2019

2019-01-28 | Weblog


もの凄い明けたね!



明きすぎて反対側が閉まるんじゃないかって平成最後の心配しちゃうよ。


こんにちは亥男です。



ということで、確認したわけではないですが、現元号の終焉が近づいてると聞いてます。
(皆さんは得た情報の真偽、信頼度をどこで確認してますか?)




その変わり目に立ち会うのは1回目か2回目かで総人口の99.99%くらいかい



ちなみに昭和から平成のときは6歳くらいでして自意識バリバリ過剰中でしたが、まったくその空気感記憶はございません。


ということはそんな空気は実際にはなかったわけで、テレビやら新聞やらから目や耳に入った情報を元に脳がそういう空気感を脳自身に出したわけです!ドーン!


その脳を持つ人々が相互作用しながら社会の流れを作っていったという構造でしょうか。
(もしくは私の脳があえてその空気感を出さなかったか)



天皇が生きてるうちに終わるから比較的不謹慎ムードも無いわけよ


経済的にも広告的にも打撃がないわけだ。


井上陽水もコントキハ猪木も安心ですよ。


退位後はまぁヒゲの殿下なる人物が召されたときくらいやろ(よりは100倍以上ざわつくでしょうが)。


気にする人は気にするけど気にしない人は気にしない、そして最も大事な"気にしろという圧力が無い(小さい)"はず…



しかしそれでも元号変わることはハッピー寄りにはならないはずだけど、どういうムードでゆくんでしょう。


どちらかというと新元号がミレニアム感で楽しい雰囲気になってきてる気もしますが、まぁ、誰も経験したことない事態ですから、そういうことはいいですよね。
時間は円じゃなく終わりのない繰り返しのない線だぞと思い出しますから。


思い切ってこの機会に元号は廃止、西暦だけにするってのもありだと思います(全然聞かないなそんな話)。



理由はもちろん人々のイメージ認識をある程度正しくするために。


時間に繋ぎ目なんて無いのに区切ると分断、別物のイメージが出来上がるわけで
("時間'という仕組みもそうですよもちろん)



江戸時代なんて人外魔境、いまの人間とは別の生命体が別の価値観で動いていたイメージがあるし(俺にはある)、それは明治時代でもそうですし、大正、昭和、平成とまぁそれぞれあるわけですが、とりあえず江戸と明治の境目が凄いというイメージがあります(俺にはある)。


もっと昔でもいいですよ、645年でも紀元前2000年でも。もちろん去年でも



区切ると断絶が起きちゃう



でも実際(時間)にそんな区切りは無いわけで同じ種類の人間が生き続けての今です。


はい。


区切る必要もあるんですよもちろん。


しかし無いことをあるとしたことによる生じるギャップを忘れちゃうと本質を見失ったりします。


忘れちゃわないように ってこと。
(だから区切ることで忘れられる、別の生命体の話だからと思えて安寧を得る効能もあります。毒と薬は同じもの!)



現実的なことで言うと元号廃止すれば国民と皇室に距離ができていまより粛々と公務をこなしたり、いまよりは平穏な生活ができそうじゃないですか?




いや



そうでもないか。


是が非かのどっちかに熱狂的な人が周りに集まるか発信してるだけで一般的な感性の持ち主は今まで通り特になにも、あっても自己完結すると思いますからね。


なんでもそうですが、アイデンティティの確立のために他人を利用する人(下手したら利用してる自覚がないもっとヤバい人、利用してる人を敬っていてそして自覚がないさらにもっとやばい人)は、その人のアイデンティティに関わってくるので意に反したことに対してのキレ度がハンパないからそういう構造で生きてる人には近付きたくないです。


もちろん"アイデンティティの確立"が"既得権益のために"でも同じです。

ちなみに"既得権益"に"アイデンティティの確立"は内包されます。

難しくなってきたな俺理論!



そうそう、宮内庁御用達とか皇室献上品とか書かかないでと宮内庁が言ったほうがいいですよね〜


でも"宮内庁御用達"を公にするのはもう無いかもね時代的に。

なんでも癒着、口利き、談合、天下りを疑われちゃいますもん。


皇室献上品に関しては献上するのは自由やからな。

梱包して宛名を千代田区云々にして送ればいいんやから。

うん。



皇室献上品と書いたことにより、そこに生まれる力のほうが問題なのよ


これも無しある問題。


別名ブラックタイガー問題とも言いましょうか。


もちろん肩書きってのは実のあるところからスタートするのが当たり前ですが、肩書きがものを言うように徐々になり始めたらもう破滅するまで止められないんです基本的には。


それを繰り返せることが健全な社会としてもいいと思います。


多数が肩書きで判断しても多数が幸せでいれる豊かな社会。



まぁ、ちょっと違う位置からさらに少し離れた場所から言うと


ロックスターの行動→かっこいい

ならば

ロックスターの行動をした自分→かっこいい


も単純に成り立つはずだと考えられる能力だったりもしますその社会で幸せになれる人は。



ぎゃん!






