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PURPLE DOT(別館)

超個人的備忘ログです。
不定期更新、記憶曖昧、自分にしかわからない記述多々。
ただの参考記録です、ご寛恕ください。

2010-2011の記憶 with The Gospellers

2024-11-15 23:23:26 | 雑記とか
11/15分?


ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日(+30日)に上げていくかんじで。

ただの自分語りですがそれでもよければどぞ。
(というより需要なさそうだし日にちは目安です)



2010年

この年もやはり、前の数年同様あまり記憶がない。
能天気に過ごしていたのだろう、いま思えば。

この年といえばこの曲、だろうか。


ゴスペラーズ
いろは2010
https://www.shazam.com/track/114000345?referrer=share


その存在を知って以来、JAZZもいいなと密かに思っていて聴いている時期もちょっとだけあったのでこの取り合わせは非常に嬉しかった。

年末からスタートするのが恒例のようになってきたツアー、この時も全都道府県ではなく行く所が限られてはいたものの馳せ参じることにした。

坂ツアー"ハモリ倶楽部 響"。
5人がホストクラブ……ではないけれど、お客さんの歌にハモってくれるお店。
そのシチュエーションだけでも憧れた。
本当にそんなお店が存在したら、一体いくら払わなくてはならないのかわからないほどだが。





2011年

昨年末にも観に行った"ハモリ倶楽部 響"。
2月にも観て楽しい時間を過ごした。
プライベートでも楽しいことがいろいろあって、これからも楽しく過ごしていくんだろうなと思っていた。
しかしそのすぐ後にとんでもないことが起きるだなんて、この時は想像すらしていなかった。



3月のことは思い出せるけれど、ここにその時の思い出のようなものを書きたくはない。
なくしたものが大きすぎるから。
ちなみにわたしはそのときのことを「3.11」と表記するのだが、その理由は困難が起きたのは地震だけではないから。
というのもあるし「しんさい」という言葉をあまり口にしたくないから。
しかしながら、3月11日に生まれた人達にはなんの罪もない。
むしろその日に生まれた人達には、自分達のお誕生日はそれはそれでちゃんと祝ってほしいと思う。
わたしも自分の誕生日が突然「誰かにとっての忘れられない日」になってしまったし、今年からは元日だって「あの日」になったのだから。



書けることといえば……
6月にあったファンの集い。
仙台だけ無料にするとのお達しがあった。
楽しい時間を過ごしていたが、終盤。
メンバーからそれぞれの想いを言葉にしてくれた。
村上氏の言葉をここに再掲する。
「僕達と僕達の歌は、皆さんと共に寄り添っています。」
このとき最後に披露したのがこの曲。


ゴスペラーズ
Full of Love
https://www.shazam.com/track/40528394?referrer=share


このときの5人の歌声。
心そのものを届けてくれているようで、5人とも「ちゃんと寄り添ってるからね」と歌で伝えてくれているようで。
うまく言い表しきれないが、それまでの中で一番泣きそうになった。
でも、ここにはきっと自分よりつらい人達がいる。だからわたしが泣いてしまってはいけない。
そう思って泣かないように、せめて目から涙を零さないようにと必死だった。
だから、終盤は溜まった涙で視界が滲んだ。


その前後、SOUL POWERでチャリティーソングをリリースした。

SOUL POWER ALLSTARS
WE GOT SOUL POWER
https://www.shazam.com/track/281832607?referrer=share


