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キース・レルフ

2023-07-05 22:23:10 | vocal

キース・レルフ William Keith Relf

 【パート】
   ヴォーカル、マウスハープ、ギター、ベース

 【生没年月日】
   1943年3月22日~1976年5月12日(33歳没)

 【出身】
   イングランド サリー州リッチモンド

 【経歴】
   ヤードバーズ/Mustard(1962~1968)
   トゥゲザー/Together(1968)
   ルネッサンス/Cressida(1969~1970)
   メディシン・ヘッド/Medicine Head(1971~1972)
   アルマゲドン/Armageddon(1974~1975)



 キース・レルフはヤードバーズのオリジナル・メンバー、およびヴォーカリストである。ブルース・ハープの使い手としても評価が高い。
 ルネッサンスのヴォーカリスト、ジェーン・レルフは実妹である。


 キース・レルフは、1943年3月22日にサリー州リッチモンドで生まれた。父ウィリアム・アーサー・パーシー・レルフは建設業者、母メアリー・エルシー・レルフは専業主婦である。
 キースは1956年の夏頃からヴォーカリスト、ギタリスト、そしてハーモニカ奏者として演奏活動を始めた。
 キングストン・アート・カレッジに進んでからは、ポール・サミュエル=スミス(bass)らとともに「メトロポリス・ブルース・カルテット」を結成している。
 当時キングストン・アート・カレッジの学生の溜まり場となっていたパブで、メトロポリス・ブルース・カルテットは、アンソニー・トップハム(guitar)、クリス・ドレヤ(bass)、ジム・マッカーティ(drums)が組んでいたR&Bバンドと知り合う。このふたつのバンドが合流して1963年に結成されたのが「ヤードバーズ」である。
 結成当初、ヤードバーズはロンドンのリッチモンドにあるナイトクラブ「クロウダディ・クラブ」に出演していた。このクラブはローリング・ストーンズがデビューした当時出演していた店だった。クロウダディ・クラブのオーナーであるジョルジオ・ゴメルスキーはヤードバーズのプロデューサー兼マネージャーとなり、彼らをストーンズに代わるクラブの看板バンドに抜擢した。
 1963年秋、アンソニー・トップハムに代わってエリック・クラプトン(guitar)が加わり、コロンビアと契約を交わして、デビュー・シングル「I Wish You Would」をリリースした。


 キースのアイドルにも匹敵するルックスとクラプトンのギターはヤードバーズの看板となり、間もなく彼らは人気バンドとなる。
 1965年にはシングル「フォー・ユア・ラヴ」が全英3位、全米6位の大ヒットを記録。続いてリリースしたシングル「ハートせつなく」も全英2位、全米9位とまたも大ヒットした。
 しかしブルース志向のクラプトンはポップ寄りにシフトしてゆくヤードバーズの音楽性と相容れず、それが原因で脱退。その後ジェフ・ベック、ジミー・ペイジが後任のギタリストとして加入し、ヤードバーズの人気バンドとしての地位は揺るがなかった。
 キースは、ソロとしては1966年に2枚のソロ・シングルを発表している。デビュー・ソロ・シングル「ミスター・ゼロ」は、1966年5月に全英シングル・チャートで最高50位を記録した。 
 しかしライヴやツアーの連続でキースは疲れ切ってしまい、次第に音楽活動への意欲を失ってゆく。その結果、1968年7月にジム・マッカーティとともにヤードバーズを脱退するのである。


     


 ヤードバーズ脱退後のキースとジム・マッカーティはフォーク・ロック・デュオ「トゥゲザー」を結成し、同年末にシングル・レコードを1枚リリースする。
 翌69年6月、キースとマッカーティは、ベースにルイス・セナモ(元ザ・ハード)、キーボードにジョン・ホウケン(元ナッシュヴィル・ティーンズ)、そしてヴォーカルにキースの実妹であるジェーン・レルフを加え、フォーク・ロックにクラシックの要素を加味したプログレッシヴ・ロック系の新バンド「ルネッサンス」を結成。
 その年にはファースト・アルバム『ルネッサンス』を発表するが、1970年のセカンド・アルバム制作時にはキースの関心はプロデュース業に移っていたためレコーディング途中でバンドを脱退。それが元でバンドは徐々に勢いを失い、1971年に発表したセカンド・アルバム『幻想のルネッサンス』をもって活動を停止した。


