おてんとうさまはおみとおし
母が子供の頃、祖父からよく聞かされてきた
言葉です。母は正直で真面目な人でした。
何より創意工夫の人でした。
知恵の働かせ方の多くも祖父から学んだのです。
口数は少ないけど人の悪口を言わない人でした。
簡単に激高などしない穏やかな人でした。
ある時台風の大風で庭木の幹がブロック塀で
ゴリゴリ擦られたのを見て「かわいそうに」と
ボロキレを巻いた人でした。
次男が受験浪人で住み込み店員となり、
新聞配りを始めて最初の雨が降った夜明け
「この雨んなか新聞配りしてんだよぉ」と
わんわん号泣した人でした。
長男が心筋梗塞のため47歳7カ月で死んだ時
悲しみが大き過ぎて受け止め切れなかったので
葬儀の際には一粒の涙も出ませんでした。
祥月命日には欠かさず墓参りしました。
4年目の墓参りの時初めてポロポロ泣きました。
「母さん、僕らを産んでくれてありがとう。」
母が子供の頃、祖父からよく聞かされてきた
言葉です。母は正直で真面目な人でした。
何より創意工夫の人でした。
知恵の働かせ方の多くも祖父から学んだのです。
口数は少ないけど人の悪口を言わない人でした。
簡単に激高などしない穏やかな人でした。
ある時台風の大風で庭木の幹がブロック塀で
ゴリゴリ擦られたのを見て「かわいそうに」と
ボロキレを巻いた人でした。
次男が受験浪人で住み込み店員となり、
新聞配りを始めて最初の雨が降った夜明け
「この雨んなか新聞配りしてんだよぉ」と
わんわん号泣した人でした。
長男が心筋梗塞のため47歳7カ月で死んだ時
悲しみが大き過ぎて受け止め切れなかったので
葬儀の際には一粒の涙も出ませんでした。
祥月命日には欠かさず墓参りしました。
4年目の墓参りの時初めてポロポロ泣きました。
「母さん、僕らを産んでくれてありがとう。」