しかしわたしは、SOUL POWER SUMMITの5人の出番のときに歌ったこちらに感銘を受けた。


ゴスペラーズ
Lean on me
https://www.shazam.com/track/46900908?referrer=share


このときは他のミュージシャンも交えて歌っていたが、やはり彼等の心をそのまま伝えてくれるものだった。
この曲でなりきりをしてくれたのも嬉しかった。


そしてゴスペラーズとしても、チャリティーの曲を発表したのだった。


ゴスペラーズ
BRIDGE
https://www.shazam.com/track/53942756?referrer=share


そして最新アルバムと同タイトルのツアー
ハモリズム
が始まる。
開幕して1曲目がこれだった。


ゴスペラーズ
NEVER STOP
https://www.shazam.com/track/53546941?referrer=share


何があっても歌い続ける。
5月のリリースだったが、この曲がこのタイミングで出たのも何かの縁なのかもしれない。
思えば、彼等が「何があっても歌い続ける」のは、どこかに彼等の歌を待っている人がいるからなのだろう。
このときのセットリストにはBRIDGEは勿論、前述のLean on meも入っていた。
Lean on meはやはりなりきりがあった。
「ともに ともに You can lean on me これからずっと」
SOUL POWER SUMMITの際は英語だったけれど、ツアーでは「ともに」という言葉を加えて。

わたしが言葉にしようとしても的確に表現できているとは思えないが、ゴスペラーズの5人は本当に本当に東北を想ってくれている。
彼等の言葉で、態度で、歌で、その気持ちが本物なのだと伝わってくる。
本当に素敵な人達。
そんな人達を好きになれて本当によかった。
とんでもないことが起きた年ではあったが、それを改めて実感できたことは、よかったのかもしれない。



うまいこと締まらないが、次回へつづく。
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ちょっとひとこと

2024-11-11 18:18:33 | 雑記とか
まだ11/10分上げてないけど()取り急ぎ。

ビルクラ音源リリース決定。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。



詳細

https://www.gospellers.tv/news/detail/11010


めでてえめでてえ。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。

てかその2曲なんだwってかんじではあるけど。
とにかく待ってましたよ。
誰得って言われたら全わたしが得してますって言い切る(?)
ほんっとに自分でも意味がわからないくらい泣いちゃったもんなビルクラ。それだけ良かったんすよ。
ゴスの(って付けないとね、HBBのもあるから)GBB……というかビッグバンドアレンジも嬉しいけど、わたしはもうほんとまじでビルクラ全通したくて仕方なかったから……。゚(゚´ω`゚)゚。

そんなかんじです。

(なお誰もビルクラとかいう略し方はしていない模様)
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2008-2009の記憶 with The Gospellers

2024-11-10 23:11:11 | 雑記とか
11/10?分


ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日(と30日)に上げていくかんじで。
と思ったけど需要なさそうなので日付は目安で(?)

ただの自分語りですがそれでもよければどぞ。

(この数年間なぜかあんまり記憶がないので手短)



2008年

この年といえば、坂ツアー"ハモリ倶楽部"。
アルバムを引っ提げているという訳ではなかったからか公演数が気持ち少なめだったが、自分が行ったのも一回だけだったのが勿体ないと思うほど良いライヴだったと思う。

折角だからそのとき特に印象に残った曲を羅列しておこう。


ゴスペラーズ
LOSER
https://www.shazam.com/track/40404599?referrer=share

ゴスペラーズ
Reflections
https://www.shazam.com/track/40404724?referrer=share


北山氏がマイク関係なしに絶叫していて度肝抜かれたのもこのときだったっけ。「北山氏がそういうことするんだ」って。

そしてこのツアーといえば、この曲の登場。


ゴスペラーズ
1, 2, 3 for 5
https://www.shazam.com/track/47694709?referrer=share


一筋の軌跡に続いて、初めて聴いたのがライヴ、の曲だった。
「とにかく『ワントゥスリーフォーファイブ』と言いまくる歌」
という印象、でもSOUL POWER SUMMITを経験したことでステージの魅せ方が更に磨かれたと感じる振り付け。

そういえば詳しく言及していなかったが、SOUL POWER SUMMITは本当に楽しかった。
soul musicで好き勝手に楽しめる、しかもどのミュージシャンも芸達者。
鈴木雅之御大を筆頭に、これこそがentertainmentだといわんばかりのステージング。
バンドがずっと同じメンバーで務めているので視覚的に途切れる感じがなく、フェスのような形式ではあるけれど一続きのライヴを観ているようでもあり、心地良いワクワク感に満ち溢れていた。
やる方は大変だったと思うが。

