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どんぽのばぶさん61~

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宮沢賢治・作「土神とキツネ」考 その1 ~嘘をつく心持ち~

2019-09-15 00:32:05 | 朗読稽古のスケッチ
「土神とキツネ」考 その1 ~嘘をつく心持ち~




恋する人に自分を伝え、認めてもらいたいという欲求は誰にだって多かれ少なかれあるものです。
相手の関心を自分のほうに引き寄せたいと望むが故に「エーカッコウシイ」の嘘をつきます。
生来の性格というのはまわりの他者とのかかわりの中で「良い面」と、あるいは「良くない面」として反映されます。
土神にしてもきつねにしても、それぞれ良いキャラクターを持っているのに、その良さをうまく発揮できないばかりか、
発揮しようとすると自分の発する言葉の嘘によって現実は微妙に歪んでいきます。
二人に共通して言えるのは『自分自身をとことん信じきれない』という点です。
信じきれない面を自覚あるいは予見するが故に、そこを埋め合わせしようとして結果的に「嘘」をついてしまいます。
嘘には無理がありますから露見すると倍になって矛盾点が爆発します。
皆それぞれによい面を持っているのですからその一方の自分の弱さや不足している面をそのままに認めてしまえば
全く異なる新たなるストーリーの展開があるのですが、認めきれなかったところから「土神とキツネ」のお話が展開されていきます。

水仙月の四日のなぜ?

2019-02-01 23:08:52 | 朗読稽古のスケッチ
水仙月の四日(宮沢賢治・作)のなぜ?


「水仙月の四日」(すいせんづきのよっか)は、『注文の多い料理店』に
収録されている作品です。当時はあまり評価されなかった作品です。
希少価値の高いあまりに美しい雪山の遭難文学です。
しかも遭難した赤いケットを被った子供が命を落とさずにお話は終わる
という意味ではハッピーエンドの物語といえますでしょう。
登場人物をざっくり紹介しましょう。
物語の主人公の雪童子(ゆきわらす)は2頭の雪狼(ゆきおいの)を従え、
鞭を使って猛吹雪を起こす賢治さんのオリジナルのキャラ。
雪狼(ゆきおいの)というのは雪童子の言葉を解す忠実なしもべ達です。
自由に空宙を駆けまわり吹雪を起こす能力を持っています。
雪婆んご(ゆきばんご)は東北地方の妖怪を元にした賢治のオリジナルキャラ。
とがった猫の耳を持ち、雪童子達を使って猛吹雪を起こす冬の魔女(?)。
3人の雪童子たち9匹の雪狼を従えている。
父親が焼いた炭を橇に乗せて山を下り、食料などを仕入れる家事労働をしている
赤い毛布の子供。
 
・・・● あらすじ ●・・・
水仙月の四日に、二匹の雪狼を従えた雪童子(主人公)と赤い毛布をかぶった子供が
雪山で出会うところから物語は始まります。
人間の目には見えない雪童子は赤ケットの子供にヤドリギの枝を投げて挨拶します。
子供は不思議そうに枝を拾います。急ぐ家路の途中で、天候は急変します。
雪婆んごが別の雪童子を連れてやって来たのです。
子供の命を救おうと主人公の雪童子は奔走します。
夜になって吹雪はおさまり、雪婆んごは翌朝満足して東に去ってゆきます。
だれもいなくなってから、雪童子は雪に埋まった子供を掘り出します。
しかし子供は最後まで雪童子の存在に気づきません。

・~・● 鑑賞 ●・~・
岩手の春先には、突風をともなう短時間の吹雪がよく発生します。
それをモチーフにした童話です。
雪婆んごの手下である雪童子は、人間には目に見えない存在。
話し相手に恵まれず、雪の野山で鞭を鳴らし、友達といえるのは雪狼だけ。
悪戯で投げた(?)やどり木の枝のおかげ(?)で、こどもが振り向いてくれ、
死にそうになりながらもその枝を捨てずにいたことが、雪童子には嬉しかったのです。
赤い毛布のこどもに対して、情愛が生まれ、凍った雪童子の心に春がやってきました。
老若男女を問わず人は誰でも「誰かの役に立ちたい」、
「自分を認められたい(受け入れられたい)」という欲求を持っているものです。
赤いケットの子供の泣き声によって雪童子の中にわずかに熾火(おきび)のように
残っていた人間性が喚起されます。
 
