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 まるちゃんの めざせ!快適シンプルLife

本当の幸せを見つけて・・・
  第2の人生を歩き出した
      まるちゃんの徒然日記
    
 

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いらっしゃいませ! このブログは、まるちゃんのひとりごとを中心に テキトーに、マイペースで更新していきます。好きな読書記録や、菜園日記等もかねてます。一緒に元気になれるブログをめざしたいと思いますが、しょもないことも書いてます。ちなみに、いちおう人気ブログランキングと日本ブログ村に参加してます。遊びに来られたついでに、記事下か左サイドバーのボタンを2つポチ、ポチッとしてくださると嬉しいです。ゆっくり遊んでってくださいね。 あ、コメント・置き手紙・トラバ・ボケ・ツッコミご自由にどうぞ。

お母さん お父さん

2016年04月21日 | 心のおそうじブレイクタイム

小学三年生からお坊さんへの質問

Q5 お母さんがどんなに大切なのですか?

「お母さん」は、この世で替えることの出来ないたった一人の人物です。我々のことを正直に、こころの底から心配してくれる唯一の人です。自分のことよりも子供のことを大事にしてくれる。正直に応援してくれる。励ましてくれる。・・・・・・どんな人にもこの大事な人がいます。誰にでもお母さんが一人いることは、最高に幸福なことです。

なぜお母さんは怒るのか

それはお母さんが自分の大切な仕事だと思ってやっているのです。誤解してはいけません。決してお母さんは子供のことを怒っているわけでも、嫌になっているわけでもないのです。・・・・自分の仕事を一生懸命やっているだけです。

母は自分に命を与えた神さまで、何でも教えてくれる大先生で、苦しいときは一緒にいてくれる第一の友達です。間違いを直してくれる、世の中で恥をかかないで生活できるように指導してくれる先輩でもあります。ですからお母さんがいくら怒っても誰も気にしないのです。母の怒った顔なんかは2,3秒で優しい顔に変わるものです。

しかしお母さんはうるさすぎる・・・

お母さんも普通の人間です。・・・この世で一番難しい仕事をまかされているのです。ですから、すごく心配する。まちがったか、まちがったかといつも独りで悩む。

しかし忘れてはいけません。お母さんも普通の人間です。母も失敗する、間違いもある、誤解もする、疲れる、ストレスもたまる、たまにやってはいけないこともやってしまう。普通の人間だからしょうがないのです。子供はわがままで、お母さんの弱いところは見ようとしないのです。何でも完璧にやってくれると思っているのです。それは無理な話です。

母の失敗や、怒ることなど、気にしない方が正しいのです。母の失敗だったらいつも許してあげることは子供の責任です。完璧な母はいません。・・・・・父親も同じです。

お母さんに逆らうのは悪い?

何でもかんでも母が言う通りにする必要はないのです。母は全てを知っているわけではありません。自分の生き方は自分で決めなくてはなりません。・・・・・母は絶対的に大事ですが、子供は母の奴隷ではない、ということも覚えておきましょう。

お父さんはどこに行ったの?

お父さんもお母さんに負けないほど、子供のことを心配するのです。お父さんの応援がなければ、お母さん一人では子育てはうまくいかないのです。・・・・二人は互いに協力してがんばるのです。

大人にはお母さんがいらないの?

親のありがたさは、自分が死ぬまでつづくものです。どんな大人もこれを忘れてはいけないのです。子供と違って大人は、親に甘えてはいけないのです。大人の仕事は、親の面倒を見ることです。親孝行をすることです。・・・・・たとえ歳をとっても、親は精神的な安らぎを与えてくれるのです。
(「一生役立つ ブッダの育児マニュアル」 アルボムッレ・スマナサーラ長老講義 より抜粋)


これは、親が子に言うことではないですね。これを言ってあげられるのは、第三者。先生、お坊さん。おばちゃん(まみおば)の仕事ですね

親は、自分が間違った時は「間違っちった」と、失敗したときには「失敗した~」と、分からないときは「よく分からないから調べてみるね」と、ごまかさずに正直に言うべきです。偉そうに何でも分かった風を装わないことです。そして、いつも子供のために精一杯、謙虚に努力することですね(説教や押しつけでなく)。親は子供の先生だけど、親友のように付き合えるといいですね。