ゴスペラッツも大好きだった。
色気もあるけど品もある、大人の遊び。
この年はつのだ☆ひろ御大や木梨憲武御大も出演されていて、個人的にとても嬉しかった。

このイベントだけのプログラムなんだもんな、他ではやらずに終わっちゃうんだもんな、勿体無いなあ、自分が東京に住んでいたら、毎年毎回行くのになあ……と思っていた。

そしてこの時も、5人と共演したアーティストの方にばかり愛想良く振る舞ってしまい、5人に対してはむしろドライになってしまっていた。
どのアーティストにも敬意を払いたいという気持ちが強すぎてつい……
所謂推しかた?応援のしかた?みたいなものは(周りが困るものでなければ)基本人それぞれでいいとは思うが、わたしは「ゴスが目当てで来てるんだから、それ以外興味ないもん!」というような態度は絶対に取りたくなかった。
それはステージ側の人達に見えるし、何もかも5人だけでステージが完結できる訳がないから。
5人がホストの一組になっているイベントなのだから尚のこと。
彼等自身が敬意を払っているアーティストたちへ、わたしも敬意を払いたかった。
それ以前に、どのアーティストも素直に素敵だと思えたから。
だからといって、5人への態度がドライになってはいけなかったのに。



2009年

この年も、苗場に行った。
引き続き1, 2, 3 for 5で沸いていた。
スタンドマイクが出てくるだけで客席が沸くのがちょっとだけ可笑しかったけれど、それだけ盛り上がるのは確かだった。


15周年で、春夏と秋冬に分けてツアー。

春夏ではアンコール3曲中2曲目を日替わりにしていたはず(アンコールに3曲もやっていたのも今となっては驚きだけれど)。

印象に残ったのは、なりきりだろうか。


ゴスペラーズ
The Longest Time
https://www.shazam.com/track/155427325?referrer=share


酒井氏が「longestのstをちゃんと発音しなきゃだめだ」というのでみんなで「st」を強調しながら歌ったのが楽しかった。


それと、こちら。


ゴスペラーズ
ウイスキーが、お好きでしょ
https://www.shazam.com/track/66091642?referrer=share


わたしはやっぱりゴスペラーズのアカペラが好き。
改めてそう思わせてくれる一曲だった。


いつからだろう、わたしも歌いたいと思ったのは。
以前からカラオケで5人の曲を歌ってはいたものの、それだけではなく、やはりちゃんとハモりたい。
そして5人が作った素晴らしい楽曲や5人の歌うアカペラの素晴らしさ等々を後世にも伝えていきたい……
そう思って、いつだかも忘れてしまったが合唱団のようなところに入ろうとしたことがあったが、合わなくてやめたのだった。
早々にダメ出しされたから。
もともと自分に本当に自信がないので、来たばかりなのに強めの口調でダメ出しされて「ここにいてはいけないんだろうな」と思ってしまい、足を運べなくなった。
いま思えば単に入る団体を間違えただけだったのだが、すっかり自信を喪失してその後何もできなかった。


秋冬は近隣の一箇所しか行けなかった。
年末年始の掻き入れどきの土日に休むとか有り得ない系の職場だったのでアリーナ公演を泣く泣く断念したが、そこにラブマ様が現れたと聞いて心底落ち込んだ。
この時の"4代目"ラブマ様は今でもファンの間で人気のようだが、自分が目の当たりにできなかったという理由で自分には全く思い入れがない。

自分の父親はみんなが笑っていると不機嫌になる人間だけれど、その性格はきっちり自分にも受け継がれてしまっていたのだった。

このときは仕事だったから仕方がないと思いつつも、その後発売された円盤は1回しか観なかった。



ひとまず次回へつづく。
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2006-2007の記憶 with The Gospellers

2024-11-05 23:00:25 | 雑記とか
11/5?up分

ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日(と30日も)に上げていくかんじで。(あくまでも目安)

