リック・グレッチ Ric Grech
【本名】
Richard Roman Grechko
【パート】
ベース、ヴァイオリン、ヴォーカル
【生没年月日】
1946年11月1日~1990年3月17日(43歳没)
【出生地】
フランス ボルドー
【経 歴】
ファリーナス(1965~1967)
ファミリー(1967~1969.4)
ブラインド・フェイス(1969)
ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース(1970.1~1970.5)
トラフィック(1970.8~1971.12)
クリケッツ(1973.7~1974.5)
ジョニー・リヴァース・バンド(1974~1975)
KGB(1975~1976)
スクエア・ダンシング・マシーン(1976~1977)
デニー・レイン・バンド(1983~1984)
フランスのボルドーで生まれ、少年時代をロンドン北東にあるレスターで過ごした。
学校のオーケストラではヴァイオリンを担当し、ローカル・バンドでギターやベースを弾くようになる。
レスターのローカル・バンド「The X-Citers」を経て、1965年にやはりレスターを拠点にした「ファリーナス」にベーシストとして参加。
ファリーナスは1967年にロンドンへ進出、その際グループ名を「ファミリー」と改めた。
1968年にはローリング・ストーンズの傑作アルバム『ベガーズ・バンケット』のレコーディングに参加。
1969年に発表したセカンド・アルバム『エンタテインメント』が好評を得たファミリーはアメリカ・ツアーを行ったが、グレッチはツアー中の4月に、請われてスティーヴ・ウィンウッドやエリック・クラプトンのいた「ブラインド・フェイス」に加入する。スティーヴ・ウィンウッドはファミリーのデビュー・シングルの録音に参加しており、グレッチとウィンウッドは、いわば旧知の間柄だったわけである。
1969年6月7日、ロンドンのハイド・パークで行われたフリー・コンサートがブラインド・フェイスのデビューである。このときの聴衆は実に10万人とも言われている。
同年7月にリリースしたファースト・アルバム『スーパー・ジャイアンツ』は全米・全英ともにチャート1位となり、その後は8月24日のハワイまでアメリカ・ツアーを行った。
鳴り物入りでデビューし、大きな話題となったブラインド・フェイスであったが、ツアー中に生じたメンバー間の音楽的な価値観の相違は修復しがたく、帰国後間もない10月には解散した。
解散後はスティーヴ・ウィンウッドとともにジンジャー・ベイカーのバンド「ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース」の結成に加わる。
エア・フォース脱退後は、ウィンウッドが1970年3月に再結成した「トラフィック」に加入、『ザ・ロウ・スパーク・オブ・ハイヒールド・ボーイズ』と『ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン』の2枚のアルバムに参加している。
しかしグレッチはドラッグの使用という問題を抱えており、このためトラフィックは「グレッチを解雇する以外に選択肢はない」と判断した。
トラフィックから離れたグレッチはセッション・ミュージシャンとして活動するようになり、この時期にはロッド・スチュワート、ロニー・レーン、マディ・ウォーターズ、ビー・ジーズ、グラム・パーソンズらと仕事をしている。
1973年1月13日、レインボウ・シアターで行われたエリック・クラプトンの復活コンサートに、ピート・タウンゼント、ロン・ウッド、スティーヴ・ウィンウッド、ジム・キャパルディらとともに出演し、ベーシストとしてクラプトンをサポートした。
その後は活動拠点をアメリカに移し、クリケッツに加入する。
1975年にはレイ・ケネディ、バリー・ゴールドバーグ、マイク・ブルームフィールド、カーマイン・アピスとともに「スーパー・グループ」として注目された「KGB」結成に参加したが、1976年に発表したファースト・アルバム『KGB』に参加したのみで脱退している。
ドラッグやアルコールによる肝臓疾患を抱えていたため、1977年には音楽活動の第一線から身を引く。
1984年、ジンジャー・ベイカーやダニー・ペイロネル(keyboard 元ヘヴィ・メタル・キッズ、元UFO)らと「BANZAI」を結成。
1990年3月17日、グレッチはアルコール依存症による肝不全のため、少年時代を過ごしたイングランドのレスターで死去。43歳だった。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)
<ソロ>
★1973年 The Last Five Years
<ファミリー>
1968年 ミュージック・イン・ア・ドールズ・ハウス/Music in a Doll's House(UK35位)
1969年 エンタテインメント/Family Entertainment(UK6位)
★1971年 Old Songs New Songs
<ブラインド・フェイス>
1969年 スーパー・ジャイアンツ/Blind Faith(US1位, UK1位)
<ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース>
☆1970年 ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース/Ginger Baker's Air Force(US33位, UK37位)
1970年 ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース 2/Ginger Baker's Air Force 2
<トラフィック>
1971年 ザ・ロウ・スパーク・オブ・ハイヒールド・ボーイズ/The Low Spark of High Heeled Boys(US7位)
☆1971年 ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン/Welcome to the Canteen(US26位)
<クリケッツ>
1973年 Remnants
1974年 Long Way From Lubbock
<KGB>
1976年 KGB(US124位)
<参加アルバム>
1968年 ベガーズ・バンケット/Beggars Banquet(ローリング・ストーンズ:UK3位, US5位)
1969年 Thinking Back(Gordon Jackson)
1970年 The Fence(Harold McNair)
1970年 Hightower(Rosetta Hightower)
1970年 ホーリー・マジック/Holy Magick(グラハム・ボンド)
1972年 The London Muddy Waters Sessions(マディ・ウォーターズ)
1973年 ライフ・イン・ア・ティン・キャン/Life in a Tin Can(ビー・ジーズ:US69位)
1973年 GP(グラム・パーソンズ)
☆1973年 レインボウ・コンサート/Eric Clapton's Rainbow Concert(エリック・クラプトン:UK19位, US18位)
1973年 E.H. in the U.K.(エディー・ハリス)
1974年 London Revisited(マディ・ウォーターズ&ハウリン・ウルフ)
1974年 Men Opening Umbrellas Ahead(Vivian Stanshall)
1974年 Chapman Whitney Streetwalkers(チャップマン・ホイットニー)
1974年 Smiler(ロッド・スチュワート:UK1位, US13位)
1976年 Mahoney's Last Stand(ロン・ウッド&ロニー・レーン)
1976年 Eleven Sides of Baker(ジンジャー・ベイカー)
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