すいせんづきのよっか の なぜ?  
ばぶさん流の解釈・想定&演出の試みどころ(おいしいところ)
●主人公の雪童子には2匹の雪狼……3匹でなく2匹という処が隠し味でしょうか。
この子はかつて吹雪で遭難死した子供(新顔・今回デビュー)の化身、
けれどもまだどこかに人間味の感性が残っています。
●3人の雪童子には9匹の雪狼……ベテランの雪童子それぞれ3匹の雪狼の飼い主(?)
●雪婆んごと3人の雪童子の関係……百戦錬磨のコンビネーション、
〇主人公の雪童子は、雪婆んごと初対面?水仙月の四日というイベントも初体験
●そもそも雪婆んごの立ち位置は? 人間ではない大自然界の猛威の化身、
自然界の側の都合での営みをしています。
●『水仙月の四日』って大吹雪の記念日? 
例えば雪婆んごのそのまたおばあちゃんの祥月命日とか?
〇ヤドリギの枝……西洋では生命の再生・幸運の象徴です。
 たまたまヤドリギだったけれども結果オーライとなりました。
〇雪童子が赤いケットの子供を助けたモチベーションは何でしょう?
『泣き声』の持つ力、もっと生きたい、死にたくないという願いや祈りの発露。
〇サバイバルな状況の中で吹雪の山で凍死しない知恵(経験智)を発揮します。
雪洞の中に隠れ込んで、吹き付ける強風から身を守り生き延びる。

※朗読は自由な解釈で鑑賞できる不思議世界。
皆さんの「なぜ」を持ち寄って100倍楽しみたいものです。

木を植えた男・考 その1

2018-12-03 14:26:04 | 朗読稽古のスケッチ
木を植えた男・考 その1


フランスの作家ジャン・ジオノ(1895/3/30~ 1970/10/8)さんが、
『リーダーズ・ダイジェスト』という会社からの「あなたが今まで会った中で最も忘れがたい人物は誰か」
というアンケートへの回答としてこの作品を出しました。
1953年のことです。ジオノさん58歳の時の著述です。彼は75歳の生涯です。
1953年というとおりしも私が生まれた年です。妙に親近感を覚えています。
さて出版社に送ったのですが、編集部はその人物が実在しないことを確認して
掲載しなかったといういわくがあります。
私は最初作品を読んだときノンフィクションかと思っていましたが
実は壮大なフィクションでした。でも私にとっては快いウソです。
何度も読み返して作品世界を味わっていますが、
読後爽やかなすがすがしい思いにさせてくれます。
来年1月の朗読会で読むのでそれに向けての読み取りの日々です。
主人公のエルゼアール・ブフィエ氏については年齢が示されていますが、
彼に出会ったもう一人の主人公の「私」は何歳なのか示されていません。
ジオノさんは敢えて書き示さなかったのかもしれませんね。
けれども私にとっては作中の「私は何歳?」だったのだろうかと気になります。

作中には『…そのころ私も十代半ばでありながら…』とありますが、
その少し前にたばこを喫煙している場面がありますので、
「十代半ば」ではありませんが暫定18歳ということにして読み込んでいます。

二人が出会ってからの33年間の年月の重さが森林の育成ぶりに反映されている作品です。
そこでブフィエ氏と「私」を時系列でメモって読み取りの試みをしています。
1858年ブフィエ氏 生誕0歳
1910年ブフィエ氏 52歳 どんぐりを植え始める
1913年ブフィエ氏 55歳  私(暫定18歳) ※二人が出会う 
1914年 第一次世界大戦勃発        56歳 19歳
1919年 戦争終結             61歳 24歳 
1920年再びブフィエ氏を訪ね、以後毎年訪問 62歳25歳
1933年森林監視員視察           75歳 38歳
1935年政府の派遣団視察          77歳 40歳
1939年 第二世界大戦勃発         81歳 44歳
1945年 私がブフィエ氏に最後にあった   87歳 50歳
1947年ブフィエ氏死去           89歳 52歳