ただの自分語りですがそれでもよければ。


(あんまり書くことなくなってきたかも)



2006年

この年といえば、まずはなんといっても初めての苗場。
ファンサイトさんを巡ると「苗場は特別」「苗場マジック」といったような言葉が目についた。開演時間も夜遅く、コンサートが終わってもお楽しみがあるし……とのこと。
前提として失礼ながら、わたしはバブルの頃の苗場スキー場をよく知らなかった。
スキー場自体は赴いた事があったものの、地元からほど近いところはさほど大きな施設でもなく、スキー場でコンサートとはどういう事なのか、いまひとつピンときていなかった。
しかもチケットだけを取るよりもツアーで申し込むのがベター、らしい。そこでツアーを申し込んだら当選した。
後日送られてきたパンフレットを見てもやはりピンときていなかったが、当日実際に着いてみて、想像以上の規模に驚いた。
スノーリゾートとはこのことか、と。
プリンスホテルだけで6号館まである客室。
駐車場も広々としていて、端から端まで移動するのも大変そう。
迷子になってしまいそうなほど広大なゲレンデ。
リフトも沢山ある。ゴンドラも。
しかし最盛期はこのリフトに行列ができるほどスキーヤーでごった返していたというから驚きだ。

このときは当日夜と翌日朝の食事付きプランにしていたので、夕食もホテル内のレストランで。
それもそれで本格的なディナーだった。惜しむらくは、初めての苗場で緊張していたのと時間に余裕がなかったのとで少しばかり食べきれなかったこと。
食い意地は張っているはずなのに、たまに食べられなくなる。この頃は胸がいっぱいになってしまって、食事しなくても平気な時もあった気がする。
ちなみに、時間に余裕がなかった理由は、当時何をするにも並ばなくてはいけなかったから。
妹尾武さんのピアノコンサートのチケットを手に入れる、オリジナルのグッズを買う、入場する(当時は整理番号順だった)……
純粋にスキーやスノボをするために来たお客さんたちから「なんだろうこの人たち」みたいな目で見られたのはちょっと恥ずかしかったけれど、開演前の緊張感でそんな感情は一瞬で吹き飛んでいた。

そんないっぱいいっぱいになっている状態で始まった苗場公演。
歌が始まった途端、感極まってしまった。


ゴスペラーズ
五つの鍵の伝説
https://www.shazam.com/track/114635947?referrer=share


確かに苗場は特別だった。
ファンの間で噂される『苗場マジック』とはチケットに記載された座席よりステージを身近に感じられる、ということだったらしいのだが、わたしはこの特別な空間こそが『苗場マジック』なんだと思って咽び泣いた。
それだけにとどまらず、この日は全国ツアーで欠かすことのなかった「ひとり」や「永遠に」「星屑の街」を封印していた。敢えて普段あまりやらない曲をやるよ、と言わんばかりに。
彼等が自分達の持ち歌ひとつひとつを大切にしているのだろうなと思って、嬉しかった。

そして、熱気溢れる中で披露されたのがこの曲。


ゴスペラーズ
一筋の軌跡
https://www.shazam.com/track/44243203?referrer=share


それまでも、新曲をライヴで披露するということは何度かあったと聞く。
自分が参加したのは4公演中3公演目だったので、既に耳にした人もこの中にはいただろう。
しかしやはり「初めて聴く曲を目の前で披露してくれる」こと。それだけで嬉しかった。
だが、それだけではなかった。
曲の途中で、客席に歌うよう促される。初めて聴く曲なのに、なんとかついていける。
一緒に歌っていいんだ。
そのことが、この上なく嬉しかった。

最初に行った坂ツアー"号泣"での『愛の歌』で行われたなりきり(らしきもの)を、厳密に『なりきり』だとは言われなかった気がする。
その時は苗場の時より無我夢中だったこともあって、感慨もそこまで深くなかったのかもしれない。
でもこのとき確かに感じたのが
わたしの歌を、受け入れてくれるんだ。
わたしを、受け入れてくれるんだ。
という気持ち。
大好きな人達に受け入れてもらえる。
ならば、その心にますます応えなくては。
そう思った。

