なんくるないさぁ~だんな と わたし と SLE と

  12歳SLE発症。ループス腎炎Ⅳ型。
早発閉経で妊活強制終了。子なし人生の幸せ模索中。

高校編

1980年01月07日 | 膠原病とともに
★1995年~97年・高校1年生~3年生★

高校生になってからは学校生活はほんとに平和でした。

病状はというと相変わらずパルス療法を月1程度続けていました。
 
悪くはならないが良くもならずといった感じです。
・・・そこで、免疫抑制剤の服用もしました。

イムランにはじまり、メトトレキセートを6錠まで飲みました。
高校生活はこの免疫抑制剤のために抵抗力が弱くなったせいか、
風邪などの感染症との闘いだったような気がします(=)

ほんとによく熱を出しては救急センターへ行き、
2~3日入院なんてことが何回もありました。

高校1年生の夏休み、2回目の腎生検をすることになります。 

検査のとき、腎臓の組織を「パチンッ」と採る音と感触とその反動が腰にひびいて、病室に戻ったあとも、なんともいえなく悶えてました。
2回目とはいえ、やっぱり痛かったです・・・。
 
腎生検の結果はハッキリと覚えてないのですが

 「左腎の1/3はよい状態ではなく、
 その悪いうちの1/2は完全にダメ」

 みたいなことを説明されました。

そして今までの治療の効果と今後の方針について
シクロスャ潟?/span>(強めの免疫抑制剤?)は不適だということでした。

これらの結果が喜んでいいものなのか、よくわからなかったです。

その後はとにかくパルスネブライザー吸入の繰り返しでした。
朝早く学校へ行く前に採血だけして学校へ。
検査結果は親が聞きに病院へ行き、薬をもらう。
模試を受けたそのあとすぐにパルス、
パルスを受けた翌日にはすぐ登校など、
相変わらずハードに学校生活を送っていました。
 
そして何よりも辛かったのは免疫抑制剤の副作用、脱毛です!
若さ花ざかりの乙女なのに、脱毛は辛かったです・・・・・。
つむじ部分と前髪の分け目が、無残にスカスカ。
仕方ないので私は黒マジックで塗って、
なんとか目立たないように学校に通ってました。
今考えると頭皮に悪すぎですよね。

でも塗っている姿を母親に見られ、止められました。
両親は不憫に思ったのか、某有名アー○ネー○ャーで
部分用のカツラをつくってくれました。
これが結構いいもので、ン~十万したとかしないとか・・・(――)

でも結局、そのカツラは脱毛がとまるまでの
1年半くらいしか付けてないんですよね。親の無償の愛を感じます。
今もそのカツラは綺麗に箱に入れてとってあります。

卒業式には再び答辞の文章を考えました。
式当日は卒業生代表として答辞を読む大役を任されました。
 
無事卒業でき大学にも推薦入学が決まり、
高校生活は友人にも先生にも恵まれ淡々とした学生生活でしたが、
それなりに楽しかったです。

ただ、もっと恋愛とか部活とか高校生だからこそできる
青春をしたかったかな・・・と今でも少し思います(^^;)

 高校を卒業したあとの春休み、
 初めて意識を失って唐黷ワした。
 お風呂場のドアから出たときにクラッときたのですが、
 ちょうどそのときにお風呂場の側にあるトイレから
 父親が出てきたところで、唐黷骼рxえてくれたため、
 唐黷ト頭を打ったりなどの外傷はありませんでした。
 運がいいんだか悪いんだか・・・。