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どんぽのばぶさん61~

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『抱っこ』しよう。 安心をつかむのは子ども自身

2016-06-05 22:55:00 | 保育ネタ
不安を感じて泣きます。もしくははっきり不安と思わなくても何となく不安を感じて泣きます。気持ちを落ち着けて、安心できるようにといろいろ手を尽くします。
先ずはその子に向かって『抱っこ(しよう)』といって両腕を広げて迎え入れます。

両腕を広げた時に飛び込んでくる子、躊躇して戸惑っている子、抱っこなんかされたくないと気持ちを閉ざしている子…と実にじつに様々です。
ハグ…抱きしめ、抱きしめの強弱はアナログです。抱いた時のその子の手ごたえがコミュニケーションの土台です。子ども自身が自分から少しでも安心をつかんで気持ちを落ち着けられれば泣き止められるのも間近です。隣近所で泣かずに何かしてあそんでいるお友達を見たり笑い声などが聞こえたりすればなおさらに泣き止められるきっかけの幅は広くなります。

新年度も2か月経過していますから、たまたまその朝、気持ちを閉ざしている子にたいしても抱っこを試みて、強烈に体をのけぞらされない限りは、「そうなの、今朝は抱っこされるのは嫌ですか、そうか、抱っこは嫌なんだ」と囁きつつひととき抱きつづけます。
そしてその子が普段抱っこされたときに経験していないようななるべく高い位置に高さを移動しつつ抱っこします。幼い子、小さな子たちにとっては目線を見上げて自分の周囲の世界と向き合っていますから、高い位置から見下ろせるような抱っこはそれだけでも気持ちを切り替えるような新鮮なきっかけの一つになりはしないだろうかという仮説のもとにと試みています。この時の抱っこの高さもアナログです。
複数担任ですからその子がほかの大人の抱っこを望むようであれば受け渡して交代します。
要はその子が感じ取っている『快・不快』をフォーカスするためのレンジです。ある程度の幅を持たせて泣いているその子自身が「快」を選び取れるような抱っこを探っています。

職場で仕事が控えている親御さんの都合にとっては仕方のないことですが、子供さんをお預かりする保育室の側の立場であれば、抱っこしながら大人の都合で「10数えたら抱っこはおしまいね」などという方法は極力しないようにしています。
抱っこというのはその子自身が感じ取る『満足量』でもあるようです。抱っこしているその子への気持ちをうやむやにせず気持ちを寄せて抱っこし続けますとやがて満足し自分から降りたがります。抱っこされ続けているよりも、好きなあそび、楽しいあそび、面白そうなことを見つけて探索するほうがはるかにワクワクしますものね。


チラ・カッシー・ギャルズ

2016-06-02 01:36:21 | 保育ネタ
一時保育室でのお話です。
満2歳前の子たちの中に、見事におもちゃを散乱してくれる瞬間芸の芸達者たちがいます。
いずれそのような遊び方を皆それぞれのペースで卒業していくのですから、散らかし盛りのその先の彼女たちの育ちの展望に悲観はしないのですが・・・。
それでも、クラスの担当保育者は、その見事な散らかしぶりに時に溜息をついたり、あらかた片付けた保育室の反対側を振り向いた瞬間に腰から力が抜けたりするような光景を目にすることがあります。
私は去年は今とは別の保育室のスタッフをしていましたが、そこでも今のこの保育室でも決まって『ごんべがたねまきゃ、カラスがほじくる…』パフォーマーが毎年います。
○○ちゃん△△ちゃんと□□ちゃんの老舗のメンバーに最近○ちゃんが新規参入しました。
数日前、○ちゃんのちらかしあそびを見ていたら、去年までの私の見え方感じ方と違う感想を持ちました。
ちらかしあそびの『旬』なんだ。この子の生涯の内で今が一番『旬』のちらかしあそびぶりの季節の時期に出合えているわが身の幸せ感を思えば、ため息もワクワク感に換わってきます。なんて新鮮。今年はたまたま女の子ばかり、『チラ・カッシー・ギャルズ』です。
ジィージ保育者はヘラヘラしています。