そんなわけで、自分が密かに守ろうとしていた【一つのツアーにつき一回だけの参加】という決まりを破り、年を跨いで行われるツアー“セルゲイ”に複数回行くことを早々に決めてしまった。

勢いで日本武道館に行き、そのあとまた勢いで苗場に行ってしまったから、自分の中で箍が外れてしまったのだと思う。

この年は、他にも色々と足を運んだ。
書きたいだけ書くと終わらないのでそれぞれ手短に。

黒沢氏のソロライヴ
そういえば"号泣"の時もだけれど、お洒落してきてというので自分なりに張り切って行った。
この時ばかりは、「黒沢氏とのデート」なのだと思い込んでいた。

Date FM新曲プロモーション
村北安の3人で。ほぼ1日立ちっぱなしだった(道端を占拠してよかったのだろうかとも思わなくもない)けれど、意外と目にすることの少ない「歌の出番がない状態で音楽を聴いているメンバー」の姿を見ることができたのは貴重な経験だった。

SOUL POWER SUMMIT
当時の乗換案内を駆使して本当にギリギリに着いた。
それなのに買ったはずの白手袋をつける前にどこかに落としてしまって、心底悔しい思いをしてしまった。
そして……これは割と重大な気付きだからちゃんと書く。
なぜか、5人が他のアーティストと共演すると共演したアーティストの方にばかり愛想良く振る舞ってしまうのだった。
「自分がファンになっているアーティストにしか興味がない」みたいな態度を取るのは避けたかったから。結果、逆に5人に対してはドライな人間になってしまった。

ファンの集い
そういえば集いは初めてだった。
その場で曲が出来上がる、という企画がこれまた嬉しかった。作る方は大変だったと思うが。

NHKのラジオ公開生放送
ライヴのステージより近い距離で浴びる村上氏の歌。
もともと強くないのに度数の高いカクテルを次々と飲まされているようで、その辺で行き倒れになるのではないかと思うほどだった。

行き過ぎたような気もするが、それぞれ楽しかった。

そして実は、年末すでに"セルゲイ"に参加していた。
それに関しては、翌年分で記そうと思う。


2007年

前述の通り、やはりこの年の思い出といえば“セルゲイ”になるだろう。

なぜ"セルゲイ"なのか、というと、ざっくり言えば某スポーツ選手にあやかって“その上、また上"を目指していこう、という姿勢を表したい、ということだったはず。
2006年のことではあるけれど、そのツアータイトルを決める話し合いの様子を、文字だけではあるがファンクラブ会員も垣間見る事ができたのが個人的に嬉しかった。

ツアーに参加した自分は、有り体に言えば『身勝手』だった。
2005年に自分の中で勝手に決めた『周りに流されず自分がこうだと感じたように動く』を貫いたつもりだった。
側から見たらただ悪目立ちしたい奴にしか見えなかったかもしれないが。
その中でも特に身勝手に振る舞っていた自覚があるのはこの曲。


ゴスペラーズ
The Ruler
https://www.shazam.com/track/46900914?referrer=share


ちょっとうまいこと説明できないが、楽曲そのものの世界観に浸りながらもわたしは一人身勝手に振る舞っていた。半分くらい意識を吹き飛ばしながら。
いまこれを聴いたらどうなるのか、自分でもわからないほど。



……しかし、ここから3年くらいはちょっとプライベートでいろいろあってあまり記憶がない。
次回も本当に短めになる見込み。



(追記、村上氏が結婚を発表したのは"セルゲイ"の後だったと記憶している。
だからプリズナーみたいな曲を作ったのか、と思った。

ゴスペラーズ
Prisoner of love
https://www.shazam.com/track/46900919?referrer=share

※宇多田ヒカルさんが同じタイトルの曲をリリースしたけれど別な曲です)

一応、次回へつづく。
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2004-2005の記憶 with The Gospellers

2024-10-30 23:06:02 | 雑記とか
11/5分?いや10/30があったじゃん……


ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日に上げていくかんじで。
と思っていたけど30日もあったねと思ったけどいろいろあってズレてるから目安ってことで(?)

