等が感謝すべき対象の「ファン」は、もっと素敵な人であるべきだと思うから。
例えば「Asterism」の歌詞のような事を素直に言える人。
ゴスペラーズ
Asterism
https://www.shazam.com/track/674496652?referrer=share
わたしはこんなこと、彼等に言えない。
つらいことをこっちに言っていいと思ったこともあるけれど、それを受け止める度量などないに等しかった。
彼等が、彼等の歌が素晴らしければ素晴らしいほど、わたしは【ファン】から遠ざかる。
なのでこれを最後に5人のことはもう書かないことにしよう、と思っていた。
思っていたのに。
過去の記事に遡って彼等の歌や彼等の言葉を思い出すと、たびたび胸がギュッとなった。
わたしにとって、こんなに尊敬できる、ストレスなく聴ける、好きになれるミュージシャンは5人の他にいない。
これはあくまでもわたしの勘違いだと思うが、その上で、彼等は、いや彼等の歌声は、そんなわたしのような人間にすら「ここに居ていいよ」と言ってくれているような気がする。
何もかも受け入れてくれている気がする。
などと、つい思い上がってしまう。
無理矢理まとめると、わたしは出禁にされても仕方ないと自分で自覚するほどの厄介な人間だ。
だけど、そんなわたしでも許してもらえるような気持ちにさせてくれるゴスペラーズの歌は本当に素晴らしいと思う。
彼等の音楽があったから出会えた人が沢山いる。
彼等に出会わなければ気付かなかったことが沢山ある。
だからゴスペラーズは、わたしにとって、最もかけがえのない存在なのだ………………
彼等にしてみれば、何千人といる客席の中の1人。
ただのモブ。
それ以外の何者でもない。
その中の1人がこんなことを考えていることなど想像すらしていないだろう。
しかしもしも、例えば何かの間違いで彼等にこの記事の存在が知られてしまったら、彼等にはどうかわたしのことを嗤ってほしいと思う。
こんなことをいつまでもごちゃごちゃと考えている人間のことなど、くだらないし時間の無駄だと笑い飛ばしてもらいたいと思う。
こんな人間が会場に紛れ込んでいると知られたら5人にもバンドメンバーにもスタッフの皆さんにも、他のまともなファンの皆さんにも失礼だから、一刻も早くわたしの寿命を五割り(5等分)にして5人に分けてあげてください。
それができないなら、わたしが生きている限り、あの5人がいつまでも元気に歌い続けられるようにしておいてください、神様。
今度こそ、お願いしますよ。
(了)
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やっと終わった……
やはりというかなんというか、全然想定の日程通りにいかなかったですな。
そしてどうまとめたらいいかすらわからなくなっているこの為体。
彼等に一言だけ直接伝えていいよ、と言われたらそれは「ありがとう」或いは「大好き」なのだけれど、彼等に向かってそんなことを言える資格なんてわたしにはないと思うし、むしろ「ごめんなさい」しか言えないな……
ということの理由というか言い訳めいたものを延々と連ねていたわけでありまして。
でも編集途中で「あー違うな、言いたいことってこんなことじゃないな」と思う自分もいて……全部書き直したい(は?)
15日分で何か別なことを書こうかどうしようか迷い中、いや何も思いつかないけれど。
(Spicy Sessionsの感想とかアカペラ侍第5話第6話の感想とかを上げたいとか思っていながら上げられていないのだぞ筆者よ、いやSSは一挙放送があるっていうからそれ観てからかなどうしようかな)
ともかく。
もしこれを全部読んでくれた人がいるなら本当にごめんなさい。
ただ、自分の記録として書いておきたかったんで。
じゃないと、忘れてしまうから。