お父さんもあれこれ言い訳せず、できることをして、お母さんと仲良く協力してやっていかなきゃね
そして、大人として、親を大事にしたいですね。

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「養生訓」 その5 老いを生きる

2016年04月18日 | 心のおそうじブレイクタイム

地震の前に書いてた記事です。
余震が治まって、困っている人のところに救援が早く届きますように
生きとし生けるものが 幸せでありますように

~~~ ~~~ ~~~ ~~~ ~~~

両親に読ませてあげたい。そして自分も心がけたいと思います。

 

今の世、老いて子に養わるる人、わかき時より、かえっていかり多く、慾ふかくなりて、子をせめ、人をとがめて、晩節(ばんせつ)をたもたず、心をみだす人多し。つつしみて、いかりと慾をこらえ、晩節をたもち、物ごとに堪忍ふかく、子の不孝をせめず、つねに楽しみて残年(ざんねん)をおくるべし。是(これ)老後の境界(きょうがい)に相応(あいおう)じてよし。


(後半訳)慎んで、怒りと欲をこらえ、晩節を堅持し、物事に寛容で、子の不孝を責めず、つねに楽しんで残された年月を送るのがよい。これこそが老後の境遇にふさわしい生き方といえよう。

晩節とは晩年の節操。
300年前もそうだったのね。キレる老人っていつの世もいるのですね。仕方がないけど気の毒です。養生訓を読んで、楽しい老後を送ってもらいたいです。

 

老いての後(のち)は、一日を以(もって)十日として日々に楽しむべし。常に日をおしみて、一日もあだにくらすべからず。

世のなかの人のありさま、わが心にかなわずとも、凡人なれば、さこそあらめ、と思いて、わが子弟(してい)をはじめ、人の過悪(かあく)を、なだめ、ゆるして、とがむべからず。いかり、うらむべからず。

又、わが身不幸にして福(さいわい)うすく、人われに対して横逆(おうぎゃく)なるも、うき世のならい、かくこそあらめ、と思い、天命をやすんじて、うれうべからず。つねに楽しみて日を送るべし。

人をうらみ、いかり、身をうれいなげきて、心をくるしめ、楽しまずして、はかなく、年月(としつき)を過(すぎ)なん事、おしむべし。かくおしむべき月日なるを、一日もたのしまずして、むなしく過(すごし)ぬるは、愚かなりと云うべし。

たとい家まどしく、幸いなくして、うえて死ぬとも、死ぬる時までは、楽しみて過ごすべし。貧しきとて、人にむさぼりもとめ、不義にして命をおしむべからず。

これは、老人だけではありませんね。全ての人に言えることです。全ての人は生まれたら死ぬ。いつ死ぬかもしれないのです。ということは、すでにみんな老後であると考えた方がいい。こういう心構えで生きていければ、みんな平穏で平和に暮らせるんじゃないかな。


年老いては、わが心の楽しみの外(ほか)、万端(ばんたん)、心にさしはさむべからず。時にしたがい、自ら楽しむべし。自ら楽しむは世俗の楽しみに非(あら)ず。只、心にもとよりある楽しみを楽しみ、胸中に一物(いちもつ)一事のわずらいなく、天地四時、山川の好景(こうけい)、草木(くさき)の欣栄(きんえい)、是又、楽しむべし。


(訳)年をとったら、自分の心の楽しみのほかは、何事にも心を向けてはいけない。その時々によってみずから楽しむのがよい。

自分で楽しむというのは、世俗の楽しみではない。自分の心の中にもともとある楽しみを楽しみ、胸中に一物一事の煩いもなく、天地と四季、山川の美しい景色、草木の成長の喜び、これらもまたわが楽しみとして楽しむがよい。 

 

歳をとると、何にも楽しみを見いだせなくなる人がいます。心の力が弱くなってるんですね。体と違って、心は老化するものではないのですが、体の老化に影響されてしまうのです。老化(や死ぬの)は”嫌だ”という”怒り”によって、返って心を弱めてしまう。

体は老化しても(養生して)、心だけは元気でいてほしい。両親には楽しく穏やかに暮らしてもらいたいと思います。私も心がけたいです。

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 涙

2016年04月17日 | 心のおそうじブレイクタイム

小学3年生からお坊さんへの質問 その2

Q7 なんで人は泣くんですか?

期待がはずれたら泣きます。希望がかなわなかったら泣きます。あってほしくないことが起きたら泣きます。・・・・簡単に言えば、いやなことがあったら泣くのです。「泣く」というのは、本当は「怒り」です。ですから、泣くことは身体に悪いのです。

「何が起きてもよく泣く人は『優しい人間』だ」と思っているみたいですが、本当は、ただ怒って泣いてるだけです。身体にもこころにも良くないのです。