ただの自分語り、しかも既にここで出ている話ばかりになる可能性が大きいですがそれでもよければどぞ。



2004年

とうとう完全に5人にのめりこんでしまったわたし。

ちょうどFeel'n soulで「初の全都道府県ツアーやるよ〜!」と言っていたので、これはわたしが行くしかないと思ってファンクラブにも入会した。

そういえば当時の会員証、いつだか忘れたけど何かの雑誌に『個性的なファンクラブ会員証』みたいなページがあってそれで見たんだ。運転免許証をモチーフに作られていて「合わせ技一本!」とか書いてあるのが確かに面白かった。何年前に見たのか忘れたけれど。
それが手元にきて「これがそうなんだ」と嬉しくもあり、「顔写真を貼ってください」の記述に「ずっと同じ顔写真を貼っておくの?」とちょっと戸惑いもあり。

とにかく当時の自分としては【一つのツアーにつき1回の"讃歌"】をモットーにしよう、と思っていた。
そう、ライヴに参加することを『"讃歌"する』と"ゴスマニ"の皆さんが呼んでいることは既に知っていた。ファンサイトを巡ってどこからか身に付いた知識だった。
【一度もライヴに"讃歌"したことのない自分はまだ『ゴスペラーズのファン』だなんて自称してはいけない】
と思い込んでいた。

ゴスペラーズ坂ツアー2004 "号泣"。
全59本の全国ツアーのうち1/59。
無事チケットを手にして赴いた会場で、わたしはやっと彼等に『出会った』。
一対一で対面したわけではないが、ここは『出会った』と言わせてほしい。
埼玉スタジアムで目にしてはいたものの、遠目だったし聴いたのも君が代だけだったので尚更そう思った。

正直な話、始まってすぐは目の前にいる人達が本当に本物のゴスペラーズなんだということに対する実感が湧かなかった。
緊張していたこともあり、実は先にセットリストを調べていたが、それでも舞い上がりまくっていた。

この日個人的に特筆すべき曲のひとつだと思ったのが、『讃歌』。


ゴスペラーズ
讃歌(Live)
https://www.shazam.com/track/114015689?referrer=share
(諸事情により貼るのはこちら)


度肝を抜かれるとはまさにあのことだった。
『アカペラ街』は未見だった。CD音源しか知らなかった。
だからこの曲の冒頭の「まるで祈るように」のくだりを初めて聴いた瞬間、心の底から驚いた。

そのとき、不思議な感覚に襲われた。
客席側は誰も声を発していないはずなのに「すごい」と思っているのが伝わってきたから。
わたしの感覚が変と言われればそれまでだし、実際にこんな感覚になったのは今のところこの時だけなので説得力も何もないが、この時の不思議な感覚が何なのか知りたくて、また彼等のライヴに行きたい、と思った。

ともかく、『わたしが初めて生で聴いた"ゴスペラーズの持ち歌"としてのアカペラ』は『讃歌』になった。

なったからこそ、実際に本物の讃歌を耳にしたときの物凄い体験が途轍もなく気高く思えて、その言葉を動詞として使うのは失礼だと思った。
なので今後も使うつもりはない。
使わないことを強いるつもりもないけど。

もうひとつ特筆すべきなのは、永遠に。
これも事前に知ってしまっていたが、マイクオフで歌うのだ、とのこと。
そしてその瞬間がやってきた。


ゴスペラーズ
永遠に -unplugged live version-
https://www.shazam.com/track/40735322?referrer=share


目の前で繰り広げられることは紛れもなく本物で、5人の声が空気だけを介して自分自身に届くという体験。
それを目の前の一人一人に届けようとする彼等の気概。
自分にとって初めての彼等のライヴの、最後の最後にこんなことをやられてしまったからには、それまで以上に好きにならずにはいられなかった。