木を植えた男という作品中には会話が極めて少ないのです。 
年齢を想定しないことには会話に立体感が出せません。
そこでこのメモを取ってみたという次第です。

砂浜で朗読の朝練

2018-09-20 22:17:51 | 朗読稽古のスケッチ
朝練2回目で気が付いたこと・・・はまかぜ体験
浜に着く前の4~5分東の空にくれない色の朝焼け、わくわくしながら浜に急ぎました。
浜についたら5:31何と三浦半島の向こうからご来光。
遠く房総半島もうっすら見えます。ここは湘南海岸の真ん中です。
今朝は曇天で雲が低くたなびいていましたので
お日様は登り切って3~4分で雲の中に隠れてしまいました。
晴れている日だったら堪らないほどさわやかだったことでしょう。
海はべた凪で白い波頭は小さく静かで短命でした。
勿論サーファーは一人もいません。
「練習、れんしゅう」とつぶやきながら砂山に登り、
適当な場所を選んで座り込み朗読の練習を開始ました。
風が吹いています。やや強めというかひっきりなしに吹いてきます。
途中で風を少しでもよけようと砂山の上から風下の窪地のほうに移動してみました。
風って大地をなめるように吹いてくるものなのでしょうか。
場所を移動しましたが風よけ効果はありませんでした。
吹きっ晒しの中に長時間いたのでは体調を崩しかねません。
一回読み通したところで練習を切り上げました。

モチモチの木・考 その3 臆病を超える勇気の源泉

2018-02-02 06:09:23 | 朗読稽古のスケッチ
ある夜じさまが急な腹痛を起こし苦しみもだえます。
怖くて夜中に一人でセッチンに行けなくても毎晩必ず付き添ってくれる大好きなじさまが腹痛で苦しみ悶えているのです。豆太はじさまとたった二人だけの山小屋暮らしです。
自分の他には誰一人頼れる人はいません。
イシャサマオ、ヨバナクッチャ!臆病を超えた勇気が豆太に沸きたちます。
豆太は仔犬みたいに身体を丸めて、表戸を身体で吹っ飛ばして走り出します。
なにしろ夜中に起きた突然のできがとですから豆太はねまきのまんま、ハダシで走ります。
片道2キロはあるふもとの村まで豆太は俄然奮起し医者様を呼びに夜道をたった一人ひたすら走ります。町中と違って街灯などともっていない山の中の道です。
峠の下りの坂道は、一面の真っ白い霜で、雪みたいでしたが、外はすごい星で、月も出ていた天候条件はかえって幸いでした。雪明りと月の明かりが孤独なランナーをサポートしてくれます。
霜が足に噛みつき、足からは血が出ましたが、豆太は泣き泣き走ります。
いたくて、さむくて、こわかったから、けれどもそれよりなにより、大好きなじさまが死んじまうほうが、もっと怖かったのです。じさまが死んじゃうなんて嫌だという強い思いが背中を押したことでしょう。

まだたった5歳の豆太の実に健気な行動です。無我夢中でひたすら頑張り通せた背景を考えてみます。大人に対して心置きなく甘えられるのは、自分がじさまから愛されている、受け入れられているという安心感と信頼感が豆太に育っていたからです。
人間は信頼に値する存在なのだという実感を体験できること、これこそが人間関係の基本です。
そしてさらに人は老若男女を問わず誰も彼もが、「自分を認めて欲しい、認められたいという欲求」と「誰かのために役にたちたいという欲求」を根源的に持っています。
じさまの言葉
人間、優しささえあれば、やらなきゃならねえことは、きっとやるもんだ。

モチモチの木…私の大好きな作品の一つです。