地球上でもっとも影響を与えた人物というはグレゴリウス13世だと思っていて、僕がそう思ってるので反論は認めないんですが、どうでしょう。
昨日は1stからちょうど1年だったわけで、まぁCDが出たってのはそれなりの変化を伴うわけで、それから1年です。
変化は?
ベースが代わりましたし、2ndが出たしで。
大切な人が亡くなったかもしれません。
大切な人ができたかもしれません。
周りの環境が変わったりして、それは1年前からすると想像もつかないことかもしれません。もちろん良い意味だったり悪い意味だったりするでしょう。
健康だったのに不治の病が見つかったり、不治の病だったのが治ったり。
この1年の間にとてつもない決心をした人もいるかもしれません。
1年が長いか短いか。
ケースバイケースですけど。
西暦や年齢が1つ増えただけで、また去年と同じラインに立っていると、1年というサイクルで生きていると思ってしまうかもしれませんね。
時は無限に直線です。
というのが僕の意見なので反論は認めませんが、どうでしょう。
なので、そうは思ってない人たちの発想から出てきているが輪廻転生ということで。
死後の世界とか死者の気持ちとかそういう発想も含めです。
死んだあとにどうなるか。
時は進むが、死んだ人はそこで終わり。
でもそれは受け入れたくないんです。
終わりというのはイヤだ。率直な感想でしょうね。
しかし、そんなの通り越してなんでもないのです。時は滞りなく進むけど、死者はそこでストップでもうなにも無し。
でも本当にそれだけは認めたくない。死ぬのが怖いんじゃなくて、死んだ後を想像するのが怖いわけ。何も無しになるんだから怖いわけないじゃんとニヒルに開き直ってもそれがどうやっても想像つかないから恐怖の極みでね。
なので死後の世界があるという説を取り入れたほうが日常精神平和に繋がるってこと。
別の角度から検分すると、死後の世界を考えることはもうこの世のものとは思えないほど無駄な行為なわけね。「答えは出てるがその答は実感できない」という答が出てるからもう考える必要ないの。
でも人間の崇高な行為の中に「生きることと無関係なことをする」というものがあって、その最上位にあるものが「死後を考える」というようなことになるというのも事実。
だからこういうときの問題によくあることなんだけど、大切なのは「マジどうでもいいこと」と「最上級に崇高なこと」の二面性を持っているということを理解するってことなのだ。
これを理解しないと自分のことを愚弄されてると思ったり、また相手のやっていることが狂ってることにしか見えなくなったりするの。
この二面性の距離が遠ければ遠いほど誤解も受けやすいし、相手に自分のことを分かってもらうことも難しいわけね。
う~ん、そういうこと。
争いは無くなりません。
あとなんだっけ。
そうそう、理系と文系の分類で、大体の人が文系って答えるとおもうんだけどそれって「理系じゃない人」ってだけで、それただちに文系とはならないで「理系でもなくて、文系でもありません。なにも専門はありません」というのが大半だろうな。大学は早くそのことを気がつかせないと、国力低下しますよ。
想像で述べますが(いや、全部想像なんだけどね)、「理系です」って外国で答えたら返ってくる質問が「なんの研究をしてるのですか?」だと思うし、「文系です」って答えたら返ってくる質問は「なんの研究をしてるのですか?」だと思います。
同列。
理系と文系。
理系じゃないのが文系という括りは卒業するべし。というのがおじさんからの要求ですね(誰に?)
う~ん、なんだっけ?
なんなんだっけ?
昨日は1stからちょうど1年だったわけで、まぁCDが出たってのはそれなりの変化を伴うわけで、それから1年です。
変化は?
ベースが代わりましたし、2ndが出たしで。
大切な人が亡くなったかもしれません。
大切な人ができたかもしれません。
周りの環境が変わったりして、それは1年前からすると想像もつかないことかもしれません。もちろん良い意味だったり悪い意味だったりするでしょう。
健康だったのに不治の病が見つかったり、不治の病だったのが治ったり。
この1年の間にとてつもない決心をした人もいるかもしれません。
1年が長いか短いか。
ケースバイケースですけど。
西暦や年齢が1つ増えただけで、また去年と同じラインに立っていると、1年というサイクルで生きていると思ってしまうかもしれませんね。
時は無限に直線です。
というのが僕の意見なので反論は認めませんが、どうでしょう。
なので、そうは思ってない人たちの発想から出てきているが輪廻転生ということで。
死後の世界とか死者の気持ちとかそういう発想も含めです。
死んだあとにどうなるか。
時は進むが、死んだ人はそこで終わり。
でもそれは受け入れたくないんです。
終わりというのはイヤだ。率直な感想でしょうね。
しかし、そんなの通り越してなんでもないのです。時は滞りなく進むけど、死者はそこでストップでもうなにも無し。
でも本当にそれだけは認めたくない。死ぬのが怖いんじゃなくて、死んだ後を想像するのが怖いわけ。何も無しになるんだから怖いわけないじゃんとニヒルに開き直ってもそれがどうやっても想像つかないから恐怖の極みでね。
なので死後の世界があるという説を取り入れたほうが日常精神平和に繋がるってこと。
別の角度から検分すると、死後の世界を考えることはもうこの世のものとは思えないほど無駄な行為なわけね。「答えは出てるがその答は実感できない」という答が出てるからもう考える必要ないの。
でも人間の崇高な行為の中に「生きることと無関係なことをする」というものがあって、その最上位にあるものが「死後を考える」というようなことになるというのも事実。
だからこういうときの問題によくあることなんだけど、大切なのは「マジどうでもいいこと」と「最上級に崇高なこと」の二面性を持っているということを理解するってことなのだ。
これを理解しないと自分のことを愚弄されてると思ったり、また相手のやっていることが狂ってることにしか見えなくなったりするの。
この二面性の距離が遠ければ遠いほど誤解も受けやすいし、相手に自分のことを分かってもらうことも難しいわけね。
う~ん、そういうこと。
争いは無くなりません。
あとなんだっけ。
そうそう、理系と文系の分類で、大体の人が文系って答えるとおもうんだけどそれって「理系じゃない人」ってだけで、それただちに文系とはならないで「理系でもなくて、文系でもありません。なにも専門はありません」というのが大半だろうな。大学は早くそのことを気がつかせないと、国力低下しますよ。
想像で述べますが(いや、全部想像なんだけどね)、「理系です」って外国で答えたら返ってくる質問が「なんの研究をしてるのですか?」だと思うし、「文系です」って答えたら返ってくる質問は「なんの研究をしてるのですか?」だと思います。
同列。
理系と文系。
理系じゃないのが文系という括りは卒業するべし。というのがおじさんからの要求ですね(誰に?)
う~ん、なんだっけ?
なんなんだっけ?