また別の泣き方もありますね。「感動の涙」です。・・・・これは「うまくいった」という「喜び」です。・・・・笑えるところだったら笑う、笑うだけですまない感動の場合は泣く。・・・・トラブルを乗り越えて成功した時に目に浮かぶ涙は、「泣き」ではなく「喜び」です。それは悪い涙ではありません。感動して泣くときも、身体の働きは笑うときと同じです。

ストレスが溜まって溜まって、こころが固くなっていくと、身体も硬直してしまいます。それでその問題が無事解決すると、ストレスが解放されます。そのときですね、泣くのは。

(「一生役立つ ブッダの育児マニュアル」 アルボムッレ・スマナサーラ長老講義 より抜粋) 


「怒り」で泣くのは、なるべくやめたほうがいい。怒りは生まない方がいいけれど、実際に生まれてしまった怒りを”我慢”したり、”溜め込む”のはよくないと思います。見方考え方を変えるなど、どうにかして、怒りは消した方がいい。涙と一緒に怒りも流してしまうならそれも、ひとつの方法かもしれません。全部流してスッキリしよう。

涙が出てしまうのは仕方がないですね。人間だもの

でも、できれば、感動の涙、喜びの涙を流したいものです。

 

生きとし生けるものが 幸せでありますように

同情してしまって涙を流すこともあるかもしれないけど、一緒になって怒るのではなく、怒りがふくらまないよう収まるように、助けてあげる(言葉や行為で)のが理性的で本当のやさしさではないかと思います。

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苦しいときは・・・

2016年04月16日 | 心のおそうじブレイクタイム

小学3年生の女の子からお坊さんへの質問です。(大人向けに編集&抜粋)

Q6  なんで人は笑うんですか?

色々理由があります。生きるということは楽な仕事ではありません。苦しいものです。もしかすると笑いという行動は、その苦しみを和らげるために脳がやっている特別な行動かもしれません。笑うと、身体によいホルモンが分泌されて、肉体的、精神的疲労を和らげるのです。わざわざ笑わなくても、喜びを感じる時は同じ効果になります。動物は笑わないですが、喜びを感じます。

人間の笑いについて
1.普通だ、常識だと思っているものと違うことが起こると笑ってしまいます。・・・少々『変な』ことをして、わざわざ笑う・・・・強引に笑いをつくるのは人間だけです。

2.期待していたことがその期待どおりに起きたとき、欲しかったものをもらったときにも笑います。・・・・ストレスも苦しみも解けて楽になります。ほおーっとします。そのとき、脳が刺激されて笑うのです。


3.残酷な、冷酷な笑いもあります。・・・・人間が弱い仲間のことを笑うなら、その人の性格は動物以下なのです。


4.素晴らしい立派な笑いもあります。他人が何かで成功したときに、自分のことのように「よかった、よかった」と喜びを感じて微笑みが出てくる。人々の優しさを見て、人が人を助けるのを見て、みなで幸せでいることを見て、なんとなく楽しくなって笑う。それは、人格的に素晴らしい人の笑いです。

人は、なんと言っても笑顔が好きです。人の笑顔を見たら、自分のこころの苦しみも消えます。・・・・自分も楽しいし、人も楽しくなります。

笑いがなければ人は生きていられないのです。

(「一生役立つ ブッダの育児マニュアル」 アルボムッレ・スマナサーラ長老講義 より) 

 

まずは身の安全。そして、
苦しいときほど、笑いましょう。
心の明るさ(平常心)を保って、乗り切りましょう。

 

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「養生訓」その4 楽しく食べる・養生も習慣

2016年04月14日 | 心のおそうじブレイクタイム

完全復活です。
養生訓、いいですね~。もうちょっとメモしとこ

怒りの後(のち)、早く食すべからず。食後、怒るべからず。憂いて食すべからず。食して憂うべからず。

食事は楽しくしましょう、ってことね。「好き・嫌い」は「欲と怒り」だから気をつけなきゃ。でも、無理強いしてはダメ。嫌々食べると栄養にならないし、かえって害になります。楽しく食べられるように工夫しましょう。

 

(およそ)よき事あしき事、皆ならいよりおこる。養生のつつしみ、つとめも亦(また)しかり。つとめ行いておこたらざるも、慾をつつしみこらゆる事も、つとめて習えば、後にはよき事になれて、つねとなり、くるしからず。又つつしまずしてあしき事になれ、習いくせとなりては、つつしみつとめんとすれども、くるしみてこらえがたし。

(訳)だいたい善も悪もすべて習慣からおこる。養生の慎みや努力も同じことである。努力して養生をおこたらないのも、欲を慎み堪えるのも、一生懸命やって習得すると、あとは善いことになれて習慣となり、苦労でなくなる。また、慎まないで悪いことになれて癖になってしまうと、慎み努力しようとしても、苦痛で堪えられなくなる。