さて私は何故片づけをするのでしょう。
保育室の床一面に散乱したおもちゃ類の上を子どもたちがまたいでいくというのは、私の好みではありませんし、第一そのおもちゃにけつまづいたり、踏んでスッテンコロリンでは不慮のケガに発展しかねませんから、安全確保のためにも片付けます。
さてさて『安全確保のため』という受け身的な捉え以外の理由も考えてみます。
心置きなく存分に散らかせるように環境を整えてあげるという積極的な理由も成り立ちます。片付け行為にこうした積極的な捉え方も取り込んでいくと溜息や腰砕けも一味変わってきますから不思議です。
『チラ・カッシー・ギャルズ』のパフォーマンス、やるならおやんなさい、受けて立ちましょう。

4月の保育室 「はじめのい~~ぽ・と~んだ!」

2016-04-30 11:21:52 | 保育ネタ
4月も今日で終わります。
今月初日から勤め始めた保育園の中にある一時保育室(昨年4月の開設)で
パートのじいちゃんをしています。子どもたちは1歳から2歳の子どもたちです。
一時保育は、通ってくるお子さんの顔ぶれが毎日変わります。
保育者にとって大変といえば大変ですが、反対に一回一回が真剣勝負ですから、
あるしゅスリリングでもあり、その分独特の醍醐味もあり、
自分自身不断にスキルアップしていけるかという保育センスを磨く道場でもあります。
有り難いことに最近では家庭でお爺ちゃんっ子が昔より多くなっていますので『パートのじいちゃん』の私にとってはその分保育をやりやすいです。既に飛行場は下地ができているのですからあとは飛行機のソフトランディングの心くばりに努めればいいのです。

今年から入室したお子さんも、昨年に引き続きこの保育室に通っているお子さんの中にも、
毎朝泣くお子さんが何人かいます。
『ああ、日本中の保育園&保育室で泣いている子がいるのだろうな・・・』
大好きなお母さんと別れるのだから母恋しと泣く気持ちは痛いほどわかります。
とりあえずは泣かせてあげます。だってなんてったってお母さん大好きなんですもの。

泣く子をあやしつつも心掛けているのは、なるべく長泣きしないで遊びを見つけてほしいと
心に念じつつ一人一人の『泣き』の心情に向かい合います。
何故泣いているのだろうかの理由は『母恋しの悲しみ』で泣いているだけではありません。
ほかの理由として考えられるのは、その子が感じ取っている『不安』『心配』です。
不安を凌いで安心をつかむ過程で、その子が何に興味を魅かれるか、
何が好きで何が好みでないのか、保育士のセンサーは多極的に見取っていきます。
子どもたちは力士の如く、新しい環境という土俵の真ん中で『不安』や『心配』とがっぷり四つに
相撲を取っているのです。保育士は『安心』という軍配を構えて「ハッケヨイノコッタノコッタ」
子どもが遊びだして笑顔が出たら『勝負あったー。安心の勝ち~~』
安心は子供自身が心の内側から自らつかみ取って定着するものですから
大人が子供の心の外側から押し付けても本物には至りません。

子どもさんたちとの間で『安心』を見つけやすくするような「共通言語(共有言語)」や「動作」を作り出していくのはパズルを解いていくときのような醍醐味があります。

『安心』に立ち戻れるためのアイテムの言葉や言葉を伴ったアクションとしては、
背中をトントンしながら『だいじょうぶ(だよ)』と囁いたり、『お昼寝しておやつ食べたらママお迎え来るよ』、おもちゃをはいどうぞと手渡したり、さらにまた、はいどうぞとリプレイの繰り返しを多用します。子どもは繰り返しが大好きです。やりもらいの循環は喜びを活性化します。
子どもから差し出されたら「ありがとう」と一旦受け取って、またそのおもちゃを、『はいどうぞ』と手渡して循環させます。

保育者はなんかかんか用事のたびに保育室の出入り口を日に何度も開け閉めし出入りします。
せっかく安心を見つけかけて遊んでいたものの、ドアの開閉を見るたびに母恋いしを再燃させます。とりわけ部屋を出ていくときには事務的に出て行くのはご法度です。
悲しみを思い出しかけている子供さんからのオーラを背中越しに感じたら、そんなときは手のひらを大きく開いてパーを作りその子の手のひらを受け止め「たっち!」をし、「行ってきます」「すぐ帰るね」と言葉を添えます。タッチをすると子どもの哀しみの根雪は雪解けの陽だまりに換わります。
部屋に戻ってくるときにも事務的にドアは開けません。
必ず「ただいま~」といいます。黙って凝視している子には「『おかえり~』って・・・たぁ~ち!」

