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どんぽのばぶさん61~

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考・さるかに合戦…柿の実…そして干し柿

2019-12-16 06:21:32 | ばぶさんな童話
考・さるかに合戦…柿の実…そして干し柿



デイサービスセンターで週に一度、「朗読タイム」を担当しています。
お年寄り為の朗読ということで、最近は日本の昔話をもっぱら選んで語っています。
『聴き手の側』にすると、あんまり長いお話よりも短めで解り易いお話が好まれます。
そのためどうしてもかいつまんだあらすじのようなお話の朗読になります。
それでもある程度の満足にまでは達していただけるのでひとまずは良しとしています。

一方、『読み手の側』には、どうしても物足りなさが残ります。
きっとこの辺に双方の欲求の境目の「閾値」があるのでしょうね。
無理矢理に帳尻合わせをして事を収めようとせず活動を輻輳させていこうと思っています。
振れ幅が広いので両方のお話の発芽をそれぞれ大事に育てていこうと思います。

耳なじんできたであろう昔ばなしの中から「さるかに合戦」を読みました。
デイサービスでは「あらすじバージョン」でした。大変面白いお話です。
ですから「あらすじバージョン」から離れて「ばぶさん童話流さるかに合戦」を創作中です。
 
カニが丹精して育てた柿の木にたわわに実った柿の実です。
採ろうと木登りを試みるカニです。うまく登れません。
木に登れず難儀しているところにサルがやってきます。
悪戦苦闘のカニを見て 「おいらが代わりにとってやるよ」
きっと最初は親切心で一肌脱ごうとしたのだろうと思い描きます。

けれどもサルは『柿の実の食通』だったのでしょうか。
それとも・・・実っていた柿がやたらと食べごろでサルを魅惑したのでしょうか。
柿の実はサルをいざないます。一口食べたらもう病みつきです。
「カニの為に柿の実を取ってやる」というそもそもの事の発端など
すっかり記憶の彼方です。忘れてしまいます。
サルは、実にうまそうに次から次から食べまくります。

どんな心持ちで柿の実を食べていたのでしょうか。
サルの心持を感じ取りたくて行きつけのスーパーで柿を買いました。
元来私は柿を積極的に買い求め食するような食習慣はありませんでした。
そこで1個売りのバラのケースから選び取ります。
そっと触って重さや熟し加減(?)を思い描きます。
何日か買い求めているうちに「種なし柿」「種有柿」とあることに気が付きました。
産地ごとの味の違いだとか堪能する前に今年の旬の時期を逸しました。
来年に向けての楽しみな宿題をゲットしました。
そして3週間ほどたったころ福島の友人から「干し柿は好き?」とメールです。
さらに1週間ほどたって届きました。「あんぽ柿」という品名でした。
干し柿なんて食べたのは何年ぶりのことでしょう。
ところがどっこい食べてみて驚きました。旨いです。美味です。
すっかり「あんぽ柿」のファンになりました。また楽しみが一つ増えました。
農家さんが一つ一つ包丁で皮をむき、天日で干して熟成した天然の恵みです。
かかった手間の全てがうまさに凝縮されているように思いました。

カニに分けてやらずに一人で食べまくったサルの気持ち…。
お話の後半で懲らしめられたサルですが私サルに半分同情します。


ばぶさん童心話 わたしたち座 (第2稿)

2018-11-23 10:32:39 | ばぶさんな童話
ばぶさん童心話 わたしたち座 (第2稿)  作・曵田原 宏



星座は遥かな昔に人が考え出したものです。 
もしも星座の側に心があって
星座を構成する星ぼしが互いに心通わしていたら・・・
何と素敵なことでしょう。
夜空に輝くたくさんの星。 その中にたくさんの星座。
オリオン座 カシオペア座 大熊座 白鳥座 ・・・