よい習慣を身につけるということは、楽に生きるために大事なのですね。当然努力は必要。でもそのうち楽になるのですね。でも嫌々がんばるんじゃなくて、よく理解して楽しく身につけるようにしたいです。実践、実行すべし。

 

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「養生訓」 その3 息を調える

2016年04月12日 | 心のおそうじブレイクタイム

『養生訓』をもうちょっと続けます・・・

【丹田呼吸法】

常の呼吸のいきは、ゆるやかにして、深く丹田(たんでん)に入るべし。急なるべからず。

丹田、、、聞いたことあるぞ~

臍下(せいか)三寸を丹田と云う。腎間(じんかん)の動気ここにあり。・・・・是(これ)人身の命根(めいこん)のある所也。養気の術つねに腰を正しくすえ、真気をを丹田におさめあつめ、呼吸をしづめてあらくせず、事にあたっては、胸中より微気(びき)をしばしば口に吐き出して、胸中に気をあつめずして、丹田に気をあつむべし。如此(かくのごとく)すれば気のぼらず、むねさわがずして身に力あり。

へその下三寸を意識するのね。両方の腎臓のあいだの動気(生命力)はここにある。ここに人のからだの生命の根本があるのですね。了解!

【仰臥式深呼吸】
吸入(すいいる)ところの気、腹中に多くたまりたるとき、口中(こうちゅう)より少しずつしずかに吐き出すべし。あらく早くはき出すべからず。是ふるくけがれたる気をはき出して、新しき清き気を吸入(すいい)る也。新しきとふるきと、かゆる也。

新しい気と古い気を取り換えるのね。

これをする時は、仰向けに寝て、足をのばして目をつむり、手をしっかり握り、両足を15センチほど開き、両肘とからだとの間隔も5寸(15センチくらい?)くらいになるようにするのだそうです。一日に2回、気を安らかにしてするとよいそうです。

 

これ、やってみようっと~

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「養生訓」 その2 心を養う

2016年04月10日 | 心のおそうじブレイクタイム

昨日は、

’自分の身体は両親から授かったもので、天地(大自然のあらゆるもの)が元になっているのだから、大事にしましょう。勝手に一人で生まれたわけではなく、身体があると言うことは有り難いことです。だから大事にしましょう。’

’欲のままに生きてると、身体を壊し命を短くします。愚かなことです。欲を慎み長生きし、人生を長く楽しみましょう。’

’人間の内なる元気は、もともと天地の万物を生む気であり、これが人間の身体の根本である。命は気である。’

’静かにして元気を保ち、よく動いて元気をめぐらす。元気を減らさない、「保つこと、めぐらすこと」が養生です。’

というところを引用しました。もうちょっと紹介しましょう。


養生の術はまず心気を養うべし。心を和(やわらか)にし、気を平らかにし、いかりと慾をおさえ、うれい、思い、をすくなくし、心をくるしめず、気をそこなわず、是(これ)心気を養う要道なり。

 

心は身の主(あるじ)也、しずかにして安からしむべし。身は心のやっこなり、うごかして労せしむべし。心やすくしずかなれば、天君ゆたかに、くるしみなくして楽しむ。身うごきて労すれば、飲食滞らず、血気めぐりて病なし。

心はいつも静かに平穏にして、身体は怠けさせずしっかり動かしましょうということですね。やっこは家来てこと。「心は身の主也」は、お釈迦様の「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくりだされる」という言葉を思い出させます。
心が一番大事だということです。(天君は主人である心)


心は楽しむべし、苦しむべからず。身は労すべし、やすめ過(すご)すべからず。(およそ)わが身を愛し過すべからず。美味をくい過し、芳うんをのみ過し、色をこのみ、身を安逸(あんいつ)にして、おこたり臥(ふ)す事を好む。皆是(みなこれ)、わが身を愛し過す故に、かえってわが身の害となる。又、無病の人、補薬を多く飲んで害となるも、身を愛し過すなり。子を愛し過ごして、子のわざわいとなるが如し。

芳うんはお酒。身体を休めすぎてはいけない、美味しい物食べてゴロゴロ寝てばっかりしちゃダメってこと。栄養剤・活力剤も不足分を補う位にして、ほどほどにしないとね。そして、心は楽しんで、(欲や怒りで)苦しめないようにしましょう。

現代でもぴったり当てはまりますね。

 

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勉強

2016年04月03日 | 心のおそうじブレイクタイム

入学、進学の季節です。
「勉強」について、ブッダの智慧に学びましょう。

 

質問 人はなぜ勉強しなくてはならないのでしょうか。

>勉強しなくてはならないのは、人だけじゃありません。(すべての生命は勉強している)

