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PURPLE DOT(別館)

超個人的備忘ログです。
不定期更新、記憶曖昧、自分にしかわからない記述多々。
ただの参考記録です、ご寛恕ください。

2020-2023の記憶 with The Gospellers、そして……

2024-12-10 23:24:15 | 雑記とか
12/10up分?

ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日に上げていくかんじで
……と思っていたけど本当に自分語りでしかなくて、あまりにも需要がなさすぎるので2020年代はいっぺんにやっちゃいますね。



2020年

前年12月に始まった坂ツアー"G25"。
開幕がデビュー日、都内、なのに橋ツアーで使うようなキャパの会場。応募しても当然ながら当たらない。
それで、臍を曲げていた。
さらに、去年のことを引きずっていた。
そんなことが絡み合って、自分自身が不要な人間なのではとも思っていた。

それなのに、彼等の声は聴きたかった。
自分でもなんて身勝手なんだろうと思う。
2月に一度だけ赴くことができた。
そこで触れた歌声はやはりというか言うまでもないことだが素晴らしく、もっと沢山の人にこの歌声が届いてほしい、と思った。
このとき既に、ひたひたと近付いてきていたCOVID。
わたしは神様に祈った。

これまでも救ってくれた神様、お願い。
彼等を守って。
相手はよくわからないウイルスだけど、彼等からは遠ざけて。
彼等がこれからも、いつまでも元気で歌い続けられるように、お願い。
「今年はこれで会えるのは最後」なんて、いやだよ。
まだまだ会いに行きたいよ。

ゴスペラーズ
新大阪
https://www.shazam.com/track/40404719?referrer=share

しかし、その直後。
G25はその場で足踏みをして、やがて止まった。

目の前の世界から、色が失われていくようだった。

それでも彼等はその時その時でできる限りのことをしよう、と奮闘してくれた。
『おうちからハーモニーを』。
手洗いソング。
そして配信ライブ"#ライブハウスからハーモニーを"。

けれどわたしには、『おうちからハーモニーを』も配信ライブの記憶もない。
この時の記事を読み返すとメンバーは口々に「この日のことはずっと忘れない」と言っていたのだが、わたしは忘れてしまっていたのだった。
また別な記事を読み返すと、こういうことになってから割とすぐの段階でもう精神的に限界が来ていたのがわかる。

これまで何度か言及してきたが、わたしにとって、ゴスペラーズのライヴは「いちばん自分らしく居られる場所」だった。
申し訳ないけれど配信では繕いきれなかったらしい。
それだけ、何物にも代え難いものだった。
それが奪われて、音楽そのものが悪者扱いされて、周りのみんなは音楽なんてなくても平気で笑っているように見えて……
いつになったら「自分らしく居られる場所」を取り戻せるかわからない。
これが病まずにいられようか。
その期間が長すぎたから、わたしはある意味"元"には戻れなくなってしまった。
パンクしたまま無理矢理走り続けたらホイール、果ては本体まで修繕しようのないくらいにボロボロになってしまったタイヤのように、わたしの心も傷だらけだったらしい。
それがどれだけまずい状況なのか、骨折や出血のように見た目にわかればいいのに、一見変わらないので拗らせ、悪化し、手遅れになっていたらしい。
みんなが「おうち時間」などと言ってステイホームをどれだけ充実させるか楽しんでいたころ、わたしは自分の居場所を失って、何もかも見失って、闇の中を彷徨っていた。


"G25"の内容はほぼそのままに、厳重な感染対策をした上で一度だけ開催された"G25特別編"の模様が、まずWOWOWで放送された。
声を上げて泣いた。

5人と一緒に歌いたくて仕方なかった。
でも歌えない。
それがいつ叶うのか、来月なのか来年なのか、それとももっとずっと先なのか、或いは、一緒に歌うことはもう二度と叶わないのか……

こんな時、模範的なファンなら「5人で集まっていることが嬉しい」だとか「この歌を聴けるだけで幸せ」といった、もっと前向きなことを言えるはずだ。
そんな言葉が浮かばないわたしはやはりファンではなく、ただ彼等に執着している人間、なのだろう。

ただ、彼等が元通りにライヴができるようになるなら、わたしは自分の命を犠牲にしたっていい、とも思っていた。
彼等の歌が生で聴けないなら、わたしが生きている意味はないから。


2021年

NHKで「ゴスペラーズの響歌」というニッチな番組が放送された。
わたしでもニッチだと思う。
素敵な響き、独特な響きの場所(コンサートホールや教会などは基本的に音響を考えて作られていると思うので除外)に5人が足を運び、その場その場で異なる声の響きを楽しむという番組だ。
ニッチと連呼したものの、わたしは非常に喜んでいた。
ゴスペラーズのアカペラが大好きだから。
彼等の純粋な声の響きを、残響を堪能できる贅沢な番組だから。
2024年末現在では8Kでしか観られないプログラムがあるようだが、個人的にはせめて4Kで放送してほしいと思っている。


そして。
全国ツアーを開催する、というお達しが出たのは、いつの頃だっただろう。

ちょっとだけ怖くもあったけれど、リスクに晒されながらも日本の各地に来てくれる5人の方が怖いに決まっている。
相当な覚悟の上で、それでも各地にいる観客のもとへ行こうとしてくれる5人の気持ちに応えたい、と思ったから、わたしも最寄りの会場へ赴いた。

坂ツアー"a cappella #あなたの街にハーモニーを"。

当然マスクをして、並ぶときは距離を取って、アルコール消毒をして、一席ずつ空けて、会場の中では私語をやめて……といった感染対策。
それ自体は全く苦ではなかった。
むしろ、これさえ守れば、また彼等の歌声を生で聴けるんだ!という思いでいっぱいだった。


そして、その時は訪れた。


最初にメンバーを見たときはあまり実感が湧かなかったけれど、彼等が「ゴスペラーズです」と名乗った瞬間、なぜか泣きそうになった。
ステージの上にいるのは、いつもの、変わらない5人だ。
こうやってまた、彼等の声を聴けるんだ。
立ち上がれないし、手を叩くことでしか反応できないけれど、それでも伝わってくると彼等は言ってくれた。

ゴスペラーズ
離れていても ~Wherever you are~
https://www.shazam.com/track/559421915?referrer=share

5人の声が、5人の歌が、5人がわたしの目の前で歌ってくれることこそが、希望の光そのものなのだと思った。

ゴスペラーズ
北極星
https://www.shazam.com/track/40169998?referrer=share

その日は本当に嬉しくて、嬉しいという気持ちがちゃんと彼等に伝わったような気がして、眠ったらその日の記憶がどこかに行ってしまいそうでちょっとだけ怖くて、ほとんど眠れなかったけれど、それでも平気だった。

これがドラマの最終回だったとしたら、紛れもなくハッピーエンドだと思うほどの気持ちに包まれていた。

でも、最終回ではなかった。


彼等を守りたい。

音もなく忍び寄る疫病の気配を感じて、あの時からずうっと思っていたことだった。
まず自分が罹らないこと、広めないこと、それが彼等を守ることに繋がる。彼等を守るためなら、わたしは何でもする。彼等の盾にだってなってみせる。
他のファンのみなさんも、きっと同じように思っているよね?
きっと、これからもずっと。