 ルネッサンスを脱退したキースは1970年後半からはプロデューサーとして活動。ジム・マッカーティと組んでサントラ作品「Schizom」を制作したり、フォーク・ロック・バンド「Reign」のために曲を提供したりしている。
 1971年、「メディシン・ヘッド」のセカンド・アルバムとシングルのプロデュースを担当したのをきっかけにベーシストとしてメディシン・ヘッドに加入、1972年まで在籍した。
 1973年にはハンター・マスケットのセカンド・アルバムや、サイケデリック・ロック・バンド「サテュラニア」のアルバムをプロデュースしている。


 ルネッサンス時代のバンドメイトだったルイス・セナモは、ルネッサンス脱退後に「スティームハマー」のメンバーとなっていたが、彼はスティームハマーのバンドメイトだったマーティン・ピュー(guitar)と新バンドを組む計画を持っていた。
 一方キースは1971年冬にスティームハマーの4枚目のアルバム『Speech』に共同プロデューサーとして関わったが、この時にピューとも知己を得ている。1974年にセナモと再会したキースはセナモとピューが温めていた新バンド結成の計画に興味を持ち、彼らと音楽的方向性について話し合った結果、メンバーに加わることとなった。
 イギリスのレコード会社から契約を得られなかった3人は、アメリカに渡る。そしてロサンゼルスのハリウッドにある「レインボー・バー」で元キャプテン・ビヨンドのボビー・コールドウェル(drums)と知り合った。西海岸の名ドラマーであるエインズレー・ダンバーの推薦もあってコールドウェルをメンバーとして加えた彼らはバンドを「アルマゲドン」と名付け、活動を開始する。
 アルマゲドンは1975年にファースト・アルバム『アルマゲドン』を発表。スピード感とプログレッシヴ感覚豊かなハード・ロックを展開し、一部からは高く評価されたがセールスには結びつかず、アルバム1枚を残して解散した。


 アルマゲドンの解散後、キースは妹のジェーンらルネッサンスの元メンバーを中心としてバンドを結成し、原点に回帰した音楽を創ることを計画。そのバンドのリハーサルも始まっていた1976年5月12日、キースは自宅地下室でエレキ・ギターを弾きながら作曲している時に、ギターの接触不良が原因で感電死、リッチモンド墓地に埋葬された。33歳であった。
 キースの死亡日を多くの情報源が5月14日としているが、これは新聞に記事が掲載された日であり、公式の死亡診断書には5月12日にウェスト・ミドルセックス病院で死亡が宣告された旨記録されている。
 なおこの新バンドはキースの死後「イリュージョン」と名付けられて1979年まで活動し、2枚のアルバムを残している。


 キースのヴォーカリストとしての実力に対しては今ひとつ物足りないという評もあるが、彼は生涯を通じて喘息に悩まされており、のちには肺気腫を抱えるまでになった。それがキースの歌唱力に影響を及ぼしていた可能性は否定できない。


 1992年、キースはヤードバーズとともにロックの殿堂入りを果たした。
 なおヤードバーズは1992年に再結成され、2003年には35年ぶりの新作『バードランド』を発表したが、このアルバムに収録されている「An Original Man (A Song For Keith)」はキース・レルフに捧げられたものである。


     



【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)

 <ヤードバーズ>
 ☆1964年 ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ/Five Live Yardbirds
  1965年 フォー・ユア・ラヴ/For Your Love US96位
 ★1966年 ハヴィング・ア・レイヴ・アップ/Having a Rave Up with the Yardbirds US53位
  1966年 ロジャー・ジ・エンジニア/Roger the Engineer UK20位
  1966年 Over Under Sideways Down US52位
  1966年 欲望/Blow-Up ※B面1曲目に収録された「Stroll On」がヤードバーズの演奏
 ★1967年 The Yardbirds Greatest Hits US28位
  1967年 リトル・ゲームズ/Little Games US80位
 ☆1971年 Live Yardbirds Featuring Jimmy Page ※1968年5月録音
☆★1991年 Tardbirds...On Air
☆★2000年 Cumular Limit
☆★2017年 Yardbirds '68

 <ルネッサンス>
  1969年 ルネッサンス/Renaissance UK60位
  1971年 幻想のルネッサンス/Illusion

 <アルマゲドン>
  1975年 アルマゲドン/Armageddon

 <ソロ・シングル>
  1966年 Mr. Zero UK50位
  1966年 Shapes In My Mind
  1989年 Together Now

 <ゲスト参加>
 *スティームハマー
  1972年 Speech


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