>・・・身を守って生き続けるために必要なものを身につける」ことが勉強になります。生きるための技術が身について、それで生計を立てられるならば、どんなことを勉強してもいいのです。

>・・・(人間は社会的動物)生き続けるために勉強するより先に、まず、「善い人間になる」ことを勉強する必要があるのです。善い人間とは、他人を助けながら生きていける人間のことです。私たちはこの社会の中で、人間のあいだで、他の生命との関係の中で、みんなに迷惑をかけず、協力し合って、仲良く平和に調和して生きていくための基本を身につけなければならないのです。

>・・・善い人間になることを土台にして、その上で、生計を立てるために必要な技術を身につけることが、勉強なのです。(『ブッダの智慧で答えます』A.スマナサーラ著より)

 

学力学力と言われますが、学力(教科学習)というものは勉強(学び)の一部でしかありません。学校の勉強(坐学)だけが勉強ではないのです。赤ちゃんだって勉強してます。

一番大事なのは、「人としてどう生きるか」という「人間力」(善い性格・ものの見方考え方)だということです。生き延びるためには、数値化される目先の学力よりも、しっかりした「人間力」が必要だと思います。人間力は幸せに生きるためのお守りになります。

個々の学力(技術)は、学ぼうとするやる気・意欲さえあれば(人間力が高まってさえいれば)、いつからでも学べる。…というか生きてる限り学ばないと、変化し続けてる社会に適応していかないと、生きづらくなるし、学ばなければ人間は(本能に負けて)退化しますからね。

広い視野を持つこと、柔軟性を身につけること。専門バカにならないこと。

幸せに生きるため、自立して自由になるため、気楽に生きられるように勉強するのですね。だから、勉強は楽しいのです。一生勉強、です。

 

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自分を守るということ

2016年01月23日 | 心のおそうじブレイクタイム

ネタがない~

こういう時は・・・お釈迦様~

 

  157 もし自分を愛しい者と知るならば、
    自分をよく守るように。
    智慧のある人は、人生の三期のうち、
    一期だけでも自己を修めるものである。

「自分を守る」ということはとても大事な仕事です。問題は自分のことを好きだという人々が、実際には自分を守ろうとしないことです。特に現代人は自分のことしか考えません。「やるべきこと」ではなくて、「やりたいこと」だけを実践して生きようとします。・・・・結局は自分が社会で生きられなくなります。ですから、わがままに生きる人は、自分を守ってないのです。
(自己犠牲やわがままではなく、人の為は自分のため、自分を大事にすることが人のためになる。お互い様の関係ですね。みんなが幸せになる道を歩こう)

>仏教では、まず自分を守るために「みんなにやさしくしなさい」と説きます。「うそをついて人をだますなかれ」と戒めるのも、うそをついて人をだませば自分が守られなくなるからです。・・・「生命を殺すなかれ」という戒めも自分を守るためです。・・・・・敵を殺すことで、どんどん敵の数が増えるのであって、決して自分を守ることにはなりません。
(戒や道徳は自分を守ってくれるお守りなんですね) 

>世の中には「人は死んだら神や仏になる」という考え方があります。・・・・死んだ人が神や仏になるというならば、この世でどんな生き方をしてもよいことになります。これは仏教の教えに矛盾します。・・・・・すべては因果の法則に従って動いています。
(死ぬ瞬間の心で輪廻転生すると考えられてます。よい心ならよい次元に、心次第) 

>他人をだますことも殺すこともやめて、常に思いやりをもって世界の平和を守って生きていく。それこそ自分を守る唯一の道なのです。

>「若いころにばかな生き方で失敗したならば、もう終わったことだからそれは忘れなさい。中年のときにしっかりしなさいということです。中年のときにろくでもない人間だったなら、終わったことはいいから、老年のときにでもしっかりしなさい。自分を守りなさい」とブッダは説かれています。・・・・後悔したり、あきらめたりせず、気づいたときからしっかりすることが大切なのです。   (『原訳「法句経」 一日一悟』A.スマナサーラ長老より)

 

三期とは青年、中年、老年。後悔は不善心なのでしないこと。自分の人生は死ぬ瞬間まであきらめないこと。自己破壊、悪循環を断って、今からよりよく生きよう。ファイッ!

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躾とは理性を教えているのです

2016年01月10日 | 心のおそうじブレイクタイム

今日も「最良の選択」(A.スマナサーラ著)から

 

>人間は感情で動いてしまいやすいからこそ、それをコントロールして自己管理する必要があります。理性がどんどん大きくなっていくと感情は抑えられます。