「いっ・てき・まーす&いって・らっしゃい」「ただいまー&おかえり」のことばをやりもらいできる人間関係を大切に育んでいきたいです。食事場面では個別への言葉かけの他にテーブルを共にしている仲間全体に対して「たべ・てる・かーい」&「たべ・てる・よー」「おい・しー・かい」&「おい・しー・よ」が育ってほしいものです。会話のひな型は示しますが、押しつけはしません。
コミュニケーションが深まれば『安心』は増大します。

このひと月でかなり泣き声が激減しました。長泣きし続ける子はほとんどいなくなりました。
有り難いことです。毎日出勤するのが楽しい職場です。

さてどこまで伝えられるだろう『よく遊び、よく学べ』を

2015-02-03 06:14:20 | 保育ネタ
あるところで『遊び』についての学習会の講師を依頼されています。
こんなちっぽけな私をご指名してくださるのですから実にありがたいことです。
精一杯役目を果たしたいと思います。その学習会の日まで20日を切りました。
そろそろ中味を整理して心の準備をしておかないとなりません。
自分の経歴や今に至るまでの経緯、今の立ち位置にからげて、自分の思っていること、考えていること、望んでいること、大事にしたいことを伝えるのが役目です。
「私論」を語るのですから、聴き手の側が私の話の中から多少なりとも『正論』の一かけらでも拾い出していただければ幸いというものです。
『伝える』からにはその内容が相手に伝わらなければなりません。その為には『伝わるように伝えること』に心を砕かなくてなはなりません。話すことの骨子を思いつくままにどんどんメモってみてそのメモを俯瞰して全体の構成を考えます。

Aについて語るためには、その前置きや条件としてBやCについて触れておかないとならない。この場合「一般的に捉えられているBやC」と、「私流の捉えのBやC」の共通点と独自の視点との違いを話しておかないとならない…。
もっとも実感しやすい事例として何を選ぼうか、実技講習的に試みよう。
① 手遊び
② お話(自作の創作童話) 
③ 体操…どれを紹介してその中で強調すべき点はどこか?キーワードは?
私は学習会参加者のリアクションを読み取って、さらに何を喚起するか?そのことは即、参加者にとって、子どもたちと向かい合って表現するときに子どもの反応から何を読み取り何を伝えていくかの『保育の心の支柱』となるものに通じるということ。
何かを教えるという行為は、その時どうじに相手から何かを学び取る行為であること。その営みの素晴らしさ。
幼い子どもたちが心身共に育つ場として「まなぶ」・・・「まねっこ」互いにまねっこし合える仲間関係をどうそだて、そしてどうみまもるか?

あれこれ思いを馳せていましたら、どうしたわけだか「『学ぶ(まなぶ)』は『真似ぶ(まねぶ)』からきているんだ・・・」かつて友人Gから聴いたそのワンフレーズがふっと甦りました。なんのきない世間話を飲み屋のカウンターで二人でだべっていた時に交わされた中の一言でした。あれからもう四半世紀の歳月を重ねています。今ごろになって彼の何気ないつぶやきが今回の講演の骨子になるとは、実に感慨深い思いです。
子どもが育つとき「あそび」をテコとして「まなぶはまねぶ」の世界があることを精一杯若い世代に伝えたいと思います。
気がつけばこんなことわざがありました。「よく遊び、よく学べ」

老眼と2歳2か月の「きんちょうしてる?」

2014-10-24 08:33:00 | 保育ネタ
木工作家としての私はこれまで『布』という素材を使っての製作は思いもしませんでしたし、ましてや積極的に布で何かを縫ってみようなんて試みもしないで生きてきました。私にとって今年の最大の発見は『布おもちゃの製作の面白さの発見』です。
きっかけは抱き人形の猫のぬいぐるみの胴体部分の布がすっかり擦れて今にも破けて中味が飛び出しそうでした。見るに見かねて何とかしてあげようと、フェルトで猫のチョッキを立体裁断で作り全体をすっぽり覆うように縫いつけたのがきっかけでした。

