なんくるないさぁ~だんな と わたし と SLE と

  12歳SLE発症。ループス腎炎Ⅳ型。
早発閉経で妊活強制終了。子なし人生の幸せ模索中。

中学校編~追憶~

1980年01月06日 | 膠原病とともに
忘れられない出来事

中学時代も病状が安定しないため
修学旅行には行くことができませんでした。

私が行く高校は修学旅行がない学校だったので
私は「修学旅行」を知りません。

みんなが旅行から帰ってきて国語の授業で
「修学旅行の思い出」を書く時間がありました。

 行ってもないコトをどう書けと?・・・・とは思いましたが
 私はクラスの誰よりも早く一番に書き上げて皆を驚かせました。

 あの時、何を書いたのかは覚えてませんが、
 とにかく早く終わらせてしまいたい!という思いでイッパイでした。


★    ★    ★

 中学生活で忘れられない出来事があります。
 
 1年生の頃。クラスの中でちょっと目立った男の子のグループがいました。私の友達がそのグループの中の1人を好きで、ちょっと話をしたりすればひやかしたりして遊んでいました。

 その男の子のグループが放課後、
 私たちのことを話しているのを聞きました。 

 「あのデブのせいで前が見えないわけよ(笑)」
 「アレよぉ~でぇ~じ(スゴク)顔が汚い~。
  顔洗ってないんじゃないかぁ?」

 私が当時いつも一緒にいた友達はみんなスリムな体形。
 その会話の中で「アレ」は私のことだと思われました。

 「顔の肌荒れも太ってるのも薬のせいなのに・・・
  ‘汚い'って・・・お前らにそんなこと言われる筋合いは無い!」
  そう思って落ちこまないようにしていました。 
 
 しかし、数日後のことです。
 机に置いてあった学生手帳の写真部分が
 明らかに故意に何かで傷付けられていました。

 犯人は見当がつきます。
 悲しいを通りこして涙も出ませんでした。


★    ★    ★ 
 
 母は少しでも病気を悪化させるものを遠ざけようとしました。
 SLEにとって悪いと言われている日光です。
 発病当時から登下校の際、母が車で送り迎えしてくれました。
 中学生に上がっても、私の病状は悪いままで安定していたので、
 車での登下校は続きました。

 でも、やはり登下校の邪魔になると思ったので、学校の門から少し離れたところから乗るようにしていました。先生方も承知でした。しかし、それは意外なところから私たちに苦痛を与えました。

 学校区の地区だよりか何かで

 「親が車で登下校を送迎するという過保護者がいる。
  その子は友達が暑い日差しの下を帰るなか、
  自分はクーラーの効いた車の窓から手を振って・・・」

 というような投稿文でした。

 他に車で送迎している生徒なんて見たことないし、
 「あぁ~私のことだ」と思いました。

 母は
 「他人の言うことなんか気にしなくていい。
  良くなるまではアンタは自分のことだけ考えてればいいんだよ!
  アンタは誰にも迷惑はかけてないんだから!」
  と言いました。

 時々私は下校の時、母に連絡をせず友達と歩いて帰った時があります。
 でも日光過敏症がある私はすぐに顔が真っ赤になりました。

 いつまで、こういうことが続くんだろう・・・

 そんな思いでいっぱいでした。