>理性は、生まれつき持っているものではありません。学ばなければいけないもの、育てるものです。躾とは、理性を教えているのです。

まともな人間になるということは、理性がどの程度、身についているかということです。・・・・学べば学ぶほど、いろいろなものごとを知れば知るほど、理性のレベルは上がっていきます。理性の能力が上がると、感情でする判断が減り、間違いが少なくなります。自分の選択が正解だとなると、そこに喜びが生まれます。・・・・その充実感が、また次の正解を出すこと、次の正しいふるまいをすることにつながります。

 

感情的であること、感情的に何かをするのって、恥ずかしい。理性が育ってない、まともな大人じゃない、躾ができてないということだから。

子どもに理性を教えるのは親や教師などの大人。ところが、理性を教える側の親や教師が理性的でない、感情的では、子どもが理性をきちんと身につけることができません。まず、大人が理性を育てなければいけないですね。

(理性で)「叱る」、と(感情で)「怒る」とは違うと言われます。
”理性”で(慈しみの心で)叱れば、説教はポイント(問題点)をついて短くてわかりやすい。言われた人も納得します。
怒ると、”感情”は増幅してきりがないので、妄想が次々湧いてきて説教は長くなるわ、言葉(言い方)は悪くなるわ、、、。そのうち「あなたのために、あなたのことをこんなに愛してるのに、なんでッ!?」なんて言ったりして、、、逃げ出したくなります^^;

「理性で兵器を作って、感情で平和を願う、てこともある」と言う人もいますが、しっかりした理性がある人は兵器(人殺しの道具)を作りません。人を殺してもいいと考えている人が理性的だと思いますか?^^;理性ではなく、そこには無知(殺される人や生命に対する無関心、自分さえ殺されなければ人を殺してもいいというエゴ)があります。自分(たち)だけのために平和を願うならそれは感情(エゴ)、すべての生命の平和を願うならそれは理性的な慈悲の心です。

まあ、「死にたくない」はすべての生命がもっている本能(煩悩)なのであっても仕方がない。けれど、「殺してもいい」はアブナイ。

怒りのエネルギーで研究をした、て言ってた人がいますが、(一時的にお金や名誉は手に入ることがあるかも知れませんが)客観的に、長く広い目で見るといい結果(人格向上や幸せ)にはならないと思います。怒りの副作用は大きいだろうな。怒りではなくて、本当(正しく)は向上心や強い意志なんでしょうけど。
 

とにかく、「学ぶ=理性を育てる」。学んで、理性を育てたいと思います。今から今から!

「学問のすすめ」、ならぬ「理性のすすめ」です。

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感情はアブナイ

2016年01月09日 | 心のおそうじブレイクタイム

今日はネタがないので、おととい紹介した本「最良の選択」の中から。

 

>感情というのはすべて主観ですから、どんなに明るく前向きに見えても、やっぱり自己中心的なもの、わがままなものなのです。一見ポジティブのように思えても、自分に都合のいい理屈をくっつけて、正しい判断能力を鈍らせます。ですから、感情でする判断はすべて悪なのです。

>感情的であることを、情緒、情感が豊かであると勘違いしている人がいますが、それも違います。・・・感情はなくならないのです。しかし理性のレベルが向上して、何でも理性で判断し行動できるようになると、その感情を自分の利益に結びつけるような発想をしなくなります。感情と行動を切り離すことができるようになるのです。

>ところが、まだ理性がきちんと確立していない人の場合は、判断・行動に自分の感情が操作をしてしまう。だから、感情を大事なものだなどと思ってはいけないのです。感情があるということと、感情で判断をしていいことは違うのです。(P38「ポジティブな感情なんてまやかしだ」)

>政治家とか権力者は、自分たちの都合のいい社会にしていきたいと考えているときに、こういう感情に訴えるやり方で人の心を動かそうとします。感情は人の心を誘導しやすく、洗脳しやすいからです。

>理性が通じない人間というのは、狂った野獣状態です。・・・・ところが人間の場合、狂気に走ると何の理由もなく人を殺します。獣以下になるんです。何がそんなことをさせるのか。憎しみ、怒りの感情です。世界はいまだに感情で動いています。(P40「善悪にも感情が入り込む、だから世界はトラブルが絶えない」)

 

ポジティブな”感情”もネガティブな”感情”もどっちもアブナイ感情に変わりはない。
大事なのは理性。慈悲は理性。
理性で判断すれば、前を向いて現実をよく見て歩くしかない。
理性を身につけよう。

何事も、感情で判断しないように、感情に流されないように気をつけたいと思います。