それではそれらのたくさんの星座の中に今生まれたばかりの
『わたしたち座』があることを御存知ですか?
えっ、初耳ですか? おそらく初耳でしょう。
だってさっき思い至ったばかりですから。
『わたしたち座』は夜空にあるのではなくて
私達の心の中にあるのです。
夜空を見上げて
まず私の星を指さします。
これがあーさん。
あっちがいーさん。
そしてその隣がうーさん 
そのまた隣がえーさんで、
そのはす向かいがおーさん。
嬉しいなぁ みんな 仲間だ。
その全部が『わたしたち座』です。
星々は 自由気ままに
心行くまで 輝き続けています。 
やがて互いの存在に思いを巡らしたり、思いを馳せたり、
思いを届けたりするうちに 気がつけば
「わたし」は「わたしたち」になっています。
それぞれの星はそれぞれの場所で
それぞれの輝き方をしています。
輝きはてんでんばらばら 
でも 
それぞれみんな美しい、

その輝きを感じ合うとき
脈打ち響く絆の産声。

もしも星座の側に心があって
星座を構成する星ぼしが
互いに心通わしていたら
何と素敵なことでしょう。
 

カイロ団長・考 その6 雨蛙たちが悲惨の中で気づいた慈しみの心

2017-06-08 05:47:24 | ばぶさんな童話
自分たちに無理難題を強いてきた殿様蛙が、王様の命令によって巨貫の石を運ばされることになりチャレンジしてみたものの石はびくとも動かず
(前略)殿様蛙はまた四遍ばかり足を踏ん張りましたが、おしまいの時は足がキクッと鳴ってくにゃりと曲がってしまいました。雨蛙は思わずどっと笑いだしました。

~この時の雨蛙たちの心情は自分たちを過酷な労働に追いやってきた殿様蛙の悲惨な姿にさぞや溜飲が下がったことでしょう。ところがお話はこう続きます~

雨蛙は思わずどっと笑いだしました。がどういうわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。皆さん、この時の淋しいことといったら私はとても口で言えません。皆さんはお解りですか。どっと一緒に人を嘲(あざけ)り笑ってそれから俄かにしいんとなったこの時のこの淋しいことです。

~何か大切なことに気付ける瞬間です。そして雨蛙たちがこの寂莫とした荒涼感の中で気づいた情けは「相手への嘲(あざけ)りを突き抜けた慈しみの心」だったのだと私は思います。憎しみや恨みつらみの連鎖では心の平穏は訪れません。悲惨をいつくしめる心情こそが大切なのです。賢治さんはこの一点を私たちに伝えたくてこの『カイロ団長』のお話を綴ったのだと思います。次に出てくる第二の王様の命令は雨蛙たちや読者である私達に向けてのメッセージでもあります。~
(中略)「…王様の新しいご命令。全てあらゆる生き物はみんな気のいい、かあいそうなものである。けっして憎んではならん。以上。」(中略)そこで雨蛙は、みんな走り寄って、殿様蛙に水をやったり、曲がった足を治してやったり、トントン背中をたたいたりしました。
殿様蛙はホロホロ悔悟の涙をこぼして、「ああ、皆さん、私が悪かったのです。私はもうあなた方の団長でもなんでもありません。私はやっぱりただの蛙です。明日から仕立屋をやります。」雨蛙は、みんな喜んで、手をパチパチ叩きました。(後略)

~読み終えてささやかながらすがすがしさを届けてくれる『カイロ団長』のお話です。
この作品を私は今週土曜日(6/10)『第31回ひねもす朗読会』で朗読します。

カイロ団長・考 その5 雨蛙たちが一緒に面白く仕事をやっている心のありか

2017-06-06 05:06:10 | ばぶさんな童話
ある時、三十匹の雨蛙が、一緒に面白く仕事をやっておりました。
この作品『カイロ団長』の書き出しです。さりげない文章でさりげなく綴られていますが、ともすれば私たち現代人が忘れかけているのかもしれない大切なことを作者の宮沢賢治さんは肩ひじ張らずに語っています。

『一緒に面白く仕事を・・・』とは どんな心持で仕事をやっていたのでしょうか?
造園業ですから一人の感性で作り出せる部分と、皆で力を合わせて全体の形を整える力仕事の部分とあります。三十匹の雨蛙がそれぞれ自分の脳みそを働かせて自分で考えて創造性を発揮して、さらには共同で一つの仕事をしているのです。
いい仕事をしたい、美しい公園地に仕上げたい、思いは一つです。ここが大事です。一緒に面白く仕事ができる前提を思い描いてみます。何を優先して仕事をしているのかで仕事の中味は豊かにも貧弱にもなります。「ノルマ」や「マニュアル」や「安全管理への縛り」といったことが最優先されていない労働の場から生まれ出る思いやりや気遣いがあります。
引用を続けます。