閑話休題
(ってなに?)



元号制をやめて一番現実的なこというと西暦と和暦の換算作業が無くなるということですかね。

まぁ、二つあるということはチェック機能にもなるということですが。


イエス!



さて、4/1 新元号発表、5/1 からスタートらしいですがその間に召されたらどうするんやろ?


俺の着眼点は相変わらず凄いな


って思ったこともありましたが、前倒しすればいいだけだ。



いや、4/1 前だったらどうするんやろ?


やはり先の先(手前の手前?)を読む俺の縛られない思考力は凄いな


とも思いましたが、前倒しすればいいだけや。



倒すには元号が決まってないといけないですが、死亡した次の日から新元号を使い出すのがいままでなら誰かが天皇になった時点で次の候補は決まってるはずですよさすがに。
(決まってなくてもこの中から誰それがこういう方法で選ぶ みたいな。「この中」「誰それ」は変動してもいいですその時の〇〇みたいに)



ふう。




閑話休題
(本題ってなに?)




皇室(王室も?)は問題提起の宝庫であらせられます。
(それを言ったら立法も行政も司法も隣近所もってなりますが、まぁ、一家族とその親戚でこんなにもって話しです)





"生まれながらにして人権を無視していい人間がいる"


なによりこれが前提として成り立ってるそこよ。


「一家族とその周辺だけでこんだけの国家予算を使うな」的なのはどうでもいいです私は。



暦と同じで人権なんてものは"そもそも無い" からこそ「 "あると設定"してそこは不可侵、例外なし」として論理展開をして史上稀に見る平和な時代を迎えてますが、そこと真っ向から対立する制度なわけです。


犯罪、その他共同体で決めたルールを犯したら権利は制限されますが「生まれた瞬間になにもしていないのに」ですからね。


"天皇制の是非"ってそこがまず一番大きいと思うわけです。
(まず というか私が興味があるとすればそこだけです)


ちなみに現在の私の大まかなスタンスは
"いま制度があって内容もそれほど悪いことは無い(私に悪影響がない)からわざわざ非とする必要もない。けどいま制度がない状態だったら別にいらん。しかし『ずっと続いてる一家』というのには毛ほどの価値はないと思うから制度が無い状態から作るのも全然ありではある"です。



ちなみにずっと続いてる一家に毛ほどの価値も感じませんが、毛ほど以下の価値はありまして、それはそういう理由が好きな人が従順になるのだろうなということです。

当たり前ですが"ずっと続いてる一家"に価値を見出すと"実はずっと続いてはいなかった''は受け入れ難いことになりますし(真実であっても)、そこを突いてこられることにもなります。価値観は手枷足枷にもなるわけです。
(だからそこが誰かの飯のタネにもなるのですし、やはり薬にもなる!そしてだからこそアイデンティティを確立している実感にも繋がるんだなこれが)



でさ



でよ



人権を与えていない問題については「大変だなあ、生きる意味とか考えたらキツくなりそうだよなあ、もしそれで悩むなら運命を呪えな。生まれた瞬間にいつかは死ななきゃいけないという理不尽な運命をみんな持っているけど人工的理不尽な運命がさらに一つ多いだけよ。食いっぱぐれがないってことで無理矢理納得してくださいご苦労様でございます」しかないす。



これも事実ギャップを覚悟していないといけないことですがこれの面白い点は本当の本当は"人権なんてそもそも無い"ということですから、捻ったものをもう一回捻って真っ直ぐにはなっているということ


だからたぶん"与えていない"という表現は正しいとはず。




皇室は根幹問題がいっぱい


そりゃそうだ、人権否定してるわけですから


人間宣言したものの、人間を通り越しちゃったんよ


人間になったんじゃなくて法律の条文になっちゃったんです。


神が人を創り(または人の祖)、人が法律を作るわけですから。
(あ、神はいないですよ私の世界にはいまのところ)





生と性と血



男女問題もなかなか分かりやすいように現れてるんじゃないでしょうかね。


私は女系、女性を両方とも否定してもいいと思います、理由があれば。


理由があればいいんですよ。


理由はあるんでしょうけどね。


その理由が各人の理由なだけだから問題が起こるわけですがもちろん。



ただ、実がない理由、なくなった理由、それは"伝統"と呼ばれることも少なくないでしょうが、それを根拠とするなら弱くはなりますよ。


伝統の力は"伝統という力"だけになるわけです実理のない伝統は。


だから別の力で補う必要も出てくるわけ

権力 金力 暴力 etc



ちなみに私は否定する理由、特に思いつかないすね。
(理由なんて思いつこうと思えば余裕ですが)







ところで憲法x条に対しての憲法y条違憲て有り得るんですかね?




う〜ん、気になって夜しか眠れない!





おっぱい




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