……そう思っていた。


しかし。
転職したら、ここでもえらい目に遭った。
毎日毎日何事においても自分が悪い、あらゆる事が自分に落ち度がある、全てが自分の所為だ、と反省させられ……

覿面に病んだ。
恐らくその前からCOVID のせいで病んでいたと思うが、それに輪をかけて。


だからなのか、街ハモの思い出も、そのあと行った高崎音楽祭のことも、ゴスペラーズと過ごしたそれまでの楽しかった記憶も、どこか遠くへ消え去ってしまっていた…………


2022年

ええとどう話そう。
諸事情により、ゴス界隈から離れそうになった。
5人のことを考えている余裕が完全になくなってしまった。
そうなると、彼等の身に何が起きてもあまり何も感じられなかった。
本来わたしは、熱し易く冷め易い人間なのだ。

そんなこともあって、一応チケットを取ってはいたものの、こんな自分が行ったところで楽しめるとは到底思えなかった。

それでも赴いた、坂ツアー"まだまだいくよ"。

ライヴが始まって聴こえてきたのは、G25ツアーが止まってしまう前に歌っていた、『一筋の軌跡』の客席からの声だった。

「♪ララララララ……」

苦しかった。
苦しくて悔しくて虚しくて、顔を顰めた。
どうしてこんな始まりにしたのか、理解できなかった。

自分が歌えないのに、この曲を、あらゆることから解放されて楽しんでいた頃の歌声を、耳にしなくてはならないこと。

堪えられなかった。
周りの人達は手拍子しているけれど、わたしは無理。
そう思って、心を閉ざした。

序盤は本当にぼんやりしていた。
こんな状態でライヴに来てしまったうえにこんな演出をされてしまうなんて。
もう自分の心は動かないかもしれない、と。

それなのに、凍っていたはずの心は5人の声で撃ち抜かれた。
具体的に何の曲だったかは、記憶があやふやのままだ。
けれど5人の声をまた聴きたくて、行く予定のなかった公演にも行ってしまうほどだった。

ゴスペラーズ
ラヴ・ノーツ
https://www.shazam.com/track/50934893?referrer=share

けれどその直後、思わぬところからダメージを与えられ、わたしの心はまた閉じるための小さなきっかけを得てしまった。


それでも向かった、Billboard Classics The Gospellers Symphonic Concert(わたしは勝手に「ビルクラ」と略している)。

素晴らしかった、の一言に尽きる。

高崎音楽祭でのGBBとのハーモニーも大好きだけれど、フルのオーケストラと5人のハーモニーは格別だった。
というよりもまず、5人の曲を奏でてくれるオーケストラに感激していた。
何より、田中祐子マエストロの存在自体が心強かった。
5人のことを尊重してくれたから。

ゴスペラーズ
宇宙へ 〜Reach for the sky〜
https://www.shazam.com/track/50254280?referrer=share

さまざまなことが許せば、もっと色々な会場で、それぞれのオーケストラと共演する彼等の歌を聴きたかった。


アニメ「アカペラ侍」が始まったのはこの年だったか。
"ハモれメロス"然り、童謡や昔の歌も、良いものは古今東西を問わず歌い繋いでいこうとする彼等の姿勢が本当に好きだ。
アレンジを考える方は大変だと思うが、彼等のレパートリーが増えることは純粋に嬉しい。


2023年

久しぶりにファンの集いに行けた。率直に言って楽しかった。
このとき、改めて「一筋の軌跡」を5人で歌った。
「5人で」と書いたのは、この曲を歌うなら当然客席も歌うものだったから。
でも、声を出すのは許されていない。
また苦しい思いをするのか、と思ったが、目の前で歌う5人を見ていたら、「心の中で歌えばいいんだ」という思いが浮かんできた。
そしてなぜかそれは5人に伝わっているような気がした。
声が出せなくてもいいんだよ、心の声は聴こえているよ、と言われているようで嬉しかった。
もうしばらくこんな感じでいくのだろう、わたしはそれで充分、5人がちゃんと守られていくのなら。
と思っていた。


ところが。
あるニュースがまたわたしを打ち砕く。
COVIDを、5月に5類にするという。
5はマジックナンバーだ、とはいえ、個人的にはあまり歓迎できない類の5だった。
それに伴って、感染症対策を一才合切やめます、とのお達しがあった。

信じたくなかった。

わたしには、重い病気を患う親族がいた。
COVIDに罹ったら重症化するリスクが大いにあった。そんなの絶対に嫌だ!と誰よりも感染対策を徹底していた。
わたしだって親族に移したくない。もしも万が一、があったとしたら、自分を責めても責めきれない。
そういう状況の人間が実在するのに、「もしもその状況が自分だったら」と想像してもくれないのか……と、ある意味やさぐれてさえいた。

声出しができるようになるのは嬉しいけれど、もっと段階的に緩めていって大丈夫そうなら解禁するよ、であればもっと安心できた。
でも、そうではなかった。
相手は、肉眼では見えないもの。
いつどこでどんな感染症を拾ってしまうかわからない。
自分がそれに耐えられる体質なのかどうかすら、その時になってみなければわからない。
もう罹っていて無症状だが、周りの誰かに移してしまってその人が重症化して……という可能性はゼロではない。
そんなギャンブルは嫌だ。
何より、自分自身が罹ることよりも、5人が罹って重症化して二度と歌えなくなってしまう可能性がほんの僅かでもあることを想像してくれないのか、と悲しくなった。

正直な話、2024年になった現在でもCOVIDに限らず感染症は怖い。
なによりも「終わったもの」「ないもの」として扱うことそのものが怖い。人間の目に見えないだけなのに。

だから、アラバキには行かなかった。
それを決めたのは自分自身なのに、とてつもなく悔しかった。
そこで「なりきり」が復活した、と聞いたから。

そんなようなものが組んず解れつになって、またわたしはメンタルがおかしくなった。
(いや、いまもおかしいままだが)

観客として最悪な状態のまま向かった橋ツアー。
ほかの観客に紛れるようにして、その場に佇んだ。

そんな状況で、その瞬間が訪れてしまった。

声出しが解禁になって初めて、5人から「歌って」と言わんばかりにマイクを向けられる。
それも、一筋の軌跡で、だった。

ゴスペラーズ
一筋の軌跡
https://www.shazam.com/track/44243203?referrer=share

顔がぐしゃぐしゃになっていくのを感じて、わたしは思わず顔を覆った。
こんな顔、醜すぎて5人に向けられなかったから。
もっと醜かったのはわたしの心だったのだが。


彼等はEP「HERE & NOW」をリリースし、同名の坂ツアーを敢行する。

ゴスペラーズ
Mi Amorcito
https://www.shazam.com/track/674496656?referrer=share

間に高崎音楽祭も挟んでいたのは流石に驚きだった。


そして、2024年。

黒沢氏がスタートさせたCS番組「Spicy Sessions」。音楽ができていく過程を観られるのが嬉しかった。
これは改めて記事にしたいと思っている。できるかどうかわからないが……

軽い気持ちで行ってしまった北山氏のソロライブ。北山氏のピアノ演奏が聴けるとは思わなかった。曲をくじ引きで決め、その気になればやり直しもあり。そのゆるさも楽しめた。

ファンの集い、思わぬ形でのソロコーナー、でもとても楽しかった。

待望のビルクラ第二弾。
なぜか、それまでにないほどに泣いた。
そしてまさかCENTURYをセットリストに入れてくるとは思わなかった。

ゴスペラーズ
CENTURY
https://www.shazam.com/track/113371220?referrer=share

橋ツアー、最前列でもないのになぜか物凄く近くに5人を感じた。



思えば、これまでにさまざま行ったり観たりしてきたものだ。

しかし、わたしの心の傷口は完全に塞がっておらず、ほんの少しずつだが血を垂れ流していたらしい。そして些細なきっかけがある度に傷口が開いていた。
未だに目の前のことでこれでもかというほど一喜一憂…いや、一喜百憂くらい憂のほうが優勢になるほど病みがちな自分が自分で嫌になった。

