忘れられない出来事
中学時代も病状が安定しないため
修学旅行には行くことができませんでした。
私が行く高校は修学旅行がない学校だったので
私は「修学旅行」を知りません。
みんなが旅行から帰ってきて国語の授業で
「修学旅行の思い出」を書く時間がありました。
行ってもないコトをどう書けと?・・・・とは思いましたが
私はクラスの誰よりも早く一番に書き上げて皆を驚かせました。
あの時、何を書いたのかは覚えてませんが、
とにかく早く終わらせてしまいたい!という思いでイッパイでした。
★ ★ ★
中学生活で忘れられない出来事があります。
1年生の頃。クラスの中でちょっと目立った男の子のグループがいました。私の友達がそのグループの中の1人を好きで、ちょっと話をしたりすればひやかしたりして遊んでいました。
その男の子のグループが放課後、
私たちのことを話しているのを聞きました。
「あのデブのせいで前が見えないわけよ(笑)」
「アレよぉ~でぇ~じ(スゴク)顔が汚い~。
顔洗ってないんじゃないかぁ?」
私が当時いつも一緒にいた友達はみんなスリムな体形。
その会話の中で「アレ」は私のことだと思われました。
「顔の肌荒れも太ってるのも薬のせいなのに・・・
‘汚い'って・・・お前らにそんなこと言われる筋合いは無い!」
そう思って落ちこまないようにしていました。
しかし、数日後のことです。
机に置いてあった学生手帳の写真部分が
明らかに故意に何かで傷付けられていました。
犯人は見当がつきます。
悲しいを通りこして涙も出ませんでした。
★ ★ ★
母は少しでも病気を悪化させるものを遠ざけようとしました。
SLEにとって悪いと言われている日光です。
発病当時から登下校の際、母が車で送り迎えしてくれました。
中学生に上がっても、私の病状は悪いままで安定していたので、
車での登下校は続きました。
でも、やはり登下校の邪魔になると思ったので、学校の門から少し離れたところから乗るようにしていました。先生方も承知でした。しかし、それは意外なところから私たちに苦痛を与えました。
学校区の地区だよりか何かで
「親が車で登下校を送迎するという過保護者がいる。
その子は友達が暑い日差しの下を帰るなか、
自分はクーラーの効いた車の窓から手を振って・・・」
というような投稿文でした。
他に車で送迎している生徒なんて見たことないし、
「あぁ~私のことだ」と思いました。
母は
「他人の言うことなんか気にしなくていい。
良くなるまではアンタは自分のことだけ考えてればいいんだよ!
アンタは誰にも迷惑はかけてないんだから!」
と言いました。
時々私は下校の時、母に連絡をせず友達と歩いて帰った時があります。
でも日光過敏症がある私はすぐに顔が真っ赤になりました。
いつまで、こういうことが続くんだろう・・・
そんな思いでいっぱいでした。
中学時代も病状が安定しないため
修学旅行には行くことができませんでした。
私が行く高校は修学旅行がない学校だったので
私は「修学旅行」を知りません。
みんなが旅行から帰ってきて国語の授業で
「修学旅行の思い出」を書く時間がありました。
行ってもないコトをどう書けと?・・・・とは思いましたが
私はクラスの誰よりも早く一番に書き上げて皆を驚かせました。
あの時、何を書いたのかは覚えてませんが、
とにかく早く終わらせてしまいたい!という思いでイッパイでした。
★ ★ ★
中学生活で忘れられない出来事があります。
1年生の頃。クラスの中でちょっと目立った男の子のグループがいました。私の友達がそのグループの中の1人を好きで、ちょっと話をしたりすればひやかしたりして遊んでいました。
その男の子のグループが放課後、
私たちのことを話しているのを聞きました。
「あのデブのせいで前が見えないわけよ(笑)」
「アレよぉ~でぇ~じ(スゴク)顔が汚い~。
顔洗ってないんじゃないかぁ?」
私が当時いつも一緒にいた友達はみんなスリムな体形。
その会話の中で「アレ」は私のことだと思われました。
「顔の肌荒れも太ってるのも薬のせいなのに・・・
‘汚い'って・・・お前らにそんなこと言われる筋合いは無い!」
そう思って落ちこまないようにしていました。
しかし、数日後のことです。
机に置いてあった学生手帳の写真部分が
明らかに故意に何かで傷付けられていました。
犯人は見当がつきます。
悲しいを通りこして涙も出ませんでした。
★ ★ ★
母は少しでも病気を悪化させるものを遠ざけようとしました。
SLEにとって悪いと言われている日光です。
発病当時から登下校の際、母が車で送り迎えしてくれました。
中学生に上がっても、私の病状は悪いままで安定していたので、
車での登下校は続きました。
でも、やはり登下校の邪魔になると思ったので、学校の門から少し離れたところから乗るようにしていました。先生方も承知でした。しかし、それは意外なところから私たちに苦痛を与えました。
学校区の地区だよりか何かで
「親が車で登下校を送迎するという過保護者がいる。
その子は友達が暑い日差しの下を帰るなか、
自分はクーラーの効いた車の窓から手を振って・・・」
というような投稿文でした。
他に車で送迎している生徒なんて見たことないし、
「あぁ~私のことだ」と思いました。
母は
「他人の言うことなんか気にしなくていい。
良くなるまではアンタは自分のことだけ考えてればいいんだよ!
アンタは誰にも迷惑はかけてないんだから!」
と言いました。
時々私は下校の時、母に連絡をせず友達と歩いて帰った時があります。
でも日光過敏症がある私はすぐに顔が真っ赤になりました。
いつまで、こういうことが続くんだろう・・・
そんな思いでいっぱいでした。