これは主に虫仲間から頼まれて、紫蘇の実や芥子の実を拾ってきて花畑をこしらえたり、形のいい石やコケを集めてきて立派なお庭を作ったりする商売でした。
こんなようにしてできた綺麗なお庭を、私どもはたびたび、あちこちで見ます。
それは畑の豆の木の下や、林の楢の木の根元や、また雨だれの石の影などに、それはそれは上手にかわい可愛らしく作ってあるのです。(中略)
朝は、黄金色のお日様の光が、トウモロコシの影法師を二千六百寸も遠くへ投げ出すころからさっぱりした空気をすぱすぱ吸って働き出し、夕方は、お日様の光が木や草を飴色にうきうきさせるまで歌ったり笑ったり叫んだりして仕事をしていました。
殊に嵐の次の日などは、あっちからもこっちからもどうか早く来てお庭を隠してしまった板を起こしてくださいとか、うちの杉苔の木が倒れましたから大急ぎで五六人来てみてくださいとか、それはそれは忙しいのでした。忙しければ忙しいほど、みんなは自分たちが立派な人になったような気がして、もう大喜びでした。

ここまで美しく雨蛙たちが「…一緒に面白く仕事をやって…」いる情景を描写されると、この先のお話の展開で殿様蛙の家来にさせられて次々と苦役を強いられていく労働の中味とのコントラストが際立ちます。

カイロ団長・考 その4 雨蛙たちの解放と介抱と

2017-06-04 14:29:22 | ばぶさんな童話


命令通りに実行できない場合は巡査に引き渡して首をシュポンと斬られるぞという殿様蛙の恫喝におびえ無茶なノルマの達成に途方に暮れていた雨蛙たちを解放したものは王様からの新しいご命令の公布でした。

(前略)「そら、新しいご命令だ」と、
雨蛙も殿様蛙も、急いでしゃんと立ちました。(中以略)
「・・・王様の新しいご命令。
一か条。人に物をいいつける方法。
第一、人にものを言いつけるときはその言いつけられるものの目方で自分の身体の目方を割って答えを見つける。
第二、言いつける仕事にその答えをかける。
第三、その仕事を一ぺん自分で二日間やってみる。 以上。
その通りやらないものは鳥の国へ引き渡す。」
さあ、雨蛙どもは喜んだのなんのって、
チェッコという算術のうまい蛙などは、もうすぐ暗算を始めました。(中略)
「さあ王様の命令です。引っ張ってください。」
今度は、殿様蛙は、だんだん色がさめて、飴色に透き通って、そしてぶるぶる震えてまいりました。(中略)
そこで雨蛙は声を揃えて囃してやりました。
「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨイトショ。」(中略)
殿様蛙はまた四遍ばかり足を踏ん張りましたが、
おしまいの時は足がキクッと鳴ってくにゃりと曲がってしましました。

※そして私がこの『カイロ団長』の作品の中で一番気に入っているシーンへと続きます。宮沢賢治さんの感性の優しさがひときわ際立ちます。

雨蛙は思わずどっと笑いだしました。がどういうわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、この時の淋しいことといったら私はとても口で言えません。皆さんはお解りですか。どっと一緒に人を嘲り笑ってそれから俄かにしいんとなった時のこの淋しいことです。
ところが丁度その時、またもや碧空高く、カタツムリのメガホーンの声が響き渡りました。
「王様の新しいご命令。
全てあらゆる生き物はみんな気のいい、かあいそうなものである。
けっして憎んではならん。以上。」
雨蛙たちは殿様蛙を介抱したり看病したり労わりの限りを尽くし、殿様蛙は悔悟の涙とともにカイロ団長をやめたことを宣言します。
再び雨蛙たちは元の造園業に復帰します。