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リック・グレッチ

2022-08-08 20:57:16 | bass

リック・グレッチ Ric Grech


【本名】
  Richard Roman Grechko

【パート】

  ベース、ヴァイオリン、ヴォーカル

【生没年月日】
  1946年11月1日~1990年3月17日(43歳没)

【出生地】
  フランス ボルドー

【経 歴】
  ファリーナス(1965~1967)
  ファミリー(1967~1969.4)
  ブラインド・フェイス(1969)
  ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース(1970.1~1970.5)
  トラフィック(1970.8~1971.12)
  クリケッツ(1973.7~1974.5)
  ジョニー・リヴァース・バンド(1974~1975)
  KGB(1975~1976)
  スクエア・ダンシング・マシーン(1976~1977)
  デニー・レイン・バンド(1983~1984)



 フランスのボルドーで生まれ、少年時代をロンドン北東にあるレスターで過ごした。
 学校のオーケストラではヴァイオリンを担当し、ローカル・バンドでギターやベースを弾くようになる。
 レスターのローカル・バンド「The X-Citers」を経て、1965年にやはりレスターを拠点にした「ファリーナス」にベーシストとして参加。
 ファリーナスは1967年にロンドンへ進出、その際グループ名を「ファミリー」と改めた。
 1968年にはローリング・ストーンズの傑作アルバム『ベガーズ・バンケット』のレコーディングに参加。


 1969年に発表したセカンド・アルバム『エンタテインメント』が好評を得たファミリーはアメリカ・ツアーを行ったが、グレッチはツアー中の4月に、請われてスティーヴ・ウィンウッドやエリック・クラプトンのいた「ブラインド・フェイス」に加入する。スティーヴ・ウィンウッドはファミリーのデビュー・シングルの録音に参加しており、グレッチとウィンウッドは、いわば旧知の間柄だったわけである。
 1969年6月7日、ロンドンのハイド・パークで行われたフリー・コンサートがブラインド・フェイスのデビューである。このときの聴衆は実に10万人とも言われている。
 同年7月にリリースしたファースト・アルバム『スーパー・ジャイアンツ』は全米・全英ともにチャート1位となり、その後は8月24日のハワイまでアメリカ・ツアーを行った。
 鳴り物入りでデビューし、大きな話題となったブラインド・フェイスであったが、ツアー中に生じたメンバー間の音楽的な価値観の相違は修復しがたく、帰国後間もない10月には解散した。


 解散後はスティーヴ・ウィンウッドとともにジンジャー・ベイカーのバンド「ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース」の結成に加わる。
 エア・フォース脱退後は、ウィンウッドが1970年3月に再結成した「トラフィック」に加入、『ザ・ロウ・スパーク・オブ・ハイヒールド・ボーイズ』と『ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン』の2枚のアルバムに参加している。
 しかしグレッチはドラッグの使用という問題を抱えており、このためトラフィックは「グレッチを解雇する以外に選択肢はない」と判断した。



 トラフィックから離れたグレッチはセッション・ミュージシャンとして活動するようになり、この時期にはロッド・スチュワート、ロニー・レーン、マディ・ウォーターズ、ビー・ジーズ、グラム・パーソンズらと仕事をしている。
 1973年1月13日、レインボウ・シアターで行われたエリック・クラプトンの復活コンサートに、ピート・タウンゼント、ロン・ウッド、スティーヴ・ウィンウッド、ジム・キャパルディらとともに出演し、ベーシストとしてクラプトンをサポートした。



 その後は活動拠点をアメリカに移し、クリケッツに加入する。
 1975年にはレイ・ケネディ、バリー・ゴールドバーグ、マイク・ブルームフィールド、カーマイン・アピスとともに「スーパー・グループ」として注目された「KGB」結成に参加したが、1976年に発表したファースト・アルバム『KGB』に参加したのみで脱退している。
 ドラッグやアルコールによる肝臓疾患を抱えていたため、1977年には音楽活動の第一線から身を引く。
 1984年、ジンジャー・ベイカーやダニー・ペイロネル(keyboard 元ヘヴィ・メタル・キッズ、元UFO)らと「BANZAI」を結成。

 
 1990年3月17日、グレッチはアルコール依存症による肝不全のため、少年時代を過ごしたイングランドのレスターで死去。43歳だった。


     


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

<ソロ>

 ★1973年 The Last Five Years

<ファミリー>
  1968年 ミュージック・イン・ア・ドールズ・ハウス/Music in a Doll's House(UK35位)
  1969年 エンタテインメント/Family Entertainment(UK6位)
 ★1971年 Old Songs New Songs
 
<ブラインド・フェイス>

  1969年 スーパー・ジャイアンツ/Blind Faith(US1位, UK1位)

<ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース>
 ☆1970年 ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース/Ginger Baker's Air Force(US33位, UK37位)
  1970年 ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース 2/Ginger Baker's Air Force 2

<トラフィック>
  1971年 ザ・ロウ・スパーク・オブ・ハイヒールド・ボーイズ/The Low Spark of High Heeled Boys(US7位)
 ☆1971年 ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン/Welcome to the Canteen(US26位)

<クリケッツ>
  1973年 Remnants
  1974年 Long Way From Lubbock

<KGB>
  1976年 KGB(US124位)

<参加アルバム>
  1968年 ベガーズ・バンケット/Beggars Banquet(ローリング・ストーンズ:UK3位, US5位)
  1969年 Thinking Back(Gordon Jackson)
  1970年 The Fence(Harold McNair)
  1970年 Hightower(Rosetta Hightower)
  1970年 ホーリー・マジック/Holy Magick(グラハム・ボンド)
  1972年 The London Muddy Waters Sessions(マディ・ウォーターズ)
  1973年 ライフ・イン・ア・ティン・キャン/Life in a Tin Can(ビー・ジーズ:US69位)
  1973年 GP(グラム・パーソンズ)
 ☆1973年 レインボウ・コンサート/Eric Clapton's Rainbow Concert(エリック・クラプトン:UK19位, US18位)
  1973年 E.H. in the U.K.(エディー・ハリス)
  1974年 London Revisited(マディ・ウォーターズ&ハウリン・ウルフ)
  1974年 Men Opening Umbrellas Ahead(Vivian Stanshall)
  1974年 Chapman Whitney Streetwalkers(チャップマン・ホイットニー)
  1974年 Smiler(ロッド・スチュワート:UK1位, US13位)
  1976年 Mahoney's Last Stand(ロン・ウッド&ロニー・レーン)
  1976年 Eleven Sides of Baker(ジンジャー・ベイカー)


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