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落ち着いて、落ち着いて。

2015年12月26日 | 心のおそうじブレイクタイム

  あせって悩む世の中で、
  落ち着きを保って楽しく生きよう。
  あせって悩む人々の中で、
  落ち着いた人間として生きてゆこう。(199)

>人間は自分たちが忙しいということにいろいろな言い訳をしていますが、たいそうな理由はどこにもありません。・・・・・「忙しい」という気持ちは、ものすごい苦しみであり、強烈なストレスです。それは精神的な空白感ー空しさを感じて生きることを意味します。・・・本当は精神的なあせりを「忙しい」という言葉で隠しているだけなのです。

>「あなた方はとても忙しいですね。では何か大事なことでもやっているのですか」 
もちろん、私たちは何もやっていません。それなのに忙しいのはなぜか。五欲を満たすために必死になっているからです。五欲というのは①見るものを探す②聞くものを探す③味わうものを探す④かぐものを探す⑤体で触れるものを探す、というだけのことで、そのために忙しいのです。

>自分が死んだらすべてを手放して、自分も土に戻らないといけない。・・・何になるのかと言えば、何にもなりません。ただ忙しいだけなのです。そうやって限りなく忙しく生きて、極端にストレスをためて、こころの空白感を抱え込んでしまう。すべての生命は、その空白感に悩まされて生きているのです。

>ブッダは「その中にあって、なんの忙しさも感じないで穏やかにいようではないか、満たされた気分でいようではないか」と提案されています。食事をするときは、体を維持するために必要なものだけを食べれば気楽なものです。グルメに生きようとしたら一生、苦しいのです。

>必死になって五欲を追って探し求める必要はどこにもないのです。そのことを理解して、いのちを支えるために必要なものを適当にそろえて生きればいい。五欲を追う忙しさから離れ、落ち着いて、清らかなこころを育てようと励むならば、私たちは初めて「忙しい」という呪縛から逃れることができるのです。(『原訳「法句経ダンマパダ」一日一悟』A.スマナサーラ著より)

 

自分の”欲”を満たすために必死になっているから(不満だから)悩むので、”欲”を満たすことに必死にならなければ(満足すれば)悩むことはない。なぜ悩む。悩む必要が本当にある?無駄に悩んでない?快楽を求めれば求めるほど悩みは増える・・・。

向上心とは心を磨くこと。

落ち着いて、ひとつひとつ。あわてない。

気楽に、気楽に。

 

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すべての生命は病んでいる?

2015年12月25日 | 心のおそうじブレイクタイム

  病気の世の中で、健やかに楽しく生きよう
  病気に悩む人々の中で、
  健康な人間として生きてゆこう。(198)

>人間を含めたすべての生命は病気だということです。仏教で病気という場合は、精神的な病のことであって肉体の病はあまり気にしません。

>精神的な病気とは具体的に何かと言えば、まず第一が「欲」です。・・・第二に「怒り」があります。・・・第三にどうしようもない無知があります。この三つを仏教では「貪瞋痴」(とんじんち)と言っています。

 >たとえば仏教徒の立場から私が、「欲はいけない」と言っても、たちまち「そんなことを言われても困る」と反論されます。「怒ってはいけない」と諭しても、「悪いやつがいるのだから、怒らなかったらもっと調子に乗って大変なことになる」ともっともらしい反論が飛んできます。そこからわかることは、世の中には欲を満たす、怒りをぶつける、という道しかなくて、他の考えは出てこないということです。貪瞋痴の方向にしか頭が働かない。そういう人々を仏教では、「精神の重病で倒れて寝込んでいる人々」と言うのです。
それならば、がんばって立ち直りましょう、健康的になりましょうと言うのが正しい対応ではないでしょうか。

>精神的に弱くて独立心がない人々は、社会にも歴史にもなんら貢献できない。一つの生き方に固執しています。すでに「みんながやっていること」をやろうとするのです。それではまったく社会は発展しません。

>いっさいの生命が精神的な病気で倒れているけれども、自分は病気から立ち直って健康的に生きよう、輪廻という重病から抜け出す道にチャレンジしてみよう、と明るく励むことです。(『原訳「法句経ダンマパダ」一日一悟』A.スマナサーラ著より)

 

「普通の国」になると言っていた誰かのことかと思ったら、輪廻からの解脱の話でした。さすがに、真理ですね。あらゆること、あらゆる生命に当てはまります。

「あなたは病んでいる」と言われると、普通の人は「病んでないよ!失礼な!」て不機嫌になる。でも、不機嫌になる(怒る)ってことが、病んでいる証拠なんですよね。そうだねえ、と理解し笑える人は心が健康。(完全に100%健康な人っていないから)