バイト先の一時保育室のおもちゃのままごとコーナーには布製の手作り品がいくつかあります。ニンジン5本、トマト2個、ピーマン2個キャベツの葉っぱ3枚、目玉焼き1個です。ままごとの食材にイチゴもあったら楽しいだろうなってふと思いました。
在庫しているフェルト地の残り布でイチゴを6個縫い上げました。その製作過程で中に詰めるパンヤの量の加減を学びました。パンヤはただ詰めればいいという世界ではありませんね。多すぎても少なすぎても按配悪いです。ですから、逆にどのような触感をおもちゃに用意したいかというイメージを明確に整理すればおのずと「程のよい加減」を自由自在に創り出せるというアナログでフレキシブルな世界なのです。これは楽しい。木工などでは得られない創作品の製作です。
子どもたちがお弁当ごっこする時におにぎりもあったらもっと愉快になるなぁとおにぎりを4個作りました。次にピーマンを縫いたくなりました。ピーマンのあの形状を布で形作ってみたいという欲求が高まり3個作りました。茄子を作りたいと思ってフェルトのストッカーの中を探してみましたが、藤色のフェルトはあったのですがあいにく茄子紺色のフェルトの在庫はありませんでした。そこで今キュウリを作っています。
刺繍糸はカラフルですから積極的に使いたいです。ほぐすと6本の細い糸になると気づき、適当な長さに糸を切ってそれを6本にほぐします。

私は61歳ですからそれなりに立派な『老眼』です。絹針の穴に糸を通すことは容易ではありません。糸の先端のキレ加減の良しあしで針の穴への「通り」の難易度が変わることを知りました。さて、糸通しです。老眼です。なかなか簡単に糸を通せません。簡単に糸を通せなさいのですが不思議なほどいらいらしません。なぜって、糸を針に通すのが主目的ではなくて『布を縫合したい』のです。だから、糸が針に通らないことをいらいらするよりも糸が針孔にとおった時の喜びや達成感の方がはるかに大きいのです。「通った! さあ、縫えるぞ」至福の極みです。

子どもが活動している時には裁縫はできませんから、お昼寝タイムの間が唯一の製作時間です。一人二人目覚めてきてもあらかたのほかの子どもが午睡中であればもうちょっと縫合作業を続けます。この考え方やり方には賛否両論分かれるところです。子供の行動は予測できないし、針などは危ない道具です、だから作業は中止すべきという考え方。その一方、私は、おもちゃの製作や修理のプロセスは子供たちに積極的に見せたいという考え方です。この過程を見聞きすることで子供たちのおもちゃに対する気持ちやその後のおもちゃの扱い方のモチベーションが変わるからです。

ある日のことです。その時2本目のきゅうりを縫っていました。目覚めた2歳2か月のRちゃんが布団からおきてきて私の傍で縫合作業を興味深く見ています。
縫い進める途中で短くなった糸を縫い止め、新たに次の糸を針に通す様子を食い入るように見ています。老眼です。簡単に糸を針穴に通せません。何度も糸を通そうとし続けている私の顔は真剣です。Rちゃんなりに何かを感じたのでしょう、私に言葉をかけました。
「キンチョウシテル?」
「はあ?」一瞬彼女が何を言っているのか皆目見当がつかず「えっ、なんだって?」
Rちゃんは明瞭に繰り返し言葉をかけてくれます。「キンチョウシテル?」
「き・ん・ちょ・う???」間違いなく彼女は私に『緊張している?』と気遣いの言葉をかけているのです。まさか2歳2か月の幼い子供が『緊張』なんてことばをつかいこなすとはおもいもよらないことでしたが、合点がいった私は彼女に『だいじょうぶ』と返事しました。
連絡ノートによるとつい最近ママの友人の結婚式に参加してガチガチに緊張して、式の途中で『どんぐりころころ』の歌を歌い出したり、大泣きしたりして周りの大人たちからあやしてもらった経験があったというエピソードを知っていましたから、この日の夕方ママが彼女をお迎えに来た時に私がきゅりを縫っているのを見て「きんちょうしてる?」って気遣われた今日の出来事をお伝えしました。