こんな熱し易く冷め易い、身勝手ですぐメンタルやられる失礼な人間でもずっと好きでいられるゴスペラーズってすごいんだよ、と言ったところで説得力なんて何もないけれど、とにかくこんなに素敵なグループなのでもっと歌い続けていてもらいたい、、、と思うと同時に、その場に自分がいないと嫌だということがはっきりした。
心の底で、本当は彼等に必要としてもらいたかった自分の顔を見た。それが自分でも悍ましかった。

わたしは本当に薄情人間だった。それなのに彼等に執着していた。

思えば最初から身勝手なことしかしていなかった。
そしてこの5年ほどは、ずっと何かに圧し潰されるような感覚に堪えていたように思う。
「いやそんな自分1人が辛いみたいに言われてもwみんなしんどかったんだけどwww」
と思われるのかもしれない。
でも、他人を思い遣る余裕などなかった。
そんな自分が嫌で嫌で仕方なかった。

そもそもわたしは辛いときに他人を思い遣れるほど強くも優しくもない。
北山氏が療養していた時だって、4人を支えるつもりが全然だめだった。
このときから「わたしは5人の『ファン』ではない」と自覚していたが、改めて思う。
わたしは5人に、5人の歌に依存して、彼等に執着しているだけの人間だった。
5人の歌がなければ踏み出せるものも踏み出せないし、生きていけない。
生きていくために必要だから、聴くだけだ。
模範的なファンなら、彼等の純粋な素晴らしさを周りの人に広めようとするだろう。本人達に伝えようとするだろう。彼等が生きる支えなのだと。
しかし、わたしは広めていない。本人達にも伝えられない。
こんな人間が何か言ったところで、バズる兆しすら見えないどころか「お前みたいな奴が推してるの?どうなのそれw」と言われてしまいかねないから、黙っていた。
そもそもそんな事をしていいような人間ではないのだ。
こんな人間を「ファン」とは誰も呼ばないと思う。

「あなたのために」と歌う彼等のために、わたしは何ができたというのだろう。

きっと彼等は、彼等のリスナーには「模範的なファン」でいてもらえたら、などと期待しているはずだ。

ゴスペラーズ
Dear my girl
https://www.shazam.com/track/800215732?referrer=share

でもわたしはそんな人間ではない、むしろ真逆だ。

5人のご期待に添えないファン未満で申し訳なさしかない。

こんな奴、叩かれこそすれ感謝なんてされるべき人間などではない。
こんな奴が、あんなに素敵な人達の奏でる素晴らしい音楽を聴ける席に座っていてはいけない。
彼等が感謝すべき対象の「ファン」は、もっと素敵な人であるべきだと思うから。
例えば「Asterism」の歌詞のような事を素直に言える人。

ゴスペラーズ
Asterism
https://www.shazam.com/track/674496652?referrer=share

わたしはこんなこと、彼等に言えない。
つらいことをこっちに言っていいと思ったこともあるけれど、それを受け止める度量などないに等しかった。
彼等が、彼等の歌が素晴らしければ素晴らしいほど、わたしは【ファン】から遠ざかる。



なのでこれを最後に5人のことはもう書かないことにしよう、と思っていた。

思っていたのに。

過去の記事に遡って彼等の歌や彼等の言葉を思い出すと、たびたび胸がギュッとなった。
わたしにとって、こんなに尊敬できる、ストレスなく聴ける、好きになれるミュージシャンは5人の他にいない。

これはあくまでもわたしの勘違いだと思うが、その上で、彼等は、いや彼等の歌声は、そんなわたしのような人間にすら「ここに居ていいよ」と言ってくれているような気がする。
何もかも受け入れてくれている気がする。
などと、つい思い上がってしまう。



無理矢理まとめると、わたしは出禁にされても仕方ないと自分で自覚するほどの厄介な人間だ。
だけど、そんなわたしでも許してもらえるような気持ちにさせてくれるゴスペラーズの歌は本当に素晴らしいと思う。
彼等の音楽があったから出会えた人が沢山いる。
彼等に出会わなければ気付かなかったことが沢山ある。
だからゴスペラーズは、わたしにとって、最もかけがえのない存在なのだ………………



彼等にしてみれば、何千人といる客席の中の1人。
ただのモブ。
それ以外の何者でもない。
その中の1人がこんなことを考えていることなど想像すらしていないだろう。
しかしもしも、例えば何かの間違いで彼等にこの記事の存在が知られてしまったら、彼等にはどうかわたしのことを嗤ってほしいと思う。
こんなことをいつまでもごちゃごちゃと考えている人間のことなど、くだらないし時間の無駄だと笑い飛ばしてもらいたいと思う。


こんな人間が会場に紛れ込んでいると知られたら5人にもバンドメンバーにもスタッフの皆さんにも、他のまともなファンの皆さんにも失礼だから、一刻も早くわたしの寿命を五割り(5等分)にして5人に分けてあげてください。
それができないなら、わたしが生きている限り、あの5人がいつまでも元気に歌い続けられるようにしておいてください、神様。
今度こそ、お願いしますよ。


(了)


-------------------------


やっと終わった……
やはりというかなんというか、全然想定の日程通りにいかなかったですな。

そしてどうまとめたらいいかすらわからなくなっているこの為体。

彼等に一言だけ直接伝えていいよ、と言われたらそれは「ありがとう」或いは「大好き」なのだけれど、彼等に向かってそんなことを言える資格なんてわたしにはないと思うし、むしろ「ごめんなさい」しか言えないな……


ということの理由というか言い訳めいたものを延々と連ねていたわけでありまして。


でも編集途中で「あー違うな、言いたいことってこんなことじゃないな」と思う自分もいて……全部書き直したい(は?)

15日分で何か別なことを書こうかどうしようか迷い中、いや何も思いつかないけれど。

(Spicy Sessionsの感想とかアカペラ侍第5話第6話の感想とかを上げたいとか思っていながら上げられていないのだぞ筆者よ、いやSSは一挙放送があるっていうからそれ観てからかなどうしようかな)

ともかく。

もしこれを全部読んでくれた人がいるなら本当にごめんなさい。
ただ、自分の記録として書いておきたかったんで。
じゃないと、忘れてしまうから。
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2018-2019の記憶 with The Gospellers

2024-12-05 23:23:01 | 雑記とか
12/5分?

ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日に上げていくかんじで。

ただの自分語りですがそれでもよければどぞ。





2018年

この年といえばまず、北山氏の誕生日に当たった苗場、20周年。

ここで待ち受けていたのは……由実様との邂逅。

松任谷由実
BLIZZARD
https://www.shazam.com/track/40365128?referrer=share

みんなここまで大きな声出せたんだ?と思うほどの、G10武道館以来聞いたことのないような音量の大歓声。
5人が先方のコンサートに登場したのは知っていたが、まさか由実様から5人のところに来てくれるとは思いもしなかったというのが大きい。
20年もやれば由実様のような偉大なミュージシャンに祝ってもらえるんだ、と嬉しくなった。
もともとのチケット代では足りないのではないか、追加で支払った方がいい?とも思った。
追加料金を払う代わりに、由実様のベストアルバムを買った。

荒井由実
朝陽の中で微笑んで
https://www.shazam.com/track/78029240?referrer=share

苗場にはほかにも、竹本健一さんやDJバリK〜んさん、それになんといっても旧ゴスバンドのバンマスだったスーパーベーシスト・須藤満さんもゲストに来てくれていた。
旧ゴスバンドはわたしが初めてゴスペラーズのライヴに参加した時から、いやその前からバンドメンバーでいてくれたので馴染み深く、須藤さんの、楽譜の海を自由に泳ぐようなベースの音色がどれだけ5人の音楽を長いこと支えてきてくれていたかと思うと尊敬でしかなかったので、須藤さんがいた時間はほぼ5人そっちのけで須藤さんをじっと見ていてしまったのだった。その場にバリさんもいたのに。
そのバリさんが主催のDJタイムがライヴ終演後に行われ、こちらも盛り上がった。顔を出すメンバーもいた。竹本健一さんの持ち歌もとても良かったし、須藤さん、バリさん、そこにコンピューターオペレートの宇佐美さんが加わったユニットもとても良かった。終盤は5人の曲メドレー状態になってものすごい熱気に包まれていた。けれど騒ぎすぎたのか、この時を境に苗場ではDJタイムを設けられなくなってしまったようなので残念。


そのあとファンの集い、橋ツアー、高崎音楽祭などにも赴いた。いずれも心から楽しかった。
毎回毎回心を尽くしてこちらを楽しませてくれる彼等。
全員がひとつのステージ、だけではなく、ひとつの楽曲、ひとつのフレーズ、ひいては1音1音を大切にしているからこそできることだと思う。
5人ともそれを大切に思ってくれる人達で、そんな5人が集まっていることはきっと神様が仕合わせてくれた運命であり、奇跡だ。
そんな彼等に、尊敬を通り越して畏敬、いや、もはや畏怖の念を抱くようになっていた。


そして彼等は、新しいアルバムを発表する。


ゴスペラーズ「What The Would Needs Now」トレイラー
https://youtu.be/uvR6i3JkJ2c?si=ilv8mIi-rFl90SWy


それまでのリリースも嬉しかったが、全ての曲が自分の心に刺さった。
彼等のハーモニーは、やはり彼等にしか紡げない。
「そんなの当たり前のことじゃないか」と笑われるかもしれない。
でも。
ひとりひとりバラバラな声質を活かす、という、敢えて茨の道を行くことで、時間はかかるけれどそのぶんちゃんとハモった時にものすごい化学変化が起きるのだ。

余談になると思うが、わたしにはその難しさがわかる。
ほんのちょっとだけ経験したアカペラをやる際、ある人から「もっとみんなに声質合わせてくれない?」というようなことを言われたからだ。
精一杯歌っていたつもりだったので、それはそれはショックだった。自分を否定されたように思ってしまったから。
確かにみんな似たような声質にして歌った方が【より揃っている「ように聞こえる」】。
しかし、それなら極端な話、1人で多重録音しているのと変わらないのではないか。複数人が集まってやる意味がないのではないか。わたしがいてもいなくても、変わらないのではないか……と思ってしまった。
わたしがアカペラを諦めてしまったのは、そんなこともあったからかもしれない。(わたしがあらゆる面でみんなの足を引っ張っていたのが最大の要因だったのだとは思うが)
合唱などは比較的そういう傾向になりがちだと思う。ある方針に沿ってこういう声をみんなで同じように出しましょう、というもの。合唱くらい人数が多い場合は練習時間の都合もあってその方が合理的だと思うし、それはそれで美しいものができるのだろう。
しかしゴスペラーズのように、所謂コンテンポラリーなアカペラであれば3〜8人程度か。そのグループの方針次第ではあるが、個人的にはそのくらいの人数であるならば個性を押し込めて同じ声を出すよりも、個性を活かして『自分』のままで歌った方が歌に気持ちも込めやすいし、グループの色が出るのではないかと思っている。
ただ、そうするとまとまるはずのものも簡単にはまとまらなくなってしまうのも事実。
だから時間をかけて何度も何度も声を重ねることが大切、ではあるが、それはなかなか簡単にできることではない。
しかしゴスペラーズはそれをずっとやっている。少なくともわたしの心を声だけで掴んだ「笑っていいとも!」でのあの歌声に、それは表れていたと思う。そしてその歌声は、現在進行形で磨かれ続けている。
だから、あの5人はすごいのだ。

メジャーデビューから20年以上ずっと同じメンバーで、途轍もない回数で真摯に歌い続けている。声を重ねるだけで、お互いの考えていることまで把握できるほどに。
そんな彼等のハーモニーは、絶対にこの5人にしか奏でられないのだ。


リリースから間もなくアルバムと同タイトルの全国ツアーか始まり、言うまでもなく足を運んだ。

こんなに素晴らしいハーモニーはただ漫然と回数を重ねただけでは生まれないのだろうな、などと感激しながらライヴを堪能していた。
それでもまだまだ、こんなところはまだ通過点だと言わんばかり。彼等がより一層高みを目指し続けていることを感じられて嬉しかった。
このライヴの最後に『この世界に足りないものはハーモニーである』と歌う彼等だったが、わたしはそこに"彼等の"と付け足したかった。


ゴスペラーズ
epilogue
https://www.shazam.com/track/437786303?referrer=share


このころは夏にSOUL POWER SUMMIT、秋〜冬くらいから年を跨いで全国ツアー、という形式で毎年のように固定されていたように思う。
漠然と「このルーティーンがどこまでも続いていくのだろう」と呑気にしていた。



2019年

この年といえば、ゴスフェス。
25周年でさまざまなゲストを迎え、本当に盛り沢山で、チケット代の元を取るどころか、追加で支払わなくてはならないのでは?とまた思った。

勿論、音楽面でも抜かりなかった。この日コラボで聴けて一番良かったと個人的に思ったのはこれ。


TOKU
Maxine (feat. The Gospellers)
https://www.shazam.com/track/357677001?referrer=share


夏のイベントもあった。
高崎音楽祭にも行った。
いずれも心から楽しかった。


しかしこの年の下旬。
ほんの些細なことで臍を曲げていたわたし。

ある時は酒に飲まれ、酒井氏が新曲の丁寧な解説をやっていたらしいことも後から知った(酔っ払いすぎていたのでアーカイブもまともに聴けなかった)ほどの体たらく。

新曲が出たのに、まともに聴いてもいなかった。


ゴスペラーズ
VOXers
https://www.shazam.com/track/499238344?referrer=share





余談だが、このころ、ちょっとした歌のコミュニティのようなものに混ざった。
アカペラを諦めていたのに。
ある意味"ハモれメロス"の"侵入生"に近いものがある。
けれどもそこで自分自身の無意識な思い上がりに気付かされた。
その後も何度か顔を出していたが、ふとしたことでそのコミュニティの創始者のような人に嘘をついてしまった。
そこで嘘をついたところでただのその場凌ぎなだけで、何の得にもならないのに。
その人が怖くて、という情けない理由から、それを言い出せなかった。
最も尊敬しなくてはいけないような人のことを裏切った形になったまま、この年を終えてしまった。
それをずっと引きずっている。
実は2024年になった今も、まだ和解できていない。
いや、もう和解できないかもしれない……
そんなことを抱えながら生きているのもあって、つくづく自分が嫌になった。



その翌年、とんでもないことになるなんて、想像すらできずに。



次回へつづく。
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2016-2017の記憶 with The Gospellers

2024-11-30 23:01:59 | 雑記とか
11/30分?


ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日(+30日)に上げていくかんじで。

ただの自分語りですが、それでもよければどぞ。
(日付はあくまでも目安)



2016年

年を跨いで、北山氏は引き続き療養。
その間は4人で活動していくことになった。
2015年分の記事を参照のこと)
となれば、それを支えるのがファンの務めである。
当時のわたしはそう考え(他の人に強いるわけではないよ)、個人的には初めて"ゴスペラーズ橋ツアー"というものに赴くことにした。

橋ツアーは、もともとの目的は3.11で被災した土地へ、そこに住む人達へ歌を届けに行くためだったと記憶している。
会場も、坂ツアーで使うようなホールツアーよりも小さめのキャパシティのハコを選んでいたと思う。確かこの時も。
だから、その土地にお住まいの皆さんのためのはずの席を"遠征"してきたわたしのような人間が抑えてしまうことに些か抵抗感もあった。
けれどこの時は特に「いまメンバーが困っているんだから!こんな時こそ盛り上げに行かなくちゃ!」と、半ば自分に言い聞かせていた。

しかし、その"橋ツアー"が始まって1曲目でわたしは陥落してしまう。
冒頭の『星屑の街』で、早速わかりやすく泣いてしまった。
彼等を支えなければ、と思っていたのに、とんだ失態を見せてしまった自分が情けなかった。

もっと情けなかったのが『永遠に』や『ひとり』のとき。
いつもの歌とは全く異なっていたから。
ゴスペラーズの歌に必要な5本の柱、そのどれも欠けてはならないんだ……それなのに……
そんな思いが頭をよぎった瞬間怖くなったわたしは、彼等の歌に合わせて、北山氏のパートを覚えている範囲で脳内再生させた。
何をしているのかと自分でも思う。
だが、こうしないと居ても立っても居られなかった。
なにが「彼等を支えるのがファンの務め」だよ、と、心の中で何度も何度も自分に向けてダメ出しをしまくっていた。

終盤、村上氏がぽつりと
「やっぱり5人の方がいい」
と言った。
それを真っ直ぐ受け止めてしまったら今度こそ泣いてしまいそうだったから、受け止められなかった。
そんな自分も情けなかった。
だからこのとき、わたしは自分を『ゴスペラーズのファン』と名乗るのをやめた。
いちばん大変な時に、ちゃんと支えられていなかったから。

それと、また不思議なことを言われた。
その場で言われたのだったか、後日何らかの媒体で言っていたのだったかは記憶が定かではないが、村上氏が
「みんなが北山の分も込みで聴いてくれていた」
というような主旨のことを言っていたと記憶している。
なにをどうしたらそれが伝わるのか、こちらからは一切わからなかった。

あの日の帰り道、車窓から見えた景色をいまも思い出す。
街灯に照らされた川面。
これからどうなるんだろう、そんなことを考えながら、ただ見つめることしかできなかった。


3月。
ここでも5人……ではなく"4人"で出演するイベントがあった。
ここで歌ったのは『BRIDGE』。
復興支援のイベントだからということもあったと思うが、『永遠に』や『ひとり』を歌わなかった。

ゴスペラーズの他にも豪華な出演者たちが沢山いた。
しかし2024年現在、鬼籍に入ってしまった方が複数いて。
わたしが把握しているだけでも、八代亜紀さんとセルジオ・メンデスさん。
海外のミュージシャンは一期一会なのかもしれないなと思いながらも、八代亜紀さんは想像だにしなかったのでかなりショックだった。

そんなことは想像もつかなかった2016年のわたしだが、SOUL POWER SUMMITの時と同じようにメンバー以外の出演者にばかり気を取られていた。
イベント全体的には楽しかったし満足できたけれど、イベントの趣旨としてもそうだし、多種多様な出演者もいたので、北山氏も出たかっただろうな、と思った。

そしてなぜかここでまたメンバーと遭遇してしまった。
びっくりはしたものの、あの時よりはいくらか冷静になっていた。
それでもそれなりに緊張はしていたが、去っていく酒井氏の広い背中に向かって、わたしは心の中で叫んだ。
「次は、5人で!!!!!」

すると、その次に彼等が出演したイベント・音市音座にて、北山氏が復帰するという一報が駆け巡った。
確か当日に発表されたと記憶している。
遠方なのでそもそも行くのを諦めていたけれど、本当に5人になった!と思って湧き立っていた。
終演後、"5人"で並んだ写真を目にした瞬間の気持ちといったら。

それにしても北山氏は復帰した当日に1, 2, 3 for 5を歌って踊っていた、勿論ターンもしていた、と聞いてびっくりした。
復帰といってもしばらくは踊ったり激しく動いたりはしないんだろうな、と思っていたから。
北山氏に限らず、メンバーはそういう努力面について明らかにする人達ではないので想像するしかないのだが、後からちらっと聞いた話によると、少し歩いただけで何時間も意識を失っていたこともあったらしい。
詳細が不正確なのでここには具体的な数字を載せはしないが、それほどの状態から回復するまでに、いったいどれだけの努力をしてきたのだろう……そう思うと胸が潰れそうになった。


からの、ファンの集い。
ファンを名乗るのをやめたのに『ファンの集い』には行ってしまうの、いつか怒られると思う。

でもそこで、北山氏が「ただいま!」って言ってくれたから。

生きたいと思ってくれてありがとう。
歌いたいと思ってくれてありがとう。
たくさん我慢してくれてありがとう。
早く復帰するために想像もつかないほどの努力をしてくれてありがとう。
帰ってきてくれて、ありがとう。

「おかえり」
の4音にありったけの想いを詰め込んだつもりだった。
その場に赴くことのできなかった人の分まで。

それでも、しんみりとした空気で終始する人達ではない。
前からそう決めていたことなのか、このとき敢えてそうしたのかはわからないが、ファンの集いだからということもあってか笑いの比率が高めのステージだった。
もちろんそれだけではなく、彼等のこれからを届けてくれた。


ゴスペラーズ
Recycle Love
https://www.shazam.com/track/323356353?referrer=share


初めてルーパーを使った楽曲だった。
後から聞いた話だが、酒井氏曰く、北山氏がいつ復帰するかわからなかったので、もし北山氏の療養が長引いてしまったらルーパーで補完できるように曲を作ったんだそうだ。

これまでも、グループが歌い続けていくためにはどうしたら良いだろう、とメンバーひとりひとりが考えてきたのだろう。
わたしは深く考えずに
「これからもずっと5人で歌い続けていてもらいたい、いやわたしがそんなこと言わなくてもきっと歌い続けてくれる」
などと考えてしまうけれど、それは全く当たり前のことではなかったのだ。この時点で20年続いていることそのものからして「有り」「難い」ことなのだ。そういうことをちゃんと噛み締めていなかった。
個人的に、感覚がちょっと他人とズレている気がする、と思うのは、このあたりかもしれない。
だからファンなどとは到底呼べないような失礼な言動をしてしまうのかもしれない。


さて。この年は他にも、村上氏・酒井氏がJAYE公山さんとのトリオ『The J-M-S』として出演したイベントや、北山氏が仲間達と一緒にTAKE 6のクロード・マックナイトさんをお招きしたアカペラのイベント(という言い方で合っているかわからないが)などにも赴いたが、特筆すべきはやはりこれ。


高崎音楽祭・ゴスペラーズビッグバンドコンサート。
この年の苗場公演で、既にビッグバンドとのコンサートは行われていた。
前にも述べたようにわたしはJAZZもいいなと思っているので、聴いてみたいと思いつつも、橋ツアーを優先させたかったので泣く泣く諦めた。
だから高崎でそれを開催すると知って、何が何でも行かなくては!と思い、赴いた。