治せるものなら少しでも病気は治した方がいい。みんなが病気だから私も病気でいい、みんな病気になるんだから私も(わざわざ)病気になりましょう、というのはおかしなことです。病気はしっかり治して、明るく生きていきたいと思います。

さあ、毎日が治療、修行だぜ~。

 

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忙しい人の正体は怠け者?

2015年12月24日 | 心のおそうじブレイクタイム

年末なので、こころの大掃除やってます

 

  以前は怠る者であっても、
  (それに気づき)怠らない人間になるならば、
  その人はあたかも雲を離れた月のように
  世を照らす(172)

>なぜやらないかというと、頭の中であれこれとごちゃごちゃ考えているからです。・・・怠け者は時間をとても無駄に使います。こころがちっとも落ち着いていないから、彼らはいつも「忙しい」と言っているのです。それは生きることに失敗していることを意味します。

>「やることが多すぎて忙しい」と言っても、一日の時間は決まっています。その範囲でやるべきことをやればいいだけの話です。

>何もかもやろうとするのは、ただ智慧がないというだけのことです。何もかもするのではなく、自分の本業をしっかりとやり遂げること。それで他のことができなくなってもかまいません。怠け者に限って、何もかもやりたがるものです。

>「怠ける」と言う言葉の本当の意味は何か。それは「やるべきときに、やることをやらないことだ」(『原訳「法句経ダンマパダ」一日一悟』A.スマナサーラ著より)

 

生きることに失敗…ですか。きびし~
怠けてるから「忙しい」と思うのね。
智慧がないから、妄想が「忙しい」のね。
でも、これから、怠らない人間になればいいのね。
 

今、やるべきことは何・・・? 
妄想してないで、すぐやろう!! 

 

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正しいことを言われると嫌になる

2015年12月23日 | 心のおそうじブレイクタイム

 下劣な生き方をしてはならない。
 怠け者になってはならない。
 邪見に近づいてはならない。
 俗世間(の価値)を肥やす者になってはならない。(167)

>人間のこころを自然に放っておくと、卑しい、汚い、悪いことをしたくなるものです。ただ、そのときどきに生じる気持ちのままに生きようとしても、これは立派な生き方にはならない。逆に恐ろしい人間になってしまいます。・・・・人間の社会では、その恐ろしい気持ちを少しでも抑えようと、親は懸命に子供をしつけます。人間には必ずしつけが必要なのです。

>他人から正しい生き方、安全な生き方を教えられると、私たちはとても嫌な気分になります。どうしても「ぜひやりたい」という気分にはならないのです。・・・・こころはもとから卑しい、汚い、悪いことが好きだからです。人から正しい道、正しい生き方を言われるのは嫌なのです。しかし、その嫌なことにどれだけ忍耐できたかによって、立派な社会人になれるか否かが決まるのです。

>自分がこころの恐ろしい感情にどれだけ克てるのか。そこが人生の勝負です。自分で克てた数だけ、成功した社会人として穏やかに生きていられます。

>恐ろしい感情に満ちたこころを完全に治すには、瞑想をして悟る道しかありません。しかし「悟る」というところまではなかなか期待できませんから、何か自分を守る方法はないのかと、ブッダの教えに耳を傾けてみた方がいいと思います。(『原訳「法句経ダンマパダ」一日一悟』A.スマナサーラ著より)

ブッダの勧める方法
 1.人格的なプライドを持つこと 
  (「自分は決して情けないことはしない、貧乏でもお金の力に屈しない」といった気概をもつ)
 2.怠けないこと
 3.世の中にはびこっているおかしな考え方(邪見)に振り回されない
 4.世の中のどこにでもいるような人間になってはいけない
   (一般人のレベルを乗り越えて、自己を向上させ特別な人間になってしっかり生きること) 


正しいことを言われると”嫌”になるのは、自分の考えの方が正しい(自分を正当化したい)と思いたい(エゴ)からでしょうね。言われたことを冷静に、客観的に、厳密に分析してみるといいですね。なるほどその通りとか、ここはどうもわからないからもう少し説明してもらおうとか、ここは道理に合わないなとか、分析すれば何を言われても嫌にはなりませんよ。(教えてもらって感謝、ですね) 

人間は放っておくと怠けて、すぐに悪くなってしまいますからね。向上心を持ち続けないとね。

ま、精進あるのみ。いつか乗り越えるぞ、いつかね
(と、乗り越えてないワタシは自分を奮い立たせ続けるのである。

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