2005年

メジャーデビュー10周年記念。
本当の記念日は2004年だが、記念ツアーをやるので来てね、その中には日本武道館公演もあるよ、というお知らせがあったので、やはりそれも行きたいな、と思ってチケットを応募したら運良く取れたので日本武道館へ赴いた。

武道館へ行くのは初めてだった。
この時は360°、バックスタンドも客席になっていたので、自分の反対側からも飛んでくる拍手、手拍子、そして歓声に自分も奮い立たされ、両手が痛くなるほど夢中で拍手や手拍子を続けた。
特に驚いたのがこの2曲。


ゴスペラーズ
LOVE MACHINE
https://www.shazam.com/track/113140837?referrer=share


ゴスペラーズ
FIVE KEYS
https://www.shazam.com/track/114015687?referrer=share


その日は興奮して全く寝付けなかった。
そんなことも、自分の中では生まれて初めてだった。
副産物?として、ラブマ様にも惚れてしまった。
正体を隠して暗躍するヒーローって必殺仕事人みたいでかっこいいって思ってしまったから、かもしれない。

そこから彼等は数ヶ月にわたるお休み期間に入る……
とはいえ全員完全オフということではなく、ソロ活動を始めた人、インプットに勤しんだ人、本当に完全オフにした人などそれぞれのようだった。
その中で安岡氏が結婚を発表したのはびっくりしたけれど。

酒井氏か誰かが「この機会にみんなもいろいろ世界を広げてみるといいよ」という意味合いの事を何かで言っていたような気がするのは記憶違いだろうか。
レギュラーラジオは引き続きやっていたので(ただメンバー1人1ヶ月ずつ交代だったかな)そちらがあったからか寂しくなかったし、むしろそれまでを取り戻す勢いで関連書籍を読んだりファンサイトを巡ったりした。

5人が再結集して、年末の会津若松公演。
橋ツアーの今のスタイルに近いコンセプトだったんだと思う。
坂ツアーでは行かないような街へ赴く、という方針だったから。

またまた緊張していた自分だったけれど、ある曲でその緊張から解き放たれた。


久保田利伸
Dance If You Want It
https://www.shazam.com/track/112281559?referrer=share
(諸事情により御本家のもの)


みんなが手拍子してるから、とかじゃなくて、自分の心の赴くままに体動かせばいいじゃん、と言われているようで、それならその通りにさせてもらおうと思って、それ以降好き勝手にさせてもらった。
勿論、周りの人達が嫌な気持ちになっては元も子もないので、その辺りは気遣っていたつもりだったが至っていなかったらごめんなさい……

終演後、放心状態になっていたので全く気付かなかったが、このときなぜかお見送りしていいよ的なアナウンスが流れていたのか、その時の同行者が「早く行こうよ」とわたしを外へ連れ出した。
するとかなりの人集り。

わたしはライヴ中のことだけで胸がいっぱいになっていたので、舞台を降りて私服になった彼等のことはむしろ見てはいけないと思っていた。
季節は12月である。わたしは寒空の下で立っていたら具合が悪くなった、ということにして隠れた。

他人から見たら「なんて勿体無い」と思われるのかもしれない。
でも素晴らしいステージだと思ったらそれはその場で"返す"べきで(でも感想のお手紙を後から出す等はいいと思うよ)、そのために来たのであって、そのことに自分なりの全力を尽くしたからそれで充分だと思ったし、こういったことをメンバー全員が喜ぶのか、喜ばない人が1人でもいたらそれはその人にとって嫌な思い出になるのではないか、と思ったから。
アナウンスしていたくらいだから全員よかったのかもしれないけれど、個人的にはそんな感じ。
周りに流されることなく、自分がちゃんとこうだと思ったことを貫こう、と。

……で、これからもそういうスタンスでいようと密かに心に誓っていた。



次回へつづく。はず。
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