最高だった。
ビッグバンドのメンバーひとりひとりがスーパープレーヤーなのだろう、上質なサウンドを奏でている。そこにゴスペラーズのハーモニーが加わると、更に極上な音色がホールの中に満ちていく。それを聴く……というより「体感する」ことができて、心の底から嬉しかった。

好きなアーティストが音楽をこんなにも大切にしてくれる人達で、本当によかったと思う。


2017年

この年といえば、坂ツアー"Soul Renaissance"。
このツアーでは、個人的に5人の登場と退場の演出がわたしの心に刺さった。
5人のステージは夢の中のような出来事だけれど、さまざまな会場へ足を運び、生の歌を目の前で真摯に届けてくれることは紛れもなく現実で。
けれどもそれは決して当たり前のことではなくて。
改めて「5人で歌う」ということの尊さを噛み締めるツアーとなった。


ゴスペラーズ
angel tree
https://www.shazam.com/track/341999551?referrer=share


ちなみにこのツアーから、本間将人さん率いる新しいバンドメンバーが5人の仲間になった。
最初こそ耳が慣れないような気がしたけれど、それぞれのメンバーの技量に圧倒されてすぐ好きになった。
本間さんや坂東慧さん、佐藤雄大さんが在籍するユニット、JAM company(通称ジャムカン)のサウンドも良い。


JAM company
skyline
https://www.shazam.com/track/346058834?referrer=share


そしてツアーが終わってしばらくして、酒井氏も結婚を発表する。
やっぱり大きなツアーの後なんだ、とちょっと可笑しかった。
丁寧に言葉を紡いだ本人のコメントが、確か公式サイトに載っていたと記憶しているが、今だから言う。これだけ誠実な言葉を紡げる人から大切に想われている奥様が正直羨ましいと思った。
けれど心から祝福したいと思ったのも本当。
北山氏のことがあって、これからもしもメンバーに何かあった時(勿論何もないのがいいのだが、何もないとは絶対に言い切れないので)、近くで支えてくれる人がいてほしい、と思っていたから。
そして本人が充実したプライベートを過ごすことで、きっと歌にも良い影響があると信じているから。
(その逆を想像すると簡単かもしれない、例えば寂しかったり苦しかったりという心境の最中で楽しい曲を歌うのはつらいと思うから)

余談だが、確かこのころ、こんなスラングがあることを知った。

over the moon:通常の「嬉しい」よりも更に強い喜び、月を超えてしまうくらいとても嬉しい

歌詞の中では「for」だが、この曲は、そういうことだったのかもしれない……


ゴスペラーズ
Fly me to the disco ball
https://www.shazam.com/track/340737083?referrer=share


本人に訊くのは野暮の極みなので、やめておくことにする。


11月、黒沢氏がカレーと音楽の融合したイベント"Spice for Lovers"を開催した。
スパイシーなカレーが食べられて、良い音楽も聴けて。個人的にはとても楽しいイベントだった。
2024年のいま思うと、このイベントがCSのTBSチャンネルでやっている『Spicy Sessions』の源流になっているのではないか……と思った。
なので改めて記事にしようと思うが、番組のフェスのような形でこのイベントが復活できたらいいな、と密かに願っている。


次回へつづく。
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2014-2015の記憶 with The Gospellers

2024-11-25 23:23:05 | 雑記とか
11/25分

ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日(+30日)に上げていくかんじで。

ただの自分語りですがそれでもよければ。
(日付は目安)



2014年

8月、平泉で彼等の歌を聴いた。
世界遺産に響きわたる彼等の声。既に何箇所か他の場所でも行っていたが、確かいずれも西日本。それが平泉でも行われるというので一にも二にもなく馳せ参じたのだった。
そういえば、野外で彼等の歌を聴くのは初めてだった。
当日は生憎の天気で地面もぬかるんではいたものの、本番だけは雨が降らなかった。
そしてその本番も心の底から楽しかった。

なぜだか本当に嬉しくて、『またすぐ5人に会いたいな』と思いながらも、新幹線に乗るため駅へ向かった。
そうしたら、本当に帰りがけの5人とバンドメンバーの皆さんに遭遇した。

「さっき『またすぐ会いたい』って思ったけど、そういう意味じゃないよー!」
と思った。
同じ場所に立っていることからして畏れ多すぎた。

Cairnsとハイタッチ会に行ったのに?
いや、行ったからこそそう思う。
わたしにとって彼等は蟻から見たエベレスト、いやそれよりも遥かに大きくて、同じ地面に立つことだけでも畏れ多い存在だということを、Cairnsとハイタッチ会でこれでもかというほど思い知ったのだ。
その前に、Cairnsとハイタッチ会では前もって5人の目の前、本当の意味での目の前に立つことになるのがわかっていたので最低限の心の準備はしたつもりだった。
というより、それらの時にさえ心の準備ができているとは言えなかった。実際に彼等の"本当の目の前"に行ったら何もかも吹き飛んでしまって、全くもって周りが見えていなかったのである。
そんな人間が彼等を突然目にしてしまったらどうなるかは言うまでもない、と思う。
彼等の姿に思わず叫んでしまいそうになったが、場所は駅のホーム、公共の場である。言うまでもなく、他にも沢山の利用客がいる。無駄に騒いでしまったら「ゴスペラーズのファンはマナーが悪い」という烙印を押されかねない。その前にメンバーから嫌がられるに違いない。
なんとかこらえた。はず。
新幹線を降りて、震えが止まらないことに気付いた。
それでも、自分の中では大切な思い出になっているのは確か。


そのあと迎えた坂ツアー"ハモれメロス"も本当に楽しくて、個人的にもっともっと沢山観たかった、せめてあと一回行きたかった、と思った。
誤解のないように記しておくが、基本的にどのライヴも楽しくて「また行きたい、もう一度観たい」と思っている。
しかし"ハモれメロス"は個人的に初めての完全シアトリカル形式で、そのお芝居とショーの部分とが渾然一体となっているのがとても好きだった。
WOWOWの放送も何度も繰り返し観たし、そのあと出たDVDも何度も何度も観た。
踊りがある曲を覚えるのがとても苦手なのだが、覚えてしまった。特に『太陽の5人』。


ゴスペラーズ
太陽の5人
https://www.shazam.com/track/114004951?referrer=share


前々から、時が経っても良いものは良いのだと彼等に教えられてきたけれど、このハモれメロスはその集大成なのだと思った。
そして、新しい彼等の曲も等しく愛せるのだと。


ゴスペラーズ
HIT ME
https://www.shazam.com/track/158240754?referrer=share


新しい曲といえば、現時点でこのツアーでしか披露していない『どしゃ降り'64』と『哀しきフォーシーズン』の音源化も密かに待っている。可能性はほぼなさそうだが。


そして"ハモメロ"の興奮も冷めやらぬまま、彼等は20周年ツアー"G20"へ突入する。
この間ハモメロが終わったばかりなのに!
実は12月のうちに一度G20に赴いている。なぜなら15周年秋冬アリーナ公演でしかラブマ様が出てこなかったから。
見た目がすっかり変わってしまってびっくりした。でも、10年ぶりにようやくお目にかかれて嬉しかった。
けれど「10年ぶり」だなんて、言葉にするとなんだかいまひとつピンとこない。
彼等のことになると時間の感覚がおかしくなる。先で述べたように5人がどの楽曲も等しく愛せるものにしてくれているし、ずっと素敵なままでいてくれているからなのだろう。

それにしても、いったいどうやったらこんなに盛り沢山の内容のライヴを、それも短期間に2種類もできるのだろうと思った。
それは彼等が、彼等の披露する楽曲を聴く人達のことを一番に考えてくれているからに違いない。
どうやったら「楽しかった」と笑顔で帰ってもらえるか、それを一番に考えてくれるから、さまざまなことをきっと度外視して楽しませてくれるのだと思う。
彼等のそんな心意気こそが、わたしは好きなのだ。



2015年

冒頭はちょっと本題から逸れて、自分自身の話。
この頃から、ふとしたきっかけでアカペラを実際にやってみた。
5人から見たらもう100周くらい(もっとかな)遅れだと思うけれど。
でも、生意気にも人前で披露する機会があった。
あるときは自分の中で割とうまくいった気がする。こんな自分でもこれほど達成感のある経験ができるなんて、と。
側で聴いていたら拙かったと思うし、失敗も確実にあったのだけれど。
そしたらそのあとメンバーを見かけた……ように見えただけかもしれない。ハイテンションになりすぎておかしくなったのかもしれない。
だけどいろいろあって長くは続かなかった。
わたしはいつもこうだ。
ほんのちょっとでも思い通りにいかなくなると、ちょっとでも躓くと、もう全てに絶望して投げ出してしまう。
ゴスの5人が20年も同じグループでいるというのに、なんとも情けないことだ、と、輪をかけて自分に幻滅していた。
5人のことは大好きだけれど、いや、5人が本当に素晴らしい人達だからこそ、それを応援する存在の自分はどうなのか?もっと立派な人間にならなければならないのではないか?と思っていたのだが。
そういう立派な人間が「わたしはゴスペラーズのファンなんです」と言えば「あなたみたいな人がファンであるなら本当に素晴らしいアーティストなんだね」と思ってもらえるから5人にも興味が湧いて、またファンが増えて……そんな好循環を夢見ていた。
でも現実の自分はそんな存在とは程遠く、それを思うたびに情けない気持ちになるのだった…………



本題に戻ろう。
引き続き坂ツアー"G20"。
2014年分で述べたとおり、わたしは前回の周年ライヴでラブマ様にお目にかかれなかったことをある意味根に持っていた。だから、それまでにも増して彼等に会いに行った。
あくまでも自分の中で、である。行った人は二桁回数などザラなのだろう。そこを較べる気は全くない。
自分が目一杯楽しめればいいのだ。
(念のため注釈、周りを困らせない程度に、である)


ゴスペラーズ
SING!!!!!
https://www.shazam.com/track/134034135?referrer=share


本当に楽しかった。
5人の音楽を心から楽しんでいる時の自分が本当のわたしなのだ、と思った。
ある公演で、また不思議な体験をした。
『この空間に満ちているのは愛だな』
『5人は家族とか友達とかではないけどそれくらい大切だな』
そんなことをぼんやりと頭に浮かべながらライヴを満喫していた。
そうしたら、北山氏が最後のMCでそれぞれその言葉を口にしてびっくりした。
偶然だと思うけれど。


WAVOCのアカペラコンサートの直後、北山氏も結婚すると発表。
やはり大きなツアーのあとに発表するのだなあと思って笑った。


そこからSOUL POWER SUMMITを経て、ソロ活動をするメンバーもいた。


安岡氏のお渡し会。
ステージ上の安岡氏は、天使で小悪魔だった。
一人一人ちょっとずつ喋る時間があって、いい加減肝を据えたわたしはそこで生意気なことを言ってしまった……それはここでは割愛。
あとこれは時効だと思うので言っていいかな、Luzって、安岡氏が大切にしていた存在のことなのでは?
いや、いまも安岡氏の心の中に在り続けている、か。


安岡優
Luz
https://www.shazam.com/track/293276538?referrer=share


黒沢氏のソロライヴも楽しかった。
そういえばこの時のドレスコードが青だった記憶。
今後黒沢氏ソロの何かで青いものを身に着ける人達だらけ、ということはなさそうなので、そういう意味でも貴重(敢えて他のメンバーカラーの色を指定してもいいけど)。
ソロライヴの見せ方も手慣れているというか『自分がどんな風に見られているか』をちゃんと把握しているからこそできるステージなのだと思った。


黒沢薫
LOVE LIFE
https://www.shazam.com/track/112076436?referrer=share


いま思えば、2人とも、このときどれくらいのことを知らされていたんだろう………。
何も知らないわたしは純粋に楽しんでいた。


そんなときに飛び込んできた、あの一報……


北山氏、療養。


わたしはあまりにもショックなことが起きると、心のバランスを取るためになぜか笑ってしまうらしい。
気付いたら、笑っていた。
いや、顔が引き攣っていただけだったのかもしれない。
「いやいや……なんかの冗談でしょ?」
と。

冗談などではなかった。

その何日か後にFNS歌謡祭にグループとして出演した際、リアルタイムで観ていたはずだったのに、何を歌ったのかの記憶がない。
確か、歌う前に司会の方(軽部さんだったような)がその『三文字の病名』を口にしたから、あとは何も頭に入ってこなかった。

無事に終わったんだというし、良い方なら大丈夫だというし、とはいえ場所が場所だし、流石にわたしの周りにそんなことになった人はいなかったから、全くもってなにもわからなかった。

でも、わたしが泣いていてはいけない、と思った。
所謂きたやまにあの皆さんはもっと泣きたいだろうし、北山氏のお身内の皆様……特に奥様はもっともっと。
ここから何年か経ったあるとき、とある番組で奥様がぽろっと当時の壮絶な覚悟のようなものが垣間見える一言をこぼしていて、表に見える部分ではそんなもの全く見せなかったけれど、心の中では……
いや、わたしがいくら想像してもその心の内を表しきることは不可能だと思うので、言葉にするのをやめておく。
例えばの話だが、わたしが奥様の立場だったらきっと堪えられなかったと思う。そんな状況でも光を見つけ出そうとすることのできるあのかたが奥様で、本当に本当によかったと思っている。

そして恐らく、メンバーも……
彼等も決して口には出さなかったけれど、それぞれ思っていたことはあっただろう。
つい最近(2024年)安岡氏がラジオでその時の率直な気持ちを語っていたが、わたしにはここにその気持ちを載せる勇気がないのでやめておく。
そして彼等は、しばらく4人で活動を続けることになる……


ゴスペラーズ
金色の翼
https://www.shazam.com/track/40169999?referrer=share



次回へつづく。
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2012-2013の記憶 with The Gospellers

2024-11-20 23:38:24 | 雑記とか
11/20分?


ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日(+30日)に上げていくかんじで。

ただの自分語りですがそれでもよければどぞ。
(需要があるとは思えないので日付は目安)



2012年


年またぎで行われていたツアー"ハモリズム"、年が明けた公演にも参加していた。今年こそ良い年にするぞ、という願いが込められていた。


北山氏のソロライブにも赴いた。
このとき大きな勘違いをしていたのだが(今年2月に行った時の記事を読めばわかる、かもしれない?)、それでもそれなりに楽しく過ごせた。
そういえばこのときもReMEMBERを歌っていた。
わたしは切ない曲の方が好みなので、キャンドルフラワーの音源化も待っている。ついでに……いや、これは覚えていれば後ほど。


SOUL POWER SUMMITで披露された新曲が心底最高だった。


ゴスペラーズ
ギリギリSHOUT!!
https://www.shazam.com/track/155116500?referrer=share


など、思い出はさまざまあるが、特筆すべきなのは9月にあったファンの集い in Cairnsだ。
ここに記事はあるが、改めて当時の反省。

順序があべこべだが、この時のライヴ……というより"DINNER PARTY"について。
このとき初披露のシングル曲も、実際に歌っているのを目の当たりにして一瞬で好きになった。


ゴスペラーズ
STEP!
https://www.shazam.com/track/71502409?referrer=share


ライヴ中は、楽しい時間だった。
Cairnsだからこそできたこともあって、それぞれ良い体験だった。ちょっとした心残りはあって、生きているうちに再訪しなくては、と思ってはいるが。

しかしわたしには、特大の心残りがあった。
それは他でもない写真撮影のとき。

先に、その前置きの話。
写真撮影は到着したその日のうちに行われたのだが、なぜか飛行機が苦手になってしまったわたしは離陸時に具合が悪くなり(日本人クルーの方がいて助かった、お礼の手紙でも書けばよかった)、着陸時には機体が揺れすぎて「5人に会うために飛行機に乗ったのにそのせいで5人に会う前に命を落とさなくちゃいけないの?!」と思った。でもそこまでパニックになっているようにも思えなかった。飛行機に乗り慣れている人たちはあれも慣れっこなのだろうか……。
結果的には無事に着陸できたが、ますます飛行機への苦手意識は高まってしまった。
思えばそれ以降、飛行機には乗っていない。
乗る機会もないし乗りたいとも思わない。

そして着陸後、どこからともなく聞こえてきた
「写真撮影も最後の方は流れ作業みたいだったよね〜笑笑」
という誰かの声が耳に残っていたのだった。
そんな呪いのような言葉、気に留めなければよかったのに。

そんな状況から写真撮影に向かったのである。
しかも慣れない夜中のフライトで寝不足。
海外集いに慣れているであろう人たちは、あらゆる面で余裕そうだった。そんな人たちからしたら自分なんてただのモブ(ライヴ中もモブだけど)。
生来わたしは引っ込み思案で、5人がうまいこと客席側を盛り上げてくれるからライヴ中は楽しく振る舞えるけれど、本来は隅っこでじめっと目立たず生きているのだ。
そんな人間が5人の前に立つ資格など、そもそもあっただろうか。
迷いに迷いながらも申し込みしたのは自分なのに、そんなところから戸惑っていた。

そうこうしているうちに自分のグループの順番がきた。待たされた廊下ではなぜか冷房がこれでもかという勢いで効いていて、せっかく心を奮い立たせても、大理石の上のチョコレートのようにそのすぐ端から凝固していくようだった。

そして目に入った5人の姿。
なぜか
「向こうは5人だけどこっちは1人だな……
5対1って敵うわけないじゃん!」
と思ってしまっていた。

思えば自分の中で、5人の存在というものが果てしなく大きくて。
自分の心を解放できる場所に居ることができるのは、彼等のおかげなわけで。
途轍もなく大きな存在の5人の前でどうしたらいいのか、わからなくなってしまっていた。
別に『私はマニの中のマニなんだから丁重に扱ってよね』みたいなことを言いにきた訳ではない。
報われない時からずっと支え続けてきた訳でもない。
何の取り柄もない。
そんな自分が5人の前に行っても、5人は嬉しくなんかないだろうに。
そんなことを思ってしまっていた。

そんなわたしの目の前に、最初にやってきたのは北山氏。
握手をした瞬間、自分の手の冷たさが北山氏に伝わっていってしまうのを感じて申し訳なく思った。
ちなみに北山氏の握手は力強かったと記憶している。(後に続く安岡氏、村上氏、黒沢氏はソフトな握手だった)
昔とある英語教師のかたが「欧米人の握手は強いもの。弱く握ると失礼になるから強く握り返しなさい」と言っていたのを思い出したので、北山氏もそういうことなのだろうと思って強く握り返そうと思ったのに、力が入らなかった。

また、この場に来るまでに他の人たちと喋ったとき「握手のときメンバーと目を合わせなさい!じゃなきゃ来た意味ないんだから!」というようなことを言う人もいたなと思って顔を見るが、緊張しすぎて何も考えられない。
一応目は合っていたと思うが、焦点ってどこだっけ?状態。
これならステージ上から見てくれている方がよほど緊張しない(緊張することはするけれど)。
やはりわたしはこんな場に相応しくない人間なのだ、と思った。

そして最後に現れた酒井氏が、ペンダントを持っているのが視界に入った。
その瞬間、空港で聞こえた呪いの言葉を思い出してしまい、早く終わらせたいのだろうと思ったわたしは目を合わせることも忘れて頭を下げた。
安岡氏から「写真撮るよー」というような意味のことを(具体的に何と言われたのかはっきりと記憶にない)言われるまで頭を下げたままだったと思う……このあたり、頭がぼんやりしてあまり覚えていない。
たぶん相当困惑しただろう。
そのまま写真撮影になったが、そこでも失礼極まりなかった。
そして酒井氏とは握手をしそびれたことに後から気付いて落ち込んだ。

本当は、東北を想ってくれてありがとうだとか、ゴスペラーズのことがずっと大好きなのだとかいうことを5人に向かって伝えたかったのに、言えなかった。

もっとちゃんと周りが見えていたなら。
わたしはこうしたいんだ、と、ちゃんと主張できていたなら。

タラレバなんて意味がないことはわかっているにも関わらず、それももうあといつ行けるかわからないというのに、やり直したい、とばかり思っていた。

Cairnsにまで行っておきながら、ここまで心残りばかりだったのはわたしくらいなものなのだろう、きっと。
このとき残したはずのものは、いま手元に見当たらない。


でもその固まっていた後悔は、ほどなくして解れた。

11月、ハイタッチ会があった。

公開リハーサルも見ることができたし、こっちの方が一瞬で終わってそこまで緊張しなかったし、5人全員とハイタッチできたし、正直自分の性に合っていた。
なにより、5人と対峙するとき彼等の曲が流れていた。
緊張しても彼等の曲がそこにあれば緊張に勝てるのではないかと思っていたが、正解だった。
これがあるとわかっていれば、Cairnsに行く必要はなかったのではないか……
とも思ったが、Cairnsに行ったことそのものは大切な思い出なのも確かだ。



2013年


アルバム『STEP FOR FIVE』を引っ提げて行われた坂ツアー"FOR FIVE"。
そこで披露されたこの曲で、改めて彼等の想いが伝わってきた。


ゴスペラーズ
BRIDGE
https://www.shazam.com/track/53942756?referrer=share


この歌詞の端々に、彼等の想いが込められている。
「また」という言葉を複数回使っている。「なんどもなんども」という言葉も。
だから「また次がある」と思わせてくれる。

彼等は積極的に全国のさまざまな場所へ来てくれて、そしてこれからも未踏の地へ赴こうとしてくれる。
恐らく彼等は、彼等の曲を愛してくれる人すべてに会いに行こうとしてくれている。それも一度行けばもうノルマ達成、ではなく、行ける限り二度三度……と。
「こんなところにも来てくれるんだ」
と思わせてくれる。また来ようとしてくれる、そしてそれも嘘じゃないんだ、と。
(来ようとしてくれているアーティストは他にも多数いるのだとは思うが)
他の都市に興行を持っていかれがちな地方在住だから、その気持ちが嬉しい。
3.11のような、いや、そこまでいかずとも、例えばこの国のどこかに困難が訪れたら、そこへ心を寄せてくれるグループなのだ。
好きになったのが本当に素敵な人達で掛け値無しに嬉しい、と思った。



しかしその後、転職したらえらい目に遭った。
同年のツアー"ハモ騒動"のことを思い出そうとするとその記憶もくっついてきてしまうので、ここでは言及を避けておく。





一応、次回へつづく。
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